近代のプラス面

2005年08月31日 | 歴史教育

 「近代」または「近代化」は、西洋から始まったことです。

 これまでお話ししてきたとおり、日本は西洋に遅れて、明治維新の文明開化と敗戦によるアメリカ化の2段階を経て、いやおうなしに「近代化」してきた、あるいはさせられてきたわけです。

 半ば(あるいはそれ以上?)強制的だったという問題をいったん置くと、近代化にはもちろんたくさんのプラス面がありました。

 このプラス面のことばかりいっていれば、「進歩派」知識人と見なされて、進歩派のみなさんには受けがいいのですが……。

 しかし、これまでお話してきたとおり、近代的なコスモロジーには根本的な欠陥があります。

 さらにしかし、近代には非常に優れた面がたくさんあるわけで、私たちは驚くほどの質量で近代化の恩恵をこうむっています。

 そこをいわないと、公平を欠くことになりますし、そもそも先に進めないと思います。

 私のいいたいことは、「昔はよかった。昔へ帰ろう」ということではありません。

 伝統のいいところと近代のいいところのどちらも失うことなく、それぞれの悪いところは超えていく、という離れ業をなんとかやってみたいということです。

 さて、近代のどこが優れているのか、私の知るかぎりもっとも整理された論を展開しておられるのは、富永健一氏です(『日本の近代化と社会変動』、『近代化の理論』、『マックス・ウェーバーとアジアの近代化』〔いずれも講談社学術文庫〕)。

 富永氏の説を拝借して、まとめておきましょう(『近代化の理論』、特にp.35)。

 ①まず、技術的経済的領域の、特に技術面では、人力・畜力から機械力へという動力革命が行なわれました。それは、さらに情報革命にまで発展してきています。

 これは、労働が効率的になる、便利になるという意味では、圧倒的にプラスです。

 さらに富永氏は指摘しておられませんが、技術の中でも特に「医療技術」の発達を挙げておく必要があると思います。

 病気の克服は、人類の長年の夢だったのですから、これもまた近代のすばらしい成果です。

 経済では、第一次産業から第二次・第三次産業へと比重が移り、自給自足経済から市場的交換経済(資本主義)へと発展してきました。

 これは、産業化→社会の生産力の飛躍的な向上→貧困の克服という意味では、議論の余地なくプラスです。

 しかし、「貧困の克服」がなされているのは、先進国のみであり、また市場的交換経済=資本主義的生産様式がはたして有限の地球環境と調和するのかという点については、根本的に疑問がありますが、ここでは話の流れからややそれるので、置いておくことにしましょう(拙稿『自然成長型文明に向けて』参照)。

 ②政治的領域では、法が伝統法から近代法へと発展し、政治では、封建制が近代国民国家へ、専制主義が民主主義へと発展しました。おおまかにいえば、「市民革命」の成果です。

 個々人が多くの不合理な制約から自由になったという意味で、これもまた私たちが享受していて、決して後戻りできない、したくない、してはならない近代の大成果です。

 ③社会的領域では、社会集団は、家父長制家族から核家族へ、機能的未分化な集団から機能集団(組織)へと変化していきます。それと並行して、地域社会は村落共同体から近代都市へと「都市化」を遂げていきます。

 社会階層に関しては、身動きのつかない身分階層から自由・平等で努力しだいで移動が可能な社会階層になっていきます。

 抑圧的で硬直的な身分制から、自由・平等な社会になったことは、誰が考えてもすばらしい「進歩」です。私も、この点に関して、前近代の身分制がよかったとか、それに帰ろうなどとは夢にも考えていません。

 富永氏は、「核家族化」と「都市化」も含め、近代のほとんどを肯定しておられるようです(「私自身は近代主義者ですから、近代が終焉すべきであるとか、近代は超克されなければならないなどとは毛頭考えません。」前掲書p.468)。

