みちのくの山野草

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816 庚申塔について(考察2)

2009-02-15 08:04:05 | 庚申信仰
 ところで、以前”『銀河鉄道の夜』とのこと(その6)”で投稿したように賢治は「文語詩 一百篇」の中にズバリ『庚申』と云う題の次のような詩
   歳に七度はた五つ、    庚の申を重ぬれば、
   稔らぬ秋を恐みて、    家長ら塚を理めにき。

   汗に蝕むまなこゆゑ、   昴の鎖の火の数を、
   七つと五つあるはたゞ、  一つの雲と仰ぎ見き。

   <『校本 宮沢賢治全集 第五巻』(筑摩書房)より>
で庚申のことを詠っている。
 おそらくこの詩の前半では次のような想いで詠んでいるのであろう。一般には庚申は年に6回あるが、閏年には庚申が7回になることがあり、平年の場合で初庚申が2月末の場合には年5回になることがある。そして、庚申が年に7回や5回である場合には秋に稲が稔らない(と賢治は思っていた)から、凶作を畏れてその年には家長達は塚を建てて供養して来たということを不憫に思って賢治は詠っているのだろう。
 そして後半についてである。”昴”とは清少納言が枕草子で
 星は すばる、ひこぼし、明星、夕つつ・・・
といの一番にその美しさを称えているもちろんあの星”すばる”のことである(恥ずかしながら、私は中学までは”すばる”とはつい外国語とばかり思っていた)。

 話は少し横道にそれるが、みちのく岩手では寒さが極めて厳しいことを『すばれる』と表現する。このとき身体は寒さのあまり縮こまっている。一方、”すばる”は幾つかの星が糸で結ばれてひと塊りのように見える。だから、”すばる”も『すばれる』も「ぎゅっと縮まる状態」にあり、たぶん両者の語源は同じであろう。岩手には案外古語が残っているからである。最近も、みちのくのおばあちゃんから『ねまれ』と言われて意味が解らなかったと、『ねまれ』という言葉を嗤っていた若者がいた。ところが、『奥の細道』で芭蕉も使っているように『ねまる』は古語である。
 
 さて、この”すばる”は六連星(むつらぼし)とも呼ばれるように、一般には星が6つ集まっているように見える。ところが、毎日汗して働きづめの疲れ果ててしまった農民の目、汗をぬぐう時間をさえ惜しんで働くゆえに蝕まれた農民の目からは”すばる”は7つに見えたり5つに見えたり、はたまたぼんやりと星雲のように見えたりするということを哀れんで詠っているのだろう。

 すなわち、みちのくの農民にとって「庚申」と「昴」とは、一般には6つだが時に5つであったり7つであったりするという同じ構造を持つ。そこで、賢治は『五庚申』『七庚申』に対する農民の畏れを昴に託して詠ったのだろう。
<注:『五庚申』とは1年に庚申日が5回、『七庚申』とは庚申日が7回ある年のこととする。>
   <参考図書:『宮沢賢治 文語詩の森第三集』
       「庚申・・・赤田秀子」(宮沢賢治研究会編、柏書房)>

