みちのくの山野草

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2521 高瀬露は悪女ではない(森荘已池1)

2012-02-15 08:00:00 | 賢治渉猟
 では今回は、「昭和六年七月七日の日記」において語る森荘已池の回想を見てみる。
1.「昭和六年七月七日の日記」より(前編)
 その協会員のひとりが花巻の西の方の村で小学校教員をしている女の人を連れてきて宮沢賢治に紹介した。その女の人は村へ稲作指導にきた賢治を、彼女の勤めている学校で、初めて見たのであった。そののち彼女はときどき賢治を下根子の家に訪問するようになった。はじめのうちは、ちらけ勝ちなそこらここらが綺麗になったり、彼が計画している芝居に出演して貰うことなどを考えたり、しっかりした人だと協会員にも語ったりして彼も喜んでいるようだった。
 ひとり生活ゆえ、女人も訪問しやすかったのであろうし、かつ男ひとりの生活の不自由さを見て、訪ねてくるときは花とか食べ物、卓上用品などを持ってくるのも、当然のことであった。賢治というひとは誰かに物を贈るとか、御馳走することは、何にもまして好きであったが、他人からそうされることは出来るだけ避けているのであった。肥料の講習に出かけるときでもいつも食べ物を持って行き、決して村のひとたちに御馳走にならないように心がけていた。弁当を持たないで行ったときは村の豆腐屋で豆腐を食べ、ときには麦煎餅を買って昼餐のかわりにした。
 だから彼女の好意に溢れた贈り物はだんだん彼を恐縮させ、精神的に息づまらせて行った、もちろん、そのたびごとに彼は本とか、花とか何かしらきっと返礼はしていたがしばらくすると、どうやら彼女の思慕と恋情とは焔のように燃えつのって、そのため彼女はつい朝早く賢治がまだ起床しない時間に訪ねてきたり、一日に二回も三回も遠いところをやってきたりするようになった。
 彼はすっかり困惑してしまった。「本日不在」の札を門口に貼った。顔に墨を塗って会った。あるとき協会員のひとりが訪れると、賢治はおらず、その女の人がひとりいた。
「先生はいないのですか。」
と彼がまぶしそうに恐る恐るきくと、
「いません――」
と彼女は答えた。
「どこへ行ったのでしょうか?」
と重ねてきくと、女は不興そうに、
「さあ、解りません――」
と、ぶっきら棒に答えた。
 仕方なく彼が帰ろうとすると、俄かに座敷の奥の押入の襖があいて、何とも名状しがたい表情の賢治があらわれ出たのであった。その教え子は思わず二人の顔を見くらべた。彼女の来訪を知って賢治は素早く押入の中に隠れていたのであった。
 一九二八年の秋の日、私は下根子を訪ねたのであった。國道から田圃路に入って行くと稲田のつきるところから、やがて左手に薮、右手に杉と雑木の混有林に入る。静かな日差しのなかに木の枯れ葉が匂い、堰の水音がした。
 ふと向こうから人のくる気配だった。私がそれと気づいたときは、そのひとは、もはや三四間向うにきていた。(湿った道と、そのひとのはいているフェルトの草履が音をたてなかったのだ。)私は目を真直ぐにあげて、そのひとを見た。二十二三才の女の人で和服だった。派手ではなかったが、上品な柄の着物だった。私はその顔を見て、異常だと直感した。目がきらきらと輝いていた。そして丸顔の両頬がかっかっと燃えるように赤かった。全部の顔いろが小麦いろゆえ、燃える頬はりんごのように健康な色だった。かなりの精神の昂奮でないと、ひとはこんなにからだ全体で上気するものではなかった。
 歓喜とか、そういう単純なものを超えて、からだの中で焔が燃えさかっているような感じだった。
 私はそれまで、この女の人についての知識はひとかけらも持ち合わせていなかった。――が、宮沢さんのところを訪ねて帰ってきたんだなと直感した。私は半身、斜にかまえたような恰好で通り過ぎた。私はしばらく振り返って見ていたが、彼女は振り返らなかった。
 畑のそばのみちを通り過ぎ、前方に家が見えてきた。二階に音がした。しきりにガラス窓を開けている賢治を見た彼は私に気がつくと、ニコニコッと笑った。明るいいつもの顔だった。私たちは縁側に座を占めた。彼はじっと私の心の底をのぞきこむようにして
「いま、とちゅうで会ったでしょう?」
といきなりきいた。
「ハアー」
と私が答え、あとは何もいわなかった。少しの沈黙があった――。
「おんな臭くていかんですよ。」
