みちのくの山野草

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2822 賢治、家の光、犬田の相似性(#31)

2012-08-13 08:00:00 | 賢治・卯・家の光の相似性
コーヒーブレイク
賢治と佐伯郁郎のつながり
 『賢治研究117号』(2012,04、宮沢賢治研究会)に佐伯郁郎の「母木君への私信」というタイトルの随想の一部が載っていた。もともとは昭和7年6月24日付『岩手毎日新聞』に載ったものだという。それは次のようにして始まっていた。
 ◇『岩手詩集』第一輯有難ふ。森惣君から今日送つていたゞきました。大変でしたね、これだけの仕事をやつて邁けるといふことは並大抵の苦労でなかつたでせう。よくやってくれました。
と。
 ということは、佐伯郁郎は母木光あてにこの私信をしたためていると形をとりながらこれを書いており、昭和7年4月15日付刊行の母木光編集『岩手詩集』第一集が森荘已池から自分のところへ送られてきたよと感謝し、その刊行に漕ぎ着けるまでの母木の労苦をねぎらっているということになるのであろう。
 そしてこの随想の中には次のようなことも述べられている。
 ◇読んでいく中に随分なつかしい顔にも出逢ひました。啄木はいはずもがな、堀越夏村氏は学校の先輩とも聞いてゐて遂にお目にかゝれないでしまつたし、宮沢賢治氏にはお目にかゝつたことがないのですが御親類の安太郎さんを通じて「修羅と春(ママ)」をいたゞいてゐます。
<ともに昭和7年6月24日付『岩手毎日新聞』朝刊より>
と。
 この詩集は、『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)』(筑摩書房)によれば、岩手県出身の詩人八一名のアンソロジーであり、賢治はその詩集に「早春独白」を発表しているという。
 ところで、この新聞記事の中で私が一番注目したのは実これらのことではなくて、〝御親類の安太郎さんを通じて「修羅と春(ママ)」をいたゞいてゐます〟の部分にである。
 というのは、以前私は〝賢治、家の光、犬田の相似性(#20)〟において
 佐伯郁郎をよく知るある方から 
 例の大正15年7月25日面会謝絶に関しては、賢治と白鳥達が会ったらいいのではなかろうかと周旋し、間を取り持ったのが宮澤安太郎である。そして、宮澤安太郎と佐伯郁郎は在京県人会でお互いに交流があったようだ。
ということを以前に聞いていた。
ということを記したのであったが、たしかに賢治と佐伯郁郎は宮澤安太郎を介して繋がっていたということがこの『岩手毎日新聞』の記事からも確認できたからである。
 言い換えれば、佐伯郁郎は賢治の従兄弟・宮澤安太郎を通じて『春と修羅』を貰っていたということは歴史的事実であろうから、佐伯に賢治が『春と修羅』を送っていたということとなり、賢治は佐伯の存在を少なからず認めていたということであろうし、佐伯と宮澤安太郎とは結構交流があったと考えて良さそうだということに注目したのである。
 そこでますます私は思うのである。賢治は従兄弟の安太郎を通じて佐伯郁郎のこと、佐伯郁郎が当時所属していた農民文芸(研究)会のこと、そのメンバーの犬田卯のこと、白鳥省吾のこと、そしてこの農民文芸会が「農民文芸十六講」の刊行の準備をしていて近々それらが発刊されそうだということ等を知っていたのではなかろうかと。

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