逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

平和な日本とは違い宗教戦争の真っ只中の欧米の宗教事情

2015年05月14日 | 宗教
『米国、クリスチャンの数が減少』2015年05月13日Sputnik 日本

米国ではクリスチャンの数が減少している。Pew Research Center (PRC)による報告書「米国の宗教風土の変化」に示された。USA Todayが報じた。
RPCが最初に同種の調査を行った2007年以来、最大の下げ幅。クリスチャンと自己規定する米国人は全体の78.4%から70.6%にまで減少した。老若、配偶者の有無を問わず、全階層が対象の調査。
一方で無神論・不可知論者はほぼ倍増。各、1.6%から3.1%へ、2.4%から4%へ増大した。宗教への無関心も拡大している模様。また、2010年以降に婚姻関係を結んだ米国人の実に39%が夫婦でそれぞれ信教を異にする混合婚である。1960年までに結婚した米国人夫婦では割合は19%にとどまっている。
米国の成人3万5000人が調査対象となった。

今回USA Todayが報じた『米国、クリスチャンの数が減少』の記述ですが、実に興味深い。
『最大の下げ幅』とは言うが、それでも圧倒的な多数である7割以上が自分をクリスチャンと既定している。対して倍増したとはいえ無神論者は3%の絶対的な少数派というか、この数字ではもはや『異端者』である。
アメリカでは不可知論者を加えても1割に到底到達しない少数派だけが、普通の日本人と同じ科学万能論者(宗教<科学)であり、他の人々の多くが逆の『宗教』が『科学』の上位に君臨する宗教者だった。
アメリカの7割の宗教信者の割合ですが、この数字はほぼダーウィンの進化論に否定的な人々の比率と一致しているのですから恐ろしい。
またUSA Todayの『実に39%が夫婦でそれぞれ信教を異にする混合婚である』との記述の意味ですが、この数値は7割以上が自分をキリスト教徒であると断定するアメリカではキリスト教徒と異教徒の仏教徒とかイスラム教徒とが婚姻するとの意味ではない。
アメリカ人が考える『信教を異にする混合婚』とは宗教の違いの意味では無くて、なんと同じキリスト教内の『宗派』の違いを指しているのである。
キリスト教イスラム教など一神教では婚姻は最も大切な宗教行事であり、対して『棄教』はもっとも重い重大犯罪となっている。(一神教ではもしも異宗教間の婚姻を認めると、どちらか一方が最も厳しい宗教犯罪の棄教することになる)パキスタンなどイスラム法国家では棄教は死刑なのです。
宗教に対して世界一寛容な日本人の常識では、到底理解出来ない恐ろしい話である。
キリスト教などの一神教徒にとっては些細な教義の違いしかない『同一宗教の中の他の別宗派』の人々は、信者たちにとっては『信教が異なる異教徒』だったのである。
西欧世界では同じキリスト教徒同士のカトリックとプロテスタントが血で血を洗う壮絶な殺し合いを延々と続けていた歴史があるが、これはネストリウス派(景教)を異端として弾圧したキリスト教創成期からの2000年の暗黒の歴史(魔女狩りなどの宗教裁判、宗教戦争)と繋がってるのである。
ナイチンゲールの逸話にもあるように戦争の残酷さでは際立っていた162年前のクリミヤ戦争ですが、今まで長年争っていた新教のイギリスと旧教のフランス、イタリアが連合して、同じキリスト教でも宗派が違う『東方正教』の盟主であるロシアを叩いた宗教戦争の側面がある。(19世紀中葉の西欧世界では、それまで殺しあっていた新教と旧教の争いが一段落していた)
同じく人類の歴史上最も壮絶だった第二次世界大戦でも宗教戦争の側面がある。ナチスドイツが暴れまわった欧州の犠牲者の数では無神論のソ連が2000万人で飛びぬけていて、二番目に多いのがカトリック(異宗派)のポーランドで800万人、三番目が異教徒のユダヤ人で600万人。今のウクライナ紛争にもWW2の宗教戦争の隠された本質部分が地下水脈で繋がっている。
今のアメリカが強引にすすめる意味不明の『対テロ戦争』ですが、『これは宗教戦争である』と見れば案外意味が分かりやすい。
世界最先端の先進国であると思われている今のアメリカですが、先進国としては例外的に宗教的な国家(政教一致の神聖国家)であり、そのことが最大の原因で未だに宗教戦争の真っ只中にあるのでしょうか。

