白雲去来

蜷川正大の日々是口実

正月の仕度。

2011-12-31 12:23:23 | インポート

十二月三十日(金)晴れ。

 何時に寝ても早く目が覚めてしまう。これも老化現象の一つか。家族全員で家の掃除。今年は、障子の張替えや畳の張替えは行なわなかった。理由は簡単で不如意なだけである。

 

 障子と畳の張替えを行なわなかったのは、今年だけであるが、少々寂しい気がする。まあ古いなりに味わいもあると考えることにするか。

 

 午後から、下の子供を連れて、京急の上大岡駅の地下にある食品売り場に行く。目的は、ここに店を出している「能登屋」の揚げ物を買うこと。本店は、東横線の大口の商店街にあるのだが、遠いので上大岡のほうに行く。私は、いわゆる「練り物」が好きで、美味しいと聞くと取り寄せる。美味しい練り物と、そうではない物の違いは、安いものは、おでんなどに入れて煮込まないと食べられないが、良いものは、さっと炙って生姜醤油で食べる。「能登屋」のものは、おでんに入れるのも良いが、焼いて食べる方が美味しい。

 

 九州の「さつま揚げ」も美味しいが、関東のものと違ってチヨット甘いような気がする。さつま揚げでは、練り物の中に人参が入っている物が好きだ。以前は、銚子の「嘉平屋」という揚げ物屋のものを取り寄せていたが、能登屋を知って以来、ここ専門となった。正月の来客用に、多めに買ってきた。途中、正月飾りを買って、自宅につけた。

 

 夜は、久し振りに、近所の焼肉屋の「清水苑」に顔を出した。六月からダイエットしていたので、実に半年振りだ。最も私は、ほとんど肉を食べずに、野菜とサラダを食べた。自宅に戻って、九時過ぎには寝てしまった。六日分のブログの更新はしんどかった。


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最後の関内詣で。

2011-12-31 11:59:56 | インポート

十二月二十九日(木)晴れ。

 初めてユニクロでヒートテックとか言う下着を買った。まだ着用はしていないが、意地を張るのはやめにした。午前中から東京行き。今年最後の打合せを兼ねた昼食会がある。来年の予定やスケジュールなどを話して三時に解散。そのまま自宅に戻った。

 

 夜は、関内の馴染みの店が今日で正月休みに入るので、大工の秀ちゃんを誘って顔を出すことにした。寿司の「写楽」にも随分と顔を出していないので寄ろうかと思ったが、懐具合を考えて、関内の飲み屋のオネエチャンが集る小料理屋「うさぎ屋」で腹ごしらえをした。知った顔がチラホラいたのはご愛嬌。深夜にはサリーたちと来ることが多い。

 

 その後は、弁天通の馴染みの店を二軒転戦したのちに、サリーの店へ。カメ&アコチャンたちがいた。ここで少し飲んでから、十一時に、皆にご挨拶をしてから帰宅。乗ったタクシーが偶然に近所の人で、一眠りしていたら自宅前に着いた。


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塚越辰雄氏との懐かしい写真。

2011-12-31 11:47:01 | インポート

十二月二十八日(水)曇り。

 あーあ今年も残すところ後三日か。年をとると何と一年の早いことか。来年の三月には六十一歳となる。早生まれだから六十二歳の人と同級生である。私が子供の頃は六十二歳などと言うと本当に爺むさい人たちが多かったが、私の周りの同い年の人たちは皆おしゃれで、情熱的でとても六十を過ぎているとは思えない。

 

 早目に起きて、自宅の片づけを行なった。手があけば、お礼状を書いたり、仕事は次から次と入ってくるし、まあ落ち着かない。今日は自宅でおとなしくしていようと思い、疲れた胃を休ませた。というのは、ホンの思いつきで、やっぱり自宅で飲んでしまった。まあとにかく家でジットしていたことは間違いありません。

 

 そうそう事務所で片づけをしていたら懐かしい写真が出てきた。写真を撮った詳しい年月日は忘れたが、まだ野村先生が経団連事件にて獄中にいる頃だから昭和五十四、五年ぐらいだと思う。横浜の愚連隊の神様と言われ「三辰」の異名をとった人の一人である塚越辰雄氏と横浜の防波堤で一緒に釣りに行った時の写真だ。

 

 ある人の紹介で、塚越氏と知り合い、私が野村先生の門下生であると言うと、それから随分と可愛がって頂いた。共通の釣りという趣味を通じて幾度もご一緒させて頂いた。しかし塚越氏から愚連隊時代の話は一度も聞いたことがなかった。恐らく晩年になって、若い頃のことは忸怩たるものがあったに違いない。今頃は、あの世で野村先生と酒酌み交わしているのかも知れない。

Img748 ※横浜の白灯台にて。塚越辰雄氏と。


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騒動の張本人の鳩山は知らん顔か。

2011-12-31 11:20:43 | インポート

十二月二十七日(火)晴れ。

 このブログを書いているのは、実は大晦日である。二十四日が最後で一週間ほどズルしてしまった。酒で腐った頭では、六日前のことを思い出すのはかなり辛い。

 

 そういえば、沖縄の米軍普天間飛行場の移設先とする名護市辺野古の環境影響評価書(なんでも「アセス」と言うらしい)が、反対派の妨害で沖縄県庁に配送できず、一旦は業者が持ち帰ったが、反対派が少なくなった未明に、こそっと運び入れたらしい。

 

 反対派という極左の連中は問題外だが、防衛省も姑息なことをやるものだ。反対派の連中は、米軍基地も駄目だが、それに代わる自衛隊も駄目、といういわば中共や北朝鮮のシンパが殆で、その連中が「沖縄の世論」となっているのだから、困ったものだ。まあ本来は、日本の国に、米軍の基地があること自体おかしいのだが、日本を取り巻く反日国家の多い現状では、日本の自衛隊だけでは、おぼつかない。早く憲法を改正して国軍の創設を急がねばならない。

 

 米軍基地移設に伴う現在の混乱を招いたのは鳩山由紀夫であることは言うまでもない。このバカ坊ちゃんは、お母様から数億円の小遣いを貰っていたにも関わらず、憶えていないとのたまうほど、庶民感覚からずれている。民主党にはこんな連中しかいないのかネェー。こんなアホどもを選んだのも国民だから、正に天に唾するようなものだ。

 

 夜は、お世話になってる方々との食事会。豪勢に高級中華料理で一杯やった。干しアワビなど絶品で、正に至福の時。お世話になっている方々にスペシャルサンクス。


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近所の人たちとの忘年会。

2011-12-31 10:38:32 | インポート

十二月二十六日(月)晴れ。

 師走とは良く言ったもので、別に先生ではないが、何かと気ぜわしい。今日も、事務所の片づけやら、自宅の片付けに追われた。

 

 忙中閑あり、とブツクオフに寄ったら、何と、山平重樹さんの「ヤクザの死に様ー伝説に残る43人」(幻冬舎アウトロー文庫)があったので購入した。実は、最近、親しい方から皮製の文庫本カバーを頂いた。これが中々の物で、手触りも良く、品も良い。一見すると、おしゃれなセカンドバッグのような感じもする。ブックカバー一つで本が楽しく読めるから不思議だ。

 

 夜は、町内会のオヤジやオバサンたちとの忘年会を近所のスナックで行なった。十時近くになって解散。最近は、飲むとすぐに眠くなる。

Img750 ※山平さんの本です。是非ご一読を。


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