菩薩の目標は平等社会

2006年12月31日 | 持続可能な社会

 1年が終わろうとしています。この1年も、自分としては最善を尽くした1年でした(その内容はすでに書いたとおりなので、繰り返しません)。

 『摩訶般若波羅蜜経』の言葉を借りて言えば、目指すところは菩薩の目指すものでした。


 菩薩・大士が布施波羅蜜を修行している時に、もし衆生で飢え凍え、着物はぼろぼろになっているの見たならば、菩薩・大士はまさに次のような願を立てるべきである。私がこの所・時に布施波羅蜜を修行し、この上ない覚りを得た時には、私の国土の衆生にはこうしたことがなく、衣服や飲食、生きるための必需品が、四天王、三十三天、夜摩天、兜率陀天(とそつだてん)、化楽天(けらくてん)、自在天といった天界のようにならせよう。……

 菩薩・大士が六波羅蜜を修行している時、衆生に下・中・上、下・中・上の家庭(という格差)があるのを見て、菩薩・大士はまさに次のような願を立てるべきである。私がこの所・時に六波羅蜜を修行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生にはこうした優劣は存在させはしない、と。

 菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)有りて檀那(だんな)波羅蜜を行ずる時、若し衆生の飢寒凍餓(きかんとうが)し、衣服弊壊(えぶくへいえ)せるを見れば、菩薩摩訶薩は当に是の願を作すべし。我れ爾所(にしょ)の時に随ひ檀那波羅蜜を行じ、我れ阿耨多羅三藐三菩提を得る時、我が国土の衆生をして是(かく)の如きの事無く、衣服飲食(えぶくおんじき)資生(ししょう)の具、四天王、三十三天、夜摩天、兜率陀天(とそつだてん)、化楽天(けらくてん)、自在天の如くならしめんと。……

 菩薩摩訶薩は六波羅蜜を行ずる時、衆生に下中上下中上家有るを見て、当に是の願を作すべし。我れ爾所の時に随ひ六波羅蜜を行じ、仏国土を浄め衆生を成就し、我れ仏と作る時、我が国土の衆生をして是(かく)の如きの優劣(うれつ)なからしめんと。(『摩訶般若波羅蜜経』「夢行品(むぎょうぼん)第五十八」)

 大乗の実践者・菩薩は、自らが覚って導く自分の国では、生きとし生けるものすべてにおいていかなる貧困も差別もけっして存在させまい、と深く願いながら、それを可能にする英知を求め続けていく、というのです。

 菩薩にとって、目指すべきは根源的な平等社会であって、格差社会はけっして認めることのできないものなのです。

 日本を「大乗相応の地」(大乗仏教にふさわしい地)、「和の国」にするために、来年も最善を尽くしていきましょう、菩薩志願者のみなさん!

 では、よいお年を。



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空と仏とすべてのものと

2006年12月29日 | 心の教育

 昨夜、ブログ記事を書いた後と今朝、『摩訶般若波羅蜜経』の第83~90品まですべて読み終えました。

 拙著『よくわかる般若心経』(PHP文庫)では、「筆者がいまのところわかった範囲では、『空』も『仏』も『全体』もほぼおなじことをいい表わそうとしている言葉だといっていいと思うんですが……」と書きました。

 しかし正直なところ、研究書などを読んでわかった範囲だったので、「そんなこと、お経のどこに書いてあるんだ」と聞かれるとちょっと困る状態でした。

 その証拠・典拠探しという意味もあって、『摩訶般若波羅蜜経』全部を読んでおきたいと思ったわけです。

 読んでみると、ちゃんとどこに書いてあるか把握できました。

 まさにそのとおりのことが書いてある個所が、なんと、最後の1つ前の「法尚品(ほうしょうぼん)第八十九」というところにあったのです。

 諸法如は即ち是れ仏なればなり。……空は即ち是れ仏なればなり。……諸仏如と諸法如は一如にして分別なし。……是の如は常一にして無二無三なり。(法尚品第八十九)

 もろもろすべての存在のあるがまま(の姿)は仏なのである。……空はすなわち仏なのである。……もろもろの仏のあるがままともろもろの存在のあるがままは一つのあるがままであって分離していない。……このあるがままは永遠に一であって二や三はない。

 文献はちゃんと最後まで読むものです。

 これで、読者にいいかげんなことを言っていなかったことがはっきりして、内心ほっとしました。

 しかも「ほぼおなじこと」ではなく、「まったくおなじこと」だと捉えてまちがいないことがはっきりしました。

 これですっきりして、後は床のワックスかけやパンフレットの発送や部屋の片付けなどを、雑務ではなく作務(さむ)――日常の細々としたことも大切な務めをすることとして行なうという禅の考え方――の気持ちで行なうことができました。

