みちのくの山野草

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「賢治精神」にはたして沿っていたか「外臺の夢」

2017-04-05 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
《『変革のアソシエ』(季刊No.27 2017.1)》

 先の〝外臺に「強い農業」など賢治は望んでいないはず〟の最後で私は、
 ましてあの賢治のことだ、当然
 だれかが「外臺の夢」などとぶち上げているようだがそれはせいぜい土建屋にとっての「夢」であり、農家自体ははちっとも「強い農業」など望んでいない。
と看破するはずだ。そしてこの外臺の大規模圃場整備の為体を目の当たりにした賢治はそのことを憂い、外臺の農業は他の道を探るべきだと言うのではなかろうか。
 そしてそのようなことに関しても菅野氏は同論考に於いて論じているので、後ほど触れてみたい。
と述べていたが、そのことについて以下に触れてみたい。

 同氏は、同論考中の〈ほかに道はないのか〉という節で、
 あまりのコメの安さと後継者不足、強い農業づくりとむらの危機。また、赤ちゃけた田んぼと規模拡大。さらに生き物を殺してしまう農法と大規模化。以上四つのことをむらの現状の象徴として述べました。これらはすべて効率化、低コスト化、大規模化がもたらしたものであり、その背後にはグローバリゼーションがあります。
 農業は工場生産ではないのです。…(投稿者略)…その地域、その地域の地形、自然条件に適応しながら田んぼや畑で作物を育てていく。そういうものです。すべてお金に置き換えられて、風土による制限とは関係なく価格の安い方が勝っていく。それを世界市場で行っていくということでは、農業は生きられない。その基盤である村は消滅するしかないと思います。
            <『変革のアソシエ』(季刊No.27 2017.1、変革のアソシエ発行)30p>
と論じ、グローバリゼーションの際だった属性である「弱肉強食」性のもたらす帰結の一つを教えてくれていて、しかも実際農業に携わっている菅野氏の見通しだから説得力が半端でない。
 そして同氏はここで悲嘆して終わるだけではなく、「ではどうすればいいのか」と問うて次のように論を展開していた。
 ではどうすればいいのか。活路はあるのか。わかりません。わかりませんが、考えられる方策の一つは、「地域自由圏」をつくりあげることではないかとと思っています。自然とか、循環とか、生命系とか、身の丈の経済とか、いのちとか、持続性とか、地域の自立とか、人びとの連携とかをキーワードとする、市場原理主義の物差しとは区別された、違う地域をつくっていく必要があるのではないかと思っています。
            <『変革のアソシエ』(季刊No.27 2017.1、変革のアソシエ発行)30p>

 ここまで読み進めてきて思い出したのはあの大正15年4月1日付新聞記事における賢治の発言、
 現代の農村はたしかに経済的にも種々行きつまつてゐるやうに考へられます、そこで少し東京と仙台の大學あたりで自分の不足であった『農村経済』について少し研究したいと思ってゐます そして半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈會の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一囘位もよほしたいとおもつてゐます幸同志の方が二十名ばかりありますので自分がひたいにあせした努力でつくりあげた農作ぶつの物々交換をおこないしづかな生活をつづけて行く考えです
              <『岩手日報』(大正15年4月1日付)の三面より>
と、昭和2年2月1日付『岩手日報』の、
 農村文化の創造に努む
         花巻の青年有志が 地人協會を組織し 自然生活に立返る
花巻川口町の町會議員であり且つ同町の素封家の宮澤政次郎氏長男賢治氏は今度花巻在住の青年三十餘名と共に羅須地人協會を組織しあらたなる農村文化の創造に努力することになつた地人協會の趣旨は現代の悪弊と見るべき都會文化のに對抗し農民の一大復興運動を起こすのは主眼で、同志をして田園生活の愉快を一層味はしめ原始人の自然生活たち返らうといふのであるこれがため毎年収穫時には彼等同志が場所と日時を定め耕作に依って得た収穫物を互ひに持ち寄り有無相通する所謂物々交換の制度を取り更に農民劇農民音楽を創設して協会員は家族団らんの生活を続け行くにあるといふのである、目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの廣場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが、これと同時に協会員全部でオーケストラーを組織し、毎月二三回づゝ慰安デーを催す計画で羅須地人協会の創設は確かに我が農村文化の発達上大なる期待がかけられ、識者間の注目を惹いてゐる(写真。宮澤氏、氏は盛中を経て高農を卒業し昨年三月まで花巻農學校で教鞭を取つてゐた人)
              <昭和2年2月1日付『岩手日報』より>
という報道である。それはもちろん、ここで賢治が語っていたことと菅野氏の考えている「「地域自由圏」をつくりあげること」とが通底していることが分かるからである。

