白雲去来

蜷川正大の日々是口実

アルキメデスの大戦を観た。

2019-08-31 18:04:15 | 日記
八月二十九日(木)曇り。

朝食は先日、お墓参りの帰りに買った「伊勢原の卵」で、卵かけご飯でささっと済ます。九時十分上映の「アルキメデスの大戦」を観るために慌てて家を出た。ネットで予約しようと席の空き具合を見たが、平日と言うこともあってガラガラの状態。みなとみらいにある「ブルク13」という映画館だが、生憎、みなとみらいでは、「アフリカ開発会議」が行われいるので、手前でくるまをパーキングに入れて、映画館に向かった。

「アルキメデスの大戦」は、文庫本で読んで、映画も是非見たいと思っていた。一言で言って、とても面白いものだった。戦艦大和の建造をめぐるさまざまな謀略を描いた三田紀房による同名マンガを、菅田将暉主演、「ALWAYS 三丁目の夕日」「永遠の0」の山崎貴監督のメガホンで実写映画化。日本と欧米の対立が激化する昭和8年、日本帝国海軍上層部は巨大戦艦・大和の建造計画に大きな期待を寄せていたが、海軍少将・山本五十六はその計画に待ったをかけた。山本は代替案を提案するも、上層部は世界に誇示する大きさを誇る大和の建造を支持していた。山本は大和の建造にかかる莫大な費用を算出し、大和建造計画の裏に隠された不正を暴くべく、天才数学者・櫂直を海軍に招き入れる。数学的能力、そして持ち前の度胸を活かし、大和の試算を行っていく櫂の前に帝国海軍の大きな壁が立ちはだかる。(公式サイトより)

巨大戦艦の大和と武蔵の存在は、戦時中は一般の国民には知らされてはいなかった。国民がその存在を知ったのは、終戦後のことである。「大艦巨砲主義」というと現在では、愚の骨頂のように言われているが、航空機が戦争の主力になる前までは、大艦巨砲主義と言うのは海軍を有する国の目標でもあり出来ることならば、何処の国も超ド級の戦艦を建造したかった。出来なかったのは、その国の経済事情や同盟国の顔色を窺うなどの理由による。なぜ大艦巨砲主義なのか・・・。それは簡単な理由で、敵の戦艦の射程外から撃てる大きな砲塔が必要だったからである。これをアウトレンジ戦法と言う。相手の大砲の弾が届かない距離から、撃てばこれほど安全なことはないからである。そんな訳で、大国は競って戦艦を建造した。

映画の終了後に、下の子供と伊勢佐木町の「モハン」へ。私はチキンカレーとナン。夜は、「そごう」で買った「刺身の盛り合わせ」に鮭のハラス。「アルキメデスの大戦」の余韻に浸りながら酔狂亭で独酌。

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歴史は二度繰り返される、か。

2019-08-30 12:06:05 | 日記
八月二十八日(水)雨。

朝は、夏休みで家にいる下の子供と一緒に、ナポリタン、コロッケ。昼は、塩おにぎり二個。夜は。旧友と西横浜のイタメシ屋「オアジ」にて一献。途中から愚妻が合流。うっかりと友人のカメちゃんの入れたボトルを飲んで、新しいものを入れずに帰って来てしまった。スマン・スマンのオスマンサンコンである。

産経のコラムに、「歴史は二度繰り返される。一度は悲劇で、二度目は喜劇として」というマルクスの言葉があった。他人には厳しく、自分には甘い、どころか大甘な曺国さんのことだ。しかしなぁー。常識では考えられない出来事である。あれほど朴前大統領や周辺者を弾劾しておきながら、「お前もか」である。文大統領が曺国さんをどうするのか、ちょっと野次馬根性だが楽しみである。まさか盧武鉉さんの最期のような形で終わり、大統領が「禊は終わりました」何て言うことにならなければ良いがと、野次馬は思っているのです。

秋雨前線の影響で九州地方に大雨。何か地球がおかしくなっているのかもしれない。そう言えば、スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさんという十六歳のお嬢さんが、ニューヨークで行われる気候変動会議に出席するため、二週間をかけてヨットで太平洋を横断した。彼女は、二酸化炭素(CO2)を排出する飛行機の利用をやめて、電気は太陽光パネルや風力発電でまかなわれるヨットで太平洋を横断したそうだ。しかしなぁー、今更、飛行機が二酸化炭素(CO2)を排出するかといって、なくす訳にもいかないだろうし、アジア、アフリカ、アメリカなどの国の人たちへの意識の変革も必要だろう。彼女の好意をあざ笑うように、ブラジルではアマゾンの森林火災が止まらない。大統領も消火に積極的ではないようだ。困ったものだ。家で、思わずオナラをすれば、家族から「地球環境に良くないよ」と糾弾される。地球も我が家も住みにくくなったものだ。

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オリンピックの名花

2019-08-30 11:33:57 | 日記
八月二十七日(火)曇り。

朝は珍しく、サニーサイドアップの目玉焼き二個に、ロースハム、レタスのサラダ。昼は、大通公園脇のうどんの「おおぎ」にて「味噌煮込みうどん」。夜は、酔狂亭にて鶏のから揚げ、シラスおろし、トンテキ、カツオのたたき。お供は「黒霧島」。

