九月二十三日(月)曇り。秋分の日。
昨日飲み過ぎたので中々起きられなかった。ご飯を炊いていないと言うので近くの弁当屋で「特のりタル弁当」を家族分買って昼食に近い朝食。秋分の日か。子供の頃は、この日に母が「おはぎ」をいつも作っていた。粒あんにきなこ、ごまの三種類。私は、ごまのおはぎが好きで、お仏壇に供える前に食べては母に叱られた。そんな母の思い出と共に我が家の仏壇に手を合わせた。
そういえば、先日、新聞に雑誌編集者の高須基仁さんの訃報が掲載されており、ちょっと驚いた。高須さんと初めて会ったのは、もう十年以上前で、確か植垣康博さんのお店のパーティーの席だった。同じテーブルと言うこともあって話が弾み、以来、失礼のないように、適度な距離感をもってお付き合いさせて頂いた。高須さんの経営する出版社のパーティーにも行ったことがあった。
その高須さんと、ばったり会ったことがあった。二年くらい前のことで、場所は浅草の「甲州屋」というお蕎麦屋さん。何の帰りは忘れたが、確か、盟友のO氏や愛国党の舟川孝氏、大熊雄次氏などが一緒だったと記憶している。高須さんは女性を連れていて、不思議なオーラを発していた。それぞれを私が紹介し、先にお店に来ていた高須さんが先に帰った。これが高須さんと会った最後となった。今週発売の『週刊新潮』の「墓碑銘」に高須さんの記事が掲載されている。合掌。
夜は、友人の「順子」さんの誕生日パーティーと彼女の絵の個展のオープニングがあり愚妻と参加した。私の事務所のすぐ近くの芸術家の集まるスペースで行われたが、中々良い雰囲気で、集まった人たちや、会場の雰囲気が順子さんの人生を感じさせ、心が和んた。サリーファミリーの人たちと楽しく歓談。終了後は、愚妻と井土ヶ谷駅近くの中華料理のお店に入ったが、何とテレビの「噂の東京マガジン」と言う番組で中華料理の指導でゲスト出演している孫さんと言う人のお店だった。奥さんはルーマニアの人。※写真は、高須さんのモッツ出版のパーティーで頂いたお茶。
昨日飲み過ぎたので中々起きられなかった。ご飯を炊いていないと言うので近くの弁当屋で「特のりタル弁当」を家族分買って昼食に近い朝食。秋分の日か。子供の頃は、この日に母が「おはぎ」をいつも作っていた。粒あんにきなこ、ごまの三種類。私は、ごまのおはぎが好きで、お仏壇に供える前に食べては母に叱られた。そんな母の思い出と共に我が家の仏壇に手を合わせた。
そういえば、先日、新聞に雑誌編集者の高須基仁さんの訃報が掲載されており、ちょっと驚いた。高須さんと初めて会ったのは、もう十年以上前で、確か植垣康博さんのお店のパーティーの席だった。同じテーブルと言うこともあって話が弾み、以来、失礼のないように、適度な距離感をもってお付き合いさせて頂いた。高須さんの経営する出版社のパーティーにも行ったことがあった。
その高須さんと、ばったり会ったことがあった。二年くらい前のことで、場所は浅草の「甲州屋」というお蕎麦屋さん。何の帰りは忘れたが、確か、盟友のO氏や愛国党の舟川孝氏、大熊雄次氏などが一緒だったと記憶している。高須さんは女性を連れていて、不思議なオーラを発していた。それぞれを私が紹介し、先にお店に来ていた高須さんが先に帰った。これが高須さんと会った最後となった。今週発売の『週刊新潮』の「墓碑銘」に高須さんの記事が掲載されている。合掌。
夜は、友人の「順子」さんの誕生日パーティーと彼女の絵の個展のオープニングがあり愚妻と参加した。私の事務所のすぐ近くの芸術家の集まるスペースで行われたが、中々良い雰囲気で、集まった人たちや、会場の雰囲気が順子さんの人生を感じさせ、心が和んた。サリーファミリーの人たちと楽しく歓談。終了後は、愚妻と井土ヶ谷駅近くの中華料理のお店に入ったが、何とテレビの「噂の東京マガジン」と言う番組で中華料理の指導でゲスト出演している孫さんと言う人のお店だった。奥さんはルーマニアの人。※写真は、高須さんのモッツ出版のパーティーで頂いたお茶。