 これも詳しく論じることはしませんが、私は、大家族から核家族へ、村落共同体から都市へという方向にも、単純に肯定できないものを感じています。

 しかし、私たちの多くが戦後、体験してきたとおり、大家族から核家族へ、村から都市へという流れを通じて、個人が多くのしがらみから解放されて、とても気楽に生きられるようになったという面があるのは確かです。

 ④文化的領域では、まず社会の主流の知識が神学的・形而上学的なものから実証主義的なものへと大変動を遂げます。「科学革命」と呼ばれるものです。

 それから価値に関する面では、「宗教改革」と「啓蒙主義」をとおして、非合理主義から合理主義へという、大きな変動・進歩がありました。

 もちろん、神学から実証主義へ、非合理主義から合理主義という変動は、ある面、大きな進歩・発展だったと思います。

 私は、トランスパーソナル心理学、仏教、宗教について論じることが多いので、しばしば印象だけで、実証主義から神学・伝統宗教へ、合理主義から非合理主義へという「反動的」なことを主張しているかのように誤解されることがあります。

 しかし、以上まとめた「近代化」の成果の主な部分に関して、私は大変な成果であり進歩であると考えています。

 そして、プラス面に関しては、「決して後戻りしてはならない、できない。それどころか、まだ不十分なところはさらに進めなければならない」と考えています。

 そういう意味で、近代を全面的に肯定する「近代主義者」ではありませんが、近代の成果は十分に評価しているつもりなのです。

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近代化の徹底とニヒリズム

2005年08月30日 | 歴史教育

 さて、ここからは江藤淳氏のいっていることではなく、私の推測です(といっても西谷啓治先生の『ニヒリズム』〔創元社版著作集第8巻所収〕などの示唆によるところが大きいのですが)。

 戦後、日本の教育界では、伝統的な神仏儒習合のコスモロジーと明治以後その上に乗っけられた天皇制ではなく、それに代えて、欧米、特にアメリカ的なコスモロジー、より具体的にいうと、「個人主義的な民主主義」と「物質科学主義的な合理主義」が教えられました。

 これは、明治以来のこととして考えると、「近代化」の徹底、しかも強制的に徹底させられた近代化といっていいでしょう。

 戦後日本の学校では、アメリカ-GHQの強烈な意志と強制的な指導の下で、そうした近代主義的な世界観があたかも唯一正しい世界観・人生観であるかのように教えられるという事態になりました。

 そこで起こったのは、結局のところ、「すべてのものは物質主義科学によって説明できる物質の組み合わせにすぎない」という結論に到るような知識と、「かつては家や国のために個人が犠牲にされてきたが、それは封建的で間違ったことで、個人の権利を尊重することこそ近代的であり大事なのだ」といった思想が、朝から晩まで、子どもの心に注入されるという事態だったのではないでしょうか。

 これは表のプログラムとしては、理性・科学や民主主義・ヒューマニズムを教えているのですが、その裏で、教える側も気づかないうちに、

 「人間も結局はただの物質であり、だから生きていることには結局意味がないし、人間を超えた神や仏や天などただの神話で、だから絶対的な善悪もない。そして、国や村や家などのために犠牲になるのは、バカげたことで、個人の権利こそ大事なのだ。だから、人間は自分を大事にして、自分の生きたいように生きるしかない。それは人間の権利なのだから」

というふうな人生観を教えた結果になっているのだと思われます。

 これはもちろんうまくいった場合、「人間は誰だって自分が大事だ。だから、人も大事にしなければならない」というヒューマニズムを教えることになるのです。

 しかし、人間を超えたより大きな何ものかの存在という絶対の根拠は考えられていません。

 ですから、ほんの少しずれると「人間は誰だって自分がいちばん大事なのだ。だから、余裕があるときは人も大事にするが、余裕がないときは大事にできなくてもしかたない」ということになります。