 夜は、とても美味しい濁り酒をお猪口に2杯ですっかりいい気分になりました。

 いい暮を過ごすことができて、本当に感謝です。




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学びの区切りと継続

2006年12月28日 | 生きる意味


 暮の仕事を片付けたり、次のステップに向けて関係者たちと意見交換をしたり、いろいろなお問い合わせに対応したり……していて、ブログの更新がお休みになっていました。

 今日は、夕食前と夕食後、またリヒテル「平均律」を聴きながら、『摩訶般若波羅蜜経』の第71品から第82品まで読みました。

 「実際品第八十」の以下の須菩提(スブーティ)と世尊(ブッダ)との以下の対話が心に響きました。


 須菩提(しゅぼだい)仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊、若し衆生畢竟(ひっきょう)じて得(う)べからざれば、菩薩は誰(た)れの為の故に般若波羅蜜を行ずるや。」

 仏須菩提に告げたまはく、「菩薩は実際の為の故に般若波羅蜜を行ず。須菩提、実際と衆生際と異なれば、菩薩は般若波羅蜜を行ぜず。須菩提、実際と衆生際は異ならず、是(ここ)を以ての故に、菩薩摩訶薩は衆生を利益(りやく)せんが為の故に般若波羅蜜を行ず。……」

 スブーティがブッダに申し上げた、「世尊よ、もし衆生というものが究極的には実体的に把握できないものだとしたら、菩薩は誰のためというので智慧の修行をするのでしょうか。」

 ブッダはスブーティに告げられた、「菩薩は、宇宙的真理の本性(コスモスのロゴス)のために智慧の修行をするのである。スブーティよ、宇宙的真理の本性と衆生の本性が異なったものであるのならば、菩薩は智慧の修行をしないであろう。スブーティよ、宇宙的真理の本性と衆生の本性は異ならないのだ。それだからこそ、菩薩・大士は衆生を幸せにするために智慧の修行をするのである。」


 菩薩とは、衆生・生きとし生けるものすべてと宇宙が一体だということを知って、宇宙のため=衆生のために智慧の実践をするのだ、というのです。

 もちろん、菩薩=宇宙=衆生ですから、菩薩は自分のため=宇宙のため=衆生のために、衆生を幸せにするために智慧を学び続けるわけです。

 ある種、永遠に鳴り響き続けるという感じのする――もちろん実際には曲ごとに終わりがあるのですが――リヒテルのバッハ・平均律を聴きながら、菩薩の永遠の慈悲行ということを思いました。

 今年と来年というのもこだわれば分別ですから、緩やかに区別することにして、やはり今年中に『摩訶般若波羅蜜経』を読み終えたいものだと思っていますが、あと8品ですから、たぶん出来るでしょう。

 1年の区切りに学びの区切りもつけたいと思っています。

 そう思いながら、クリシュナムルティが自分の創立した学校の子どもたちへのトークの終わりに語った、「子どもたちよ、いったん始まると、学びには終わりはないのだよ」という言葉を思い出しました。

 今年も来年も許されたいのちの限りは、みんなが幸福になるための英知を学び続けたいものです。







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暮・リヒテルのバッハを聴きながら

2006年12月25日 | Weblog






 リヒテルの、透明できらきらしていながら深みとどこか渋さも感じさせる「バッハ平均律ピアノ曲集」のCDを聴きながら書いています。

 特に嬰へ短調のプレリュードが、しみじみと美しく、1年を振り返る季節にぴったりです。

 この1年は、まず何よりもスウェーデン・イヤーでした。

 何度も書いたことですが、経済・財政と福祉と環境のみごとなバランス、ここまでやれる国があるという驚きと希望、そして日本の現状との落差にため息、という感じが続いています。

 それから、去年8月から始めたブログの記事を書き続けることにも、時間と精力をかなり注ぎました。

 ちょうど1年ほどで、コスモロジー教育=コスモス・セラピーと仏教-唯識について、できるだけわかりやすくしかも体系的に書くという作業は完了しました。

 続いて、環境について考えてきたこと(「自然成長型文明に向けて」とスウェーデンのこと)もまとめました。

 もちろん、シンポジウムの準備にはもっとも時間を費やしました。

 そんなこともあって(その他のこともあるのですが)、今年は1冊も本を出さずじまいになりました。

 こんなことでは物書きの端くれとしては生活にかかわるので、来年は何とかしたいと思っています。

 だいぶ前から懸案だったアドラーの翻訳から取り掛かろうかな……。

 それから『サングラハ』誌で連載した「落ち込みを克服する6つの方法」を単行本化できるといいのですが。

 「空」について、思想としてはかなりしっかりと理解できたつもりで、それがまちがいないかを確かめるためにちょっと見てみようと思った『摩訶般若波羅蜜経』が思いがけず興味深く、引き込まれて読み続けていて、全90品(「ほん」と読みます。現代風にいえば「章」のこと)のうち第70品にまで到達しました。