『ヨーロッパのメディアから現代日本はこんなふうに見えている』

スイスのラジオ局が日本の宗教事情についての番組を作るために訪日するにあたり、現代日本の宗教事情について詳しく知る人物として神戸の4年制ミッションスクールの教授だった内田樹に、事前に質問状を送ってきている。
その質問状からは欧米の一神教世界から見る『現代日本のイメージ』がはっきりと示されていてたいへん興味深い。内田樹が和訳した質問状を掲載したい。
(1)
今日の日本に「日本の国民的信仰」というものは存在しますか?
(2)
単なる社会契約という以上の国民的な統合の軸というもの、アメリカ人における「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか?
(3)
あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか?
(4)
物質主義的な文化は日本の霊的生活にどのような影響を及ぼしているでしょう?
(5)
それは伝統的な宗教実践や、「マーケット志向的」(orientés client)な新しい宗教運動の出現には関与しているでしょうか?
(6)
先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
(7)
日本は新しい外来の新しい宗教的表現(例えば韓国におけるペンテコステ運動のような)ものに対して開かれているでしょうか?
外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
(8)
あなたはマンガの専門家でもありますけれど、霊的な問題意識はこの領域には入り込んでいるでしょうか?
マンガの世界から派生した独特なモラルというものは存在しているでしょうか?
(9)
現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?
(10)
神道は明治維新のもとで政治的目的のために功利的に利用されたのでしょうか?
(11)
靖国神社への参拝はその政治目的のひとつの実例なのでしょうか?
(12)
仏教もこのような歴史的変化によってその性格を変えたのでしょうか?
(13)
保守的言説が犠牲的精神や簡素さや愛国心や権威を讃えることと関連はあるのでしょうか?
(14)
「欧米由来の進歩的なヒューマニズム」に反対する言説と宗教の関係はどうなっているのでしょう?
(15)
戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
(16)
個人主義は日本では敵と認定されたのですか?
(17)
民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
(18)
私が読んだものの中で、日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう?
(19)
意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?
(20)
日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
(21)
このような保守的言説には地理的に多少の偏り(都市部か地方か、中心か周縁か)があるのでしょうか?
(22)
戦後70年経ちましたが、日本は後戻りのできない方向に舵を切っているのでしょうか?(le Japon prend-il un virage irréversible ?)
(23)
あなたは坂本龍馬について言及していましたが、現在の日本が次第に閉じられた国になりつつあることに裏切られた気持ちを持っているのでしょうか?
(24)
あなたの父親は第二次世界大戦後の日本の再建にかかわってきたそうですが、あなたは(憲法九条に示されるような)平和主義的な日本はその終末を迎えていると考えていますか?

『隠れキリシタンが多すぎる不思議のネット世界』(日本の特殊事情)

『内田樹の研究室』2015.05.10『スイスのラジオ局から訊かれたこと』ですが、何とも思わせぶりに質問項目だけが列挙されているが、その答えは先送りされていて何処にもない。何時もの歯切れの良い(誰にでも分かりやすい)文章を書く内田樹が別人になっているのである。
密かにキリスト教のミッション(伝道活動)を行っているらしい隠れキリシタンの内田樹としては、スイスのラジオ局の質問内容が難しい。(下手に答えると自分が隠れキリシタンであることが世間にばれるので)答えに窮しているのである。だから熟考して、時間をかけてから返答をする心算なのでしょう。(逆に答える時間を与えないで返事を要求すると、うっかりと本心を喋る場合が有る)
スイスのラジオ局の24項目の質問ですが、自分が隠れキリシタンで有る事実を隠したい内田樹とは大違いで、普通の平均的な日本人なら考えるまでも無く即答できるのである。
平均的日本人は宗教的には融通無碍で自由平等、博愛主義なのでる。正月には神道の神社に初詣に行きお盆には先祖供養をおこない結婚式はキリスト教で、葬式は仏教で行う。日本人が取り入れないのはイスラム教のラマダン(断食月)程度で他は何でもクリスマスだけでは無くてバレンタインデーでもケルトのハロウインでもゲルマンのイースターでも、何でも面白そうなものは即座に取り入れる。そして日本的に改良して、人畜無害なレベルにまで宗教色を極限まで薄めてしまうのである。
世界中の宗教の中で唯一日本の古代からの『神道』には、そもそも小難しい教義そのものが存在しないのである。
神道の『かんながらのみち』(神ながらの道)とは、『目の前の森羅万象あらゆる事実を、ありのままを丸々そのまま受け入れる』なので原理的にひち面倒くさい教義を一切必要としないし、現在の様な科学万能の世の中では日本人の一人勝ち状態になるのは当然であった。(大人の平均的知的水準では日本人は世界中のトップである)
1910年生まれで第一次世界大戦も第二次世界大戦も両方経験しているフランスのノーベル医学生理学賞受賞者ジャック・モノーは『偶然と必然』で、『人間にとってどんなに不安で絶望的なことであろうとも、それが科学的で客観的な知識であるならば無条件で受け容れるべき』だとしているが、これは大科学者から改めて言われなくても日本人なら大昔から誰もが知っている。
モノーの『目の前に有る科学的な客観的事実を無条件で認める』とは、神道の『かんながらのみち』そのものであり、最も日本的な精神であったのである。

