スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

続・谷津の雑感④&哲学と物理学

2024-03-11 19:10:22 | NOAH
 で示したように谷津は自分は全日本プロレスの方が合っているのではないかと感じたと証言していますが,それは言外に,ハル・薗田とのコンビでアメリカで仕事を続けていきたかったというニュアンスがあるように僕には感じられます。しかしそのタイミングで坂口から電話があり,日本に呼び戻されました。坂口はアングルができたと谷津に伝えたそうですが,このアングルというのは新日本プロレスの中での仕事場という意味かと思われます。
 この仕事場というのは藤波に反旗を翻した長州力のチームに入るということでした。これは谷津の意志ではなく,単に長州も谷津もアマレス出身だったということでチームにさせられたということであり,このときに自分のプロレスラーとしての人生がひん曲がってしまったと表現しています。谷津はテキサスでは田吾作タイツに髭を生やしたヒールだったのですが,坂口からの電話が急だったので,そのままのスタイルで仕事をすることになりました。本当は正統派として凱旋する筈だったのに,アウトローになってしまったことで,その後のプロレースラー人生への影響も大きかったのでしょう。
 この帰国の前に,谷津は全日本プロレスの主力選手たちとも会っています。カンサスシティーでの試合に日本テレビのカメラが入ることになり,馬場やジャンボ・鶴田,おそらく天龍源一郎なども渡米していて,そこには三沢光晴もいたと谷津は言っています。全日本プロレスの選手たちはいいホテルに宿泊していて,谷津は馬場に誘われて,そのときは鶴田の部屋に同宿させてもらい,時間を忘れるくらいプロレスとは何かという話をしたそうです。この時点ではザ・グレート・カブキが日本で仕事をしていて,たぶん馬場はカブキから谷津のことを聞いていたのだと思います。馬場と谷津はこのときが初対面で,海外で気前が良くなっている馬場は,谷津に服をはじめいろいろなものを買ってプレゼントしたそうです。全日本プロレスのオーナーが新日本プロレスの所属の選手,それも破格の条件で入団した将来のエース候補にそういうことをするのは僕には意外だったのですが,海外ではこういうことはよくあることだったのかもしれません。

 このことから分かるように,空虚vacuumが存在しないということに関してスピノザがデカルトRené Descartesからの影響を受けていたとしても,それは物理学に関して影響を受けたと断定できるものではありません。なのでこの影響が物理学的なものであったのかそれとも哲学的であったのかということを推定するためには,空虚が存在しないということについて,デカルトが物理学的な意味でそういったのかそれとも哲学的な意味でいったのかを考えなければなりませんし,そもそもデカルトが物理学と哲学の関係をどのようなものとして解していたのかということも考えなければなりません。デカルトが物理学と哲学は無関係の独立した学問であると解していた場合と,両者の間には何らかの関係があったと解していた場合とでは,自ずからこの問いに対する答えも変じてくるからです。
 さらにいうと,ここではスピノザのデカルトからの影響を検討しているわけですから,デカルトがそこのところをどう考えていたかということと同時に,スピノザがそれをどう理解したかということも考えなければなりません。たとえばデカルトが純粋に物理学的な意味でいったことを,スピノザは哲学的な意味で解したという場合もあり得るからです。ここではこれらすべてのことを考えていくことはできませんので,主にスピノザが空虚の不存在についてデカルトから何らかの影響を受けていたと仮定して,それをどのような意味で解していたのかということに焦点を当てていきます。
                                        
 考察の最初の方で紹介しておいたように,空虚すなわち真空vacuumが存在しないということは,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第二部定理三で示されています。第二部は延長Extensioに関する議論ではありますが,それが哲学の原理であることに相違はありません。なのでスピノザはこの点に関しては哲学の一部として理解していたのであって,物理学として解していた,少なくとも哲学とは無関係な純粋な物理学としてのみ解していたという可能性はきわめて低いように僕には思えます。そしてデカルト自身がこのことを『哲学原理Principia philosophiae』の中で示しているわけですから,この点はデカルトもそのように解していたであろうと推測することができます。
コメント
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