白雲去来

蜷川正大の日々是口実

長かった一月も終わる。

2019-02-01 13:53:50 | 日記
一月三十一日(木)雨後曇り。

貧乏性のせいか、色つやの良いイワシの目刺しを見ると、つい買ってしまう。柳カレイの干物も好きだが、あまり店先にないのが残念である。朝は、生ワカメの味噌汁、メザシ五匹、韓国ノリ。昼は、小さめのおにぎり二つ。夜は、ズンドウブチゲ、ローストチキン。お供は、思い切って「農林二号」の四合瓶を開けた。

今日で一月は終わり。何か一月はいつも長いような気がする。何だかんだと言っても、一月が終わるまでは、どうも正月気分が抜けない。逆に二月は「逃げる」といってあっという間に終わる。年寄りなのだから、本当はゆっくりの方が良いのだろうが、生活に余裕のない分、短く感じた方が、危機感が無くて良い。

二月もカレンダーは、予定を記した赤丸でびっしりである。忙しいことは良いことかもしれないが、経済状態が追い付かないのが残念である。事務所に行ったら書棚に出久根達郎さんの『本の気つけ薬』(河出書房新社)という本があった。読んだ証拠に、気になった部分の頁の隅が折れている。昔は、その部分をノートに書き写しをしたのだが、最近は楽を決め込みスキャナーで取り込んでいる。簡単で良いのだが、頭に残らない。だから読んだことも忘れていて、再読しようと思って自宅に持って来た。知識は燃料と一緒で、どんどん枯渇して行く。それを補うのに一番手っ取り早いのは読書であることは言うまでもない。読書もたまには酒の友となりうることもある。

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「十六の墓標は誰がために」。

2019-02-01 13:13:53 | 日記
一月三十日(水)曇り。

寒い朝だった。天気予報では、夜から雪になるとか。たまにの雪も良いが、あんまり積もると我が家はちょっと高台にあるので身動きが出来なくなる。事務所も、やはり高台にあるので、雪が解けるまで近づけない。青森や北海道の社友が聞いたら笑われそうだ。

先日、テレビで池上彰の「昭和の大事件SP-あさま山荘事件」という特番をやっていたがうっかり見逃してしまった。と言うことを社友のFBに書き込んだら札幌の梶浦直樹氏から録画したものを送って頂いた。当然ながら、その事件のことは良く覚えている。私も、機動隊の突入を、テレビに釘付けとなって見ていた。当時の私は、バリバリの反共右翼で、赤いものを見ると、消防車でも郵便ポストでもイラッとしたものだ。その後の、仲間のリンチ殺人などが次々と明らかになり、とんでもない連中がいるものと憤った。

その事件から十五年ほどが過ぎた時、テレビに出ていた植垣康博さんと同じ屋根の下で暮らすことになり、そこでの暮らしのアドバイスを頂いたり、野村先生らの「経団連事件」では、植垣さんと野村先生がすぐ近くの房にいて、窓越しに「通声」していたことなどを知った。復帰なされた野村先生と共に、永田洋子さんに面会に行ったのも植垣さんの紹介によるものだ。この時のことは、先生の遺著となった『さらば群青』の中の「十六の墓標は誰がために」に詳しい。

植垣さんが、長い務めを終えて帰ってきた折に、「群青忌」に顔を出された時はちょっと驚いた。この時には、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義さんも来て、なにやら同窓会のようになった。

録画を見ながら、そんなことを思い出していた。植垣さんのお店「バロン」には随分とご無沙汰をしている。岐阜の怪人、細川嘉彦先生に連れて行って頂いた「おでん横丁」にも行きたいし、皆を誘って静岡へ行こうと思った次第。

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