白雲去来

蜷川正大の日々是口実

帰宅後に東京へ。

2020-09-30 11:51:40 | 日記
9月18日(金)晴れ。

昨夜は、酔っ払って8時過ぎぐらいに寝てしまった(同部屋の大熊、中川の両氏談)ので六時に目が覚めた。カーテンを開けると、前は海、後ろはハトヤではなかった、サンライズの大漁苑。朝風呂に入る。海が目線で広がる。とても気持ちが良い。フロアには、戦後すぐの九十九里浜の漁師の人たちの写真があった。港のなかった当時は、漁船を砂浜に上げ、漁に出るときは、女性が中心となって船を海まで下したという。この人たちを「おっぺし」と呼んだと説明にあった。真冬のこの作業は、さぞかし大変なものであったに違いあるまい。戦後から、高度成長期をさえた浜のおかみさんたちに脱帽である。

朝食はバイキング。衛生面を考慮してか、マスクと備え付けの手袋で料理を取る。さすがに朝から飲んている人はいない。平澤、杉山の両横綱は昨日とうって変わって朝は、好々爺に戻っていた。九時半にホテルを出て大網の駅まで送って頂く。本宮さんから参加者に「はまぐり」のお土産を頂き恐縮する。

大網から千葉駅へ。横須賀線に乗り換えて保土ヶ谷着は正午だった。帰宅後に、着替えをして、夕方浅草行き。本に夢中になって、川崎で降りるのを忘れて、羽田方面に行ってしまった。慌てて乗り換えて約束の時間に少し遅れて浅草着。相撲の観戦を終えた、お世話になっている方たちと、私のリクエストで焼肉の名店「肉のすずき」へ。このお店は二度目だが、かなり美味しい。まあその分、一人一万円は必要だ。その後、本当に久しぶりに銀座へ。贅沢な夜だった。

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九十九里浜へ。

2020-09-30 11:08:48 | 日記
9月17日(木)晴れ。

今日は、私が役員の末席を汚している民族革新会議の山口申先生からのお誘いで九十九里浜にあるホテル「サンライズ九十九里浜」にて一泊の小旅行。九十九里浜と言えば、知識に乏しい私がすぐに思い浮かべるのは、その昔流行ったMi-Keという女性グループが歌った『 想い出の九十九里浜 』ぐらいしかない。

午前中に、JRにて横浜から東京へ。東京駅にて特急「わかしお7号」に乗り換えて「大網」という駅に行く。千葉に住んでいる人には申し訳ないが、伊豆方面に行く時は、大磯を過ぎると海岸線や、熱海の先の湯煙などが旅の風情を感じさせてくれるが、千葉方面へは単に都会の中を行くだけで、当然、途中の駅も無機質でしかない。まっ景色を楽しめない分、持って行った『令和の「論語と算盤」』(加地伸行著・産経セレクト)に没頭できた。

大網駅で旧知の同志、本宮裕行さんに迎えに来ていただき昼食をご馳走になる。お店は、「海食堂・九十九里倉庫」と言うお店。海鮮料理が主で、九十九里名物の「やきはまぐり」や「イワシ」、更に様々な新鮮な刺身を堪能した。昼間から三人で四合瓶二本が空になった。昼食後にホテルに送ってもらう。

東京から車で先着していた、山口申、平澤暁夫、杉山清一、犬塚博英の諸先生と中川明夫、大熊雄次の両氏に私の七名。この旅行は平澤先生の八十歳のお祝いを兼ねた慰労会でもある。ホテルの目の前は海で、文字通りのオーシャン・ビューで素晴らしい。入浴ののちに夕食。本宮さんの差し入れの「魔王」「村尾」を堪能した。会津の小鉄ではなかった、会津の杉山先生絶好調で、部屋に非難、いや戻った。※写真は、左から犬塚、平澤、山口、杉山の諸先生と、蜷川、中川、大熊の諸氏。ホテルの前で。