 さらにもう一歩進むと「人に迷惑をかけなければ、自分がやりたいことは何だってやっていい」という、小市民的なエゴイズムになってしまいます。

 さらに一歩誤ると「悪いことをしても、ばれなければいい」、さらに「悪いことをしてばれても、自分に力があって社会的な制裁を受けなければいい」というところまで行ってしまう危険を底に秘めています。

 もっと徹底すると、「生きていることには意味がない。だから、自分の好き勝手なことをして、死刑にされてもいい」というところまで行きます。

 恐るべきことに、もうすでに、心がそこまで荒廃した人間が現われていて、それを象徴する事件がいくつも起こっているのではないでしょうか。

 つまり、神も仏も存在せず、個々、ばらばらのモノがあるだけだという世界観は、理屈としてつきつめると必ず、「すべてには意味がない」、「善悪の絶対の基準はない」ということになります。これを「ニヒリズム」といいます。

 そして、人間の命もモノの寄せ集めにすぎないのですから、もちろん意味はないのですが、とりあえずなぜか生きていて、自分の気持ちのいい悪い、好き嫌い、快不快はありますから、それを追求して生きるしかないという考え方に到ります。それを、「快楽主義」といいます。

 しかし、そうしたところで、そういう考え方からすると、「死んだら元のばらばらのモノに帰って、すべて終わり」ですから、結局は意味がないのですが……。

 それを人生観としてつきつめると、うつ病になるか自殺するしかなくなります(実際、アンケートなどの調査から、うつや自殺願望の若者が驚くほど多いことがわかります。)

 しかし、たいていの人はなぜか生への執着はありますから、そこはつきつめないでごまかして、日々のいろいろな「気晴らし」で生きてくしかないということになるのです。

 近代主義(理性・科学や個人主義的な民主主義など)には、もちろん大きなプラス面があります(それについては次回述べていくつもりです)。

 しかし、近代主義的なコスモロジーを徹底すると、必然的にニヒリズム-エゴイズム-快楽主義に陥ってしまうという致命的なマイナス面があるのです。

(少し前まで若者に相当数の支持者がいたらしい宮台真治氏の主張などその典型的なものだと思います。私も寄稿している『宮台真治をぶっ飛ばせ』コスモス・ライブラリー、参照。)

(話を先取りしていっておくと、それは、人類が人類=ホモ・サピエンスとしての歩みを始めたときからずっと抱えていた〈分別知〉がもっとも発達したからこそ達したその限界だともいえるのですが。)

 欧米では、もっと早い時代に、近代的な理性・科学によってキリスト教の神話が批判され、もはやそのまま信じることはできないというふうになり、ニーチェという思想家の言葉でいうと「神の死」と「ニヒリズム」がやってきたわけです1) 2)

 そして、日本では開国-明治維新と敗戦という二段階のプロセスを経て、そういう欧米的な近代的な理性・科学が社会に浸透し、いまや「神仏儒習合」の世界観が決定的に崩壊しつつあって(いわば「神仏天の死」)、遅れて本格的なニヒリズムが社会を脅かしつつあるのではないでしょうか。

 現代日本の大人も子どもも陥っているように見える心の荒廃は、いちばん深いところでいうと、近代主義的なコスモロジーが必然的にもたらすニヒリズム-エゴイズム-快楽主義の問題なのだ、と私は捉えています。

 格言風にまとめてみましょう。「時代が病んでいるから、個々人も病む」と。

 したがって、個々人を癒すためには、時代(のコスモロジー)を癒す必要があるのです。

 「時代のコスモロジーを癒すなんてことができるのか?」という疑問が出てくるでしょう。

 できる、と私は考えています。そのことを示すのが、本講義全体の大きな目的の1つなのです。

 しかし、近代のコスモロジーの病を癒す、新しいコスモロジーを創造するというのは、大変な作業です。

 ブログ向きではないかもしれない、長い話にならざるをえませんが、時代と自分の心の病を癒したい方、ぜひ、根気よく付き合ってください。

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公教育と宗教の分離

2005年08月29日 | 歴史教育

 GHQの「情報操作」の第2は、きわめて体系的な「教育政策」です。

 最高司令官のマッカーサーは、1945年8月30日、厚木に到着すると、矢継ぎ早に占領政策を実施していきますが、その中の教育つまり精神性を変えるために行なった政策の中で重要なものを以下挙げます。

