みちのくの山野草

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『-賢治昭和二年の上京-』(108~113p)

2013-11-04 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
 まず、昨日ツイッター上でsignalessというお方から拙書『-賢治昭和二年の上京-』に関して、
稚拙滑稽噴飯墓穴唖然呆然→『-賢治昭和二年の上京-』P104上段〔生原稿では「隈」は実は「熊」だったが、後刻出版する際に「熊」のままでは流石に憚られるので「熊」を「隈」に差し替えようとした。ところが徹底されなかったために(詩の後半で)元々の「熊」が一部残ってしまったと推測される〕
と、漢文調の「稚拙滑稽噴飯墓穴唖然呆然」という評価とご批判ををいただいているようだが、このことについて少し説明を付け加えさせてもらう。それは、私は次のように認識しているということをである。
(1) まず、『宮澤賢治全集四』(筑摩書房、昭和31年発行)においては、この詩
   憎むべき「隈」辨弁当を食ふ
の中に〝熊〟という字はなくて皆〝隈〟である。
(2) 一方、『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房、昭和51年発行)においては、かくの如く最後のところの〝隈〟が〝熊〟になっている。
(3) 『校本全集第四巻』において、賢治の原稿を担当者が改竄するなどという行為はあろうはずがないことは当然である。
(4) あくまでも、『校本全集第四巻』のために提供された原稿にそのように書かれていたということになるはずである。つまり、その提供された原稿では〝熊〟と〝隈〟の混用があり、その「混用はあえて統一しなかった」のが『校本全集』担当者の対応であったはずである。
(5) ざっと見て、『宮澤賢治全集』(十字屋書店)にはこの「憎むべき「隈」辨弁当を食ふ」は所収されていない。
(6) ところが、『宮澤賢治全集四』(筑摩書房、昭和31年発行)にはそれが所収されていて、総べて〝隈〟になっている。したがって、この時提供された原稿が〝熊〟のままでは流石に憚られるので〝熊〟を〝隈〟に差し替えたものであったと思われる。ところがそれが徹底されなかったために最後の〝熊〟はそのまま原稿に残ってしまったと推測される、ということである。
(7) そしてこの(6)の原稿が、『校本宮澤賢治全集第四巻』でもそのまま使われたのではなかろうか、と。

 そこでsignalessさんにお願いです。これだけ長期間に亘って私や拙書のことをツイッター上でご批判し続けていただくのであれば、それはもちろんあなたの自由ですが、私がそれに気付かずに承らないままになってしまうことがあるかもしれませんので、どうぞ本ブログのコメント欄をお使いになって直接私にもなさってください。場合によっては、このようにそれにお応えできるかもしれませんので。
以上








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