INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

趣に赴く(41)

2011年03月02日 |    ┣ ひっそりと趣に赴く
(つづき)
福岡県粕屋町の「丸山」バス停。

後ろに写る丸みを帯びた稜線の山が“丸山”である。

ここは「74番」(上脇田~黒の前~丸山~大川農協前~坪見~津屋本町箱崎駅西口巴町吉塚駅前~妙見~千代町呉服町蔵本天神)のルートとなっていて、途中で都市高速道路を経由する「74C」も都心向けに平日朝1本だけ運行されている。

「74番」には「大川線」という路線名が付いており、粕屋町のサイトによれば、「大川線」の運行開始は昭和32年か33年らしい。
この路線の誕生から現在に至るまで、おそらくほとんどルートは変わっていないのではないだろうか(末端部分猪野東鉄工団地などに変化はあるものの、天神~妙見~坪見~脇田間の「幹」の部分は、少なくとも私が物心ついて以降変わっていないと思う)。

大川とは、当然、家具のだめで有名な大川市ではなく、粕屋町の中の地区名である。
現在、町名としての「大川」は存在しないが、大川農協前バス停、大川小学校、大川橋などに「大川」の名が使われている。
ちなみに、RKBの前身である「ラジオ九州」の開局当時の送信所も大川付近(JR香椎線「伊賀」駅の近く)にあったらしい。
粕屋町はもともと大川村と仲原村が合併してできた町であり、発足当時の役場は大川にあったとのことなので、大川地区は、「福岡市のベッドタウン化の波とは関係なく、以前から人が集まっていた場所」だったのだろう。

「74番 大川線」のうち、「丸山」や「大川農協前」を含む末端部分、上脇田~坪見間は廃止候補となっている。
以前の記事で、この路線について“個人的に「74番」はとても好きな路線ではあるのだが、周辺の交通環境の整備や商業施設の新設など、時代の変化についていこうとせず、取り残されている感があるのは否めず、それが需要と合わずに「廃止候補」となっているのではないかという気がする”と書いたことがあった。
でも、「大川線」開設当時は全然そんなことはなく、ちゃんと時代にマッチしていたということだと思う。

22番2番 こもの線」なども、「福岡市のベッドタウン化の波とは関係なく、以前から人が集まっていた場所」を結んでいた路線といえそうだが、こちらは二年前の春に既に消滅してしまっている。
「時代の流れ」だといってしまえばそれまでなのだが、個人的なバス路線に対する「趣」という観点だけで言えば、「74番」には一日でも長く生き延びてほしいなぁ…と思う。 
(つづく)

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2 コメント

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大川線 (ちくしの疾風)
2011-03-04 17:50:16
隣の江辻は丸山からはかなり距離はありますがJRバスにも同じ名前のバス停があり全く違う場所にありますし物流センターと長戸の間で交差しているためなかなか310番からの乗り換えを考えていないような感じがします。。しかし黒の前は門松から近く脇田も粕谷警察署から近いため丸山は微妙な位置にあると思います。
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Unknown (soramame)
2011-03-07 18:49:03
ちくしの疾風さん、こんにちは。

74番のルートの周辺には、他の代替手段が結構あるとはいいながら、たしかにバス停によって当然差はありますよね。
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