白雲去来

蜷川正大の日々是口実

駅伝の季節がやって来た。

2022-10-29 14:13:37 | 日記

10月23日(日)晴れ。

久しぶりの秋晴れの日。金がなくても天気が良いだけで何となく気持ちが華やぐ。昼食を兼ねた朝食は、納豆、たらこ、つた金の焼きのり、小松菜と大根の中華風スープ。夜は、秋刀魚のかば焼き、山芋の千切り磯辺揚げ、手羽先のから揚げ、キュウリのナムル、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

夜、録画しておいた「クイーンズ駅伝」の予選会の録画を見ながら一杯。これから何が楽しいかと言えば、何といっても駅伝シーズンに入ったこと。昔は、確か全日本実業団対抗女子駅伝と言ったが、今はクイーンズ駅伝、男子は、ニューイャーズ駅伝と名称が変わった。男女の高校駅伝、大学女子駅伝、そして箱根駅伝。リアルタイムで見るのは、正月のニューイャー駅伝と箱根くらいか。後は、録画したものを、夜にのんびり見る。ひとっ風呂浴びて、好きな肴を並べて、一杯やりながらの至福の時だ。特に、高校女子駅伝は第一回から昨年まで、全て録画して持っている。その昔はVHS、そしてDVD、そして今はブルーレイに録画している。何年か前に、盟友に連れていって頂いている「断食」で第一回の全国高校女子駅伝の優勝校、市立船橋の選手だった人と偶然に一緒になり、当時の話をしたら「そんなことを知っているんですか」と驚いていた。

クイーンズ駅伝の予選会は、地元神奈川のパナソニックが逆転で優勝した。その昔は、松下電器産業、そしてナショナルから現在のパナソニックになった。一時、高校の先輩で、箱根駅伝の伝説のランナーの横溝三郎さんが監督をしていたことがあった。横溝先輩が良く通う床屋さんにお願いして色紙を書いて頂いた。「オリンピックのメダリストに天才なし」。その色紙は額に入れて玄関に飾ってある。私の宝物である。


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権力闘争か。

2022-10-27 10:33:46 | 日記

10月22日(土)晴れ。

私以外は日々労働に勤しんでいる家族と一緒にのんびりと起きた。朝食は、チャーハンと白菜ときくらげのあんかけ炒め。久しぶりに松原商店街に行き、肴の仕入れ。野菜、肉、魚何でも安い。魚幸で良さげなマグロを買った。愚妻に「半分出してね」と言ったら、右手を頭の上に、左手はお腹の前にしてシェーだって。いつもは残業で帰りの遅い上の子と一緒に夕食。愚妻も働けるうちは働くと言っているし、二人の子供も大学を出て今は社会人。私は、まるで鵜飼の鵜匠のようだ。平身低頭、感謝しています。

終わってしまったが中国の共産党大会の壇上で、何の理由かは分からないが、胡錦涛前総書記がつまみ出される(私にはそう映った)場面は、何か空恐ろしいものを感じた。日本の政治家の権力闘争と言うものは、我々が余り目にすることはないが、見えない分、陰険に感じるが、中国共産党の権力争いは、何も今回の胡錦涛に限らず、過去の「4人組」の失脚のように、ある意味で分かりやすい。私なんか、過去も今も「権力」などには無縁で生きてきたから、地を這うような生き方しかできない。

閑話休題、札幌の梶浦直樹さんのブログに度々「鮭釣り」のことが書かれているが、私も10年前ぐらいまでは、釣りに凝っていた。狙うのはクロダイ一本。なぜやめたかと言えば、横浜近郊に釣り場が少なくなったから。道具一式は納戸にしまったままだ。当時は、釣りというと朝早く起きて出かける私に、たまに嫌味も言われたが、エトガー・ワトソン・ハウと言う人の言葉にこういうものがある。「釣りをしている夫の姿を見たことのない妻は、自分がどれほど辛抱強い男と結婚したか気がつかない」。

 


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学徒出陣の日。

2022-10-27 10:00:56 | 日記

10月21日(金)晴れ。

先日直した歯のせいか、または歳のせいかは分からないが、最近食欲があまりない。仕方がないので夜だけは酒でごまかして食べている。朝食は抜いて昼食は、レトルトのカレー、目玉焼き載せ、お揚げの味噌汁。夜は、牛肉の好きな部位の「ミスジ」が安かったので、スライスしたニンニクを沢山作って軽く上げたものと一緒に食した。他は、きくらげと卵炒め、キュウリのナムル。きくらげは炒める時に音を出してハネるから油断ならない。お供は「純芋」のソーダー割り。酔狂亭にて独酌。