 そこで話を戻せば、この度の春期セミナーで副題「外臺の夢」をことさら高々と掲げたかったのであれば、そのテーマに関わる現状をまずはしっかりと捉え、そして次に、上掲の記事で賢治が語っているようないわば「賢治精神」を活かして農業の未来を描けるような内容・企画運営にすべきだったのであり、そうでなければ「夢」とは言えないはず。しかしこの度の春期セミナーでは農民にとっての農業の展望はちっとも語られず、せいぜい土建屋の「夢」が語られただけだと私には思えた。だからそうではなく、例えばこの菅野氏の論考のようなことを追究し、活路が見出せるかもしれないという発表や提言をすべきだったのではなかろうか。菅野氏の場合ならば少なくとも農民にとっては「夢」はあるが、この度の「外臺の夢」では肝心の農民の「夢」は描けていなかったし、そこに見えてくるのは「悲劇」ばかりだからである。

 とまれ、メインテーマより大々的に掲げた副題「外臺の夢」は羊頭狗肉以外の何ものでもなかった上に、「外臺の夢」に当たる部分は全く「賢治精神」に沿っていなかった。したがって、「賢治学会イーハトーブセンター」主催のセミナーとしては意味も価値も殆どない副題「外臺の夢」であったと、もっと真面目に副題を設定しろと賢治は総括し、今回の副題の「外臺の夢」ははたして「賢治精神」に沿っていたかと強く反省を求めているかもしれない。

 なお菅野氏は最後に、
 同時に地域自給圏への試みは日本列島だけでなく、グローバリズムの影響を受けている世界中の地域、人びとに届けられなければなりません。我々の取り組みは非常にローカルなものですが、そこには世界性があると思っています。…(投稿者略)…ぜひ、取り組みを成功させたい。それはTPPという最悪の選択を先導してきた日本の中にいる我々の役割。アジアの人達に対する責任ではないかとさえ思います。
            <『変革のアソシエ』(季刊No.27 2017.1、変革のアソシエ発行)31p>
と決意を述べて締め括っていた。
 私はTPPのことは良く分かっていないが、少なくとも農家の人がこう言っているのであれば、この「TPPという最悪の選択」については、農家以外の人にとっても真剣に考えねばならぬことであろう。そう思っていたならば、一昨日(4/3)たまたま手に取った農業関係の雑誌(すみません、雑誌名を失念してしまいました)に、
 TPPの影響で最も懸念されることは、中高年農業者が早々に見切りをつけ、青年層が自らの生涯の夢を託せなくなることだ。
ということが述べられていて、なおさらにそう思った。自分さえよければいいとか、自分の属している組織だけよければいいという身勝手さは、結局は天に唾を吐く行為であって、やがて自分にもどってくるということのようだ。

 その典型の一つがこの「外臺の大規模圃場整備」であったということにならないことを、賢治は今切に祈っているに違いない。

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  ・第2部 賢治作品の朗読 「葡萄水」「山の晨明に関する童話風の構想」 ざしきぼっこの会

というものです。
 第1部 「羅須地人協会時代の宮沢賢治」につきましては、私鈴木守が、拙著『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』を主に、併せて『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』も資料として用いながら、「羅須地人協会時代の賢治」の真実に迫りたいと思っております。

 なお、これらの二著につきましては当日お越しの方々には謹呈いたしますので、皆様どうぞお越し下さい。

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