みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

辛い農民の生活を、芸術によって楽しいものに

2018-02-16 14:00:00 | 法華経と賢治
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》

 続けて理崎氏は、
 羅須地人協会の理念は、退職直前に農学校で開設された岩手国民高等学校で講じた『農民藝術概論綱要』に示されている。
 「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい」――辛い農民の生活を、芸術によって楽しいものに、というのである。…(投稿者略)…ここでも「まことの幸福」と言っている。それぞれの真価を発揮して人間らしく生きる道、それが妙法である。つまり、農民芸術の根底に妙法を据えるというのである。妙法の思想は生きる歓喜、他者の尊重、慈悲、奉仕などがあることは述べてきた通りである。
             〈137p~〉
と解説してくれる。私の理解が不十分とは思うのだが、簡潔に言えば、羅須地人協会において賢治は、
 辛い農民の生活を、芸術によって楽しいものに
しようと思っていたのだと理解した。次に私は納得した、賢治は貧しい農民を何とかして自分の持っている農芸化学等の知見や稗貫の土性調査での経験を活かして助けてやろうということを真っ先に考えていたわけではなく、まずは芸術によって辛い農民の生活を楽しいものしようと思ったのだと。
 そして私のこの解釈がその真相であったのだと仮にすれば、賢治が「羅須地人協会時代」に「小作人たれ」と強く「訓へ」た松田甚次郎と同じように、賢治自身も小作地を父から借りて、貧しい農民たちと同じような苦労をしながら主食となる米を自分自身で作ろうとしたかというというと、賢治がそうしなかったのも当然の帰結だったのだとなる。

 そういえば、賢治は何かで、
    宗教は芸術、芸術は宗教<*1>
と言っていたはずだから、
    法華経は芸術、芸術は法華経………①
ということにもなり、賢治は自身の農芸化学等の知見や稗貫の土性調査での経験を活かして農民を助けてやろうということを真っ先に考えていたわけではなく、真っ先にあったのは法華経の修行であり、羅須地人協会はあくまでもそのための場だった(のではなかろうか)。言い換えれば、羅須地人協会活動は目的ではなくて修行のための手段であったのではなかろうかということに今になって私はやっと気付いた。つまり、
    羅須地人協会は法華経の修行の場であった。<*2>
のではなかろうか、ということである。

 こう捉えてみれば、大正15年4月1日付『岩手日報』の記事で賢治が記者の取材に対して、
 そして半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈會の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一囘位もよほしたいとおもつてゐます
と答えたのも、宜なるかなと思う。その当時の賢治は、下根子桜では「藝術の生がいを送りたい」ということをまず第一に考えていたのだ、と。そしてこのことと先の〝①〟により、
    賢治は、下根子桜で「法華経の生がいを送りたい
ということをまず第一に考えていたという蓋然性が高そうだ、と。

 おのずから、「辛い農民の生活」とは、「物質的に貧しい農民の生活」ということではなくて、「芸術と無縁の農民の生活」ということになりそうだ。

<*1:投稿者註>
 195(大正十年)〔七月十三日〕 関徳弥あて
          …(投稿者略)…
私は書いたものを売らうと折角してゐます。それは不真面日だとか真面日だとか云って下さるな。愉快な愉快な人生です。
 おゝ。妙法蓮華経のあるが如くに総てをあらしめよ。私には私の望みや願ひがどんなものやらわからない。なるほど祈祷といふものも悪いこともあるでせうな。
 近頃は飯を二回の日が多いやうです。あなたなんか好い境遇に生れました。親と一所に苦しんで行けますから。うちから金も大分貰ひましたよ。左様十五円に二十円に今月二十円来月二十円それからすりに十円とられましたよ。
図書館へ行っ見ると毎日百人位の人が「小説の作り方」或は「創作への道」といふやうな本を借りやうとしてゐます。なるほど書く丈けなら小説ぐらゐ雑作ないものはありませんからな。うまく行けば島田清次郎氏のやうに七万円位忽ちもうかる、天才の名はあがる。どうです。私がどんな顔をしてこの中で原稿を書いたり綴ぢたりしてゐるとお思ひですか。どんな顔もして居りません。
これからの宗教は芸術です。これからの芸術は宗教です。いくら字を並べても心にないものはてんで音の工合からちがふ。頭が痛くなる。同じ痛くなるにしても無用に痛くなる。
今日の手紙は調子が変でせう。
斯う云ふ調子ですよ。近頃の私は。
              <『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡本文篇』(筑摩書房)>
 なおこのことに関して田口昭典氏は、「宗教は芸術で芸術は宗教と言う考えは、後々まで賢治の思想の中核となったものである」と、『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典氏著、でくのぼう出版)55p〉において断定している。

<*2:投稿者註> 田口昭典氏に依れば、
 日蓮宗(南妙法蓮華経):人は仏になる能力がある。人の力で社会を実践修行の場として穢土を浄土にする。人々の幸福のために行動する。また衆生の苦難を除く為に行をする。修行の場は社会。(妙法蓮三昧)
             〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典氏著、でくのぼう出版)51p〉
という。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。


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