白雲去来

蜷川正大の日々是口実

漱石と紀元節。

2019-02-12 13:22:43 | 日記
二月十一日(月)晴れ。建国記念の日・紀元節。

今日は皇紀二六七九年の紀元節。神武天皇肇国の昔を偲び、日の丸を掲げ、橿原神宮を遥拝。ご皇室の弥栄と天皇、皇后両陛下のご健勝を心からご祈念申し上げます。この日を何の根拠もない、という人がいる。約三千年前の出来事に根拠がある、ない、などと言うのは不毛である。長い歴史のある国は、何処でも「神話」に基づいた麗しい文化がある。私は、それを誇らしいと思う者の一人である。

全国各地で、民族派の人たちが奉祝の式典を開催している。一日も早く、政府主催の紀元節奉祝の式典を、両陛下ご臨席の下で開催して頂きたいと思っている。

以前から気になっていたのだが、夏目漱石の『永日小品』の中に「紀元節」という作品がある。漱石が小学生の頃に、先生が黒板に「記元節」と書いたのを、先生がいなくなった時に、漱石が、「記」の横に「紀」と書き直したことを述懐したものだが・・・。引用してみる。

「南向きの部屋であった。明かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃えて、塗板(ぬりばん)を眺めていると、廊下から先生が這入って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触わる着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。すると、後ろから三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓(テーブル)の傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と肉太に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。『誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ』と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。」

我が家にある辞書のどれを見ても「記元節」と書かれたものは無く、「記と書いても好いんですよ」。という解説を探せなかった。ご存知の方がいましたならばご教示願いたい。

夜は、社友からご恵送頂いた「シャモロツク鍋」を囲んだ。青森の特産地鶏とのことだが、いつも食べている鶏肉は何だろうか・・・と思わせるほど美味しかった。寒いので「黒霧島」をお湯割りでお供とした。

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