みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「遠いところから一日に二回も三回も」は虚構

2014-08-10 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
新たな疑問
 というわけで、どうやら「昭和六年七月七日の日記」中の露に関するMの記述にはかなり信憑性に欠ける点がありそうだということを知った。そうなるとすぐ湧いてくるのが次の新たな疑問だ。Mはその中で、
 彼女の思慕と恋情とは焔のように燃えつのつて、そのため彼女はつい朝早く賢治がまだ起床しない時間に訪ねてきたり、一日に二回も三回も遠いところをやつてきたりするようになつた。
              <『宮澤賢治と三人の女性』(M著、人文書房)73pより>
と記述しているが、「一日に二回も三回も遠いところをやつてきた」ということは、ちょっと考えただけでも現実的には不可能だったことは当時の交通事情等を思い巡らしただけですぐ想像できるから、この一文ははたして事実を述べているのだろうか、という疑問がである。

「遠いところから一日に二回も三回も」の検証
 そこで以下にその検証をしてみる。
 さて、当時の寶閑小学校は湯口村鍋倉字十地割七番(現「山居公民館」のすぐ近く)にあったから、露の下宿→下根子桜(宮澤家別宅)へ最短時間で行くとなれば、そのルートと手段はそれぞれ
   露の下宿~約1㎞~寶閑小~約3㎞~二ッ堰駅~鉛線約25分~西公園駅~約1.5㎞~露生家~約1㎞~下根子桜(宮澤家別宅)
   露の下宿~約15分~寶閑小~約45分~二ッ堰駅~鉛線約25分~西公園駅~約20分~露生家~約15分~下根子桜(宮澤家別宅)
となるだろうから、電車のつなぎが上手くいったとしてもその所要時間は最低でも約2時間はかかると判断できる。つまり、往復だと少なくとも約4時間はかかりそうだ。したがって、往き来するための所要時間だけでも最低
   一日に二回も遠いところをやってきたりするようになったとすれば、約8時間は、
   一日に三回も遠いところをやってきたりするようになったとすれば、約12時間は
かかることになろう。
 まして、次表が当時の花巻電鉄“鉛線”の時刻表だが

「二ッ堰駅」の始発発時刻は5:44、そして「西公園駅」の終電発時刻は8:22であるから、往き来するだけでも最低12時間は要するであろう「一日に三回も遠いところをやってきたり」することは到底できそうにもなく、さらに電車の待ち時間<*1>等を考えればその可能性は限りなくゼロに近い。
 百歩譲ってそれができたとしても、その場合に下根子桜にいて一体露に何ができるというのだろうか。下根子桜にいることのできる時間は殆どないことは自明だから、そもそも「一日に三回も遠いところをやってきたり」すること自体の意味がない。
 またかりに「一日に二回」であったとしても、その遠いところ(すなわち鍋倉)から下根子桜の賢治の許にやってきて露はどれでけの時間滞在ができて、一体何がどれほどできたというのだろうか。この場合でさえも、下根子桜にいることができる時間はそれほどない。電車の待ち時間があるだろうから往き来する時間だけでもざっと見積もって約10時間位はかかったであろうからである。
 また注意深く読むと、「一日に二回も三回も遠いところをやってきたりするようになった」ということの意味は、
 「一日に二回やって来た」こと、「一日に三回やって来た」ことがそれぞれ少なくとも一回ずつはあったという意味
だから、時間的な制約を考えればこの「一日に二回も三回も遠いところをやってきたりするようになった」という事実はほぼ現実にはあり得なかった、つまりMの虚構である可能性が極めて高いとならざるを得なかろう。なぜならば、先に示したように「一日に三回やって来た」ということは現実にはほぼあり得ないことがわかったから、それを含む「一日に二回も三回も遠いところをやってきたりするようになった」ことも現実にはほぼあり得ないことが導かれるからである。
 だから、せいぜい、露が週末や長期の夏休みや冬休みに生家に戻っていた際にであれば、「一日に二回も三回もやってきた」ことはあり得たかもしれないが、それでは「遠いところをやってきた」ということにはならない。露の生家と下根子桜の別宅との間は約1㎞、すぐ近くと言っていい距離だからである。

現時点での結論
 したがって、露が「一日に二回も三回も遠いところをやってきたりするようになった」という「昭和六年七月七日の日記」における記述はこれまたかなり怪しいものであると判断せざるを得ない。その信憑性はきわめて危ういものであると結論するしかない。
 また、「彼女の思慕と恋情とは焔のように燃えつのつて」いったかどうかは普通当事者間でしかわからないことであり、Mはどのようにしてこのことを知ったのだろうか。露が賢治の許に「一日に二回も三回も遠いところをやってきたりするようになった」が事実を語っていないものである蓋然性が頗る高いということを知った今、先に引用した文全体
 彼女の思慕と恋情とは焔のように燃えつのつて、そのため彼女はつい朝早く賢治がまだ起床しない時間に訪ねてきたり、一日に二回も三回も遠いところをやつてきたりするようになつた。
が実は単なる虚構であったということをもはや否定し切れない。

********************************************************************************
<*1:投稿者註>
 1時間におよそ1本の列車だから、大雑把に見積もって待ち時間の平均値は1時間×0.5=30分、したがって往復で30分×2=1時間と見積もれる。
 したがって、待ち時間も考慮した場合の所要時間は
   一日に二回も遠いところをやってきたりするようになったとすれば、約 8+2=10時間は、
   一日に三回も遠いところをやってきたりするようになったとすれば、約 12+3=15時間は
かかることになる。

 続きへ
前へ 

『聖女の如き高瀬露』の目次”に戻る。

みちのくの山野草”のトップに戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寶閑小学校時代の露は下宿し... | トップ | 4128 オルガンのあった階 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

濡れ衣を着せられた高瀬露」カテゴリの最新記事