世界雑感☆新しい世界は日本から始まる☆

世界の激動を感じつつ、日本経済への応援メッセージを徒然に綴るページです。
ご訪問ありがとうございます。

【ノーベル経済学賞は廃止すべき!?】祝・ノーベル賞W受賞で唯一、経済学のトホホぶり⑦

2015-10-27 00:04:28 | 世界共通

(前回からの続き)

 本稿の最後に、「ノーベル経済学賞」に関する私見を綴ってみたいと思います。

 さて、ノーベル賞受賞者の該当基準は、人類のために最大級の貢献をした人、となっています。たしかに今年の日本人お二人を含む自然科学分野(物理学、化学、医学・生理学)の歴代の受賞者は同基準にふさわしい偉大な功績を上げられた方々ばかりだと思います。

 しかし・・・経済学に限っては・・・あくまで個人的な見解ですが、上記基準―――人類への貢献―――に当てはめるのは無理があるように感じます。というのもそれは、万人に利益をもたらすものとはいえないから。つまり、本稿冒頭にご紹介した大村智先生が開発に携わった感染症の特効薬はこれに罹ったすべての人々を救いますが、経済理論は、たとえどれほど素晴らしいものであっても、それが適用可能なのは貨幣制度を導入している社会、それもほとんどの場合、国際通貨ハードカレンシー)を使用している国・地域に限定されるというようなことです(たとえば、北朝鮮みたいな国がノーベル経済学賞の受賞理論に忠実にしたがった経済政策[財政 and/or 金融政策]を実行したところで、単純にハイパーインフレが起こるだけでしょう・・・)。

 それに・・・科学技術や芸術等と違って経済理論はしょせん、過渡的なものに過ぎない―――人類がもう一段、スピリチュアルに進化し、戦争や貧困といった惑星地球の諸悪の根本原因たる「貨幣」無き世界を創造すれば、マネーを前提とした経済学そのものも不要となる―――わけで・・・。これらのへんが「人類への貢献」という基準にフィットしていないのではないか・・・

 さらにいえば、経済学賞を受賞した経済学者の理論が、意図されたものかどうかは別として結果的にノーベル賞の理念とは正反対の方向に、つまり人々の多くを「経済的」苦境に追い込むことに「貢献」してしまうことが(とりわけ最近は)多過ぎるということにも違和感を覚えるところ。

 たとえば、M・フリードマン氏(1976年受賞;ケインジアン的財政政策を批判する一方で市場の自由放任主義を唱える、等)の考え方は、レーガノミクスに代表される1980年代以降の新自由主義の理論的支柱となり、株主・投資家への利益集中と労働分配率の引き下げ等に正当性を与えることで米国民間における貧富差増大の端緒となりました。そしてP・グルーグマン氏(2008年受賞)が有効性を訴えるインフレ・ターゲット政策は、資産家層をリスク資産投資で潤わせる一方、わずかな現金・預貯金に頼る大半の人々の資産価値をインフレで劣化させることで、これまた格差を拡大する方向に作用しています(その典型が、「アベノミクス」日本です・・・?)。

 このあたりでもうひとつ指摘できるのは、1998年に起こったロシア経済危機のあおりで破綻したLTCM(Long-Term Capital Management)でしょう。これは、ノーベル経済学賞受賞者2人のロジックを実践するために作られたヘッジファンド(ようするに金もうけを目的とするファンド)で、理屈上はつぶれるはずがないはずだったのに実際には派手にコケてしまったという、何ともトホホな顛末をたどったものです・・・。

 これら多くの事例を振り返ってみて分かることは、ノーベル経済学賞の受賞理論(の多く)は、他のノーベル賞の理念「世のため人のため」とは真逆の、これまた先述の日本経済学と同様(?)の「カネのため自分のため」の方便(?)であること。受賞者ご本人にはその気はなかったのかもしれないけれど、これらの考え方が結局はそんな「利己」主義に一部の人々を導いたことは否定できないでしょう。これは、ノーベル賞の精神、そして経済学賞以外の同賞受賞者の「利他」のに背くもの・・・

 以上をふまえた個人的な提言を記して本稿を終わりにしたいと思います―――「ノーベル経済学賞は廃止するべきである」。

(「祝・ノーベル賞W受賞で唯一、経済学のトホホぶり」おわり)

金融・投資(全般) ブログランキングへ


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【金を持つことで分かる真の... | トップ | 【中国製原発に頼るトホホな... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2015-11-02 21:02:21
私も 、昔そう思いました。
いつもブログを拝見させていただいております。
返信する
Unknown (コメントありがとうございます)
2015-11-05 21:36:23
 コメントありがとうございます。本稿では、わが国各界のノーベル賞クラスの功績に照らした経済学に対する個人的な「?」の思いを綴りましたが、同経済学賞に代表される米英系の主流派経済学に対しては「???」の印象を持っています。彼らのお膝元で生活する、ふつうの米英人の経済状況をみれば分かるように、これらこそもはや経世済民の学問とはいえませんからね。

 さらにいうと、私的な感覚ですが、米英経済学はいまだに自分たちが一番エライ、つまりドル(あるいはポンド)こそがNo.1だ!という思い上がり(?)の気持ちがあるように思えてなりません。これが結局、米英両国が日本はもちろんのこと、日本を学んだ(パクった?)中国や韓国にすら追い上げらるほどに落ちぶれる遠因となったと思っています。

 真の経済力とは本来、モノやサービスを創造する力のことで、通貨はあくまでそれらの交換券に過ぎないと考えています。たしかに太古の昔(?)、米英両国にはそんな力がありました。だからドルにもポンドにも米英製品の交換券としての魅力がありました。でもいまは・・・。にもかかわらず両国ともすでに付加価値の裏付けをなくした交換券(ドル、ポンド等)ばかりをひたすら吐き出し続けています。であれば近い将来、それらの大幅な減価は避けがたいでしょう。

 そのとき米英経済学は、自分たちが交換券を弄んでいただけで、本当の意味での経済力を喪失していたことにようやく気づき、少しは謙虚になることでしょう(?)。そして、人類への偉大な貢献だ、なんてこれらを称賛してきたノーベル経済学賞の権威も失墜へ・・・
そんなことでやはり、ノーベル経済学賞は廃止すべき、いやむしろ自然になくそうという方向になるのではないか、なんて気がする次第です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

世界共通」カテゴリの最新記事