今年も知り合いの女性二人と古い付き合いの男性二人が亡くなられた。生者必滅、会者定離とは分かっていてもむなしさが募る。その亡くなられた四人のうち三人の方は私よりも10歳以上も年下で、もう一人の方は同じ歳。若い頃は、亡くなられた人の分まで頑張って生きよう。などと思ったが、古希を過ぎると、「その人の分」までとても生きようという気力もなければ、時間もない。

今日は、学徒出陣の日。昭和十八年の今日、小雨のそぼ降る神宮において、祖国の危急を救わんとして戦場に赴く出陣学徒の壮行会が行なわれた。その映像はユーチューブなどで見ることが出来るが、何度見ても、感動して涙が溢れる。あの映像に写っている人たちの中の、どれほどの人たちが戦場に散って行ったのか・・・。今日の日本の平和と繁栄は、その人達のご加護であることは、いまさら言うまでもない。その人たちに恥じない国にしなければ。

 


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29年目の群青忌。

2022-10-25 14:54:56 | 日記

10月20日(木)晴れ。群青忌。

野村先生の29回目の御命日、群青忌である。群青忌と名付けたのは、私が道の兄と慕った元楯の会の故阿部勉さんである。野村先生の遺著となった『さらば群青』から命名された。先生の壮烈な自決から29年が過ぎ、先生と親しかった人たちの多くが幽明境を異にした。札幌で二度行った群青忌の際にお世話になった前田伏樹さんも亡くなられた。昭和10年2月の生まれである先生は、ご健在ならば、早生まれなので今年米寿となる。

当然ながら、米寿の先生は想像もつかないが、29年が過ぎても、先生は、。亡くなられた歳、58歳のままだ。生きている私たちが、老いて行く。何度か、この運動から身を引こうかと思ったこともあったが、先生はもとより先に逝った方々のことを思えば、運動を続けて行くことだけが、その方々に報いることと思い、微力ながら続けている。

群青忌の朝は、まず先生の遺影に手を合わせてから朝食。秋刀魚の塩焼き、清風楼の焼売、大根の味噌汁。昼食は、おにぎり一個に、小カップヌードル。夜は、小海老のかき揚げ、豚肉とナスの炒め物、キュウリのナムル。お供は「純芋」という焼酎。酔狂亭にて独酌しつつ『銀河蒼茫』を読む。

 


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盟友の突然の訃報。

2022-10-25 14:25:54 | 日記

10月19日(水)曇り。

仕事に行く子供たちを玄関で見送ってから、つい二度寝してしまった。宅急便のチャイムで起こされて時計を見たら11時。慌ててシャワーを浴びて着替えをして、保土谷駅に向かう。今日は、私が役員の末席を汚している大行社の役員会議がある。朝食は、駅中のコーヒースタンドで、サンドイッチとコーヒー。

今日の会議で、理事長の丸川仁さんが、正式に大行社の会長に就任。石井前会長は顧問に。新体制となった大行社の益々の発展とご健闘に期待する。もちろん私も微力ながら応援、協力することは言うまでもない。

50年来の同志でもある学純同総裁で、札幌諏訪神社の宮司の前田伏樹さんの訃報が届き、愕然とする。先月の30日に行った野村先生の句碑建立奉告祭に来賓として出席して頂く予定であったが、その三日前に「肺気腫で入院しているので、参加できない」。と電話が入った。「そんなことは気にせずに治療に専念してほしい」。と話したばかりだ。前田さんと初めてお会いしたのは、確か昭和の48年か49年頃。当時、新宿にあった学純同の本部事務所だった。その頃の学純同の総裁は大場俊賢先生で、前田さんは庶務長だったと記憶している。勉強会や様々な会合、街頭活動などでご一緒させて頂いた。しばらくして郷里の札幌へ帰り、学純同の第二代の総裁として、また本業である神主として札幌の諏訪神社に奉職された。その後のご活躍は、改めてここに書くまでもない。残念。と言う以外に、ほかの言葉が見つからない。※在りし日の前田伏樹さん。私も参加した「札幌青年フォーラム」にて。


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