 年内に読了したいと思っていますが、いろいろな用事もあるのでどうなるでしょう。まあ、must化はしないことにしていますが、かなり強くpreferです。

 その影響を受けて、道元禅師『永平広録』は途中で止まってしまいました。これは、来年かな。

 帳簿のまとめ、レポートの評価、部屋の片付け、床のワックスかけ、エッセイを1本……ものすごく忙しいというほどではありませんが、そこそこに忙しい、でもちょっと考えたり、感慨にふけったりする時間もある、いい暮れにできそうです。

 でも、出産をひかえているので大事をとって長女夫婦と孫娘がこの暮正月は帰ってこないのと、次女も仕事のつごうで31日の夜にしか来られないので、ちょっとさみしい気もする暮です。




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1日早めのクリスマス・メッセージ

2006年12月24日 | 心の教育

 今日はクリスマス・イヴです。

 クリスマス(Christmas)は、いうまでもなく、元々はキリスト(Christ)の誕生を祝う日で、イヴはその前夜祭です。

 日本では、クリスマス当日よりもクリスマス・イヴのほうが年中行事の1つとしてすっかり定着し、家族団らんか恋人と過ごすロマンティックな時というふうになっています。

 それはそれで楽しい行事―特に子どもたちと恋人たちにとって―ですから、あまり目くじらを立てるつもりはありませんが、ちょっとばかり……そうとうズレてしまっているな、とやや残念な気もします。

 イエスという歴史的な人間が神の子と信じられるようになったのには、いろいろな理由があり、その中には原理主義的で問題のある面と普遍的な意味のある面が混在していると私は捉えています。

 どんな宗教であれ、自己絶対化は敵を作り、争いを引き起こします。

 しかしほとんどの宗教には、「愛」や「慈悲」を育むという面もあります。

 現代の私たちが、ただ楽しい行事としてだけではなく、もっと深い意味のある、もっとすてきなものとしてクリスマスを迎えるには、それが本当の愛と平和について心新たに考え、感じ、追求する季節であることを理解しておいたほうがいい、と思うのです。

 私たちは、「自分を超えた大いなるなにものか」によって生まれたことはまちがいありません。

 それを、「神」と呼ぶか「仏」と呼ぶか「大自然」と呼ぶか、その名前にこだわる必要はないと思います。

 私は、現代人にいちばん受け容れやすいと思うので「コスモス・大自然」という言い方をもっともよく使っていますが、それらの言葉は私にとってすべて同義語です。

 新約聖書の福音書(4つありますが)から読み取ることのできるイエスという人は、私たちを超えた大いなるなにものかの理・真理・秩序・法・法則・道・条理つまりロゴスをもっとも深く体現した人(の一人)であった、と私は考えています。

 コスモスの進化の方向にもっともよく沿って生き死にした、比類なく美しい人であったと感じます。

 そういう意味で確かにイエスの誕生は「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た」(ヨハネ福音書1・9)とも、「そして言(ロゴス)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」(同1・14)とも表現できるような、すばらしい出来事であったというほかありません。

 もはやキリスト教唯一絶対主義という意味でのクリスチャンではありませんが、コスモスのロゴスを体現したという意味ではやはりキリスト(救世主、世を救う人)とも呼びうる人イエスの誕生を、私も祝いたいと思います。

 イエスという人のイメージに出会って以来、もちろんそんなふうになれるわけはないのですが、少しでも真似をしたいと思い続けてきました。

 「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕らえようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスに捕らえられているからである。」(ピリピ人への手紙2・12)

 私は、「なんとかああいうふうになれたらいいなあ」と憧れ続けているという大イエス・ファンなのです(そういうのは「クリスチャン」ではなく「イエスチャン」だと揶揄する人もいますが、私にはどちらでもいいことです)。

 そういう想いを共有できる仲間たちと、今日はこれからクリスマス(イヴ)会で集まります。

 その中には、お寺のご住職もおられます。これは、宗教間の対立が大きな問題になっている時代にあって、とても意味深いことだと思っています。

 間もなく出かけます。それに先立って、ブログ読者のみなさんには厳密には1日早いのですが、クリスマス・メッセージを贈りたいと思いました(実をいうと、これは集会でのメッセージの原稿でもあるのですが)。

 みなさん、すてきなクリスマスを!




