みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

なお繰り返されている「伝説」の再生産

2014-09-12 09:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
著名な宗教学者のYT氏も
 そこへ、約束の時間に遅れて吉田がやって来た。
吉田 ごめんごめんちょっと遅くなって、道に迷っていたおばあちゃんを案内しているうちにこうなってしまった。
荒木 怪しいな? 言い訳じゃねえのか。
鈴木 残念だったな遅れて。折角の我々の熱論を聞かせられなかったじゃないか。
吉田 何? どんな熱論を交わしたんだ。
鈴木 いやな、『 賢治文学「呪い」の構造』は高瀬露の人格を無視し、尊厳を蔑ろにしているから許せんと荒木が熱っぽく訴えたんだ。
吉田 ああ、「猛烈アプローチ! そして玉砕した」というところだろ。そりゃあ、たしかに正義感の強い荒木なら怒るのも無理がない。
 しかしなあ…もちろんYK氏の伝記研究家としての姿勢にも大いに問題はあると思うが、それ以上にYK氏を始めとする多くの研究家がいままでMの『宮沢賢治の肖像』の中身について自分自身では検証もせず、裏付けもとらずにそのまま引用していることや、筑摩書房の責任、とりわけ『校本宮澤賢治全集第十四巻』の「補遺」の「書簡新発見」に関わる扱いは罪深いと僕は思う。なぜなら、その社会的影響は図り知れないからだ。
 実際、この「書簡新発見」によって、殆ど全ての宮澤賢治研究家や伝記研究家がそのことを「皆真実である」と思わされていて、大なり小なりその影響を皆受けていると言えなくもないだろう。
鈴木 その典型がこのYK氏となるのか。それにしても、YK氏はこの本の「あとがき」で『賢治研究でえたものは私の財産である』と謳っているはずだが、どのようにしてどんな「財産」を得たのだろうかね。
荒木 しかも、参考にしたはずの『宮沢賢治の肖像』でさえも精読したとは思えない。せめてこのことだけはやっていたのならばまだしも…
吉田 もうよせよせ、それ以上は言うな。実はこの本が出版される2年程前に、著名な宗教学者のYT氏が既にその先鞭をつけているのだから、YK氏一人だけを責めらるわけにもいかない。
荒木 えっ、どういうことだ?
吉田 ほら本棚のそこに『 デクノボーなりたい』があるじゃないか。ほらな、このように述べてある。
 昭和三年の、秋のある日、たまたま賢治を「協会」に訪ねた森惣一は、その近辺で一人の女性に出会う。かの女はちょうど賢治のところからの帰り道で、「興奮真っ赤に上気し、きらきらと輝く目」をしていた。
 かの女は、花巻の西のほうの村で小学校の教員をしているクリスチャンであった。「羅須地人協会」の会員の紹介で、賢治のところを訪れるようになったのである。はじめは男ひとりの生活を見かねて何かと世話をやいていたが、そのうち賢治にたいする思慕と恋情がつのる。賢治がまだ起床しない早朝に訪れてきたり、日に二回も三回もやってきたりするようになった。かれはすっかり困りはて、門口に「本日不在」の札を貼ったりした。おまけに顔に墨を塗って会うというようなこともした。
              <『デクノボーなりたい』(YT著、小学館、平成17年)188p~より>
荒木 ひどいな。そもそも初めから間違ってるベ。「昭和三年の、秋のある日」と書き出しているが、こんなことは、賢治のことを多少知っている人ならば誰だって間違いだということに気付くだろうに。YTさんはちゃんと調べて書いているのかよ。
鈴木 実は案外この人はそうでもない傾向がある。たとえば吉田司氏との対談で、吉田氏はしっかりと調べた上で話をしているのに、YT氏はそれは間違いだと訂正させている。実は間違えていているのはYT氏の方だというのに<*1>。
 あるいは、『宮沢賢治のヒドリ』の著者和田文雄氏の「ヒドリ論」に関しても、YT氏は自分では良くお調べにもならずにその危うい「ヒドリ論」を持ち上げたりしている。しかも曲解を交えながら。
吉田 それから、オウム事件の際などは僕から見ればとんでもない言動をしてしまった人だ。この事件の場合だって自分でしっかりと調べていればそんなことにはならなかったはずなのに。とりわけYT氏は中学と高校時代を花巻で過ごしているだけに、僕はなおさら残念に思っている。
荒木 えっ、そうだったんだ。