 では、前回吟味し残した仮説の中の
 (2) 「五庚申」あるいは「七庚申」の年に建てる『庚申塔』の銘は単に「庚申」であることもある。
について吟味したい。
 そのために、次のように表を新たにつくってみた。
      《表2 花巻周辺の庚申塔リスト》
 花巻周辺で出会った庚申塔の建立年別毎リストであり、◎印は単独の、△印は併刻の石塔であることを表す。
<寛永年間(1624~1643年)>
 ◎七庚申塔(湯口中村、寛永の他年月日不明)
<宝暦9(1759)年>
 ◎奉供養庚申(成田一理塚近く、宝暦9年6月?日)
<天明6(1786)年>
 ◎庚申(鳥谷崎神社、天明6年月日不明)
<寛政9(1797)年>
 ◎庚申供養(太田新淵の路傍、寛政9年7月12日)
 ◎庚申供養塔(下似内稲荷神社、寛政9年10月25日)
<寛政年間(1789~1800年)>
 ◎庚申塔(清水観音、寛政の他は不明)
<享和3(1803)年>
 ◎庚申供養塔(下小路、享和3年10月吉日)
<文化8(1811)年>
 ◎庚申塔(湯口赤沼の路傍、文化8年6月14日)
 ◎庚申塔(湯口中村、文化8年月日不明)
<文化11(1814)年>
 ◎庚申(花巻養護学校前、文化11年4月5日)
<文化14(1817)年>
 ◎庚申(一本杉バス停、文化14年11月12日)
<文政2(1818)年>
 △庚申供養併刻(花巻大橋近くの八坂神社、文政2年3月28日)
<文政5(1822)年>
 ◎庚申(塔鼬幣稲荷神社、文政5年7月24日)
<文政12(1829)年>
 △庚申(三嶽神社、文政12年3月26日)
<天保6(1835)年>
 ◎庚申(成田一理塚近く、天保6年5月初2日)
<天保14(1843)年>
 ◎庚申塔(観音寺観音堂、天保14年9月吉日)
<弘化4(1847)年>
 ◎庚申(岩谷不動、弘化4年6月13日)
<嘉永元(1848)年>
 ◎庚申(下似内路傍、嘉永元年8月19日)
<嘉永3(1850)年>
 ◎庚申(鼬幣稲荷神社、嘉永3年月日不明)
<嘉永6(1853)年>
 ◎庚申(花巻大橋近くの八坂神社、嘉永6年7月17日)
 ◎庚申塔(円通寺そばの薬師神社、嘉永7年10月25日)
<安政4(1857)年>
 ◎庚申塔(円万寺の公民館前、安政4年8月13日)
 ◎庚申待(地蔵堂、安政4年秋)
<安政5(1858)年>
 ◎庚申塔(湯口赤沼の路傍、安政5年10月15日)
****************ここまでは庚申日は未確認**************************
**********以下は1870~1960年の『五庚申』or『七庚申』************
<明治12(1879)年=『七庚申』>
 ◎七庚申(上似内八坂神社、明治12年月日不明)
 ◎庚申塔(清水観音、明治12年10月吉日)
<明治22(1889)年=『七庚申』>
 ◎七庚申(三嶽神社、明治22年12月19日)
<明治33(1900)年=『七庚申』(賢治4歳)>
 ◎七庚申(三嶽神社、明治33年7月21日)
 ◎庚申(清水観音、明治33年8月12日)
 ◎七庚申(矢沢八幡宮、明治33年10月21日)
 ◎七庚申(一本杉愛宕神社、明治33年10月22日)
 ◎七庚申(岩谷不動、明治33年12月2?日)
 ◎七庚申(鞍掛白山神社、明治33年月日不明)
<明治35(1902)年=『五庚申』(賢治6歳)>
 △五庚申(湯口中村、明治35年11月4日)
<明治36(1903)年=『七庚申』(賢治7歳)>
 ◎庚申塔(下似内稲荷近く、明治36年3月4日)
 ◎七庚申(円万寺の公民館前、明治36年7月12日)
 △七庚申(湯口中村、明治36年8月9日)
<明治44(1911)年=『七庚申』(賢治7歳)>
<大正元(1912)年=『五庚申』(賢治16歳)>
 ◎庚申(湯口中村、大正元年11月2日)
<大正3(1914)年=『七庚申』(賢治18歳)>
 ◎七庚申(胡四王山千手観音堂、大正3年8月12日)
<大正14(1925)年=『七庚申』(賢治29歳)>
 ◎七庚申(円万寺の公民館前、大正14年7月12日)
 ◎七庚申(三嶽神社、大正14年8月12日)
 ◎七庚申(鼬幣稲荷神社、大正14年旧12月18日)
<昭和11年(1936年)=『七庚申』>
 ◎七庚申(鞍掛白山神社、昭和11年6月19日)
 ◎七庚申(円万寺の公民館前、昭和11年旧8月20日)
 ◎七庚申(下小路路傍、昭和11年旧8月20日)
 ◎七庚申(観音寺観音堂、昭和11年10月21日)
 △七庚申(地森バス停、昭和11年月日なし)
<昭和22(1947年)=『七庚申』>
 ◎七庚申塔(地蔵堂、昭和22年9月吉日)
 △七庚申(地森バス停、昭和22年月日なし)
<昭和23(1948年)=『五庚申』>
<昭和24(1949年)=『七庚申』>
***********以上が1870~1960年の『五庚申』or『七庚申』************
 昭和25年以降は下記以外未調査である。
<昭和63(1988)年=『新暦ならば七庚申』>
 ◎七庚申(地森バス停、昭和63年1月6日)
***********以下は建立年不明分***************************************
 ◎五庚申・七庚申併刻(三嶽神社、建立年月日不明)
 ◎七庚申(花巻養護学校前、〃)
 ◎庚申(三嶽神社、〃)
 ◎庚申(三嶽神社、〃)
 ◎庚申(鳥谷崎神社、〃)
 ◎庚申(小舟渡八幡宮、〃)
 ◎庚申塔(地森バス停、〃)
 ◎庚申塔(鞍掛白山神社、〃)
 ◎庚申供養(欠端熊野神社、〃)
 ◎庚申供養(花巻神社、年号不明9月25日)
 △庚申供養併刻(上似内八坂神社、〃)
 ◎青面金剛(矢沢八幡宮、〃)
 ◎庚申供養(円通寺そばの薬師神社、〃)
 ◎庚申塔(円万寺観音山、?年8月4日)

 <・年号の前の◎印は当該年の庚申塔が花巻にあることを示す記号である。ただし、併刻塔の場合は△印である。
  ・この年表の庚申は旧暦に基づいて調べたものである。>
 
というわけで、表の赤い字で示した場合を見て貰えれば、
 (2) 「五庚申」あるいは「七庚申」の年に建てる『庚申塔』の銘は単に「庚申」であることもある。
と云うことはすぐ認めて貰えるだろう。

 では、次回は残っている(3)と(4)を吟味したい。

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