『無神論の立場で、「日本の宗教事情」を答えてみる』

(1)の問いですが、
もしも欧米世界のキリスト教の様な現実の世俗世界をこえる超越思想としてならば、今日の日本に『日本の国民的信仰』というものは一切存在しない。
過去には、1000年以上前に日本にも仏教や儒教の様な超越思想が入ってきたが即座に日本的に改編され、超越性を失っている。
100年ほど前にも同じようにキリスト教が日本に入ってくるが、短時間で変質して矢張り同じように超越性を失って日本化して仕舞っている。
日本の歴史上で宗教が超越性を持ったことは一度としてなく、常に現実の政治(世俗世界)に従属していた。
日本で歴史上一番西欧の一神教に近い『国家神道』でも政治の道具程度であり、宗教としてすこしも自立していない。
本物の宗教(超越性、普遍性)など、日本国に限っては夢のまた夢である。
我が日本国では、他の全てに優先する超越的(普遍的)な『存在』とは、唯一『科学』だけなのです。
しかも我が日本国では、科学の優位性(科学の正しさ)を否定するものは何人であれ(一般人はもちろん、例え聖職者でも)例外なく即座に愚か者か狂人の何れか、あるいは両方として一般社会から排除されるという厳しい『鉄の掟』が存在している。
その意味では今の日本人の国民的信仰とは、科学の正しさを無条件に信じるという『科学教』?であると判断できる。
(2)の、
単なる社会契約という以上の国民的な統合の軸。アメリカ人における「市民宗教」(religion civique)に類するものとして、我が日本国に存在するのがマグニチュード9の3・11大震災時に、欧米のマスコミが驚愕した『きずな社会』の存在である。
未曾有の大災害とか天変地異時には一つの例外もなく、後進国だけでは無くて欧米先進諸国でも必ず暴動や略奪が発生するのが世界の常識なのである。
だから日本国以外の世界中の普通の国には、必ず一つの例外も無く『本物の軍隊』が存在する。軍隊の本当の目的とは何か。(軍とは構造的に両刃の刃であり、内向きにも外向きにも自由に使える)
政府が国民に宣伝する『外国軍の侵攻』に備えているのではなくて、もしもの非常時に国民を力ずくで抑える『暴力装置』が、世間に秘密にしている『本当の目的』なのである。
ところが、唯一日本だけは暴動も略奪も騒乱も何も起きなかった。(欧米など外国のマスコミは静かな無政府状態と表現している)
20年前の神戸でも4年前の東北でも同じで、暴動略奪どころか目の前で肉親を失い全財産を失っても、大声で嘆き悲しむ市民さえもがいなかった。
まるで殉教者のごとく微笑み、全員が静かに悲しみに耐えていたのである。
我が日本国では『絆』と言う、目に見えない強烈な超越宗教が人々を縛っていたのであろうか。
絆の語源は家畜の足を縛る紐のことで、日本独特のいわく因縁いいがたい『絆社会』とは、自分では絶対に抜け出せない愛おしい束縛のことなのです。
静かに耐え忍ぶ日本人被災民を事情を知らない欧米人は褒め称えたが、実は日本人ではこれは当然で、これ以外の対処方法が無い。仕方が無いのである。
個人社会の欧米など外国とは大違いで、日本の場合には『全員で、自分の周りの空気を読む』ことを基本とする恐るべき『自己規制』の絆社会だったのである。
(3)の日本文化の宗教的層の質問ですが。
これはスイスのラジオ局が日本を根本的に勘違いしているだけでは無くて、仏教の根本原理を誤解しているのである。
そもそも2千数百年前にブッダがといた『無常感』とは命有るものは死に、形有るものは壊れる。奢れる盛者は何時かは滅びるとの、科学的な一般論を無知な一般大衆に説明した程度の話であり、他の宗教とは大違いで仏教では霊魂に付いて一切問題としていない。(霊魂不説)
また輪廻転生も一人の人間が何回も生き返るチベットのラマ教の話では無く、親のDNAが子供に受け継がれるとの生命科学の話と考えれば、科学論として少しも矛盾しないばかりか仏教ほど近代科学に近い存在は無いのである。(アインシュタインは世界で最後に残る宗教は仏教であろうと予測している)
(4)以降の質問ですが、
2015年05月08日 社会の『一流の小説家は新聞記者と同じ仕事をしていた』の記述内容の正しさを改めて証明するような話である。
このスイスのラジオ局ですが、わざわざ日本国内に取材してまで作ろうとしている『日本の宗教事情』とは何か。
質問項目の(1)や(2)や(3)でも質問者の日本に対する余りの無知にうんざりなのに、(4)以降では『呆れ返って。口があんぐり』としか表現できない水準である。
新聞記事でもテレビラジオなどの放送でも同じでジャーナリストが記事を書く(報道番組を作る)のは、目の前の客観的な事実ではなく、解釈された事実でもなく、その記者自身の主張なのだ。書かれるべき内容の主要部分は取材対象にではなく、記者自身の脳内にある。記者が取材に行くのは、事実を積み重ねるためではなく、自己の主張に沿った情報をネタとして仕入れるためだった。
ジャーナリストの仕事というのは、事実を伝えるルポライターの仕事とも、事実を解釈する学者の仕事ともちがう。より近いのは、小説家だ。一流の小説家と一流のジャーナリストは、ほとんど同じ仕事をしていたのである。 
記者がある事件について記事を書くということは、いってみれば、司馬遼太郎が桶狭間の戦いについて生き生きと描写するのと同種の仕事をしているのである。(それにしてもキリスト教の欧米人の想像上の日本人と、現実の日本人との乖離は凄まじい。ほぼ一神教バンザイで思考停止した妄想状態なのである)
 

