白雲去来

蜷川正大の日々是口実

箱根から帰宅。

2011-09-30 16:00:55 | インポート

九月ニ十九日(木)晴れ。

 昨夜、早目に寝たのが良かったのか、七時に目が覚めた。大熊氏はすでに起きて風呂に入ってきたらしい。私も早朝の入浴に行く。ここの風呂、さすがに「万葉の湯」が経営しているとのことなので、お風呂は最高だった。特に、露天風呂が幾つもあって、眺めも素晴らしい。三十分ほどのんびりと浸かって、酒を抜いた。

 朝食の後に、ロビーで荒井、柿島両先生にご挨拶の後に、帰路に着く。帰りも、駅まで専用のバスが出るのだが、良い天気なので川のせせらぎを聞きながら歩いた。山々はもう秋の装いである。この季節が好きだ。湯元の駅で、国民新聞の山田恵久代表と会い小田原まで同行する。話題は、お互いに出版している新聞や雑誌の資金難の事。もちろん営利でやっているわけではないが、出す度に赤字が膨らんで行くというのは気が滅入る。ほとんど使命感のみで出している。小田原駅にて山田代表と別れて東海道線に乗る。

 今週発売の「週刊朝日」に一水会の木村三浩会長がロシアの隣の小さな国の大統領選挙の監視員に招かれた記事が掲載されていた。大熊雄次氏に上げてしまったので詳細は忘れてしまったが、つくづくたいしたものだと思う。昔の民族派の先輩達は、今のように交通手段が便利でない時にも、アジアを世界を股に駆けて活躍していた。木村会長には、そういったスケールの大きな人間になって欲しいと思っている。

 自宅に戻って、来月の群青忌の法要の連絡をしたり、物を頂いたお礼状を書いたりして、忙しい一日だった。胃の調子が悪いので、休肝日として、おとなしくしていた。


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初秋の箱根路へ。

2011-09-30 07:47:08 | インポート

九月二十八日(水)晴れ。

 明朝、意あれれば琴を抱きて来たれ。とか大見得を切ったが、当然起きられずに、目を覚ましたのは十時近かった。本来ならば、遠来の客が横浜に泊した時には、宿で朝食をとらずに、中華街の「安記」で朝粥というコースが定番で、松山の矢野隆三会長などは、お粥の前に、朝から「モツ皿」「レバ皿」「シュウマイ」で、酔い覚ましのビールとなる。しかし、水曜日は「安記」の定休日。遠来の客にメールでご挨拶してご無礼を詫びる。

 今日は、箱根で「日本を糺す会」がある。毎年一度、御尊父の遺志をを受け継いだご子息の荒井先生が、我々のような浪人を招待し、英気を養う。誰でも出来ることではなく、頭の下がる思いにさせられる。

 三時三十一分の東海道線で小田原へ。箱根登山線に乗り換えて箱根湯本へ。電車の中で大熊雄次氏、駅を降りたら丸川仁氏と一緒になった。今夜の宿となる天成園までは徒歩で十五分程度。天気も良いので、初秋の箱根路を三人で歩いた。横浜と違って、少々寒い。上着を持ってきて良かった。

 「日本を糺す会」で、天成園へ来るのは久しぶりの事である。確か、三浦重周さんが亡くなられた年に共に来たのが最後だと記憶している。最近全面的にリニューアルしたとかで、前と来た時と装いが一変していたのには驚いた。部屋に入り、着替えるが、國憂会の松浦芳和、北橋光春の両氏と同部屋。お二人とお会いするのは、十年振り以上か。

 六時より、宴会が始まる。山口申会長の指名でご挨拶をさせて頂く。その後、談論風発の酒となった。宴席で、主催者の荒井、柿島両先生より、とても素晴らしい芸術写真を見せて頂いた。私にはとても高尚すぎて、その域に達せないが、その内に勉強をさせて頂きたいと思った次第。

 その後、二次会の会場へ。この頃にはすでに、談論風発を通り越して、口角飛泡、侃々囂々、喧々諤々、杯盤狼籍etc。もう二十年以上も聞いている、四宮正貴先生の「俵星玄番」を聞いてから解散。内容の濃い酒席だった。


