白雲去来

蜷川正大の日々是口実

柴又の川甚。

2019-02-18 18:09:27 | 日記
二月十三日(水)晴れ。

朝は、六時半に起きて朝食。昆布を贅沢に使ってダシを取り、キャベツを具に味噌汁。アジの干物に、納豆。昼は、上の子供と、久しぶりに、インドカレーの「モハン」へ。夜は、お世話になっている方たちと、西新宿のオペラシティヘーにて食事。

四月に、私の好きな柴又の「川甚」にて、仲の良い人たちと一献会を予定している。川甚は、「寅さん」の映画のなかで、さくらと博が結婚披露宴を行った場所として知られており、創業二二〇年の老舗である。また数々の文豪にも愛され、小説の中にも登場する。以下は、川甚のホーム頁より。

夏目漱石『彼岸過迄』より。「敬太郎は久し振りに晴々とした良い気分になって水だの岡だの帆かけ舟などを見廻した。......二人は柴又の帝釈天の傍まで来て「川甚」という家に這入って飯を食った」。

尾崎士郎『人生劇場』より。道が二つに分かれて左手の坂道が川魚料理「柳水亭」(これは後の「川甚」)の門へ続く曲がり角までくると吹岡は立ちどまった」。

谷崎 潤一郎『羹』より。「巾広い江戸川の水が帯のように悠々と流れて薄や芦や生茂った汀に「川甚」と記した白地の旗がぱたぱた鳴って翻っている」。

松本清張『風の視線』より。「車はいまだにひなびているこの土地ではちょっと珍しいしゃれた玄関の前庭にはいった。 「川甚」という料亭だった」。

まだ母が元気なころに、帝釈天の参道を歩き、その後、川甚にて「うなぎ」を食したことがある。獅子文六の『食味歳時記』(中公文庫)の中に、柴又名物の「草団子」に触れて書いた部分があるので紹介してみたい。

「帝釈天のある柴又は、昔から、草餅の団子が名物だが、この間、土地の人が、土産に持ってきてくれたのを見ると、緑青でも吹いてるように、青かった。一見して、人工染料で、色づけがしてある。柴又は江戸川に近く、昔はその堤に、ヨモギなぞが、沢山、生えてたのだろう。それで、草団子が、名物になったのだろう。もっとも、そんな草の生えるのは、春先きで、あの団子は、年中売ってた。それでも、自然の青い色を、呈してたのは、ヨモギを乾燥するとか、塩蔵するとか、何か、保存の策を、知ってたのだろう。しかし、そんな手間は、面倒だがら、人工染料を、用いるのだろう。その代り、草の香りもないし、第一食物とは思えない、不快な青さである」。

今では、保存方法も進化して、獅子文六先生が心配するほどではないだろうが、柴又に行くと、「寅さん」に敬意を表して、必ず買って帰る。

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