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最終授業3:授業効果2

2006年12月23日 | 心の教育

 昨日で、すべての大学の授業とサングラハ教育・心理研究所の講座が終わりました。

 ほっとしながらも、もう次の仕事のことを考えています。

 我ながらご苦労様な性格だと思いますが、これは自分のカルマでしかたないようです。

 別にワーカホリックというわけではなく、むしろもともとはゆったりのんびり暮らすのが好きなのですが。

 昨日の授業は「宗教論」。テキストは前期『生きる自信の心理学』と、後期『唯識と論理療法』、それに加えて『聖徳太子『十七条憲法』を読む』(大法輪閣)です。

 アンケートの「授業を受けたことによって、人生観・世界観にプラスの変化があったと感じていますか」の項目に対する、42名の回答は次のとおりでした(9以下は累計のパーセント)。

 10   40%
  9   45%
  8   57%
  7   74%
  6   76%
  5   79%

 例年と比べると、10が40%というのは顕著な違いです。こんなにもたくさんの学生が、いわば「人生観・世界観がまるで変わった」と言ってくれたわけです。

 例えば、次のような感想を書いてくれました。

 哲学科2年 女
 この授業を受けたことによって、確実に人生観が変わりました。希望を持って生きていこうと思います。先生、本当にどうもありがとうございました。

 哲学科2年 女
 今まで受けてきたどの授業よりも、感銘を受けました。
 本当に先生には人生においてとても大切なことを教わったと思います。
 その事を考え直し、思い起こしながら、様々な確信度をより高めていくつもりです。
 先生の授業はこのままで充分だと思います。
 これからも、たくさんの人に今まで私たちに教えて下さった事を伝えてあげてください。

 日本文学科3年 女
 今までうけたことのない種類の授業で、自分のためになったと胸をはって言える唯一の授業かもしれません。(学部の先生には申し訳ないですが)
 ありがとうございました。

 4以下も入れると88%、これに「前期で10まで変わったので今期は0」という回答や、プラスはあったが数値としてはわからないというのも入れると90%以上になり、これはほぼ例年どおりです。

 前にも書いたように、積極的な反応がきわめて鈍いのがとても物足りないのですが、しかし蒔かれた種は季節になれば芽を吹くものですから、それまでゆっくり待てばいい、と考えることにしましょう。

 しかしそれはそれとして、「先生の授業はこのままで充分だと思います」と書いてくれた学生もいるのですが、私としてはやはり、すぐに引いてしまう若者たちを前に進み出るように勇気づけるより効果の高い技法を編み出さねば……いやいや編み出せるといいなあ、と思っています。

 それは、若者も含め私たちの置かれている状況が、引けば安全が確保できるといったものではなく、引けば引くほど迫ってくる危険に対する対応がどんどん遅れてしまう、もうあえてリスクを冒して前に出るしかないという段階にあると思うからです。

 リスクを冒さなければチャンスはつかめない、ということを、どうやったら若者に実感させ、身に付けさせてあげられるのでしょう?




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最終授業2:授業効果

2006年12月22日 | 心の教育
 昨日で、もう1つの授業「仏教心理論」が終わりました。

 「仏教心理」ということで、前期『生きる自信の心理学』(PHP新書)の内容を、後期『唯識と論理療法』(佼成出版社)の内容を伝えてきました。

 各授業とも毎年この頃に、授業の効果を調査するために、「成績にまったく関係ないから、率直に書いてほしい」と言ってアンケートを取っています。

 アンケート項目の1つとして「授業を受けたことであなたの人生観・世界観にプラスの変化があったと感じていますか。0から10までのスケールで表現してください」というものを設けてあります。

