みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

1340 稲作約3割減

2010-02-02 08:00:29 | 岩手の冷害・旱害
   <↑Fig.1 昭和6年11月11日付 岩手日報>

 昭和5年の豊作飢饉で打撃を受けた農村へは、昭和6年になると一層の不況で都会からは失業者した次男や三男などが帰農したから農村はますます困窮していった。そこへもってきての東北・北海道の大凶作の畏れ。
 そこで煽ったのが満蒙への移民かと思えるが、未だこの時点では柳条湖事件が起こったばかりだからそれはあり得ない。この頃に煽られていたのはブラジル移民の方だったことが分かる記事があった。それがこのブログの先頭の記事であり、その中身は以下のとおり。  
 土地への愛着から 不作の村を離れず 年配者を見限つて若者本位に 海外移住熱を煽る
 岩
 手海外移住組合は旱害であれば凶作気候不順では凶作で生活難にあえぐ農山村に新天地の開拓と生活の転向を示して活路を野に山に無限の宝庫を包むブラジル移住によらしむべく事情の説明と移住宣伝のため先づ第一次九戸郡下に於て去る三日から中野、侍浜、大野、軽米、晴山、江刺家の六ヶ町村
 彼 地の映画と事情公演と座談会を開催、啓発する所多かつたが二次計画としては胆沢郡、三次計画二戸郡下に開催の予定で九戸郡下開催結果に徴すると六会場で二千五百余名の入場者と見内渡航希望者四十五名を得た、この巡回開催には県から森岡主任属出張農山村の実情と海外移住といふ問題に対し
 ど んな考へを持つてゐるかを観察した所、稗飯を食つてゐても父祖累伝の土地を離れたくない土地への愛着に組合加入のため要する二千円の資金が調達不可能の二点が海外発展に重大な支障を与へてゐることを看取されどうしてもブラジル移住は現在四十年配以上の人にすすめるのが無理で二男三男の冷飯組の少壮血気の人達に
 呼 びかけるより致し方ないとの結論に達してをり今後県の移住熱の鼓吹は若人本位として盛んに煽り続ける意向である


 さて本来の話しに戻そう。昭和6年の凶作の実態がそろそろはっきりしてきた。
【Fig.2 昭和6年11月12日付 岩手日報】

 七割以上減収見込 二千四百九十町歩 うち稲作の被害八割以上を占む 十一日現在本県作況被害
不順な天候に打ちのめされて県下各方面の稲作畑作の作柄は昭和二年以来の凶作と見られてゐるので県では先頃から七割以上減収見込の町村に付いて調査を重ねてゐたが十一日現在で県に報告された七割以上の減収見込面積は二千四百九十五町八段一畝歩(畑作含む)で中稲作の被害は八割以上を占めて二千百二十七町六段一畝歩を示してゐることが判明するに至つたが未報告の気仙下閉伊両郡を加へると二千六十七町歩に上るのではないかと憂慮されてゐる被害の最多は二戸郡の六百十八町歩、盛岡市胆沢郡の各二十町歩が最少で西磐井郡には被害なしと報告されてゐる各郡市の凶作面積左の如し
                   (単位町)
 盛岡市二〇△岩手郡五一五△紫波郡三一△稗貫郡一六△和賀郡三八七△胆沢郡二〇△江刺郡六七△東磐井郡四七△上閉伊郡八三△九戸郡三二八△二戸郡六一八

ということであるが、いまひとつはっきりしない。
 それが、次の記事になると被害の程度が定量的に判る。
【Fig.3 昭和6年11月12日付 岩手日報】

 凶作を示す 本年の稲作は 昨年の約三割減 第二回予想高発表
十一日検討計係から発表された本年度第二回米収穫予想高は昨報の如く九十二万四千八百二十六石で第一回予想収穫高より三万三千余石の増収を見たが更に之を五年度実収高に比較すると二十六万七千二百三十五石(二割八部八厘)の減収を示すに至り県の予想する凶作を裏書きするやうな作柄である殊に今回の収穫予想高は不良を伝へられた昭和元年度の実収高九十四万七千四百七十二石よりも二万二千余石の減を来してゐることで、米価安の折この点頗る注目されてゐる各郡市の五年度実収高に対する比較増減左の如し(単位石)
     第二回収穫予想高  五年度比較増減△印減
 盛 岡   五、八三四    △  一、四一八
 岩 手  一〇三、七四三  △ 四九、二二二
 紫 波  一一七、七一一  △ 二一、六〇四
 稗 貫  一〇九、六三四  △  二、九〇一
 和 賀  一一二、九三三  △ 二五、七八一
 胆 沢  一三五、八二八  △一一八、〇五三
 江 刺   七五、八三六   △ 一四、四二三
 西磐井   八六、九七八  △ 一〇、三四〇
 東磐井   七一、八七三  △ 一五、五五四
 気 仙   二四、六二二   △  七、七八九
 上閉伊   三九、三八六  △ 二〇、〇三七
 下閉伊  一〇、三四六   △  五、三六四
 九 戸  一四、八九一   △ 二一、四四七
 二 戸  一三、二〇八   △ 一七、四〇二

前年の約三割減だという。いくら前年昭和5年が豊作だったとはいえ、かなりの凶作のようだ。

 ただし、この各郡の収穫予想高の前年比較を見ると胆沢郡はかなりの減収だが、和賀郡などはそれほどでもなさそうだし、特に稗貫郡の場合、五年度比較では約三割減の県全体や他郡と比べるとそれほど悪いわけではない(ちなみに、2901÷109,634=2.6%減)。
 しかも、実収高で明らかになるのだが、〝昭和6年花巻は冷害ではなかった〟において明らかになったことだが、
    昭和6年花巻は冷害などではなくほぼ平年作であった。
し、〝『岩手県災異年表』(昭和13年)より〟において明らかにしたように、
 大冷害だったと思われている昭和6年の岩手県の大冷害はたしかにそのとおりだが、少なくとも昭和6年の稗貫郡はそうではなくて、米の作柄は平年作よりもよかった。
のである。

 このことを指摘する賢治研究家を私は殆ど知らない。

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