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両人対酌すれば山花開く

2011-09-30 06:27:20 | インポート

九月二十七日(火)晴れ。

 愚妻が仕事に出ているので、私が出かける時は、子供達の夕食の準備をしなければならない。今日、仕込んだのは、「鶏肉のカレー煮」。鶏肉とジャガイモを炒めて、「SBカレーおでんの素」を入れて煮込むというシンプルなもの。茄子が沢山あったので、鶏とジャガイモが柔らかくなってから、素揚げしてから入れた。

 今日は、社友であるO氏が和歌山から、そして東北の地震と放射能被害と戦っている友人等が来訪しての飲み会がある。早目に待ち合わせの場所に着き、暮れなずむ横浜の街を眺めていると、柄にもなく感傷的になる。野村先生ではないが、昇る朝日と、夕日とでは、夕日の方が、何となく早いような気がするものだ。そして「落日」という言葉も、何かもの悲しい響きがする・・・。との言葉を聞いたのは、フイリピンのマタブンカイという海岸だった。もう二十年も前の事だ。

 富士山が、オレンジ色から徐々に薄い墨絵と変り、最後は漆黒の闇の中にその姿を消す。眼下には街の灯がまるで宝石を散りばめたように輝いている。この景色に、友と酒と、美味な肴とが重なれば、間違いなく今夜は大破・轟沈の気配。

 気がつけば、李白の「山中にて幽人と対酌す」の世界。
 

 両人 対酌すれば山花開く
 一杯一杯復た一杯
 我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ) 且(しばら)く去れ
 明朝 意有らば琴を抱いて来れ

 自宅の近くでタクシーの運転手さんに起こされた。


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群青忌が近い。

2011-09-30 05:30:30 | インポート

九月二十六日(月)曇り。

 最近は、少し飲みすぎると、必ず胃の調子が悪い。先日の胃カメラでは何ともなかったというのに、この違和感がなくならない。しばらく酒を控えようかと思ってもいるのだが、そんな時に限って行事が続く。

 「群青忌」が近い。すでに告知済みだが、本年は、野村先生の「没後十八年・墓前祭」として、菩提寺である伊勢原の浄発願寺において墓前祭を執り行う。北海道や新潟、栃木、関西といった遠方から来訪する、弊社の社友の皆さんとお会いするのが楽しみである。特に、今回は、「あんみつ姫」軍団(酒の飲めぬ人たちが、揃ってあんみつを食べていたのを私に見つかり、命名した)の三人(横山、山本、梶浦)が揃いそうなので、それも楽しみである。一度、甘味で大破・轟沈してみたいものだ。

 夜は、近所の人たちとの月に一度の飲み会がある。場所は、家の近くの「たつ屋」という中華ソバ屋。それぞれ酒を持ち込んだり、オヤジの料理に舌鼓を打ったり盛り上がる。それでも、体調が良くないので、早目に自宅に戻った。


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青梅でBBQ。

2011-09-27 10:14:24 | インポート

九月二十五日(日)晴れのち曇り。

 九時に、松本佳展君と内川徳彦大行社横浜支部長に迎えに来てもらう。今日は、十一時半から青梅のBBQ場で、国防青年隊主催のBBQがある。松本君の車のナビで見ると、新宿経由、中央高速を使って行くよりも、十六号線をひたすら行くほうが、四十キロも短い。それならばと、十六号線を走った。

 青梅に行くのは、高校生の時以来である。鳩ノ巣キャンプ場という所で、陸上部の合宿を行なった。以来、訪れたことがない。BBQ会場まで二時間と十五分かかった。川沿いにある屋根つきのBBQ場であるが、清潔で中々良い環境である。ほとんどが顔見知りの人たちばかりである。私の盟友で、若くして亡くなった渡邊康司氏の奥さんや子供さん、そして生まれたばかりのお孫さんとお会いした。渡邊氏が亡くなられた時は高校生だった娘さんも、もう立派なお母さんになっている。天国の渡邊氏も安心しているに違いあるまい。

P1000213 ※BBQ会場です。

 三連休の最後の日なので、混雑を予想して、一時半に撤収した。四時過ぎに帰宅。夜は、カメ&アコちゃんのお世話で、藤棚の「一休寿司」で一献。愚妻と共にお世話になり、スペシャルサンクスである。


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