白雲去来

蜷川正大の日々是口実

フイリピンは大らかなお国柄。

2023-01-31 12:30:49 | 日記

1月24日(火)晴れ。

朝食は、ウェイパーを使ったわかめスープ、清風楼の焼売、納豆。昼は、抜いた。夜は、子供の「ふるさと納税」の返礼品、「アフロキャベツ農家」の「餃子」、キュウリのナムル、キノコ三種のアヒージョ、蒸し鶏。お供は「桂月」から「黒霧島」。

何だか、日本で起きている凶悪犯罪の司令塔の男がフイリピンの入管の施設に収容されながら、犯罪の指示をしてるとかで、連日テレビで報道されている。私のような時代遅れの者は、とても考えの及ばない。「秘匿性の高いテレグラム」と言われても何の話なのかさっぱり分からない。最も、自分の使っているスマホの着信音の音量調節も家族に教わらなければ出来ないほどの機械オンチであるから、犯罪でなくとも、最先端の仕事には加われそうもない。しかし、ツイッターとかで知り合った見ず知らずの他人同士が集まって、犯罪を起こす。それも、その犯罪の指示を、外国、それも収容所に収容されている男から送られてくる。まるでスパイ映画を見ているようだ。

フイリピンと言えば、過去に3回ほど行ったことがある。2回は野村先生のお供をして。最後の一回は、今から13年前の平成12(2000)年に野村先生の没後15年のメモリアル・ツアーで先生の奥様や門下生などと一緒に行ったのが最後である。良く言えばフイリピンは大らかな国で、早い話が「お金があれば大体のことが出来る」というお国柄であるから、報道されていることは、さもありなん。※写真は、平成4年、フイリピンは、コレヒドール島の砲台にて。


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社友の所在が不明である。

2023-01-30 16:55:18 | 日記

1月23日(月)曇り。

朝食は抜いた。昼食は、コロッケ、赤ウインナー、キャベツの千切り添え、シジミの味噌汁。夜は、ミスジ肉、レタスとわかめのサラダ、ほうれん草のおしたし。お供は、「黒霧島」。

今日も、社友のK君の所在が不明である。彼の車が発見された場所と言うのが、地元の人でも余り行かないようなところらしい。22日に除雪車が、道路に放置車両があるので除雪が出来ないと警察に連絡があり、ナンバーからその車がK君の物と判明。周りは吹きっさらしの草原、海までは遠くはないが、雪も積もり、途中に川などあってとても歩いては行けそうにもないという。地元の有志が、手を尽くして捜索しているが、未だ何の音沙汰もないという。事故なのか、事件なのか、それとも何かで悩んでいたのか・・・。毎日、彼のブログを開けてみるが17日のままだ。「心配をかけました」とあの愛嬌のある顔で、「エヘヘ」と照れ笑いをしながら、出てきてくれることを祈るばかりである。


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大行社の新年総会に出席。

2023-01-30 16:37:37 | 日記

1月22日(日)晴れ。

朝食は、ロースハムとキャベツの千切り添え、目玉焼き、新玉ねぎの味噌汁。昼は、大行社の新年総会の会場にて中華料理。終了後に、野毛の「すずらん」から「オアジ」に転戦し帰宅。

12時30分に大悲会の志村馨君と合流し新横浜へ。午後2時より、私が役員の末席を汚している大行社の新年総会に揃って出席。その道中にて、弊社の最古参の社友であるK君が、18日午前に彼の事務所を出たまま、音信不通となっていることを聞き、愕然とする。新年総会の会場に着く直前にK君の同志である方から志村君にラインが入り、K君の車が発見されたが、本人は乗車しておらず、依然として連絡が取れけないという。携帯は事務所に置いたままで、連絡を取るすべもないという。飛んで行って捜索に加わりたいが、そうも行かずに気持ちだけが焦る。彼に何があったのかは分からないが、ただ無事であることを祈るばかりである。

2時より、新年総会開始。さすがは大行社である。会場には300人近い人たちが来場。諸先生、諸先輩、同志の皆さんと新年の挨拶をし、語らう。終了後は、志村君と統一戦線義勇軍の清和崇君と共に、野毛の「すずらん」から、西横浜の「オアジ」へ転戦。7時過ぎに帰宅。そのまま寝てしまった。


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様々な雑誌をご恵送頂いた。

2023-01-28 17:47:03 | 日記

1月21日(土)曇り。

朝食は、お粥、大根とわかめのスープ。昼は抜いた。夜は、芝エビのから揚げ、マグロの刺身、牛タンの塩焼き。お供は、高知の名酒「桂月」。一本空けてしまった。

事務所の郵便受けを開けると、様々な機関誌、紙、雑誌が届いていた。『月刊日本』『維新と興亜』『宗教問題』『牛喘荘通信』『國の子評論』『時對協時報』『しんぶん国民』『不二』。恐らく採算の取れている雑誌や機関紙などほとんどあるまい。それでも発行を続けるのは、使命感と意地だと思う。印刷費、紙代、郵送費が以前より随分高くなった。多くの人たちに読んで頂きたいが、出せば出すほど赤字になる、と言うのが実態である。差し歯と入れ歯ばかりになったが、歯を食いしばって、やって行くしかない。ご恵送頂いた皆様に感謝申し上げます。

 


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『読書論』。

2023-01-28 16:54:41 | 日記

1月20日(金)晴れ。

起きられずに朝食は抜いた。昼食は、ハムエッグ、キャベツの千切り添え、コロッケ一個、シジミの味噌汁。夜は、ミスジ肉、スライスマッシュルーム乗せ、キュウリのナムル、白菜のおしんこ、大根おろし。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

少にして学べば則(すなわ)ち、壮にして為すことあり。壮にして学べば則ち、老いて衰えず。老いてて学べば則ち、死して朽ちせず。有名な儒学者の佐藤一斉の『言志晩録』の一節である。これを知ったのは、歴史作家の小島直記の『志に生きた先師たち 』だったと思う。読んだのは北海道時代のこと。その頃は良く本を読んだ。いや本を読むには適した環境だった。私の読書の指針となった一冊の本がある。それは、元慶応義塾の塾長の小泉信三が書いた『読書論』(岩波新書)である。その「読書論」の中で、当時私が最も感動したのが江戸中期の蘭医の杉田玄白等が有名な「解体新書」を翻訳した時のエピソードである。それは「読書論」の「第三章・語学力」の中に書かれたもので、この一文に触れたことによって「格闘して学ぶ」という読書に対する姿勢というものを理解するようになった。

『蘭学事始』に記される杉田玄白らの蘭文解剖書解読の話は、後の学者を力づける。彼のみずから記すところによれば、明和八年(一七七一年)三月三日杉田玄白が前野良沢、中川淳庵らと共に千住骨ケ原の刑場に死刑囚の屍体の『腑分け』を見て、オランダ解剖書の精密に驚き、帰路『ターフル・アナトミア』の翻訳を思い立ったとき、彼はまだアルファベットをすら知らなかった。翌日杉田、中川は良沢の家に相会した。そのとき先ず、「彼『ターフル・アナトミア』の書にうち向ひしに、誠に艫舵なき船の大海に乗出せしが如く、茫洋として寄べきなく、只あきれにあきれて居たる迄なり』と記された一説は、後に福沢諭吉をして感泣せしめたことを以て、またその他にもなおたびたび引用されることによって人に知られていることと思う。(本文より)

今日も盟友のブログは更新されていない。

 

 

 


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