白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野村先生の生き様が演じられる。

2013-11-30 23:40:55 | インポート

十一月二十九日(金)晴れ。

事務所にて、機関誌の編集作業。最近は便利になって、印刷された原稿ならば、スキャナーで取り込んでからOCRで変換する。まあ印刷物によっては「文字化け」するが、手で入力するよりも数段早い。しかし、いつも野村秋介の「介」が「分」になってしまうので校正には気を遣う。

夜は、久しぶりに小針政人君と彼のGFと一緒に「やまと」で待ち合わせ。私に代わって「大吼」の編集を行っているそうだが、苦労は察して余りある。是非とも彼の個性を発揮して良いものを作ってほしいものだ。「やまと」にカメちゃん参戦。しばらく飲んでから「一休」寿司に転戦。ぐだぐだになる前に帰宅。

野村先生のファンである役者の本多菊雄さんが十二月の二十八日から三日間、キッド・アイラック・アート・という劇場にて「本多菊雄独り芝居ー野村秋介の生涯ー流るる雲の如く、駆け抜ける阿修羅のごとく」を演じます。ご興味のある方は是非足を運んで下さい。

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機関誌の発行が遅れています。

2013-11-30 21:50:27 | インポート

十一月二十八日(木)曇り。

昨日は、三の酉だったが、あまりにも寒いので断念して酔狂亭で愚妻を相手に「黒霧島」で焼き鳥を肴に家飲み。久しぶりに松原商店街を冷かしたが、これと言って食欲のそそるようなものはなく、八百屋で白菜の漬物を買っただけで帰宅。

群青忌の準備や、終わってからの後始末、さらに私の出版記念会の準備などに忙殺され、機関誌の発行が大幅に遅れている。今日から、ガァーッと編集作業に専念した。頑張って来週には発送しますので、もう少しのご猶予をお願い致します。

第一九九号の特集は、野村先生の追悼二十年特集の第三弾。自決時に各界の方々が先生の自決事件について書いた物を掲載する。作家の与那原恵さんや大東塾関係では神谷二郎先生に緒方守、菊池英持の諸氏。そしてかつて「現代の眼」の編集長で、その後、「新雑誌X」を発行していた丸山実氏らの原稿である。皆さんそれぞれに自決事件の感慨と感想を述べているが、特に丸山実氏の原稿は野村先生と新右翼運動史には貴重な資料となる証言である。鋭意製作中ですので、乞ご期待。

No0199※「燃えよ祖国」の199号です。鋭意製作中です。ご迷惑をお掛けいたしますが宜しくお願い致します。

 


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カツオを発見。即、確保。

2013-11-28 13:54:41 | インポート

十一月二十七日(水)晴れ。

風が強く、寒い一日だった。暑いのは好きだが、寒いのは苦手だ。戯れに愚妻に、「景気も悪いし、青森のお前の実家の近くに家を建てて住もうか。今は、パソコンもあるし、仕事にはさほど困らないだろう」。と言えば、「何言ってんの。あんたは、いつも夏の一番いい季節の時しか行かないからそんなことを言うけど、冬に行ったら三日で横浜に帰ろうと言いだすよ」。といつも馬鹿にされる。

夏場だってほとんど人もいないのに、冬の厳しい時期には、寂しがり屋の私は、人恋しくてたまらなくなるだろう。としみじみ思う。移住するならば暖かい所に限る。でも沖縄だったら、盟友の新垣和彦氏など友達が多いので、連日の酒で体が持たないだろうなぁー。そんなアホなことを考えながら、午前中は歯医者。終了後は、ランドマークにある書店を冷かしてから事務所へ。しばらく仕事をして帰宅。冷蔵庫に晩酌の肴がないので、最近できた「サミット」というスーパーに行ったら、何とこの時期にカツオがあった。まあ花札で言えば、「さんぞうか、しぞう」程度の物だが、この際仕方がない。「ニンニク西口、駅の前」などと鼻歌を歌いながら、ネギをたっぷり切って食べた。ふふふという感じだった。

愚妻には、牡蠣のむき身を買って、塩もみしてから牛乳で臭みをとってから、片栗粉を軽くふってニンニクで香りづけしてから牡蠣油で炒めた。いやー自分で言うのも何ですが、お金を取れますね。この美味しさは。トムクルーズの主演の「オブリビオン」をDVDで見たが、十分でやめた。レンタル屋には、最近、こういったSFドタバタ物が多いような気がする。録画しておいた「酒場放浪記」で口直し。


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一穂の青燈万古の心。

2013-11-28 13:35:02 | インポート

十一月二十六日(火)晴れ。

その昔に毎日つけていた「獄中日記」を年に幾度か読むことがある。別に意味があってのことではなく、自堕落な日々に自己嫌悪に陥った時などの戒めの為でもある。今日も久しぶりに当時の日記を読んでみた。平成元年の冬。冬になり農作業が出来なくなると、それまでの「切通し農場」から更に山奥の「住吉農場」という所に移動をさせられて樵(きこり)の真似事をさせられた。

