《創られた賢治から愛すべき賢治に》
さて、これで賢治は爾後「東北砕石工場花巻出張所」の所長としてその任務にいそしむことになったわけだが、その時代の賢治の総体を概観するために時系列にしたがて昭和6年の賢治の動向などを一覧表にしてみると、下表のようになる。<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より拾い上げた>
この時代の賢治はまさに東奔西走する「猛烈セールスマン」そのものであったと今まで私は思い込んでいたが、こうして実際に一覧表にしてみたならば、このスケジュールの混み具合からはそれほどまでに「猛烈」であったわけではなさそうだ、と私には思えてきた。
そのあたりのことについては、今後この時代の書簡を眺めたり、「孔雀印手帳」や「王冠印手帳」を捲ってみたりしようと考えているところなので、そうすれば少しずつわかってゆくのではなかろかと期待したい。
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