みちのくの山野草

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大槌支援の輪よ、燎原の火の如くに

2017-11-26 10:00:00 | 三陸
《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影)
 というわけで、「サンデー先生の教え子」さんより図書カードを贈られて、とても感激したのだが、一方で私は悔い、そして気付いた。

 まずは、彼らにあれこれ言い募って、その返す刀で「この憂い、燎原の火となれ」と訴えたことを悔いた。
 そんな彼らに対してではなく、もっと広く一般の方々に、
     大槌支援の輪よ、燎原の火の如くに拡がれ。
と呼びかけるべきだったのだ、ということに気付いた。

 例えばこのようにブログを通じて、広く一般の方々に、
 東日本大震災によって罹災したが、それにも負けずに健気に頑張っている大槌町の子どもたちを「賢治精神」を発揮して支援しませんか。賢治は「東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ」と言っていますから、花巻の東に位置する大槌の子どもたちのために、新設された『大槌学園』の図書購入に資する「図書カード」を送りませんか。
と呼びかけるべきだったのだ(なお、今は大槌に限定して呼びかけているが、この支援の輪が拡がっていって、やがては大槌に限らずもっともっと拡がっていってほしい)。
 現状では、『宮沢賢治学会イーハトーブセンター定期大会』の際に三陸被災地の募金活動を企てようとすること自体にもともと無理があったのだ(その理由は後述する)、ということを知らずにいた自分を悔いたとも言える。
 
 それは、三陸被災地でのボランティア活動の際のこと<*1>をあれこれと思い出したからでもある。私がかつて三陸の大震災被災地へボランティアに出掛けた際に、そこへ来ていた人たちは「雨ニモマケズ」に触発されて来ていたわけではなかった。はたまた、賢治のファンだからとか賢治を尊敬しているので「賢治精神」を実践したくてやって来た、などと言う人は誰一人としていなかった(実際にはそのような人もいたのかもしれないが、推察するに、そのような人に限ってそのためにやって来た、などとは言わなさそうだ)。まして、「賢治学会」の「理事のお偉方」が汗水垂らし、泥にまみれながらボランティア活動をしている姿にはなおさら出会えなかったし、仄聞もしていない。
 実際にボランティアに来ている人たちは、そんな人たちでは全然なくて、
   『いやあ、困っているときはお互い様ですから
とさらりと応えるような人たちばかりだった。

 つまり、彼等がボランティアにやって来ている理由は、
   ・「賢治学会」に入っているいるから「賢治精神を実践せんがために」やって来ているわけでもなければ、
   ・「雨ニモマケズ」を唱っていてやむにやまれず現地に飛んできたわけでもなかった。
のであり、賢治とは何等直結などしていなかったのだ。

 そこで、
 賢治精神を発揮して三陸の被災地を支援しましょう、賢治精神をちょっぴり実践してみませんかというような活動を、『賢治学会理事会』に支援をしてもらおうという私の考えは浅はかだった。始めっから現「賢治学会幹部」、延いては「賢治学会そのも」は「賢治精神の実践」とは無縁の組織だったということを気付かずにいた自分が情けなく、結果がそれを証明するまでは「賢治学会幹部」こそこの募金活動を率先して支援しくれる組織だと思い込んでいた間抜けな自分がいた。
というように気付き、悔やんだ。もともと無い物ねだりだったのだ(これが先ほどの理由だ)。
 
 そして私が悔いたことがもう一つある。
 三陸支援のボランティア活動を「賢治精神」に直結することは、ボランティア活動をしている人に対して極めて失礼なことだったのだということに私は気付かずにいたことを恥じ、「賢治精神」でボランティア精神を発揮してもらって義捐金を募ろうなどという私の考え方はあざといものであり、ボランティアに来てい人たちはそのようなものと無縁で、人としての根源が突き動かしている純粋な想いからなのだ、ということをすっかり忘れていた自分を悔いた。