せめて「祈り」を
吉田 実はこの人はアメリカで生まれたが、6歳の時に日本に来て小学校時代はほとんど東京で過ごし、昭和19年に母親の実家がある花巻に疎開しているという。疎開先は賢治の生家のすぐ近くだし、賢治に関する著作も少なからずあるから先ほどのことはちゃんと調べてはいると思うのだが、残念なことに明らかに間違っている。
 それから、そもそもこの『デクノボーになりたい』には参考文献のリストが載っていないから、僕はちょっとマナーに欠けるんじゃないかと思っている。一体何を参考とし、どの部分を引用し、どこからがご自分で調べたところなのか、そしてどこがご自分のオリジナルなのかがが判然としていない。
鈴木 その一方で、今吉田が引用した「昭和三年の、秋のある日、……日に二回も三回もやってきたりするようになった。かれはすっかり困りはて、門口に「本日不在」の札を貼ったりした。おまけに顔に墨を塗って会うというようなこともした」の部分をYT氏は全て断定調で書いているけど、何から引用したということを明示していない以上、この本の読者はYT氏の論考と思うだろ。そうすると何が起こるか?
荒木 そりゃあ著名な宗教学者の著作だから、この本の読者は、「お説ごもっとも」と受け取り、先の引用部分は全て歴史的事実だと素直に信じ込むだろう。おっと、待て待て、そりゃひどいよ。この引用した部分はまさしく巷間いわれている「露伝説」そのものじゃないか。こんな偉いお方がこんなことを活字にしてしまったら、間違った「露伝説」がさらに浸透するはめになるべ。
吉田 ほら、ここを見てみろまさしくそのことが実際起こっていることがわかるから。
そう言って、吉田はYK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』の【参考文献】のページを開いて荒木に指さして、
吉田 ほら、な。
荒木 あっ、まさしく憂慮すべきことが起こってる。たしかにその【参考文献】リストの中にはYT氏の『デクノボーになりたい』が載っている。これじゃ、『 賢治文学「呪い」の構造』の著者のYK氏だけを責めるわけにはいかないし、かといってこのまま座視していたならば取り返しのつかないことになってしまうおそれがあるべ。
吉田 そうなんだよ、著名な人たちによってさえも今の時代になって相も変わらず「悪女伝説」が繰り返し再生産されているくらいだからな。全く理不尽なことだ。
鈴木 この「伝説」については、このことを多少知っている私の周りの人ならば殆どの方が『これは賢治の方がおかしいのさ』と言っているのにだよ。
吉田 そこで僕はとりわけYT氏に対して疑問に思うんだ。先ほど僕が引用した文章部分をYT氏は書きながら、結果的にはひとりの女性を貶める行為をしていることになる訳だからはたしてこのことは宗教学者として為すべき行為なのだろうかと逡巡しなかったのか、と。
鈴木 非常に失礼な言い方だが誤解を恐れずに言えば、この人は宗教学者ではあるけれど、誰かも言っていたがどうも彼には祈りの気持ちが足りないような気がしてならない。
吉田 そうだよな。僭越ながら、著名人YT氏の言動は世間に与える影響は計り知れないものがあるのだからそのような「祈り」を是非持ってもらいたいものだ。そうしていただけたならば、先ほどの引用部分のようなことなど書けるわけがないということを僕は確信する。