 45年には、10月22日、軍国主義的・超国家主義的教育の禁止の指令、30日、教育関係の軍国主義者・超国家主義者の追放指令、12月15日、国家と神道の分離の指令、31日、修身・日本歴史・地理の授業停止、教科書回収の指令などがあります。

 翌46年には、新年早々から天皇自身が天皇の神格化を否定した詔勅、いわゆる「天皇人間宣言」がなされます。

 そしてGHQの完全なコントロール下で憲法が制定され、11月3日、公布されます。

 ここで、現行の第9条を含むいわゆる「平和憲法」が護るべき価値のあるものかどうか、改正すべきかどうかという議論に立ち入るつもりはありません。

 話のポイントは、私たちの現行憲法がアメリカに決めさせられて決めたものだということは確実のようだ、というところにあります。

(といっても、しばしば質問されるので、あらかじめ答えておくと、私は、「現在の日本人の精神性は非常に低い水準にあるので、今改正しても、現行憲法以上にいいものが作れるとは思えないから、当分維持したほうがよい。しかし、かなり遠い将来、精神性の水準が高まって、よりよい憲法を作れるくらいになったら、その時には自主憲法を作り直すべきだ」という、時限的護憲-改憲論者です。)

 ここで指摘しておきたいのは、憲法全体がそうであるように、

 第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」も、

 第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。/何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。/国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」も、

日本人が自主的に決めたのではなく、決めさせられて決めたのだ、という点です。

 つまり、内容に価値があるかないかは別にして、この条文(憲法全体)の背後にはGHQ-アメリカの意図が潜んでいるということです。

 こういうと、進歩派の方はすぐに、「決めさせられたものだろうがどうだろうが、いいものはいいじゃないか」と反応されるでしょう。

 しかし、私は、「いいものだとしても、決めさせられたものですよね。そして、誰かが誰かに物事を強制的に決めさせる場合、何の意図もなく決めさせるということはありえないですよね」といいたいのです。

 バーンズ長官の声明からマッカーサーの一連の政策の流れまでを一貫したものとしてみていくと、その意図とは、表はもちろん「民主化」、裏は日本人の「精神的武装解除」だったと考えてまちがいないのではないでしょうか。

(このあたりまでの論旨は、主に江藤淳氏の『1946年憲法――その拘束 その他』、『忘れたことと忘れさせられたこと』〔文春文庫、現在品切れ〕の示唆によるものです。)

 さて、憲法の制定に引き続き47年3月31日、「教育基本法」と「学校教育法」が公布され、翌4月1日付けで施行されます。

 もちろん、依然としてGHQがうんといわなければ何も決められないという状況下で、アメリカの指導の下に決めたのです。

 さて、ここで決定的に重要なことは、「教育基本法」によって、公教育と、天皇制神道だけでなく日本の伝統的宗教全体(神仏儒習合のコスモロジー)が完全に分離されたことです。

 特にポイントは、第9条です。

 「第9条(宗教教育) 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。

 ②国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」

 この条文のどこに問題があるのでしょう? 「何も問題はない。当然のことだ」と感じる方が多いのではないでしょうか。

 しかし、まさにその「当然のことだ」という感じられるところに問題があります。

 この第9条、特に②は、実際にはどう機能したでしょう? あるいは、GHQはどう機能させたかったのでしょう? 

