後々、「平成27年9月19日は一度議会制民主主義が死んだ日だった」と歴史から裁きを受けるでしょう。
たまたま、調べ物をしていたところあるブログの次のような投稿に出くわした。それはタイトルが
『宮澤賢治の「雨ニモマケズ」① …「ヒドリ」は書き損じなのか?』
というものであり、その投稿画面
の「賢治詩碑の写真」をみて、私は首を傾げた。『あれっ、この賢治詩碑の写真は私が撮影したものではなかろうか』と。そこで、この写真のプロパティを確認してみたならばご覧のとおりである。たしかこの写真は私が撮影したものであった。
さらに、そこに載せてあった次の新聞等の写真
(1)
(2)
(3)
も私が以前拙ブログで用いたものであり、それぞれ
(1) 1871 「ヒドリ=ヒデリの誤記」説はやはり定説
(2) 1873 唐突に出現した「ヒドリ」説
(3) 1236 紫波の旱魃被害状況
で用いたものである。
しかも、この方はそこに何も断り書きをしていないのでこれは無断借用であると私は言わざるを得ない。正直あまり気持ちのいいことではないし、このような行為は物書きとしてのマナーに欠けていると責められることはないのだろうか。
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【『宮澤賢治と高瀬露』出版のご案内】
その概要を知りたい方ははここをクリックして下さい。
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
たまたま、調べ物をしていたところあるブログの次のような投稿に出くわした。それはタイトルが
『宮澤賢治の「雨ニモマケズ」① …「ヒドリ」は書き損じなのか?』
というものであり、その投稿画面
の「賢治詩碑の写真」をみて、私は首を傾げた。『あれっ、この賢治詩碑の写真は私が撮影したものではなかろうか』と。そこで、この写真のプロパティを確認してみたならばご覧のとおりである。たしかこの写真は私が撮影したものであった。
さらに、そこに載せてあった次の新聞等の写真
(1)
(2)
(3)
も私が以前拙ブログで用いたものであり、それぞれ
(1) 1871 「ヒドリ=ヒデリの誤記」説はやはり定説
(2) 1873 唐突に出現した「ヒドリ」説
(3) 1236 紫波の旱魃被害状況
で用いたものである。
しかも、この方はそこに何も断り書きをしていないのでこれは無断借用であると私は言わざるを得ない。正直あまり気持ちのいいことではないし、このような行為は物書きとしてのマナーに欠けていると責められることはないのだろうか。
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