白雲去来

蜷川正大の日々是口実

新年会が、異様だった。

2020-02-28 15:38:38 | 日記
二月二十二日(土)曇り。

友人の新年会に出席するために千葉行き。会場となったホテルに入ると、土曜日と言うのにホテルは驚くほどひっそりしていた。人が少ないせいなのかホテル内は余計な照明を消してあり薄暗い。ラウンジに入っても従業員もいない。コーヒーを飲もうと思ってスタッフを探してもいないのだ。

宴会場に行けば、ウエイター、ウエイトレスの皆がマスクをしている。本当に異様な雰囲気である。自粛、自粛で街が暗くなり、人の命も当然大事だが、客商売のお店が耐えられるのだろうか。心配だ。

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咳をしてもひとり。

2020-02-28 14:13:06 | 日記
二月二十一日(金)晴れ。

先日、東京に行った折に東海道線に乗った。午後の時間の電車であったためそれほど混雑はしていなかったが、ほとんどの人がマスクを着用しいていた。マスクをしていない人が何か奇異に映る。花粉の影響か、この時期喉がいがらっぽく、風邪の時のような咳ではなく、エヘンと喉の調子を良くするために咳をすることがある。しかし、この時期はそれもためらわれる。愚妻が、マスクをくれたので、自分のためと言うよりも、周りに気を使って使用していると言った方が、正直な気持ちだ。

ふと尾崎放哉の有名な「咳をしても一人」という句を思い出した。この句の解説によれば、「わずか九音の短律の中に、言いようのない孤独感が込められています。この句は放哉の晩年、小豆島に小さな庵を構えていた頃のものです。小さな庵の中で、咳をするも、その音が響くだけ。咳き込む放哉に声を掛けてくれる人は誰もいない。死を前にした放哉の孤独がありありと感じ取れます」。大丈夫か日本。

お医者さんによれば、ウイルスに対する薬は、インフルエンザとヘルペスの二つしかない。と言うこと。困ったものだ。そんなコロナウイルスをけっ飛ばそうと、お世話になっている斉藤義一氏の肝いりで、相鉄線の天王町という駅の近くにある「馬肉」の専門店にての一献会に招待された。「たてがみ」という部位を見た時に、とっさに「勝ってくるぞと勇ましく」で始まる『露営の歌』の一節、「馬のたてがみなでながら明日の命を誰か知る」が口から出た。

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馬賊の灯が消えた。

2020-02-26 15:54:51 | 日記
二月二十日(木)曇り。

かつて取材でお世話になったNHKのディレクターの方が、IR、いわゆるカジノを含む総合リゾート計画の件で、話を聞きたいとのことで来浜。伊勢佐木町の「登良屋」にて天ぷら定食の昼食を獲りながら雑談。雑談と断ったのは、その件に関する情報などほとんど持ち合わせていないからだ。噂話程度しか知りませんと、あらかじめお断りしていた。食後、再会を約して別れる。

そう言えば、十四日の新聞の死亡欄に、拓大の教授、伊達宗義先生の名前があって、えっと声を上げてしまった。伊達先生を知らない方のために一応プロフィールを紹介してみる。

伊達 宗義(大正10年(1921年) - 令和2年(2020年)2月1日)は、柘植大学海外事情研究所所長。宇和島藩主の伊達氏の一族で、伊達政宗の子孫に当たる。父は伊達順之助、祖父は伊達宗敦、曽祖父は伊達宗城である。日本の植民地下であった朝鮮半島で生まれた。令和2年(2020年)2月1日午前10時23分に98歳で死去した。ご尊父の伊達順之助をモデルにした檀一雄の『夕日と拳銃』(現在角川文庫)はベストセラーとなり、映画、テレビドラマとなった。