 私は、仕事上も個人的にもたくさんの教師の方と知り合いですが、聞いてみると、公立の先生方はほとんど例外なく、「公立の学校では宗教を教えてはいけない」と捉えています。

 条文をよく読むと「特定の宗教のための宗教教育……を」となっているのであって、「宗教教育を」とはなっていませんが、公教育の現場では、「公立の学校では、宗教を教えていけない」のだというタブーとして機能してきた――今でも機能している――のです。

 「だから、何が問題だというんだ?」と思われるかもしれません。

 「公立の学校では、宗教を教えてはいけない」、だから「教えない」、子どもの側からいうと「教わらない」ということは、こういうことです。

 日本の子どもの非常に多数が、学校で宗教つまり日本の「神仏儒の精神性」に触れることを原則的に禁止され、できなくなってしまったのです。

 検閲-言論統制と教育基本法-公教育と宗教の分離によって、日本の子どもたちは、日本のコスモロジーを学ぶ機会を、家庭と地域を除いてすべて、みごとに剥奪されてしまいました。

 非常にたくさん聞き取りをしましたが、戦後、公教育を受けた人の中で、学校で「神さま、仏さまを敬おう。天地自然に感謝しよう。ご先祖さまを大切にしよう」といった話を聞かされた人は、ほとんどいません。

 逆にいうと、戦前の公立の学校では、「天皇陛下」の話だけではなく、「神さま・仏さま、天地自然、ご先祖さま」の話も、ちゃんとなされていたのです。

 ところが、戦後、マスコミと学校という社会的な権威のある情報源で否定されてしまうと、親たちの多くは自信をもって子どもに神仏儒習合の精神を語り伝えることができなくなってしまいました。

 「学校の先生は、そんなこといってないよ」と子どもにいわれてしまうと、黙ってしまう親が多かったのです。

 しかし親ではなく、その上、つまり祖父母の中には、「これはとても大事なことなんだ」と信じ続けていて、一所懸命、孫に「神さま・仏さま、天地自然、ご先祖さま」のことを伝えようとした方も相当数いたようです。

 とはいえ、社会の大勢は、恐ろしいほどの勢いで、マスコミ、学校、家庭のすべてにおいて、「神仏儒習合」のコスモロジーを見失う方向へ向っていったといってまちがいないでしょう。

 こうして、日本人の「精神的武装解除」=伝統的精神性の剥奪=大和魂の骨抜きはみごとに成功したのです。

 さて、ここでもう一度。私は、右翼ではありません。最後まで、話を聞いていただけるとうれしいです。<
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アメリカの言論統制について

2005年08月26日 | 歴史教育

 GHQ=アメリカ占領軍司令部の行なった「情報操作」の第1は「言論統制」です。

 私たち戦後世代以降は、終戦後、アメリカは日本に「自由」(「言論の自由」を含む「民主主義」)をもたらしてくれた(だから、負けてよかったんだ。だから、「敗戦」とマイナスに思う必要はなく、「終戦」とプラスに捉えればいいんだ)、というふうなイメージを与えられていると思います。

 私自身、小学校低学年つまり戦後間もなく、学校の先生が実にうれしそうな顔をして、「きみたち、いい時代になったんだよ。人に迷惑さえかけなければ、自分の好きなように生きていいんだよ」というのを聞かされた覚えがあります。

 が、歴史的事実としては、GHQはまず約三年半にわたって徹底的な言論統制・検閲を行なったのだそうです(前掲、江藤淳『閉ざされた言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』文春文庫、参照)。

 それは、検閲を行なっているという事実そのものも知らせないという、歴史に類のない検閲だったといいます。

 例えば戦前の日本では、検閲された文書には、検閲されたことが明らかにわかる××、○○などの「伏せ字」があって、そこに何が書いてあったかわかる人には十分わかるような検閲でした。

 ところが占領軍の検閲は、検閲した跡が残らないように完全に修正したものしか発表、出版させないし、検閲されていることは報道させない。その結果一般の人は検閲されているとは思わない、という徹底したものでした。

