堤山の夕焼け

2013年11月23日 | 生きる意味

 (これまでずっと話し言葉で書いてきましたが、これから時々、書き言葉の小論文やエッセイも書こうと思いますので、読者のみんさん、よろしくお願いします。





 滝宮に来てから、書斎の南側のガラス戸の外にはいつも讃岐七富士の一つ堤山(つつまやま)が見えているという生活をさせてもらっている。

 「讃岐七富士」といっても、おにぎりのようなかたちをした小山で、ほんものの富士山とはまるで違い、ふだんは日本昔話にでも出てきそうなのどかな様子で、そこがまた気に入っている。

 かつて、辻堂西海岸というシャレた地名の海沿いの団地のいちばん海側の棟の三階に住んでいて、窓の外、晴れた日にはいつもキラキラ光る湘南の海が見えているという、これもある種ぜいたくな生活をしたことがあった。もちろんそれとは見えているものが違うのだが、どこか共通した満足感がある。

 いつも海かあるいは山が見えている、というのが「ほんとうの生活」だという思いがあるからだろう。それに、夜は晴れていれば「満天の星」でなければならない。

 それはともかく、ふだん堤山はのんびりと可愛らしい山なのだが、一昨日、夕焼けの時間にふと見ると、そこにはある種荘厳といってもいい光景があったので、少し驚き、そして感動した。

 急いでカメラを取り出して、いろいろな角度から撮ってみた。私のカメラと腕では実物の雰囲気を撮りきれないが、いちおう載せておくことにしよう。

 急に寒くなってきて、もう初冬の気配であり、気づくと二十四節気の小雪(しょうせつ)である。数日前には、家の南側の休耕田に真っ白な初霜が降りていた。

 東側の空き地の縁は山茶花の生垣になっていて、可憐な白い花がいくつも咲き始めている。

 今年は秋が短くて、今から散歩気分で登るのにはちょっと寒いかな、季節を外してしまったかな、という感じがあるのだが、それでも気が向いたら登ってみよう、少なくとも来年の春にぜひ登ろう、などと思っている。


*アクセス解析を見ていたら、この記事に合わせてかつて書いた「夕焼け・朝焼け空はなぜ赤いか? コスモス・セラピーの解釈」という記事を読んでくださった方が何人もいたらしく、「ああ、こういうことも書いたな」と思い出しました。参考になると思いますので、リンクしておきました。


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2 コメント

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Unknown (真介)
2013-11-25 21:04:08
とてもきれいな夕焼けですね。
荘厳という感じがします。
田舎暮らし、豊かでうらやましいと感じます。
エッセイ引き続きお待ちしています。
田舎で暮らすと (おかの)
2013-11-28 11:13:07
>真介さん

 田舎で暮らすと、まわりには高いビルなどなく、空が広くて、自分が宇宙の中に生きていることを実感しやすくなります。
 食べられない、面白くない、人間関係がうるさい……などが、多くの若者が田舎から都会へ行ってしまう主な理由ではないかと思いますし、それはそれでしかたないところがあると思いますが、なんとか食べていけるよう工夫さえできれば、田舎暮らしはお勧めです。
 私の近所は、世代交代して戦後生まれの方がほとんどになっており、昔のようにうるさい人間関係は、良かれ悪しかれなくなっているらしく、そういう意味でいえばある程度覚悟していったのよりもはるかに気楽です。

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