みちのくの山野草

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3423 黒い花≠アナーキスト大杉栄の死

2013-08-04 08:00:00 | 羅須地人協会の終焉
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
『黒い花』の目次
 さて、前回までの考察により
 「黒い花」とは、アナーキズムにおける華々しいことであり、そのことを達成するためには死をもいとわないものである……①
という可能性が高いことを知ったわけだが、では「黒い花」とは具体的にはどんなものなのだろうか。
 そのことを推理するために、まずこの小説の目次を確認してみたい。それは、
    小説『黒い花(上)』の目次
第一章  ああ革命は近づけり
第二章  暴動
第三章  日本脱出
第四章  いまさら共産主義者にはなれない
第五章  アナかボルか
第六章  キリストの凍死
 小説『黒い花(續)』の目次
第七章  狼に気をつけろ
第八章  花のパリ
第九章  関東大震災
第十章  若きテロリストの群れ
第十一章 空包(ママ)
のようになっていた。
 ではこの目次の中に、「黒い花」を引喩しているものはあるだろうかと推理してみても、残念ながら私には見つけられない。
黒い花=アナーキスト大杉栄の死?
 ならば、この小説のキャッチコピーは
 アナーキスト・大杉栄をめぐる
 一大ロマンの復活 
だったから、原点に戻って
   黒い花=アナーキスト大杉栄の死 ……②
ということもやはり考えられるような気もしてきた。こう捉えてみれば〝①〟もあながちこの等式〝②〟を否定するものでもなさそうだ。大杉栄の最期はアナーキストとしての痛ましい死に方であったから、まさしく「黒い花」であり、それ故この小説のタイトルが『黒い花』であったと、一応の説明が付く。
 がしかし、もしそうであるとするならば著者の立野は文中で用語「黒い花」を少なくともクライマックスの場面等で使っているはずだが、一回たりともそんなことをしていない。立野をして、タイトルに『黒い花』を用いているのにそれを本文中では使わせていない理由は何か。それはおそらく、「黒い花」という用語がそれとあからさまにわかるような使い方をすることは憚られることだからであるという可能性がかなりあるからである。逆に言えば、もし〝②〟であるとするならば何も「黒い花」という用語の使用を世に憚るほどのことはなかろうから、〝②〟の等号は成り立ちにくいこととなる、これがまず第1点目。
 しかも、もし〝②〟が仮に成り立つとするならば、この小説『黒い花』は、大杉栄が伊藤野枝、甥の橘宗と一緒に甘粕正彦等によって惨殺されてしまったことが書かれている第九章で終わってしまっていいはずだ。ところが、その後にもこの小説『黒い花』は「第十章」そして「第十一章」と続いている。これが第2点目。
 したがって以上の2点から、等式〝②〟はまず殆ど成り立たず、
   黒い花≠アナーキスト大杉栄の死
という結論を導かざるを得ない。併せて、「第十章」と「第十一章」の中身こそが「黒い花」が何を意味するかを示唆してくれているということになりそうだ。


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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
クリックすれば見られます。

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