スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑲-7&自伝的要素

2024-03-13 18:49:40 | ポカと妙手etc
 ⑲-6で示したように,⑲-5の第2図の☖4九飛に☗5九桂と合駒をすると先手玉が詰んでしまいます。なのでこの王手に対する正しい応接は☗6八玉と逃げる手です。
                                        
 これに対して後手は☖7九銀☗5七玉☖4七歩成と後手玉を追っていきます。
 ここで☗同金と取ると☖5九飛成として,これはさほど難しい手を必要とせずに先手玉が詰みます。なので先手は☗5六玉と逃げる一手。
 後手はさらに☖4五銀打☗6五玉☖5四銀引の順で先手玉に王手を掛け続けます。先手は☗6六玉。
                                        
 第2図まで,後手は最善の手順で先手玉を追いましたが,ここまで進めば分かるように先手玉に詰みはありません。なので先手の勝ちのように思えるのですが,そうではなく,第2図は後手の勝ちなのです。

 僕はボエティウスAnicius Manlius Torquatus Severinus Boethiusのことは知りませんでしたから分からない部分はあります。しかしトマス・アクィナスThomas Aquinasが偶然というのについて,何も連絡関係がない複数の因果関係の系列が出会うときに発生するというとき,ある因果関係と別の因果関係の間に空虚vacuumがあるとみなしたかどうかすら僕には疑問ですし,そうみなしていたとしてもその空虚を物理学的な意味で解していたということはあり得ないと思います。ですから,ここで國分がなしている説明自体から,空虚を物理学的な意味で,そして偶然あるいは必然を哲学的な意味で,それぞれを分けて考える必要はないといえるのではないでしょうか。
 この部分の考察はこれで終わりとします。
 『スピノザー読む人の肖像』の第二章で次のようなことがいわれています。これは考察の対象というのとは違うのですが,興味深い指摘であったので,ここで紹介しておきます。
 デカルトRené Descartesは『方法序説Discours de la méthode』で自身の方法論を著したのですが,この本には自伝的な要素が含まれています。これはすでに説明したように,正しい事柄を発見するためにとりあえずあらゆる事柄を疑ってみるというのは,単に方法論としてそのようにいわれているわけではなく,実際にデカルトがそのようになしたことなのですから,『方法序説』に自伝的な要素が含まれているということは明白でしょう。
 スピノザの『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』というのは,この点で『方法序説』と酷似しています。『知性改善論』は未完のまま終わってしまったのですが,そこでスピノザが示そうとしたことは方法論であったということは明白ですし,その中には自伝的な要素もまた含まれているからです。さらにその内容として,真理veritasを探究するという決意decretumをデカルトもスピノザも語っています。さらにそのために日常生活を疎かにしないため,日常的な当面の規則を打ち立てているところも共通しています。もっともこの二点が共通しているというのは,スピノザが『方法序説』を読んでいたからであって,スピノザがデカルトに倣ったからでしょう。他面からいえば,『知性改善論』を書き始めた頃のスピノザは,それだけデカルトから大きな影響を受けていたいえるかもしれません。
コメント
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