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8 コメント

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戦争法 (おばば)
2015-05-15 07:45:56
お尋ねします。以前、「日本人は人を殺すことはできない。憲法改悪で9条を無くし、戦争する国作りは猫だましであり、福島原発事故を隠したいのですよ。」とのご意見でした。今の安倍政権が閣議決定した安保法制11法案ですが、国会にかけられて、議決しても、戦争に日本が参加して人殺しはしないと考えられていますか?アジア人に対して、優しい日本人が軍人になってテロを行ってきたことは事実。それを打ち消して美しい国と思わせようとしている。あの歴史が再現しそうと、心配ではありませんか?
返信する
異色の論考 (ましま)
2015-05-15 07:48:38
なかなか面白い論考ですね。引き込まれました。

イスラムのシーア派とスンニ派は不倶戴天の敵で戦争ばかりやっていますが、教義にはそれほどの違いがなく、日本でいえば血脈を重んじる浄土真宗大谷派と協議伝承を重んじる同本願寺派の違い程度です。

もっとも戦闘的だった日蓮宗も、創価学会はあっさり権力と迎合です。日本の宗教は科学というより、自然同化の諦観ではないでしょうか。
返信する
何とも場違いなヘイトコメント??? (宗純)
2015-05-15 10:36:18
おばばさん、先ずお伺いしますが、この記事を読んでから、
この『戦争法』のタイトルの疑問コメントしたのでしょうか。
それでは、まったく当該ブログ記事を読んだ形跡が伺わないのですよ。
此処は個人のブログのコメント欄であり、普通なら記事を読んだ読者が感想を書くところですよ。
記事の書き込みに一切関心を示さず、今回のコメントを送っている行為に???がでるばかり。
折角『なかなかの出来上がりだ』と満足している最中に、冷や水をかけるとは、・・・記事に一切の興味が無いとは残念と言うか、不愉快と言うか、悲しいと言うか。
思わず出演者全員がこける吉本新喜劇のギャグとそっくりの構造で、基本的に意味不明。

