みちのくの山野草

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2520 高瀬露は悪女ではない(伊藤与蔵)

2012-02-14 08:00:00 | 賢治渉猟
 今回は「賢治聞書」(伊藤与蔵、聞き手菊池正)からのものである。高瀬露に関連する部分だけを以下に抜き出してみる。
1. 伊藤与蔵からの「賢治聞書」
 ただ先生(賢治のこと:投稿者註)が病気で休んでいる時、お見舞いに行ったことがありますが、何の話をされた時でしたか覚えていませんが「法華経について知りたかったなら「高瀬露子さんが良い本を持っていますからお借りして読んでみなさい」と言われたことがあります。その本の名前は忘れましたが「日蓮宗の何とか」というような気がします。私は高瀬さんへ行ってその本をお借りして読み、先生に言われた農学校前の南部さんのお寺へ返しました。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明編著、時潮社)42pより>
 …伊藤忠一君は自分で新しいフルートを買いましたが、それでも駄目でした。
 みんなは途中で投げ出したかたちになりました。
 最初の演奏会をやろうという勢いもなくなりとうとう中止になりました。先生のオルガンだけは上手になり伴奏などもつけて、ひけるようになりました。たぶん高瀬露子さんに習ったのだろうとみんなで話していました。私もバイオリンを買いましたが、満州事変から帰って間もなく友達に十円で売ってしまいました。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明編著、時潮社)63pより>
 高瀬さんが別荘に来ていたときに、一度だけお目にかかったことがあります。
 伊藤忠一君と二人で、いつものような気持ちで先生のところへ遊びに行きました。「先生」と庭で大きな声で呼びましたら、知らない女の人が井戸のそばにいて、
「先生はお休みになっておられますから静にして下さい」ときつい調子で注意をうけました。私は先生とどんな関係の人か知りませんでしたが、忠一君は、私に「先生の大事な人なんだろうから、静に帰ろう」といいましたので、私たち二人は家に帰りました。その時の女の人のそ振りは、先生の奥さんでもあるかのような様子にうけとられました。あとで伊藤忠一君から、高瀬露子さんという人だと教えられました。
 ある夜、高瀬露子さんがお母さんと二人で提灯をさげて別荘の方に行くのに会ったことがあります。提灯には「高瀬」と書いてありましたし、見たところ確かに露子さんでした。
 私たちは先生に高瀬さんのことを聞いたこともありませんし、勿論先生から話されたこともありませんので、そのほかのことはよくわかりません。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明編著、時潮社)64pより>
 なお、次は伊藤与蔵からの聞き書きではないが、『賢治とモリスの環境芸術』に載っている「二世座談会」の中での鬼柳キヌさん(キヌさんは実際賢治に直接会っている方だという)の証言である。
 司会 キヌさんは賢治の姿を覚えていますね。
 鬼柳キヌ よく覚えています。家の前を毎日毎日、前かがみで歩いていました。私のばさんが、ネギをさくって(作って)いるところに来て、これどうするのだ、といってばさんと話をしました。何か買い物をしてきてはお菓子やお団子をばあさんに呉れていく。そういえば、真っ暗い道を五、六人の女友達と提灯もつけずにコーラスを歌いに行ったす。じいさんが、バイオリンをしに行った。バイオリンはキーキーいっていた。何を弾いているのかよく分からなかった。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明編著、時潮社)78pより>
 司会 …宮沢賢治がここに引っ越してきたとき、あなたがたは、この辺の人たちはどういうふうに、話をしていたでしょうか。
 キヌ 先生ということだから、上げ申しておきました。
 夜は真っ暗い中を提灯もつけずに手探りで歌いに五~六人の女友達が通いました。小学生の五、六年生頃で、男達はキューキューとバイオリンをやっていましたがうるさくて何の曲か判りませんでした。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明編著、時潮社)91pより>
2. 伊藤与蔵の証言
 では最後に、高瀬露に関する伊藤与蔵の証言を箇条書きに書き直してして以下に確認したい。
(1) 病気の賢治を見舞いに行った際、法華経について知りたかったならば高瀬露が良い本を持っているから借りて読んでみなさいと言われ、高瀬のところへ行ってその本を借りて読み、賢治に言われた農学校前の南部さんのお寺へ返した。
(2) みんなは楽器の練習を途中で投げ出したかたちになり、演奏会をやろうという最初の勢いもなくなり中止した。賢治のオルガンだけは上手になり伴奏などもつけてひけるようになった。たぶん高瀬露に習ったのだろうとみんなで話していた。
(3) 高瀬露が別荘に来ていたときに一度だけ会ったことがある。忠一と二人で別荘へ遊びに行き、「先生」と大きな声で呼んだら井戸のそばにいた露から「先生はお休みになっておられますから静にして下さい」ときつい調子で注意をうけた。忠一が与蔵に「先生の大事な人なんだろうから、静に帰ろう」というので二人は帰った。その時の露のそ振りは賢治の奥さんでもあるかのようだった。
(4) ある夜、高瀬露がお母さんと二人で提灯をさげて別荘の方に行くのに会った。提灯には「高瀬」と書いてありましたし、見たところ確かに露子さんでした。

 なおついでに、留意しておきたい証言が2つあったのでそれらも以下に記しておく。
(5) 宮澤家の別宅への真っ暗い道を鬼柳キヌ等5、6六人の女友達(小学5、6年の)が提灯もつけずにコーラスを歌いに通った。
(6) 下根子桜時代の賢治は何か買い物をして来ては菓子や団子を鬼柳キヌのおばあさんに呉れていた。

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