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「酒とバラの日々」を思い出す今日この頃。

2020-09-29 18:00:01 | 日記
9月16日(水)曇り。

私の住んでいるところは、菅 義偉さんの選挙区である。といっても私とは縁もゆかりもなく、チラッともお会いしたこともない。選挙になれば小選挙区制なので、ほかに大した候補もいないので、とりあえず菅さんに入れて来た。その菅さんが、本日、第99代の内閣総理大臣となった。岸田さんにもう少し存在感があったなら菅さんはなかったかもしれない。宿敵?石破さんに岸田さんでは勝てないと分かったので、菅さんに白羽の矢が立った。内外とも問題山積だが、日本丸を良い方向に進めてもらいたいものだ。

その昔、アルコールに溺れて行く夫婦の悲劇を描いた映画に『酒とバラの日々』と言うものがあった。私も部類の酒好きなので、その映画は反面教師として、思い出すことが多い。まあ私の場合は『酒とバカの日々』であるから始末が悪い。家にいるときは、なるべく酒量を減らそうと思ってはいるのだが、分かっちゃいるけど、やめられない。

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釣れますか などと文王 そばに寄り。

2020-09-29 17:36:26 | 日記
9月15日(火)晴れ。

昨日、ちよっと飲み過ぎたので、朝起きられずにいた。朝食は抜いて昼食は、サンマの干物、アオキの餃子、レトルトのカルビスープ。夜は、和歌山和牛のスキヤキ、ワカメとキュウリの酢の物。久しぶりに休肝日とした。

弊社札幌の梶浦直樹君が、連日、鮭釣りに悪戦苦闘しているらしい。鮭釣りはしたことがないが、一時、黒鯛釣りに凝っていた時期があった。どんなに眠くとも、釣りと言うと不思議に早起きが出来た。週のうちに四日は行っていたと思う。元来が凝り性なので、竿やリールも、値段を知ったら家族に石を投げられそうな物を揃えた。釣行しなくなったのは、釣り場がなくなったことにもよるが、朝早く起きて出かけるという体力がなくなったことが大きい。高価な釣り道具は物置に眠ったままだ。

その昔、殷の紂王の悪政と暴虐が、いよいよ募ってきたころ、周の西伯は徳を磨き、賢者として天下の人心を集めつつあった。西伯が渭水(いすい)のほとりに差しかかったところ、一人の白髪の老人が悠然と釣り糸を垂れているのに出逢った。澄んだ目、和(なご)やかな風貌、落ちついた物腰、見るからに賢者である。西伯が、進んで言葉を交わしてみると、案に違(たが)わぬ高徳有識の士と判った。西伯は言う。「私は、父の太公から、将来、必ず賢人が周にやって来る。その人のお蔭で周は興(おこ)るであろうと聞いていた。あなたこそ太公が久しく望んでいた人に違いない。」大いに喜んで自分の車に同乗させて帰った。

川柳に、「釣れますか などと文王 そばに寄り」。この故事から、釣り人を太公望と言うようになったとか。

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笑顔はタダなのに。

2020-09-28 11:57:30 | 日記
9月14日(月)曇り。

朝は、昨日スーパーで買った天ぷらを、天つゆと卵でとじた煮天丼、昨夜の少し残ったマグロの刺身、小チキンラーメン。昼は、おにぎり一個。夜は、友人、愚妻と待ち合わせて、関内の蕎麦屋で密なる一献会。

愚妻のリクエストで、関内駅近くのチェーン店の蕎麦屋に行った。十年ぶりくらいである。店に入って驚いたのは、かなり広いお店なのにお客は私たち三人だけ。コロナで通気性の悪い地下ということもあるのだろうか、六時前に入店して、帰るまで、ずーっと私たちだけだった。大変だろうなぁーと思って、せめても応援しようと思って、肴もなるべく沢山頼んだ。

しかし、残念なことに、一人しかいないスタッフが、とても暗い男で、こちらが気を使って笑顔で話しかけても、愛想の悪い、くらぁーい返事しか返ってこない。これには私たちも閉口した。客商売は笑顔が第一、まして笑顔はお金がかからん。イラっとしてくると、出てくるつまみも、値段以下に思えてきて(皆さん同意見)もう二度と来るものかと思った次第。口直しをしようかとも思ったが、また愛想の悪い店だったら、キレるかもしれないので、おとなしく帰りました。おい高〇屋、もう行かないぞ。

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