 ある意味では、これがいちばん知りたいところです。

 今年のこのクラスは、回答者50名で、集計(9以下は累計の%)は以下のとおりでした。

 10   28%
  9   40%
  8   66%
  7   76%
  6   80%
  5   84%

 例年の平均とほぼおなじ傾向ですが、あえていうと10が28%は例年の25%くらいよりやや高めといったところでしょうか。

 ともかく例年、4以下も含めると90%の学生が「プラスの変化」を報告してくれています。

 0が1名、無回答が4名で、少し残念なのですが、これはコスモロジー教育=コスモス・セラピーがもちろん万能ではないことを示しています。

 しかしそれにしても、自己宣伝のようですが……自己宣伝ですが、コスモロジー教育の効果がそうとう高いことは確かだと思うのです。

 人生観が肯定的に変化した結果、自殺したり、落ち込んだり、人をいじめたり、殺したり……するはずはありません。

 改めて、ぜひ「自殺防止」や「いじめ対策」を考えている関係者のみなさんに、「半信半疑」でかまいませんから、ともかく検討してみていただきたいと願っているところです。



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自我確立~自己超越の心理学の講座終了

2006年12月20日 | メンタル・ヘルス

 昨夜は、サングラハの講座「自我確立~自己超越の心理学」の最終回でした。

 前回の「自己実現の心理学」での学びと合わせて、自我確立、自己実現、自己超越それぞれの段階にあるパーソナリティの特徴について、まとめの学びをしました。

 ちょうどいいことに、論理療法のエリスが、自我確立からやや自己実現にかかったあたりの「心理的健康」の13の基準をあげているのと、人間性心理学のマズローが「自己実現的人間」の17の特徴をあげているのと、アサンガ(無着)が「菩薩の32の特徴」について述べているのと、それぞれまとまった文章があるので、そのペーパーを配って、どこがどう違っているのかを考えてもらいました。

 そして一緒に考えて、講座の最後に、まとめました。

 自我確立段階では、「思慮深く、心理的に健康な人間は、まず自分自身に関心をもち、他者のより自分の関心事を少しだけ優先させる。そうした人々は、心をかけている人のためにはある程度自己犠牲も払うが、すべてを投げ出したりはしない」(エリス)というところがポイント。

 ところが自己実現段階になると、レベルアップして、「対立性・二分性の解決、欲望と理性のすばらしい調和状態」にあり、「利己的であることと利己的でないということとの二分性はなくなる」(マズロー)。

 さらに自己超越・菩薩段階に到ると、「一切の衆生を利益し、安楽ならせたいという意志をもっている」(アサンガ)。

 こうした自我以前→自我確立→自己実現→自己超越というパーソナリティの発達段階を知っていると、自分の人生の現段階の課題がどこにあり、究極の到達目標をどこに向ければいいのか、明快な展望が持てます。

 まだ自我確立が十分でないのに、直接、自己実現や自己超越を目指すと無理が来る危険があるので、目標として目指しながらも、一歩一歩段階を踏んでいくのがいいのではないでしょうか、と。





 1月からは、自己実現よりもさらに自己超越に比重がかかった心理学であるフランクルのロゴセラピーについて学んでいきます。


*この講座のCDも間もなくお頒けできる予定です。CDの案内をご希望の方は、okano@smgrh.gr.jp にお問い合わせ下さい。



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最終授業1

2006年12月19日 | メンタル・ヘルス

 1つの学部で今年最後の授業が終わりました。

 例年のようにアンケートを取ると、「授業を受けたことによって、人生観・世界観にプラスの変化があったと感じていますか。0から10までのスケールで表現してください」の欄に10と書いてくれる学生が、今年もかなりの数いました。

 とてもいいと思って思わず笑ったのは、「自信が付いた。結果、恋人ができた。相当な成果だと思う」というのでした。

 これは、「すごい成果」と言い換えるべきでしょう。

 しかし、それはそれとして、今年は達成感が十分ではありません。

 かなり感動したらしい感想を書いてくれた学生も、特に私にコミュニケーションを取ってこようとせず、反応-動きがどうも鈍いのです。

 これは、今年たまたまなのか、全体として若者がますます行動力・元気をなくしているのか。

 慣れと年齢のせいで、こちらの迫力・影響力が落ちているのか。

 ともかく、来年度に向けて、自分自身もアプローチの仕方もウ゛ァージョンアップする必要があるな、と思っています。

 さて、残り2学部2回で、今年は終わりです。






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改正教育基本法の生産的転用

2006年12月18日 | 心の教育

 改正教育基本法に対する私の姿勢は、すでに書いたとおりです。

 そこで、生産的に転用できる1つの大きなポイントを指摘しておきたいと思います。

 それは、「日本人の精神的武装解除」のカギになった旧第9条に対して、「宗教に関する一般的な教養……は、教育上尊重されなければならない」となっているところです。

 つまり2の「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」という文言が、実際には「(公立の)学校で宗教(神仏儒習合という日本の精神)の話はすべてしてはならない」というタブーとして機能してきたのに対し、これで、「公立の学校でも宗教の話はしてもいい、したほうがいい」ということにできるのではないでしょうか。

 私は、これまで公立の施設で仏教や神仏儒習合の話をすることについてずいぶん抵抗を受けてきました。

 それどころか、現代科学をベースにしているコスモロジー教育の話をしても、「あれは宗教っぽくて公立ではまずいんじゃないか」という陰の声があったりしました。

 オウム事件以降、日本人の宗教アレルギーはますますひどくなってきていました。

 しかし、体のアレルギーができるだけ治したい病気である以上に、日本人がごく正常・正当なアイデンティティを再確立するには、宗教アレルギーを克服して、普遍的な思想としての仏教とそれを核にした神仏儒習合という日本の精神的伝統を再発見することが不可欠だ、と私は考えています。