露を早く救い出してほしいという賢治からのメッセージ
鈴木 実はつい最近地元のある先輩の方から、
 賢治の伝記について言及することは歓迎されないことであり、不可侵の対象なのだ。
と言われた。ちょっとショックだった。わかってはいたことだが、やはりそういうことなんだよなと思い知った。
吉田 その実態は否定しきれないな。でもそれは逆に言えば、そろそろ総体的に宮澤賢治を見直すべき時機が今やって来ているということであり、そのラストチャンスがこれからの約20年間だと思う。人間亡くなって百年経てば評価が定まるということだからな。
荒木 そうだよ、この状態が今後も続くことは大いに問題だべ。とりわけ、高瀬露の件がこのまま永久に続くということだけは許されないことだろう。かりに賢治が「聖人君子」にされることはあったとしても、そのあおりを受けて、全くそうとは思えない一人の女性がとんでもない「悪女」にされることだけは許されるべきことではない。
吉田 ところが現実に先ほどの二人に象徴されるように今でも相変わらず再生産が続いている。そして、「触らぬ神にたたりなし」というわけではなかろうが、殆どの賢治研究家はこの重大な過誤をただただ傍観しているだけだ。
 しかしこのような状態を賢治は憂えているはずだ。少なくともある一時期賢治は露からいろいろと教わったり、世話になったりしていたのだから、二人の間にはよい関係が続いていたことは明らかであり、そのような女性がこのような扱いを受け続けていることに対して天国の賢治は忸怩たる想いでいると思う。
荒木 然り。このような状態のままに今まで放置されてきたことこそが、宮澤賢治生誕百年も疾うに過ぎた平成17年そして平成19年になっても相変わらず先のような内容の著作をそれぞれ世に出さしめたとも言えるべ。
吉田 だからもうそろそろ、著名な宮澤賢治研究家の誰かがこの現状を改めてる嚆矢を放ってほしいものだ。人間亡くなって百年経てば評価が定まるということならば、賢治を見直す期間はもはや20年を切ってしまったとも言えるのだから。このまま放っておくととんでもないことになってしまう。
鈴木 それに関連してなんだが、以前にも引用したように宮澤清六は
   生きつづける賢治
    そのメッセージを正しく
     受けとめているか…

              <『賢治研究70』(宮沢賢治研究会)口絵より>
という色紙を残していて、しかも、このフレーズは『宮沢賢治生誕百周年記念特別号』の「総合テーマ」であったとも聞く。
 そこで私はふと気付いた。例のエピソード、
 白系ロシア人のパン屋が、花巻にきたことがあります。私がそのパン屋に、「レコードを聞くことが好きか」と聞きました。たいへん好きだとの答えでした。そこで私は、よい所へ連れてゆくといって、兄の所へいっしょにゆきました。兄はそのとき、二階にいました。二階の、窓から顔を出した兄へ、「おもしろいお客さんを連れてきた」といいましたら、兄は「ホウ」と、喜んで、私とロシア人は二階に上ってゆきました。
 二階には先客がひとりおりました。その先客は、Tさんという婦人の客でした。そこで四人で、レコードを聞きました。リムスキー・コルサコフや、チャイコフスキーの曲をかけますと、ロシア人は、「おお、国の人――」
と、とても感動しました。レコードが終わると、Tさんがオルガンをひいて、ロシア人はハミングで賛美歌を歌いました。メロデーとオルガンがよく合うその不思議な調べを兄と私は、じっと聞いていました。
               <『宮沢賢治の肖像』(M著、津軽書房)235p~より>
は、
    一刻も早く露を救い出してほしい
という賢治からのメッセージではなかろうかと。
荒木 こんなよい関係の期間が露との間にあったのだし、それを弟の清六もちゃんと証言しているじゃないか。なのに、なんでそのような露のことを皆は一方的に悪し様に言うのだと賢治は俺たちに諭している、そのためのこれがメッセージというわけか。
吉田 おおいいね。この賢治からのメッセージを正しく受けとめ、謂れなき中傷を受け続けてきてしかもいまだ受け続けている高瀬露のことを一刻も早く救い出すような宮澤賢治研究家が、上田哲の遺志を継ぐ賢治伝記研究家が早く出でよ、と賢治は希願しているというわけだ。
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<*1:投稿者註> ちなみに次の通りである。
◇私の花巻の実家は、…(略)…賢治の生家とは三〇〇メートルほどしか離れていない。
              <『デクノボーになりたい』(YT著、小学館、2005年)12pより>
◇わたしの実家の寺のすぐそばに、宮沢賢治の生まれた家がありました。百五十メートルぐらいしか離れていなかった。
              <『17歳からの死生観』(YT著、毎日新聞社、2010年2月)14pより>
◇吉田 …(略)…その辺は、どうですか? 三〇〇メートルの近所だったということでは。
 YT 正確に言えば、一五〇メートルぐらいなんだけれどね。              
              <『デクノボー 宮沢賢治の叫び』(YT、吉田司共著、朝日新聞出版、2010年8月)24p~より>
・なお、実際地図上で計ってみると、直線距離で約300mある。

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