《創られた賢治から愛すべき賢治に》
年号の奇妙な使い分け荒木 鈴木はこの前、Mが「一九二七年の秋の日」に下根子桜を訪ねたということはほぼあり得ないとか、「一九二七年の秋」と書くわけにはいかなかったとか言ってたよな。その理由などわかったか。
鈴木 書くわけにはいかなかったというとことろまではわかったが、その理由はまだよくわからん。
吉田 それじゃいいヒントを教えてやろうか。
鈴木 おぉ、ありがたい。是非頼む。
吉田 それはさ、『宮澤賢治と三人の女性』の中で、西暦といわゆる「和暦」がどう使われているかを調べてみることだ。
鈴木 う~む、どういうことだ? 何、論より証拠だって。そうか、それじゃ実際調べてみるとするか。
ではまずは「1 挽歌を中心に」について、
24p:大正六、七年頃
〃 :昭和十八年十月
〃 :大正十二年
27p:明治三十一年十一月五日
33p:明治四十五年一月
34p:大正二年
36p:大正四年四月
37p:大正七年十一月
〃 :大正七年十二月二十七日
42p:昭和十四年十一月二十三日
52p:大正八年二月三日
〃 :大正七年
53p:大正九年九月二十九日
〃 :大正十年七月
〃 :明治十五年八月
〃 :昭和二十三年
54p:大正十一年
61p:大正十年の九月
63p:昭和十四年
〃 :昭和十八年十月
〃 :大正十二年
27p:明治三十一年十一月五日
33p:明治四十五年一月
34p:大正二年
36p:大正四年四月
37p:大正七年十一月
〃 :大正七年十二月二十七日
42p:昭和十四年十一月二十三日
52p:大正八年二月三日
〃 :大正七年
53p:大正九年九月二十九日
〃 :大正十年七月
〃 :明治十五年八月
〃 :昭和二十三年
54p:大正十一年
61p:大正十年の九月
63p:昭和十四年
それでは次は「Ⅱ 昭和六年七月七日の日記」について、
71p:昭和六年七月七日
72p:大正十五年
74p:一九二八年の秋の日、私は下根子を訪ねたのであつた。……
77p:大正十五年
93p:昭和三年
〃 :昭和三年八月
96p:昭和六年
104p:昭和六年七月七日
72p:大正十五年
74p:一九二八年の秋の日、私は下根子を訪ねたのであつた。……
77p:大正十五年
93p:昭和三年
〃 :昭和三年八月
96p:昭和六年
104p:昭和六年七月七日
では最後の「Ⅲ『三原三部』の人」について、
114p:昭和十五年十二月十五日
〃 :昭和十六年
144p:昭和十五年の十一月
〃 :昭和八年
〃 :昭和三年六月十三日
146p:昭和三年
153p:昭和三年六月十五日
156p:昭和十六年一月二十九日
159p:(昭和)十六年二月十七日
180p:昭和二十一年
〃 :昭和十六年
144p:昭和十五年の十一月
〃 :昭和八年
〃 :昭和三年六月十三日
146p:昭和三年
153p:昭和三年六月十五日
156p:昭和十六年一月二十九日
159p:(昭和)十六年二月十七日
180p:昭和二十一年
これらが同書で使われている西暦および和暦のすべだ。…なるほどな、そういうことだったのか。ありがとう、吉田。見えてきたよ。
荒木 そうか、西暦表記は一個所しかなかったんだ。しかもそれは例の個所だけだったということか。それにしても不自然な「一九二八年」の表記の仕方だ。
鈴木 Mはこの個所だけは「一九二八年」と西暦で書くしかなかったんだ。しかも、同じ年のことなのに他の個所では和暦の「昭和三年」を使っている。奇妙な年号の使い分けがある。それにしても吉田は鋭い、良くそんなところに気付いたな。
吉田 じゃじゃ、照れるな。感覚の鋭い僕にとっては、まあな、普通のことだよ。
荒木 よく言うよ。
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