久しぶりに、私のDVDコレクションの「ドキュメンタリー」の中から、2015年10月9日に放送されたBS1の「チヤフラフスカもう一つの肖像ー知られざる激動の人生」を見た。私の年代の者は、彼女の名前は懐かしい。東京オリンピックにチェコの体操選手として来日し、三つの金メダルを獲得した。その美しさと演技力から「オリンピックの名花」とも言われた。その後のメキシコオリンピックでは、最終的に跳馬、段違い平行棒、ゆかと個人総合で金メダル、平均台と団体種目で銀メダルと、女子体操の6種目すべてでメダルを獲得した。彼女は1968年のチェコスロバキアの民主化運動(「プラハの春」)の支持を表明して「二千語宣言」に署名しており、同年8月のワルシャワ条約機構による軍事介入、プラハ侵攻によって身を隠さざるを得なかったのである。その「激動」の人生を追ったドキュメンタリーで、とても良い番組である。

ソ連を中心としたワルシャワ機構軍のプラハ進行に対して、多くの国が非難をしたが、当時は社会主義運動の全盛期で、我が国においても社会主義者の第一人者であった向坂逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)などが。1960年代後半からソ連などの社会主義国に急速に接近し、チェコスロバキア侵攻(1968年)やアフガニスタン侵攻(1980年)を支持した。雑誌のインタビューでは、「プロレタリア独裁の下では政府に反対する言論表現の自由は絶対にない。日本に社会主義政権が誕生すれば、非武装中立を見直す」と、社会主義政権下での言論の自由を否定するだけでなく、社会党の党是であった護憲・非武装中立政策は資本主義の間だけのことであって、社会党政権になれば直ちに社会主義憲法に改訂、軍備を持ってワルシャワ条約機構に加入する事を示唆する発言をした。(ウイキ)

今なら噴飯物の理論と一蹴されるが、お隣の大統領は、こういった理論の影響を受けている活動家、といった感がある。

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反日を国策にしない方が良いと思うのだが。

2019-08-28 13:25:14 | 日記
八月二十六日(月)曇り。

朝食は、先日作って冷蔵しておいたカレーに肉じゃが、そして私だけ「青森さんのやさしいスープ」。子供が、カレーと肉じゃがを見て「味付けが違うだけで、中身は一緒じゃん」だって。それを言っちゃおしまいよ。昼は、昨日お墓参りの帰りに買った卵で「卵かけごはん」。夜は、近所の仲良しさんたちとの一献会をラーメン屋さんの「たつ屋」にて。

私は、韓国の国内事情や政治情勢の専門家ではなので、詳しいことは知らないが、二年前の五月に、韓国に文 在寅政権が樹立してから、一体、その政権は、何か目に見えるような経済政策や国民に支持されるような国内問題にて成果を挙げてきたのだろうか。ニュースになることと言えば、反日強攻策、これ以外にないような気がする。対潜哨戒機へのレーザー照射、従軍慰安婦を巡る日韓合意の反故、徴用工問題の蒸し返し、日韓軍事情報包括保護協定GSOMIAの破棄。

又、韓国では、今年、小学校の社会の教科書から『漢江の奇跡』という文言が消えたそうだ。一九六〇年代から一九八〇年代の、韓国の経済成長を表わすフレーズで、この時代を否定すれば、韓国の経済発展への歩みのキーワードでもある。朴政権時代に成立した「日韓請求権協定」によって日本から得た五億ドルの経済支援で、韓国経済は奇跡的な高度成長を成し遂げ、今日の繁栄の礎になった。こういった日本に関係のある物をすべて否定すること、すなわち反日が政権の目標と政策であるとするならば、これはもう政治とは言えない。

韓国の航空会社が政権の顔色を窺って日本への航空路線を縮小しているが、聞く所によれば、大韓航空をはじめ韓国の航空七社は軒並み赤字らしい。営業努力をせずに政権の顔色を窺い、更に赤字を増す。まあよその国の会社のことなので、どうでも良いが良く分からん。大統領が、社会主義思想の持ち主で、そういった社会の実現を夢見る夢子ちゃんでは、し烈な経済戦争に勝てる訳がないと思うのだが。

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お墓参りに。

2019-08-28 12:16:37 | 日記
八月二十五日(日)晴れ。

お盆にお墓参りに行こうと思って家を出たら、東名が大渋滞で諦めた。随分と遅くなったが家族で伊勢原へ。八時に自宅を出る。朝食を取らなかったので海老名のSAで食事。混んでいたので、私は吉野家の朝定食に牛皿。海老名の下りのSAは、狭いし、ロクに食べるものがない。

九時過ぎに淨発願寺着。塚越和尚にご挨拶をして、まずは野村先生のお墓に詣でる。早いものであと二か月もするとご命日の群青忌。今年は二十六年の墓前祭を執り行う。全国から参列する社友の皆さんとお会いするのが楽しみである。先生のお墓の前で皇国の弥栄と一門の健康を祈念した。次に、両親のお墓へ。家族で丁寧にお墓を掃除してから、手を合わせた。

伊勢原を出てから、横浜駅のビックカメラへ。我が家にあるレザーディスクのレコーダーが、なぜか初期化が出来なくなった。長く使っているうえに、キッチンに近いので油などで不具合が生じたのかもしれない。色々なメーカーのものを見たが、随分と高い。それほど凝った物はいらないので、録画と再生のみを重視して、一番安いものを購入。

しかし、レザーディスクは便利なようで不便である。確かに画質は良く、長時間の録画も可能なのだが、コピーが難しい。我が家には、普通のDVDのコピーは比較的簡単に出来るコピー機はあるが、レザーディスクはコピーが出来ない。コピー機を買おうかなと思って調べてみたが、かなり高い。レザーディスクはコピーも難しいが、加えて扱いにも気を使う。雑に取り扱うとデーターが消えてしまうことがあるからだ。従って大切な物は、二枚コピーして予備を作っておく。いずれレザーディスクのコピー機の導入も考えなければ。

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