白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ヒトラーの試写室。

2018-07-31 10:24:40 | 日記
七月二十九日(日)晴れ。

午前中には、雨が少し残っていたが、昼近くには、台風一過の晴天となった。先日の大雨被害の地域にまた台風が通過するとか。被害が無ければ良いのだが。被災地に民族派の同志が、物資を運んだりボランティア活動に従事している。そうした同志のいることを誇りに思う。弊社も、札幌の社友の梶浦直樹君や、川崎の松本佳展君などが救援物資を送っている。日本人は相身互いだ。

戦前に日本とドイツの国策映画に「新しき土」というものがある。主役を演じたのは十六歳の原節子。その映画の公開に合わせドイツを訪れた原節子が、その時に着ていた着物が日本に戻ってきた。という記事を先日、新聞で読んだ。何でも、当時、現地の通訳が譲り受けたものという。そしてさらにはその通訳が秘蔵していた写真も出てきた。詳しいことは、現在発売中の『新潮45』の八月号の特集記事にあるそうだ。

最近、良く読ませて頂いている松岡圭祐さんの本に、その「新しき土」を題材にした『ヒトラーの試写室』というものがあることを、盟友のO氏に教えられ、昨日、駅の書店で買い求め、保土ヶ谷・大宮間の車中一時間余で、さわりだけ読んだ。あっという間に引き込まれ、電車を降りるのをためらった程だ。ヒトラーやナチの研究家で知られる後藤修一氏が先日亡くなられた。映画の宣伝の際に撮られた写真には、ゲッペルスと原節子が並んで写っているものがある。その映画と、写真に対して後藤修一さんから、レクチャーを受ければ良かったと思っても、もう遅い。そんな様々の思いをもちながら、『ヒトラーの試写室』を読んでいる。

一日、事務所で機関誌の編集。夜は、沖縄のまだ南方の島で、サトウキビ畑で旅費を稼いでいる大陸浪人のシゲちゃんから、はるばるメジマグロが送られてきた。彼の無事を思いつつ、メジの刺身と黒霧島で月下独酌。

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友人の傘寿のお祝い。

2018-07-31 09:55:47 | 日記
七月二十八日(土)雨。台風接近。

長いお付き合いをさせて頂いている、日本民族連合の議長、並木晃氏が八十歳となり、その傘寿のお祝いが大宮の宴会場にておこなわれ出席。午後から台風の影響により風雨が強くなった。大宮まで新宿ラインにて行くのだが、遅れや不通にならないのかと心配だったが、無事に着。傘寿のお祝いに文字通り雨で傘が必要とは、芽出度くもあり、芽出度くも無し。宴会場からの迎えのバスで、運動関係の同志の方々と一緒になる。

六時かにら宴会。ご挨拶をさせて頂いた。「傘寿を迎え、これまでの『性』を楽しむより、今後は『生』に集中して下さい」とかなんとかいったような気がする。二次会は、大宮のフィリッピンパブへ。キレイなオネエサンたちが沢山いたが、皆、ニューハーフとのことで、ふぎょぎょ!帰りは、並木さんの門下の水久保さんに自宅まで送って頂いた。今週は、バタバタだった。自分自身にお疲れ様でした。※同志の方々と。

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馴染みのお店が一番。

2018-07-29 13:00:46 | 日記
七月二十七日(金)晴れ。

朝食は、豚肉とキャベツ炒め、筋子、ホタテのお吸い物。昼は、筋子のおにぎり一つ。夜は、地元の焼き鳥店「だんらん亭」にて友人と一献。まずは、焼き鳥の前に、「万願寺とジャコ炒め」「カニサラダ」「肉じゃが」を前菜に、生ビール。

だんらん亭は好きなお店である。私が馴染みにしている焼き鳥屋さんは四軒。今日行った「だんらん亭」に、自宅近くの「ばくだん」(最近行っていない。スマン。)、曙町の「千屋」。このお店もブログなどで人気店となり、最近は早い時間は、中々座れない。先日行った折に、店のオヤジが、「最近は三ヶ月前から予約を入れてくるアホがいる」と呆れていた。最後は今年開店六十年を迎えた「やまと」である。焼き鳥屋と言っても、皆それぞれ趣が違う。料理の味も人間味も皆、満点のお店である。

また、野毛や本牧、福富町に「名店」があり、確かに味は素晴らしいが、どうも馴染めない。どうせお金を払うのならば、自分の好きなお店に行くのが一番である。

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暑気払い。

2018-07-29 12:22:46 | 日記
七月二十六日(木)晴れ。

また寝苦しい我が家で、気がつけばTシャツが汗で気持ち悪い。朝食は、鮭のハラス、筋子、キャベツの味噌汁。昼は抜いた。夜は、大熊雄次氏の案内で、東京は三ノ輪の「丸長」寿司店にて友人らと暑気払い。

ニュースでは、オウムの六人の死刑囚に死刑が執行された。法治国家として当然の行為である。こういうことが起きると人権屋と称する人達が、死刑反対論を振りかざす。世界の多くの国が死刑を行っていない。死刑反対が世界の潮流であるとか、何とかいって騒ぐ。日本には「死んでお詫びをする」という気風が昔からある。どんな理由があるにせよ、現行の法律に死刑制度がある以上、法務大臣は粛々とその使命を実行しなければならない。上川法務大臣も、一度に十三人もの死刑を執行することに躊躇しただろうと思う。法務大臣の決意と実行に敬意を表したい。

もし今後、死刑を執行しない法務大臣がいたら、同志らと共に職務の怠慢で告訴してやろうかとも思った次第。

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盟友の王道楽土。

2018-07-29 11:59:32 | 日記
七月二十五日(水)晴れ。

久しぶりに、部屋にクーラーをつけずに熟睡できた。さすがは札幌である。のんびりと風呂に入ってからバイキングの朝食。少しメニューが変わっていて残念だった。

九時半に、迎えに来て頂いた雪田顕正氏と合流。途中梶浦直樹氏をピックアップしてから、一路、余市へ。朝ドラの「マッサン」の舞台となった、ニッカの余市工場を見学。今や世界のニッカとなったウイスキーの発祥地。朝ドラの場面が甦ってきた。見学後に、盟友が手掛けている葡萄畑に向かう。周りには葡萄畑やサクランボ、トマト畑が沢山。ワインにするブドウと食用のブドウの二種類を作っている畑が多い。盟友の畑は、まだブドウが生っていない。聞く所によれば、植えてから実がなるまで五年近くかかるとのこと。盟友の夢が実現し、ここが彼の王道楽土になる日のくることを祈るばかりである。

その後、二時近くになって私の好きな小樽の「青塚食堂」にて朝食。ここに初めて来たのは、もう二十八年も前のことである。当時は、予約など必要が無かったが、今ではこの辺で一番の人気のお店となった。前は海、横にはニシン御殿。ここに来たのは何年ぶりのことだろうか。馴染みのオバチャンが休みでちょっと残念だった。したたか飲んで食べて、千歳空港へ。社友の小澤拓也君と合流。飛行機の時間までまだ余裕があるので、飛行場の居酒屋で二次会。八時前に、雪田、小澤、梶浦の諸氏と別れて羽田へ。皆さんお世話になりました。

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