 表現を変えれば、遠くの離れた地で「雨ニモマケズ」を朗々と唱ってもそれはボランティアには直結していないということを、改めて覚った。いや、少し違うかな。それも悪くはないが、それと同時にそこへ実際に『行ッテ』みること。そうした時に初めて、それを唱った価値が判るし、意味があるのだと。

 畢竟、実際に三陸の被災地支援をして実質的に「賢治精神」を発揮して実践している人たちの多くは、「折に触れて賢治を口にする人」ではなくて、少なくともそのようなことを口外することのない多くの頼もしい若者たちであった。

********************************《三陸支援の呼びかけ》*********************************
 東日本大震災によって罹災したが、それにも負けずに健気に頑張っている(花巻から見て東に位置する)大槌町の子どもたちを支援したいという方がおられましたならば、下記宛先に図書カードを直接郵送をしていただければ、大槌町教育委員会が喜んで受け付けて下さるはずです。新設された小中一貫校・大槌町立『大槌学園』の図書購入のために使われますので、大槌の子どもたちを支援できることになります。

 〒 028-1121
   岩手県上閉伊郡大槌町小鎚第32地割金崎126
        大槌町教育委員会事務局
                  教育長 様
   なお、大槌町教育委員会事務局の電話番号は
        0193-42―6100
   です。

<*1:註>
 平成24年10月17日のことだった。
 その日のボランティアは陸前高田市内の、多分〝中川原〟という地名の場所の側溝の泥揚げであった。
 昼休みに周辺を見て回って、現状を知ってもらうための投稿用写真を撮っていた。すると、ボランティアに来たのであろう人達の自家用車がかなり駐車していた。その中には〝山口〟ナンバーの車があった。つい嬉しくなってその持ち主に声を掛けた。
 『遠くから大変ありがとうございます』
と。すると、その車の持ち主は歳の頃25、6歳の若い青年で、衒いもなく
 『いやあ、困っているときはお互い様ですから』
と爽やかに応えてくれた。私はその青年がまぶし過ぎて次の言葉を探せなかった。
 今の若い人達はやはり「凄いな」とつくづく思った。そして私のような年寄りはもしっかりせねば、とも。

 あるいは、平成24年7月13日の日のことだった。
 遅々とした復興・復旧の歩みにむなしさを感じたが、一方では、東京方面からさえも多くの若者達がボランティア活動に来ていることに救いと頼もしさを感じた。
 現場に行くこともせずに他人の言葉を借りて遠くでかたっている人達よりも、夜行バスで来てその足で現場にやってきて笑顔で活動するこの若者達の方からこそ私達は学び取らねばならぬと思った。少なくとも美しい言葉の羅列よりも彼等の拭おうともせぬ玉の汗こそが美しく、その実践にこそ価値があるのだ、と。

 はたまた、平成24年6月29日のこともだ。
 今回も遠く関東などからの方々も参加していた。地元の一人としたその人達に感謝するとともに、いままでしばし参加せずにいた自分を恥じた。ボランティア活動できることはまだまだ沢山あるということだから、少なくとも今後は1ヶ月に1回は参加するように心懸けたい。

 同様、平成23年11月24日のことだ。
 今回も、遠くからも沢山の若者たちがボランティアに来ていた。そして気が付いた、当たり前のことかも知れないが、彼等はサボることなど全くせず黙々と働ていたことに。かつて若かりし頃の自分を思い返せば、その当時の私は奉仕活動の際にはちょっとサボろうかなどという不謹慎なことをたしか考えたことがあったような気がする。とても『今の若者は』などとは言えない。

 そして、平成23年11月3日の際には、
 なお今回も東京の若者がボランティアに来ていたし、外国の若い女性も来ていた。
 頼もしくて素晴らしい若者が多いのだということをいまさらながら知った。

 最後は、平成23年10月20日のことで、
 今回のボランティアは北上市社協災害復興ボランティアセンターが主催したものであったが、その参加者の中に沢山の県外の人たちがいた。遠く栃木県やさらに遠くの神奈川県からの若者たちが多かった。この若者たちは仕事に就いておりながら休暇を取って自費で遠く岩手までやって来て、生き生きとボランティア活動をしている、と感動した。

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