 さらにその結果現在にいたるまで、一般の人(私もそうでした)は、「アメリカは日本に言論の自由を与えてくれた」と思っており、「一定期間、徹底的に検閲・言論統制された」とは、夢にも思っていないのです。

 しかし事実は、検閲を通して、大東亜戦争に関する自己弁護はいうまでもなく、戦前の伝統的な価値観つまり日本の伝統的なコスモロジーを評価・肯定するような発言も、完全に抑圧されたのです。

 絶えず検閲されていると、どういうことを書くと出せなくなり、どう書いておけば出せるかが飲み込めてきます。

 検閲され没にされてしまうと、大変な時間と費用の損失になりますから、そうならないよう絶えずあらかじめ自己チェックするところまでいくと、やがて、それは無意識の条件づけになってしまいます。

 そして、そういう統制の原理はやがて言論人にとって無意識のタブーになり、あたかも最初から自分もそう考えていたかのような気にさせられたのだ、と江藤氏はいっています

 そして少しでも伝統的な価値観を再評価するような主張を見ると、すぐに「右傾化の危険がある」と、始めから自分の考えであるかのように反応するようになった、というのです。

 こういう無意識的反応は、今でも進歩的知識人のほとんどに見られ、私の最近の主張など、一言いい始めても最後まで聞いてもらえず、即座に「それは危ないぞ」と反応されたりします。

 アメリカのマインド・コントロール、条件づけの永続的な効果たるや恐るべきものです。60年経っても効いているんですからね。

 そして心理学的に見たマインド・コントロールの特徴は、「マインド・コントロールされている人は、自分ではされていると思っていない。自分でそう考えているのだと思い込んでいる」ということですが、少し前までの私も含め日本人は、60年もアメリカのマインド・コントロール下にあることを自覚していないのです。

 このようにして、コスモロジー学習のために決定的に必要な情報源の1つ・報道機関から、日本のコスモロジーはみごとに剥奪されました。

 付け加えておくと、この言論操作がみごとなのは、3年半やればアメリカの望む世論を形成するに必要な程度の質量の言論関係者が条件づけられるので、後は「自由」にしても、彼らの間ではアメリカが教え込んだ枠の範囲内で「自主規制」が作動していくことまで見抜いていたらしい、という点です。

 そうなれば、大勢に影響のない範囲で、完全な「言論の自由」があるかのように、戦前的・極右的発言も極左的発言も放置しておいてもかまわなくなるわけです。

 もう一度。アメリカのマインド・コントロールの意図と効果は実に恐るべきものです。
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コスモロジー学習の情報源

2005年08月26日 | 心の教育

 生まれたばかりの人間の赤ちゃんはとても無力です。できることといえば、泣くこととおっぱいを吸うことくらいです。しかも、おっぱいも口のそばにもってきてもらって初めて吸うことができるのです。

 しかし、赤ちゃんの無力さは同時に柔軟さでもあります。専門用語では「可塑性(かそせい)」といいます。特定の本能的な能力で固まっておらず、教育によって驚くほどいろいろな能力を学習することができるのです。

 赤ちゃんの可塑性は大変なもので、ほとんどどうにでも形作ることができるといってもいいくらいです。

 ですから、よく挙げられる例ですが、オオカミに育てられた子どもはまるでオオカミのような行動をするようになるのです。

 そういうふうに、人間が人間になるには、必ず教育-学習が必要です。

 そして、人間は、もちろん他の要素もありますが、言葉をもっとも重要な核として文化を教育-学習します。

 言葉によって大人から子どもへ伝達-教育されるものは、現代風にいえば「情報」です。
>
 前回お話ししたことと重ねていえば、人間はコスモロジーをもつことなしには生きていくことができない、つまりまとまりのある言葉の束、システム化された情報をインプットされることなしには生きていけない生き物なのです。

 さて、赤ちゃん-子どもは、そうした情報をどこから得るのでしょうか? 情報源として、どんなものがあるか、考えて見てください。

 母親、両親、家庭……そうですね。これがまず最初の情報源です。

 それから?

