スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

利子&別の問題

2024-03-23 19:20:59 | 歌・小説
 『夏目漱石『心』を読み直す』の中で,先生が下宿部屋にKを同居させる際の,先生の経済的事情が語られています。
                                       
 先生は叔父に相続した財産を騙し取られました。とはいえ先生は,自身が受け取ることができた財産の利子のみによって生活していくことができたのです。騙し取られてなおそれだけのものが先生に残されていたわけですから,これは先生の父がいかに財産家であったのかということを示すエピソードであって,このことは僕も理解していました。この当時はイギリスではこうした利子生活者というのが少なからず存在していたようで,イギリスに留学していた漱石はそのことを知っていました。だから『こころ』にも利子だけで生活する先生を登場させることができたのでしょう。
 僕が読みそこなっていたのは,先生は利子だけで生活することができたのですが,必ずしもその利子のすべてを使って生活していたわけではないということです。先生は洋書とか着物といった,日常生活には必ずしも必要でなかったものも購入していたのですが,それでも利子のすべてを使っていたわけではなく,利子の一部でそうした暮らしを送っていたのです。先生は利子の半分で生活していたと遺書の中でいっています。したがって残りの半額の利子はすべて預金の方に回り,預金額はさらに増大していくのですから,先生が生活していくための利子というのは,先生が生活していけばいくほど増えていったことになります。
 このゆえに先生は,Kの下宿代を自身で負担しても,預金の元金を減らさずに暮らしていくことができる余裕があったということになります。たぶんそれがなければ,いくらKが経済的に困窮していたとしても,Kを同居させるだけの決断はできなかったと思われます。むしろ先生は,使いきれずにいる利子の使い道を考えていたのかもしれず,そうなるとKを同居させるというのは渡りに船であったのかもしれません。
 利子の半分だけで生活していたということは,受け取る利子の額がさらに増額されていくということを意味します。このことを僕は見落としていました。

 ここでは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』が未完に終わった理由を探求しようとしているわけではありません。僕はドゥルーズの見解には賛同しませんが,このことについては繰り返して探求はせずに,先に進めます。
 『エチカ』では,知性intellectusの道具instrumentumとしての真理veritasに関する無限遡行は解消されています。所与のものとして現実的に存在する人間には共通概念notiones communesという真理があるということになっているからです。ただし,このことはこのことで別の問題を発生させます。僕たちのうちに所与のものとしての真理があるのだとしても,それが僕たちにとって真理として知られるのがなぜかということは,このことのうちに含まれていません。とくにスピノザの哲学の場合,現実的に存在する人間は必然的にnecessario諸々の事物を表象するimaginariことになっています。これは第二部自然学②要請三および第二部定理一七から明白であるといえます。つまり現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちには,共通概念と諸々の表象像imaginesとが必ず存在しているのです。このとき,共通概念は十全に認識される思惟の様態cogitandi modiなので真理なのですが,表象像というのは混乱した観念idea inadaequataですから真理ではなく虚偽falsitasです。したがって,たとえ共通概念が所与のものとして僕たちの精神のうちにあるのだとしても,表象像もあるのですから,それらを選別して前者を真理,後者を虚偽として認識するcognoscereことができるのでなければ,単に所与のものとして僕たちの知性のうちに真理があるというだけにすぎず,僕たちはその真理を道具として用いることはできないでしょう。よって,真理にはそれを真理として教えるようなしるしsignumないしは標識が必要なのであって,それにより僕たちはそれを真理と認識し,真理であると知ることができるがゆえにそれを道具として用いることができるようになるのです。つまり,無限遡行の問題が解消されても,真理の標識ないしは真理のしるしという新しい問題が発生してくるのです。
 『知性改善論』では,無限遡行の問題が解消されていないので,それを解消する方法として真理のしるしが探求されるという順序になっています。ただ,無限遡行の問題をスピノザは軽視していましたので,その解釈でいいのかは微妙です。
コメント
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