 もちろん、戦前的な国家神道の復活への危惧がまったくないわけではありませんが、それを本質的に克服するためにも、歴史的事実として、聖徳太子以来の日本の精神的伝統は仏教を中核とした神仏儒習合であって、国家神道、神道を最高絶対視することではないということをはっきりさせる必要があるのです。

 そういう意味で、公立、私立を問わず「宗教に関する一般的な教養……は、教育上尊重されなければならない」ことになったのは、うまく方向づけをすれば、本質的に生産的に機能させることができるのではないか、と期待しています。

 もちろん、そのためには影響力の大きなうまく方向づけすることのできる勢力、つまりオピニオン・リーダー群が必要です。




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サングラハ・第21期講座案内

2006年12月17日 | 生きる意味

 今、日本は、ここ8年連続で自殺者が3万人を越えるという悲惨な状況が続いています。それにはさまざまな原因があり、当事者にとっては他に道がないように思われたというつらい事情もあると思われますが、しかし社会全体の問題としては、生きる意味、しかも苦しくても生き抜く意味が見失われていることが深刻です。

 私たちの考えでは、生きる意味は事実として確実にある――というか人生の様々な時に創発するものである――にもかかわらず、そのことが見えにくくなっている、見失われている現代日本の文化状況が問題です。そうした不毛な文化状況に流されないためには、確固とした根拠に基づいて生きる意味を示してくれる人生観、世界観がぜひとも必要です。

 今期は、そこにテーマをしぼって講座を企画しました。

 従来、講座は東京に集中していましたが、ミーティング・ルームの開設に伴い藤沢でも行ないはじめています。20期は日曜の集中講座のみでしたが、今期から平日木曜日の夜の講座も開設することにしました。これまで参加できなかった方、ぜひお出かけ下さい。

 また日程は未定ですが、21期も1日、1泊2日のワークショップもできるだけ頻繁に行なっていきたいと思っています。決まり次第、HPやサングラハ誌でお知らせしますので、ぜひご参加下さい。



A講座:「生きる意味の心理学―フランクルに学ぶ」

             於 ヒューマン・ギルド(東西線神楽坂徒歩5分)

             1/9, 23   2,/6, 20  3/6, 20   18:45-20:45   火曜日全6回

 生きる意味がわからなくなり、ニヒリズム・空しさが当たり前という時代の雰囲気の中で、どうしたらかけがえのない私=実存の生きている意味を見出すことができるか。答えは最終的には自分で発見するものだとしても、ナチスドイツの強制収容所を生き抜いた記録『夜と霧』で知られるV・フランクルの心理学は、大きなヒントを与えてくれます。

 19期の「自己実現の心理学」、20期の「自我確立~自己超越の心理学」の受講者の方などから、フランクルのロゴセラピーについてもっと深く詳しく学びたいというご要望がありましたので、今期はフランクルの主著の一つ『死と愛――実存分析入門』(みすず書房)をテキストとしてやや本格的に取り組んでいきたいと思います。

テキスト:『死と愛――実存分析入門』(みすず書房)



B講座:「フランクルとコスモス・セラピー 入門講座」

             於 サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR,小田急藤沢駅徒歩3分)

             1/11, 25   2/8, 22 3/8,22   18:45-20:45   木曜日全6回 

 なぜ生きているのか? なぜ楽しい時、幸せな時だけでなく、苦しい時、不幸な時にも生きなければならないのか? 現代の教育や身心の癒しの現場で問われている根源的な問いにどう答えればいいでしょう。それは、専門家だけの問題ではなく、子どもたちの真剣な問いに直面する大人すべての課題でもあります。

 この大きな問いへの答えの決定的なヒントを与えてくれるものとして、フランクルのロゴセラピーと当研究所のオリジナル・プログラムであるコスモス・セラピーをできるだけ平易に紹介したいと思います。

テキスト:『生きる自信の心理学』(PHP新書)、『サングラハ』第81、2号、フランクル心理学特集。どちらもミーティング・ルームでお頒けすることができます。



C講座:「『摂大乗論』を読む」続

             於 不二禅堂(小田急線参宮橋徒歩5分)