 近所=地域社会、そうです。

そして?

 学校=教育機関、そしてマスコミ=報道機関……そのとおり。

 (最近、インターネットなど、従来と性質のまったく異なった情報源が出てきましたが、これはまだ幼児には使いこなせません。)

 敗戦直後の日本を考えてみると、①家庭と地域社会、②学校、③マスコミ(新聞、ラジオ、出版)のたった3種類が、コスモロジー学習の情報源だったのです。

 さて、日本人の「精神的武装解除」=大和魂の骨抜き=コスモロジーの剥奪と取替えを意図したアメリカは、この3種類のどれを押さえればよかったのでしょう?

 マスコミ=報道機関と学校=教育機関、そのとおりです。

 各家庭や地域は、押さえるにはあまりに数が多すぎて、実行不可能です。

 しかしマスコミと学校なら、十分、進駐軍=占領軍の司令部(GHQ)で押さえることができます。

 そして、実際、GHQは、報道機関と教育機関をみごとに押さえ、「精神的武装解除」を実行したのです。

 具体的にいうと、言論統制と教育政策(特に教育基本法、さらに特に第9条の②)という「情報操作」を徹底的に行なったのです。
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コスモロジーについて

2005年08月24日 | 心の教育

 さて、ここでより基本的なことを考えておく必要があります。それは、人間という生き物の特徴の問題です。

 人間は他の動物と異なって、本来・生まれつきの能力という意味での「本能」によって生きることができません。

 ほとんどすべてのことを「言葉・言語」を媒介にして後天的・人為的に作られた「文化」によって営むのです。

 ここで、言葉なしに人間らしい生活(つまり文化)ができるかどうか、想像してみてください。

 どう考えても、できそうにありませんね。

 つまり、人間は、本能ではなく言葉と文化によって世界を認識し、そのことによって生きていくという生き物です。

 世界がどういう秩序になっているかということを語る言葉の体系を、宗教学や民族学では「コスモロジー」といいます。世界の秩序(コスモス)を語る言葉(ロゴス)というギリシャ語の合成語からきています。

 人間特有の、世界観・人間観・価値観のシステムを「コスモロジー」というのです(そして、近代西洋の合理主義=無神論の登場までは、人類が作り出したコスモロジーはほとんどすべて宗教というかたちのコスモロジーでした)。

 人間は、そういう意味での「コスモロジー」なしには生きられない生き物です。

 人間が文化-コスモロジーによって生きることは、プラス面とマイナス面があります。

 プラス面は何よりも、本能のように先天的に決まっていないために、後天的に決める・変えることが自由自在だということです。

 人間が他の生き物とちがって地球のありとあらゆる環境に広がって生息することができたのは、文化-コスモロジーの柔軟性・多様性のお陰です。

 マイナス面は、文化-コスモロジーは後天的・人為的に作ることができるために、ありとあらゆるかたちにすることができ、そのため実際、生物の種としてはまったく1つでありながら、ほとんど別の生き物ではないかと思えるほど別々の文化-コスモロジーが出来てしまうということです。

 ところが文化-コスモロジーは、それを共有する特定のグループの人間にとっては生きていくためにもっとも重要な枠組みですから、それが自分と異なっていると、「あいつは変だ」、「あいつは異様な存在だ」から、もっとも極端な場合は、「あいつらは人間ではない」とか「あいつらは悪魔だ」とさえ思えてしまうのです。

 戦時中の日本人にとって英米の人々が「鬼畜英米」に思え、アメリカ人にとって日本人が「ジャップ」であり、野蛮で遅れていて低劣な人間に思えたのは、人間という生き物が抱えた文化-コスモロジーの相違と対立という問題が極端な状況において極端なかたちで現われた、ということだったと考えていいでしょう。

