みちのくの山野草

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2522 高瀬露は悪女ではない(森荘已池2)

2012-02-16 08:00:00 | 賢治渉猟
 今回も、「昭和六年七月七日の日記」における森荘已池の証言であり、前回の続きである。
3.「昭和六年七月七日の日記」より(後編)
 花巻の近郊の村のひとたちが、数人で下根子に訪ねてきたことがあった。彼はそのひとたちと一緒に、二階にいたが、女人は下の台所で何かコトコトやっていた。
 村のひとたちは、彼女のいることについてどう考えているかと彼は心を痛めた。彼女は彼女の勤めている学校のある村に、もはや家も借りてあり、世帯道具もととのえてその家に迎え、今すぐにも結婚生活を始められるように、たのしく生活を設計していた。彼女はそれほど真剣だった。
 彼は女人に、布団を何かの返礼にやったことがあった。その布団が彼女の希望と意志を決定的なものにしたのかも知れなかった。
 二階で談笑していると、彼女は手料理のカレー・ライスを運びはじめた。
 彼はしんじつ困ってしまったのだ。
 彼女を「新しくきた嫁御」と、ひとびとが受取れば受取れるのであった。彼はたまらなくなって、
「この方は、××村の小学校の先生です。」
と、みんなに紹介した。
 ひとびとはぎこちなく息をのんで、カレーライスに目を落したり、彼と彼女とを見たりした。ひとびとが食べはじめた。――だが彼自身は、それを食べようともしなかった。彼女が是非おあがり下さいと、たってすすめた。――すると彼は、
「私には、かまわないで下さい。私には、食べる資格はありません。」
と答えた。
 悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頬をひきつらし、目にまたたきも与えなかった。彼女は次第にふるえ出し、真赤な顔が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていった。
 降りていったと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。…(略)…その音楽は彼女の乱れ砕けた心をのせて、荒れ狂う獣のようにこの家いっぱいに溢れ、野の風とともに四方の田畠に流れつづけた。顔いろをかえ、ぎゅっと鋭い目付きをして、彼は階下に降りて行った。ひとびとは、お互いにさぐるように顔を見合わせた。
「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。」
 彼はオルガンの音に消されないように、音を高くして言った。――が彼女は、止めようともしなかった。
<『宮沢賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、昭和24年1月20日刊)より>
 女人の噂は、父政次郎の耳に入った。
「お前のその苦しみは、お前が自分で作ったことだ――」
眼鏡の底で寸分容赦せぬ厳しい眼が光り、賢治は上の天窓から入る光線の下でじっとうなだれていた。豊沢町の宮沢家の広い座敷であった。
「初めて女のひとに会ったとき、お前は甘い言葉をかけ、白い歯を出して笑っただろう。それが、そもそもの起こりだ。女の人に会うときは、歯を見せて笑ったり、胸をひろげたりしてはいけないのだ。お前は反対のことばかりしていただろう」
 たしかにそのとおりなのであり、一言も返す言葉もなかった。……①
「私はレプラです」
 恐らく、このひとことが、手ひどい打撃を彼女に与え、心臓を突き刺し、二度とふたたびやってこないに違いないと、彼は考えたのだ。
 ところが逆に、彼がレプラであることそのことが、彼女を殉教的にし、ますます彼女の愛情をかきたて、彼女の意思を堅めさせたに過ぎなかった。まさに逆効果であった。このひとと結婚しなければと、すぐにでも家庭を営めるように準備をし、真向から全身全霊で押してくるのであった。
 「私はレプラです。」
という虚構の宣言などは、まったく子供っぽいことにしか見えなかった。彼女は、その虚構の告白に、かえって歓喜した。やがては彼を看病することによって、彼のぜんぶを所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。……②
 しかしながら以上のような事件は、昭和三年に自然に終末を告げた。
「昭和三年八月、心身の疲労を癒す暇もなく気候不順による稲作の不良を心痛し、風雨の中を東奔西走し、遂に風邪をえ、やがて肋膜炎となり帰宅して父母のもとに病臥す。」という年譜が、それを物語ってる。 
<『宮沢賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、昭和24年1月20日刊)より>