単なる嫌がらせなのか。
それとも何かの印象操作なのか。
目的が不明なのです。

本当に疑問に思っているなら、

同じコメント内容でも、一つ前の『敗戦も原発事故も二度経験しないと、本当の意味を理解出来ない』
でも
二つ前の『5月9日ドイツ敗北 WWⅡ終結70周年の節目で』でも
この記事よりは、内容的に一致する。
何故、この記事にコメントしたのでしょうか。不思議である。
『戦争』ですが、確かにタイトル内にはあることは有るが、これがいわゆる戦争と無関係であることはこのブログ記事を読めば誰にでも理解出来ます。
コメントに沿うように、今回の記事に新たに軍事関連の問題点を書き入れてみました。

それにしてもそっくりな疑問質問が何ヶ月か前にも行われており、そのときも、
もし本当に疑問であるならば、無関係な記事では無くて、関連するブログ記事の方にコメント下さいと注意したのですが、・・・
不真面目にも一切無視する。
『対話』では無くて、何かのプロパガンダを行ってるらしいのですね。(フクシマは安全安心。心配ない)
あるいは何かの一方的な思い込みによる、妄想状態。

『警察の前で米軍警備員が日本人を暴行、拉致監禁のやりたい放題』
2015年02月25日 | 政治
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/bafe7ac7e45aeb677bf00cf0893d74ff

同じ疑問を感じている『つぶやき一人』さんへのコメントの一部ををもう一度掲載します。


光市母子殺害事件とマスコミ (宗純)
2015-02-25 10:28:04


まず結論を先にいうと、『危機を感じられない』とは、ボケているだけなのでしょうね。

国連のWHOやIAEAが公式に認めているチェルノブイリ原子力発電所の事故による被害は、唯一小児甲状腺がんだけなのです。
現在の数字ですが、フクシマでは2000人に1人の割合ですよ。
2000人に1人が小児甲状腺がんであるということは、他の1999人は違うと言うことなのです。
小児甲状腺がんになった2000人に1人の方を注目するのか。
それとも、小児甲状腺がんではない1999人のほうを見るかで、結論が違っていくる。
今のマスコミとかいわゆる護憲左派の政治ブログですが、1999人を見て、小児甲状腺がんの1人を無視するから危機感がゼロなのですよ。多分。
私の判断ですが、これは完璧に痴呆症。あるいは全員がネットウョの様な脳内妄想の世界に逃げ込んでるのですね。
甲状腺とは成長ホルモンに関係していて、人体では小さな器官であり、自然発生のの甲状腺のかんは全ての悪性新生物(がん)のうちで1%程度しか無いのです。
もしも今のフクシマの話が政府やマスコミの宣伝の通りであるとしたら、1%しかない小児甲状腺がんの100倍の小児がんが発生していることになるのですよ。
数字にすると福島県の子供の20人に1人が何らかのがんだった、との結論になります。
何と、福島県では子供は全員が超高齢者なのだとの笑い話なのです。
がんは高齢者の病気であり、普通なら子供は無関係。人口3億人のアメリカにおける小児がんは年間2000人程度で、15万人に一人程度。そのうちで小児甲状腺がんは1%なので、1500万人に一人程度のとんでもなく珍しい病気なのです。
その1000万人に一人有るかか無いかの小児甲状腺がんが福島県では2000人に1人なのです。
しかも、まだ本格化する4年の前の時点なのですよ。4年が過ぎて本格化すれば、数十倍に跳ね上がるのは避けれない。
もう、日本が終わっているのは、間違いない事実なのです。
返信する
日本の創価学会とコウモリ党 (宗純)
2015-05-15 14:22:54
ましまさん、コメント有難うございます。

パキスタン在住30数年のオバハンが、気まぐれにお届けいたします!オバハンからの気まぐれブログ
『イスマーイール派の人々 1』
2015/5/14(木)
http://blogs.yahoo.co.jp/kimagure_obahan/70378458.html
ですが、
百聞は一見に如かずの逆さまで、百見は一文にしかず。驚くべきパキスタンの宗教事情です。