初めて、この泊まり込みの施設に来た時には、少々驚いた。名前が「農場」ということもあって、その昔は、農作業も行っていたらしい。敷地内には、米を栽培していたであろう「陸稲」の跡があったり、畑らしいものもあった。倉庫には、馬が畑を耕すために使用した器具が残っており、そこには「馬耕班」の文字があった。炊事場の跡だろう煉瓦でつくられた竈やいかにも時代を感じさせるような小屋や道具が残っていて、いかにも「員数」にうるさい刑務所と言うものを実感させられた。

山に行けば、植林された松などには「明治何年」とか大正時代、戦前の目印が付いた物もあって、網走刑務所の歴史を物語っていた。私たち、農耕本隊の二十三名が生活する、一見山小屋のような建物は、一時代前の「土方の飯場」という形容がぴったりで、コの字型の部分が畳で、私たちの寝場所。真ん中はコンクリート敷きでストーブが三台。ストーブの周りには、洗濯物がある。寒さを防ぐために窓はすべて目張りをされているので、部屋の中で皆が動けば埃っぽいことこの上もなかった。

作業は、山の奥に入って、植林された木の間伐や枝払いに伐採。何が大変かと言えば、山に登って行くのに、腰までも積もった雪を、先頭の者がラッセル車のように道をつけて行くのである。そういう仕事は、私のような背の高い者がやらされ、三人並んで雪をかき分けて行く。後から来る者たちが、今度は雪を踏み道を確保する。どんなに寒くても作業場に着くまで、汗でびしょびしょとなる。まあ良い経験をしたと思っている。

休みの日など、本を読んで過ごすのだが、雪に囲まれた小屋の中で、実感していたのが幕末の儒学者の菅茶山の「冬夜書を読む」だった。

雪は山堂を擁して樹影深く  檐鈴(えんれい)動かず夜沈々  閑かに乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思えば  一穂の青燈(せいとう)万古の心

降り積もった雪は山中のわが家を取り囲み、こんもりと繁ったまわりの樹木の影は薄い。軒の風鈴は下がったままで動かず、夜はしんしんと更けていく。とりちらかした書物を静かにかたづけながら疑問の箇所を考えていると、昔の聖賢の心が燈火の青い焔に照らし出されてくる思いがする。

人間は、一篇の詩や句、あるいは歌で心が安らぎ、救われることがある。ということを実感した。夜は、酔狂亭で月下独酌。

 


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憂国忌懐古。

2013-11-28 11:14:10 | インポート

十一月二十五日(月)晴れ。憂国忌。

野村先生の獄中句集「銀河蒼茫」に、憂国忌風が鞭振る天に地に がある。いわゆる三島、森田両烈士の自決事件、「楯の会義挙」が起きたのは私が十九歳の時だった。この事件に触発されて、政治に興味を持ち、とりあえず三島由紀夫の本を手にした。しかし、それまで基礎的な教養と言うものとは全く無縁だった十九歳の私に読めたものと言えば「潮騒」と「蘭陵王」ぐらいのものだった。

私の勉強は、三島文学を読むことから始まったと言っても過言ではない。読書と言うものはマラソンのトレーニングと一緒で、素人がいきなり42・95キロを完走することなどできない。まずはジョギングから始めて、徐々に距離をのばして行く。自決事件の直後の報道で、二・二六事件との関連性について書かれたものがあり、その中で青年将校に思想的な影響を与えた本として、北一輝の「国体論及び純正社会主義」や「国家改造法案」が紹介されていた。

早速、みすず書房から出版されていたその本を購入して、ワクワクしながら頁を開いた時のショックを忘れることが出来ない。旧仮名遣いで書かれているその本の一頁どこか一行も読めないのだ。単なるマラソンファンの素人が、気負ってフルマラソンのスタート地点に立ったようなものだ。挫折しそうになったが、その時に、偶然に手にしたのが、小泉信三の「読書論」(岩波文庫)だった。恐らく、その本を読まなかったならば、「読書好き」にはならなかったと思っている。

そして、獄中時代、幸いに独房だったこともあって「一人一殺」ならぬ「一日一冊」の読書を心がけて、まず本を読む体力を養うことにした。休日が続く日などは、読みやすい本は、すぐに読了してしまうので、娑婆にいたならば決して手にすることのないような宗教書や左翼関係の本を、少しずつ読むようにした。ともかく「活字に飢える」という経験をしたことが自分の為になった。三島文学を「義務」として読んだが、失礼だが正直言って余り好みではない。どちらかと言えば高橋和己の方がいい。もう少し高橋和己も見直されて良いのではないかと思っている。これは団塊の世代の左翼の怠慢といったら失礼だろうか。

夜は、町内のジジババたちとの一献会を、家の近くのラーメン屋さんの「たつ屋」で。持ち込んだ「黒霧島」を中華料理で楽しんだ。


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