彼はそういうと、すっぱいように笑った。彼女が残して行った烈しい感情と香料と体臭を、北上川から吹きあげる風が吹き払って行った。そして彼はやっと落ちついたらしかった。
<『宮沢賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、昭和24年1月20日刊)より>
2. 森荘已池の証言(その1)
 この森荘已池の回想は長いのでここで一旦休止して、ここまでの証言をいつもと同様箇条書きに書き直して以下に列挙してみる。
(1) 協会員の一人が花巻の西の方の村で小学校で教員をしている露を連れてきて賢治に紹介した。
(2) 露は村へ稲作指導に来た賢治をその小学校で初めて見た。
(3) その後露はときどき賢治を下根子桜の家に訪問するようになった。初めのうちは、ちらけ勝ちなそこらここらが綺麗になったり、賢治が計画している芝居に出演して貰うことなどを考えたり、しっかりした人だと協会員にも語ったりして賢治も喜んでいるようだった。
(4) 賢治は独り住まいゆえ露も訪問しやすかったのであろうし、かつ男独りの生活の不自由さを見て、露は訪ねて来るときは花とか食べ物、卓上用品などを持って来るのも当然のことであった。だから彼女の好意に溢れた贈り物はだんだん彼を恐縮させ、精神的に息づまらせて行った。もちろん、その度に賢治は本とか、花とか何かしらきっと返礼はしていた。
(5) しばらくすると、どうやら露の思慕と恋情とは焔のように燃えつのって、そのため露はつい朝早く賢治がまだ起床しない時間に訪ねてきたり、一日に二回も三回も遠いところをやって来たりするようになった。
(6) 賢治はすっかり困惑してしまって、「本日不在」の札を門口に貼ったり、顔に墨を塗って会ったりした。
(7) あるとき協会員の一人が訪れると、賢治はおらずその女の人が独りいたので先生はいないかと問うと居ないという。仕方なく彼が帰ろうとすると俄かに座敷の奥の押入の襖があいて、賢治が現れ出た。その教え子は思わず二人の顔を見比べた。露の来訪を知って賢治は素早く押入の中に隠れていたのであった。
(8) 1928年の秋の日、森が賢治を訪ようとして下根子桜に向かった際、和服姿の露とすれ違った。派手ではなかったが上品な柄の着物だった。その顔を見て異常だと直感した。目がきらきらと輝いていた。そして丸顔の両頬がかっかっと燃えるように赤かった。全部の顔色が小麦色ゆえ、燃える頬はりんごのように健康な色だった。かなりの精神の昂奮でないと、人はこんなに体全体で上気するものではなかった。歓喜とか、そういう単純なものを超えて、体の中で焔が燃え盛っているような感じだった。
(9) 二階に音がした。しきりにガラス窓を開けている賢治を見た彼は私に気がつくと、ニコニコッと笑った。明るいいつもの顔だった。私たちは縁側に座を占めた。彼はじっと私の心の底をのぞきこむようにして「いま、途中で会ったでしょう?」といきなり訊いた。「ハアー」と森は答え後は何も言わなかった。少しの沈黙があった後賢治は「女臭くていかんですよ」と言った。
3. 気になること
 これらの証言の考察は後ほどまとめてから行うことし、ここでは次のことだけ述べておきたい。
 それは、森荘已池の証言に関してはもしかするとちょっと注意を要するかもしれないということである。というのは、「宮沢賢治と木村四姉妹」の中に高橋文彦が次のようなことを記述しているからである。
 実は、杲子の足どりを調べていくうちに、賢治を初め、すでにこの世の人でない人たちの過去をほじくる姿勢に疑問を投じた老婆(ここでは触れない)に邂逅した。彼女は、Mというある著名な地元賢治研究家の名を引き合いにして、彼女はもとより多くの人たちが、ありもしないことを書きたてられられ、迷惑していることを教えてくれた。架空のことを、興味本位に、あるいは神格化して書き連ねた作品の多いことを指摘し、賢治を食いものにする人たちのおろかしさに怒りをぶつけた。
<『啄木と賢治第13号』(佐藤勝治編、みちのく芸術社)81pより>
もしこの老婆の話の中身が正しいのであれば私はこの老婆に同情を禁じ得ない。Mは恣に書き立て、一方この自身も被害を被っている老婆は「ありもしないことを書きたてられ」と怒りをぶつけることは出来るものの、実質泣き寝入りをするしかないという非対称性があるからである。この老婆の立場はまさしく高瀬露の立場にも通ずるのではなかろうか。

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