4. 現時点で言っておきたいこと
 今回分の森荘已池の証言に関してとりあえず現時点で言っておきたいことが3つある。
 その第一は、これほどかいがいしく働きながら訪れてきた近郊の人たちに手料理でもてなそうとしている露に対し、このようなつっけんどんな振る舞いを賢治がした訳を、もしかすると賢治が千葉恭に対して喋ったある事が教えてくれるかもしれない、ということである。
 その第二は賢治が不用意に発言した「私はレプラです」が如何なる意味を持ち、波紋を巻き起こすかを、もしかすると『宮沢賢治 修羅に生きる』が教えてくれているのかな、ということである。
 最後の三つめは次のことである。
 この森荘已池の証言において①(=父の説諭)と②(=レプラ発言)の部分は時系列上は入れ替えた方がいいのではなかろかということである。なぜなら、「新校本年譜」によれば
 高瀬は関徳弥夫人ナヲと同級生だったので賢治が言ったという「癩病」云々を告げ、これが一部のうわさとなった。賢治は関家を訪い、ことの事実を語って誤解をといた。うわさは父の耳にも入り「おまえの苦しみは自分で作ったことだ。はじめて女の人とあったとき、おまえは甘いことばをかけ、歯を見せたり、胸を広げたりしてはいけない。」と法華経安楽行第一四のことばで戒めた。
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)』(筑摩書房)360p~より>
というのがことの顛末だったようだからである。よって時系列に従えば
   ②→①
となりそうだ。確かにこの方が辻褄が合う。
 なおこれら以外の考察等については後ほど行うこととしたい。
5. 森荘已池の証言(その2)
 では、いつもと同様今回の投稿分の森荘已池の証言を箇条書きに直して以下に列挙してみる。
(10) 花巻の近郊の村人たちが下根子に訪ねて来たことがあった。賢治はその人たちと一緒に二階にいたが、露は下の台所で何かコトコトやっていた。
(11) 村人たちは、露のいることについてどう考えているかと賢治は心を痛めた。露は彼女の勤めている学校のある村にもはや家も借りてあり、世帯道具も整えてその家に迎え、今すぐにでも結婚生活を始められるように楽しく生活を設計していた。露はそれほど真剣だった。
(12) 賢治は露に布団を何かの返礼にやったことがあった。その布団が露の希望と意志を決定的なものにしたのかも知れなかった。
(13) 二階で談笑していると、露は手料理のカレー・ライスを運び始めた。賢治は「この方は、××村の小学校の先生です」と紹介した。皆んな食べ始めたが賢治だけは食べようともしなかった。露が是非おあがり下さいと賢治に勧めると、「私にはかまわないで下さい。私には食べる資格はありません」と答えた。露は口をゆがませ頬をひきつらし、目に瞬きも与えなかった。露は次第に震え出し、真赤な顔が蒼白になるとふいと飛び降りるように階下に降りていった。降りて行ったと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。
(14) 顔色を変え、ぎゅっと鋭い目付きをして賢治は階下に降りて行った。「皆んな昼間は働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。止めて下さい」と賢治はオルガンの音に消されないように声を高くして言ったが、露は止めようともしなかった。
(15) 露の噂は政次郎の耳にも入り、「お前のその苦しみは、お前が自分で作ったことだ――」「初めて女のひとに会ったとき、お前は甘い言葉をかけ、白い歯を出して笑っただろう。それが、そもそもの起こりだ。女の人に会うときは、歯を見せて笑ったり、胸をひろげたりしてはいけないのだ。お前は反対のことばかりしていただろう」。たしかにそのとおりなのであり、一言も返す言葉もなかった。
(16) 「私はレプラです」恐らくこの一言が手ひどい打撃を露に与え、心臓を突き刺し、二度と再びやってこないに違いないと賢治は考えたのだ。
(17) ところが逆に、賢治がレプラであることは露を殉教的にし、ますます愛情をかきたて、意思を堅めさせたに過ぎなかった。逆効果であった。露は賢治と結婚しなければと、すぐにでも家庭を営めるように準備をし、真向から全身全霊で押してくるのであった。
(18) 「私はレプラです」という虚構の宣言などはまったく子供っぽいことにしか見えなかった。露はその虚構の告白にかえって歓喜した。やがては賢治を看病することによって賢治の全部を所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。
(19) しかしながら以上のような事件は、昭和3年に自然に終末を告げた。「昭和三年八月、心身の疲労を癒す暇もなく気候不順による稲作の不良を心痛し、風雨の中を東奔西走し、遂に風邪をえ、やがて肋膜炎となり帰宅して父母のもとに病臥す。」という年譜が、それを物語ってる。 
6.最後に
 今回の森荘已池の一連の証言に関して最後に一言。
 それにしても、森荘已池のこの回想における高瀬露に関する記述の仕方は、恰もその場面を見ていたかの如くに生き生きと書いている個所が多い。ちょうどであの「84 師とその弟子」の記述の仕方とそっくりだ。しかしそのような記述の仕方には注意が必要だということは、この「84 師とその弟子」で経験している(佐藤隆房著『宮澤賢治』には同日そこを訪れたと書いてあるが、それはフィクションである)。前車の轍は踏みたくない。
 さらには、森荘已池が高瀬露を直に見たことは実は一度しかないと、森荘已池自身が上田哲に語った(後述する)という。したがって、この一連の森荘已池の数多の証言の中にはもしかすると慎重に対処する必要があるものがあるかもしれない。

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