これと有る意味では対照的なのが我がが日本国。
70年前に大失敗して完全に滅んだはずの禍々しい破壊的カルト宗教の国家神道(靖国史観)が、同じく新興の破壊的カルト宗教の創価学会の助けを借りて、ゾンビの如くまたぞろ復活して、何と日本政府を乗っ取っている。
『田中龍作ジャーナル』
「自公の安定、日本の破滅」 反公明・創価デモ
2015年5月10日
http://tanakaryusaku.jp/2015/05/00011140

昔の中選挙区制の時代の自民党ですが、常に50%以上の、6割近い支持を集めていて政権を握っていたが、今の自民党は最大政党とは言え3割台の支持しかない。
創価学会(公明党)の支持が無ければ、総選挙では絶対に勝てない少数派なのです。
安倍晋三の暴走ですが、自民党が自分勝手に暴走しているわけでは無くて、公明党と言う手足を使って暴走しているのです。
今大阪では意味不明の摩訶不思議な『大阪都』の住民投票の選挙戦の真っ最中なのですが、暴走する安倍自民党に当たるの存在が、維新の橋下徹。
大阪では支持率が3分の1もあり第一党なのですよ。
この支持率が3分の1の第一党とは、日本国の自民党と同じ状態であり、
都構想には反対を掲げていた公明党ですが、突如として、『維新の会が第一党だから、都構想には反対だが、都構想の住民投票には賛成する』と言い出してので、議会の多数決で住民投票が成立する。
都構想に反対だが橋下を助けた大阪のコウモリ党ですが、まったく中央の創価学会と同じ態度なのです。
安倍晋三の戦争法案には反対する素振りを見せながら、実際には『最大与党だから』(勝ちそうだから)と応援する。
ところが土壇場に来てて世論調査で都構想反対が過半数であることが判明して、もう一度転んで、維新に反対になったらしい。
そもそもこの『3分の1の第一党』が曲者で、見方を逆にすれば、反対派が3分の2もいる少数派なのです。
維新の橋下徹も自民の安倍晋三も、実は多数派では無くて少数派に過ぎないが、勝ち馬に乗るのが得意なコウモリ党の助けを借りて、多数派を擬装しているだけなのです。
この事実を有権者が見抜くだけで、今の日本の政治が随分と改善されて正常化するでしょう。
返信する
昨日の閣議決定・記者会見 (おばば)
2015-05-15 20:46:08
コメント欄を間違えているとの指摘、昨日の閣議決定や、安倍総理の記者会見の様子を見て、ブログ主さんはどのような見解を持たれたか、お聞きしたいと思いました。紹介されている欄とコメントを読みました。すべて福島事故とその甚大な被害(すでに日本は終わっている)を隠すため、騒動をしている=赤いニシン、猫だましであるとのご意見。確かにそれには同意するのですが、果たしてそれだけかと。里仁さんのコメントに同感します。というとまた怒られそうですが。
『左翼が全員『戦争をする心算か』と大騒ぎしている集団的自衛権も多分同じ目的(煙幕とか擬装。間違いに誘導する赤いニシン)です。』の通りであることを願っています。
返信する
此方こそ『どのような見解を持たれたか、お聞きしたい』 (宗純)
2015-05-16 16:12:45
おばばさん、・・・・何とも困った話ですね。
同時に二つの相反することを主張しては、どちらが真意であるかが誰にも分からない。

先ず最初の私の疑問質問に対しては、
『安倍総理の記者会見の様子を見て、ブログ主さんはどのような見解を持たれたか、お聞きしたいと思いました』
とあるので、
『コメント欄を間違えている』(当該のブログ記事を読んでいない。記事とは無関係)との、私の指摘を認めていると考えられる。
それなら、この記事にコメントを続ける態度が不可解なのです。
私が記事と関係ないコメントを、嫌っている(見つけ次第落書きとして削除している)事実を知らないのでしょうか。
私が、『記事に無関係なコメントは止めて下さい』と御願いしているのに、無視してコメントを連投してくるので、
以後は見つけ次第『嫌がらせの落書きで有る』と判断して、掃除しているのです。
『書くな』といているのではなくて、書く場所を指定して、本物の討論を求めているのですよ。
なぜなら、他に私と同じ意見が無いのです。(他には極左系など、あまり信用度が高くないとことか、放射能に特化したブログ程度。護憲左派ですが、何故かフクシマを敬遠して話題にしない)
おばばさんが感じているらしい疑問や、同じ疑問を感じている『つぶやき一人』さんですが、
まったく同じことを私も何回も感じている。
私の方こそ『どのような見解を持たれたか、お聞きしたい』のですよ。何故他の護憲左派の政治ブログはフクシマを無視できるのか。
合理的な説明が付かないで、困り果てているのが現状なのです。
だから適当と思える場所を指定したが、一切無視する。それで、これは真面目な会話を求めているのではなくて、嫌がらせ目的であろうと推測したのです。
里仁氏ですが、多分悪党ですよ。あるいは何かのセクトの信者の愚か者。一番最初のコメントから随分変節しているのですね。

