スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典桜花賞&方法論としるし

2024-03-27 18:59:00 | 地方競馬
 第70回桜花賞
 発馬でノースビクトリーは外によれてしまいました。1周目の正面はミチノアンジュとミモフレイバーとモノノフブラックが併走していましたが,コーナーワークでミチノアンジュが単独の先頭に立ち,ミモフレイバーとモノノフブラックは2番手の併走に。2馬身ほど開いてプリンセスアリーとミスカッレーラとパペッティア。4馬身差でファーマティアーズとシトラルテミニとトレイルリッジ。7馬身差でクロスレイジングとノースビクトリーで4馬身差の最後尾にアニモ。ハイペースでした。
 ミチノアンジュが先頭のまま3コーナーを回り,外からパペッティアが追い上げてきました。内を回ったのがプリンセスアリーで,直線はミチノアンジュとパペッティアの間に。4番手のミスカッレーラはこの時点で差があり,前の3頭で優勝争い。真中から抜けたプリンセスアリーが優勝。外のパペッティアが1馬身差の2着で,逃げたミチノアンジュが4分の3馬身差で3着。
 優勝したプリンセスアリーは南関東重賞初制覇。昨年10月にデビューした後,1月までに4戦して3勝。ただ前走のユングフラウ賞は離された4着でしたので,勝つまでは厳しいのではないかとみていました。ただそれは出遅れが響いたもので,普通にレースができていればもっと走れていたということだったのでしょう。ミスカッレーラが久々で力を出せなかったとするなら,力のある馬が上にきていますので,これくらいの能力はあるということだと思います。父はキズナ。母の父はスズカフェニックス。祖母の父はクロフネ。母の3つ下の半弟に昨年のマーチステークスを勝ったハヤブサナンデクン。3代母は2002年にフェアリーステークスを勝ったホワイトカーニバル
 騎乗した船橋の森泰斗騎手ネクストスター東日本以来の南関東重賞58勝目。第67回以来となる3年ぶりの桜花賞2勝目。管理している浦和の岡田一男調教師は南関東重賞4勝目。桜花賞は初勝利。

 ある知性intellectusのうちに真理veritasが存在しないのであれば,その知性は真理を獲得するのに前もって真理を獲得する方法methodusを知ることはできないということについては,これまでにも何度か説明してきました。なのでこのことについてはここではこれ以上は繰り返しません。つまりスピノザにとっての真理を獲得する方法というのは,真理を獲得するとともに得られるものなのですから,これは事実上は,真理を獲得する方法に関する方法論に関しては,スピノザは放棄しているということになります。
                                        
 このことが,真理のしるしsignumとは何であるのかということにも同様に成立しているのです。なぜなら,スピノザの哲学では真理のしるしというのは真の観念idea veraそのもののことなのですから,これは事実上は真理のしるしは存在しないといっているの同じことなのです。このことは,たとえばデカルトRené Descartesの哲学で,真理のしるしは明晰判明であることであるとされていることと比較すればよく分かるでしょう。明晰判明であるということは,観念について何らかの性質を意味します。したがって,たとえば僕たちが何らかの観念を形成したときに,その観念が僕たちの知性のうちで明晰判明であるならば,それは真理のしるしなのですから,僕たちはその観念が真の観念であるということを知ることができます。逆に,何らかの観念を形成したとしても,それが明晰判明でないとすれば,それは真理のしるしを有していない観念であるということになりますから,僕たちはそれが真の観念ではないということ,あるいは同じことですがそれが誤った観念idea falsaであるということを知ることができるのです。ところがスピノザがいうには,真理のしるしは真の観念そのものなのですから,それは真の観念の性質を意味するわけではありません。したがって,僕たちは真の観念を有すれば,とくにほかに何も必要とせずにそれが真の観念であると知ることができます。一方,誤った観念を有したという場合には,それが真の観念であるということを知ることができません。ただしこの場合はそう知ることができないということだけを意味しますので,それを誤った観念であると知ることができるというわけでもありません。
コメント
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