馬賊の歴史や本が好きな人には説明は無用であろう。伊達先生には、『灼熱―実録・伊達順之助 』(1979年)という著書を出されており、読んだことがある。昭和57年の7月に犬塚博英先輩を団長として、沖縄の祖国復帰十周年を記念し「民族派青年有志・沖縄戦跡慰霊巡拝団」を結成し、沖縄の激戦地を巡った。その折に同行して頂き、記念講演をして頂いたのが伊達先生だった。タイガ―ビーチという所で行ったBBQで、私が伊達先生の前で、テレビ映画『夕日と拳銃』の主題歌を歌ったことが懐かしく思い出される。合掌。※写真は戦跡慰霊巡拝団の結団式、沖縄護国神社にて。先頭の紺の服の人が伊達先生。右後ろ隣が私である。

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古い中村武彦先生の原稿が出てきた。

2020-02-26 15:54:51 | 日記
二月十九日(水)晴れ。

うーん、太る体質なのでなるべく「揚げ物」を避けているのだが、禁断症状が出て朝から、鶏のから揚げ、メンチカツ、キャベツの千切り添え、キャベツの味噌汁。「体に悪い」と言われている物ほど好物で、やめられないのだから嫌になる。昼は、保土ヶ谷の駅で「かき揚そば」。夜、筍の唐揚げ(また揚げ物だ)、鶏手羽の蒸し物、高菜チャーハン。お供は「黒霧島」。

大行社の幹部会議があるので東京行き。四宮正貴先生の「挨拶」には毎回勉強させて頂いている。三時過ぎに終了。帰路に付く。自宅で、書棚の片付けをしていたら、バインダーに挟みっぱなしにしてある新聞や週刊誌などの切り抜きが沢山出てきた。随分前のもので、雑誌と雑誌の間に隠れていたので、つい見過ごしていたものだ。しかし、せっか勉強しようと思って切り抜いていても、忘れていては意味が無い。当然、旬を過ぎてしまった時事ネタなどは、本当の意味のスクラップになってしまったが、あらためて目を通して見ると勉強になるものが沢山あった。

その中に、中村武彦先生が、『建国青年新聞』の昭和五十六年の十二月一日号に寄稿した「元寇七百年の戦訓ー相模太郎出でよ」や、『月刊・現代』の平成五年の一月号、「天皇と日本人ー『平成』は何を変えたか」という特集に、「正統派右翼として言いたいこと」と題して書いてある物が出てきたのは嬉しかった。ちょうど、現在製作中の『燃えよ祖国』第二五六号に、横山孝平氏が、「大楠公と現代ー中村武彦先生と楠公祭」を書いているので、感慨深かった。来月号には、門弟の犬塚博英先輩にお断りして転載しようと思っている。

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家ではうどん。

2020-02-26 13:59:54 | 日記
二月十八日(火)晴れ。

朝食は、天ぷらうどん。卵かけご飯。昼は抜いた。夜は、月に一度の仲良しさんたちとの食事会を関内の「ビートレ」にて。終了後に、調子づいて二軒転戦。体調が良くないと言うのに、大破・轟沈。

うどんや蕎麦が好きだ。と言っても、家で食べるのは、うどんばかり。稲庭、讃岐などの有名な物も美味しいが、最近取り寄せているのは、名古屋に本社のある創業明治二十三年という「よしだ麺」である。随分前に友人からお歳暮で頂いてから、ファンになり常備している。乾麺、半生麺と両方あるが、私は乾麺が好きで、きしめんと細うどんを注文している。

きしめんは「味噌煮込み」で、細うどんは、カレーや普通に暖かい汁で食べているが、汁も一緒に注文している。この季節は、少し硬めに茹でて、鍋の〆に入れて食べるのが美味しい。茹で上がった時に、流水で洗う前、少し塩味の残った熱々のものをそのまま食べても美味しくて、味見ついでにお椀に入れて食べてしまう。

外に出た時には、ほとんど「うどん」は食べない。蕎麦ばかりであるから不思議だ。構えの良い蕎麦屋で食べる時は、冷たい蕎麦で、「駅そば」などでで食べる時は、暖かいものと決めている。

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