             1/19 2/2, 16  3/2, 16, 30   18:30-20:30   金曜日全6回

 『摂大乗論』というタイトルは、「大乗を包摂して捉える」という意味で、唯識の立場から大乗仏教の全体像を描いた、大乗仏教の深層心理学・唯識の代表的な古典です。研究所の「サングラハ」はそのサンスクリット名にちなんでいます。人間のマイナス面・煩悩がどこから生まれるか、プラス面・覚りはどうすれば実現できるかを、きわめて明快に説いていて、その内容・主張は特定宗教・特定仏教の枠を超えた普遍性をもっています。

 研究所の思想的営みの原点として、全巻にわたって主要な部分を学び続けていますが、今期で最終の第十章を学び終えることになります。

 初心の方も、拙著『わかる唯識』(水書坊)、『唯識の心理学』(青土社)などをお読みになった上でなら十分ご参加・ご理解いただけるよう、わかりやすく解説していきます。また、これまでの講義はCDがありますので、そちらで学んでいただくこともできます。

 なお、講義の前に30分程度の坐禅を行ないますので、坐禅のできる服装をご用意下さい。 

テキスト:『摂大乗論現代語訳』(コスモス・ライブラリー)、コピーも配布します。



●受講料は、一回当たり、一般3、5千円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円×回数分です。

●申し込み、問い合わせは サングラハ教育・心理研究所・岡野へ、E-mail: okano@smgrh. gr. jp または Fax0466-86-1824で。



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改正?教育基本法の成立

2006年12月16日 | 持続可能な社会

 15日、参議院本会議で改正教育基本法が与党の賛成多数で可決され、成立しました。

 そこで、成立した政府案とこれまでの基本法の文部科学省のHPで公開されている新旧対照表を改めて読み直してみました。

 読みながら、道元禅師の言葉を思い出しました。

 「ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし(車の前方を北にしておいて南の国ベトナムへ向かおうとし、顔を南にしておいて北斗七星を見ようとするようなものだ)。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなへり(いよいよ〔苦しい〕生死輪廻の原因を集めて、さらに解脱の道を失ってしまっている)。」

 確かに、どこに向かいたいかその気持ちについては共感できるところもあります。

 戦後日本の教育基本法-戦後教育には、「個人の尊厳」や「個性」や「新しい日本」を重んじるあまり、「公共の精神を尊ぶ」ことや「自他の敬愛や協力」や「伝統を継承」することについて欠けるところがあった、と私も思います。1) 2)

 特に、日本人が日本という国に正当・妥当な愛国心を持つことが望ましい、そうでなくては国民的アイデンティティが確立できず、結果として個人のアイデンティティも十分に確立することも困難である、という感覚については、まったく同感です。 3)

 日本を本当に「美しい国」にしたいものです。4) 5) 6)

 そういう気持ちから表現された理念は、文面としては相当に妥当性があるように思えます。

 しかし、日本をますます競争社会にしようとしながら「自他の敬愛や協力」と言い、環境的に持続可能な社会とは正反対の大量生産-大量消費-大量廃棄型の経済成長の持続を目指しながら「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」と言い、やらせタウンミーティングをやっておいて「道徳心を培う」と言い、経済・財政が優先で福祉は後回しにされて行政を恨む人を増やしながら「国と郷土を愛する……態度を養う」と言う等々は、向かいたいという気持ちと実際に向かっている方向がまるで違っていると思えてなりません。

 これでは、いよいよ社会崩壊の原因を集めるだけで、現代文明の危機の一部としての日本の危機的現状から脱出する道を見失ってしまっているのではないでしょうか。

 基本的に経済-政治-福祉-環境のシステムを「競争社会」ではなく、「協力社会」に向けなおさなければ(神野直彦『「希望の島」への改革――分権型社会をつくる』NHKブックス、参照) 、美しい理念は美しいウソになってしまうでしょう。 7)

 当事者もウソをつくつもりはなく言った、そして他者に大迷惑をかけてしまうことになったウソほど悲惨なものはありません。

 既存のリーダーのみなさんとこれから誕生するであろう新しいリーダーたちに、「できたものはできたものですから、今後はこの改正教育基本法を生産的に転用して、『協力社会』を創り出すための教育の建前として機能させていくことにしませんか」と呼びかけたいと思います。



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日本を公正で透明な社会に

2006年12月13日 | 持続可能な社会

 今日の朝日新聞の1面に、「液晶大手を日韓当局調査――価格カルテルの疑い」という見出しの記事と、「やらせ質問約15回――タウンミーティング 首相含め処分へ」という見出しの記事がありました。

 大企業と政府・内閣府が不正を働いていたようです(まだ疑いの段階ですが)。

 それぞれ公正取引委員会と政府の調査委員会が調査した結果、明らかになりつつあるようです。

 事実だとして、それは監視する機関があったのでなんとか暴くことができたということでしょう。

 しかしこうしたことがあまりにも多いことから推測するに、これらは氷山の一角にすぎず、監視・暴露しきれない事例が実は山ほど隠れているのではないか、と思われてなりません。