そもそも左翼と言うのは『お前たちが間違っている』(今までが間違っている)とのオルタナティブな存在であり。
現状の社会に不満な左翼が、体制を後生大事に守っては駄目なのです。
今のいわゆる護憲左派のブログですが、実は穏健保守の立場に甘んじているのが現状なのです。
そうでも思わないと、少しも辻褄が合わないのですよ。
『日本が終わっている』との、この『逝きし世の面影』の主張ですが、もしも左翼の端くれなら疑問や不思議に思うよりも
本来なら狂喜乱舞、歓天喜地、欣喜雀躍するべき話であり、
『つぶやき一人』さんのように、文句を言うなど無茶にも程がある。
革命を言わなくなった日本の左翼ですが、これは実は体制に不満な左翼では無くて、体制順応の穏健な保守ですね。
93歳の瀬戸内寂聴さんは今でも若者たちに『恋と革命だ』叫んで喝采を浴びているらしいですよ。
返信する
Unknown (みら)
2015-05-18 09:40:49
いつも興味深く読ませていただいています。
アメリカでは宗教がないことこそが異端とのご考察、おっしゃるとおりだと思います。

30年ほど前、アメリカの小学校で「What's your religion?」と聞かれました。
そんなことは考えたこともなかったので困っていたら、先生が助け船のつもりか、「世界の人々」のような本を出してきてくれて、そこには「Japan: Religions - Shinto, Buddhism」のようなことが書かれていました。
恥ずかしながら、当時の私はShintoを聞いたことすらなく、たぶんBuddhismだと思う、と答えました。
いま同じことを聞かれたら、私は決まった宗教に属していない、これは大半の日本人の特徴である、というようなことを説明するだろうと思います。

スイスのラジオ局も「小説家」として自分の論調に誘導しようという意図があるというよりは(あるのかもしれませんが)、本当に「人はいずれかの宗教に属するもの」と思い込んでおり、それ以外の選択肢が見えていないだけかもしれません。
返信する
不思議の国ニホン (宗純)
2015-05-20 16:06:24
みらさん、はじめまして。コメント有難う御座います。

アメリカでは先祖がアイルランド出身のジョン・F・ケネディが歴代アメリカ大統領としてプロテスタントではなくて、初めて、カトリック教徒だったことは、無関係な日本人でも全員が知っている。
ところがですね。
我が日本国ですが、対照的に最高責任者である首相が何教を信じているか、誰も興味が無い。
政府のトップの信教が何かに付いて、アメリカとは大違いで日本国の国民は一切無関心なのです。
実は、日本の首相には意外にクリスチャンが多くて、判明しているだけでも、1945年の敗戦前でも原敬首相がキリスト教徒なのです。
敗戦以前の日本の首相は30人。
憲法に信教の自由がうたわれている戦後では32人中で、吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、細川護熙、麻生太郎、鳩山由紀夫と、キリスト教徒の首相が7人もいるので、ほぼ4人に1人がキリスト教信者の日本国首相なのです。これ、もっと欧米などキリスト教国に宣伝したら,日本を見る目が変わってくると思うが、外務省などまったく無関心なのです。
この理由は簡単でニホン国の場合,キリスト教とは言え、厳格な意味では一神教では無いのです。
何しろですね。そのキリストの筈の麻生太郎首相が靖国神社に参拝して中国韓国と騒動を起こしているのですよ。
大平正芳も熱心なキリスト教徒だったらしいが,それでも靖国参拝を行うのですから、日本の場合には江戸時代だけでは無くて,明治維新後にも隠れキリシタンの伝統が続いているのでしょう。
基本的に、コレは本物ではなくてインチキ、何かの擬装行為なのですね。

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