 おそらく現在の監視機関の制度・人員・費用では監視・暴露しきれないのではないでしょうか。

 こうしたことが頻発するには、いろいろ事情-口実はあるでしょうが、1つは要するに当事者の「自分たちの利益のためには法を犯してもいい」「隠れてやってバレなければいい」というきわめて低劣な倫理観から出ていると言ってまちがいないでしょう(個人の内面象限の問題)。

 もう1つは、「赤信号みんなで渡れば恐くない」という川柳(?)があったように、法に関する意識がかなりいい加減という日本の文化の問題もあるでしょう(集団の内面象限の問題)。

 そのために、十分に費用などをかけた社会全体の不正に関する監視システムが整備されていないのではないでしょうか(集団の外面象限の問題)。

 その結果、数も種類も制度も人員も費用も不十分な監視機関しかなく、それぞれの機関が精一杯がんばってもあまりにも多い(らしい)隠れた不正を摘発しきれないのでしょう(個別の外面象限の問題)。

 どうすれば日本を公正で透明な社会にすることができるか、課題は非常に大きく見通しが付けにくいのですが、ともかく4つの象限すべてにわたって取り組む必要があり、どの象限の取り組みが欠けても根本的に解決しないこと、それから取り組みを始めるのはどの象限からでも始められること、この2つは確かだと思われます。



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福祉と経済は矛盾するか?

2006年12月11日 | 持続可能な社会

 少し前の朝日新聞の記事を小澤徳太郎先生が送ってくれました。

 とても重要なポイントが書かれてしますが、小さな記事なので、私同様、見落とした方も多いと思いますので、そのまま紹介しておきます。





 経済学者から始まって経済人や政治家に到るまで、日本のリーダー的存在の大多数が、こうしたスウェーデンのような事例があることつまり事実に反する思い込みを持っておられるように見えます。

 経済・財政と福祉は矛盾する、と。

 だから、経済・財政を立て直すには福祉は犠牲にせざるを得ないのだ、と。

 だから大きな政府ではなく小さな政府だ、と。

 はっきりそう言う場合もありますが、あまり言い過ぎると国民から背を向けられるので、「改革なくして成長なし」→「成長なくして福祉なし」というふうな言い方もされるようです。

 そして、経済・財政が最優先、福祉はその次、環境はさらにその次に余裕が出来たら取り組んでもいいが、今はそれどころではない、と。

 昨日NHKTVを見ていて、「一生懸命働いてもちゃんとした生活ができない=報われない方々=ワーキング・プア」が急増している現状を改めて知りました。

 景気が回復したといいながら、ますます痛みの強くなる人の増えている「改革」とは何だったのでしょう。

 しかも、経済成長はエネルギーの大量消費なしにはありえないから、クリーンでしかも大量に使える次のエネルギー源は原子力だ、等々と。

 そして、実際に経済・財政と福祉と環境のみごとなバランスを取りつつある国があるにもかかわらず、「あれは規模が小さいからできるのだ」などと、あまり論理的とは思えない理由で否認・無視し、「なぜできるのか」「どうしたら日本もそうできるか」と考えようとはされないようです。

 しかしうれしいことに、今回の朝日の記事は、「規模や負担の大小より政府の『働き方』が重要」と的確に報道・評論してくれました。

 国の規模に関わりなく、賢い政府がリードすれば、経済・財政と福祉と環境のみごとなバランスの取れた国を創ることは不可能ではないのではないか、と思われます。

 これから少しずつ、なぜそう考えるようになったか、この1年で集中的に学ぶことのできたポイントを紹介していきたいと思っていますが、とりあえず改めて、いくつか参考文献を挙げておきたいと思います。

 ぜひ、読んでみて、みなさんのご意見を聞かせて下さい。

1)小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)

2)岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』(岩波新書)

3)神野直彦『人間回復の経済学』(岩波新書)

4) 〃  『痛みだけの改革、幸せになる改革』(PHP研究所)

5)竹崎孜『スウェーデンはなぜ生活大国になれたのか』(あけび書房)



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開花の支度

2006年12月05日 | 歴史教育




 今日の大学の授業は、「十七条憲法」第四条から第八条まででした。

 帰り道、葉が散って疎らになった木立ちを見上げていて、ふと気づきました。

 コブシの枝先には、もう銀色の柔毛に包まれた蕾があるのです。

 冬の初めに春の開花の支度をしっかりと始めています。

 まだかなり先のことなのに、植物のいのちの営みはなんと確かなのだろう、と感心しました。



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