 そして「精神的武装解除」とは、勝った側が、負けた側のコスモロジーを「間違っている・野蛮だ・遅れている・低劣だ……」と否定して、自分たちの「正しい・文明的な・進んだ・優れた……」コスモロジーを強制的に教え込もうとした(そして相当程度成功した)ということだったのだと考えられます。

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崩壊の3つまたは4つの段階 2 アメリカの占領政策 1-1

2005年08月23日 | 歴史教育

 60年前、日本は大きな戦争(立場によって大東亜戦争とも太平洋戦争とも呼ばれる)に負けました。

 どこに負けたのでしょう? こう聞いて、すぐに「連合国」、特に「アメリカ」と答える学生はほとんどいません。

 そもそも8月15日を「終戦記念日」と捉えること自体、ほんとうはおかしいと私は思っています。はっきり「敗戦記念日」と自覚すべきでしょう。

 敗戦によって、日本の精神状況は根本的に変わりました。より正確にいうと、変えられて変わりました。

 日本は軍事力、技術力、経済力、そして精神力のすべてをあげて「総力戦」を戦い、そして負けたわけですが、どこに負けたかというと、連合国、特にアメリカに負けたのです。

 そして、その結果、アメリカに精神性をも変えられたのです。

 以下述べることのかなりの部分は、先年なくなられた文芸評論家江藤淳氏の『忘れたことと忘れさせられたこと』、『閉ざされた言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』、『一九四六年憲法――その拘束 その他』(いずれも現在文春文庫、ただし品切中)の受け売りです。

 私は60年代末の学生運動・全共闘運動には参加しませんでしたが、しかしかつてはどちらかというと心情的には左寄りのいわば良識的な進歩的知識人の端くれで、要するによく知りもしないのに、江藤淳は右翼で危険な思想家だという偏見を持っていて、十五年前くらいまでずっと読もうともしませんでした。我ながら偏見というのはこわいものです。

 ところが十五年前くらいから、「日本人の心を支えていたものは神仏儒習合の精神性だったのではないか」と思うようになり、それにつれて、「どうして日本人はそれを忘れたのだろう」という疑問が湧いてきて、ふと江藤氏の本にはそういうことが書いてあるのではないかと思って読む気になったのです。

 で、読んでみると、そういうことのすべてではなく、一部ですが、決定的に重要な一部がみごとに書いてありました。

 江藤氏によれば、戦争終結前後、アメリカは国務長官-大統領レベルの占領政策としてはっきりと「日本人の精神的武装解除をしなければならない」と考えており、いわば日本人の「大和魂」を骨抜きにして、二度と戦争をしない(つまり特にアメリカに逆らわない)国にすることを明確な意識的目標として占領後の政策を行なっているのです。

 以下は、江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』文春文庫、54~55頁の引用です。

 すぐに「右」とか「危険」とか反応しないで、事実が語られているかどうかという目で読んでみてください。

 九月四日付の「朝日新聞」に掲載されたワシントン二日発同盟の電報は、米国務長官バーンズの次のような声明を伝えている。

 《日本の物的武装解除は目下進捗中であり、われわれはやがて日本の海陸空三軍の払拭と軍事資材、施設の破壊と戦争産業の除去乃至破壊とにより日本の戦争能力を完全に撃滅することができるだろう。国民に戦争ではなく平和を希望させようとする第二段階の日本国民の「精神的武装解除」はある点で物的武装解除よりいっそう困難である。
 精神的武装解除は銃剣の行使や命令の通達によつて行はれるものではなく、過去において真理を閉ざしてゐた圧迫的な法律や政策の如き一切の障碍を除去して日本に民主主義の自由な発達を養成することにある。(中略)聯合国はかくして出現した日本政府が世界の平和と安全に貢献するか否かを認定する裁判官の役目をつとめるのだ。われわれは言葉ではなく実際の行動によつてこの日本本政府を判断するのだ》

 バーンズに「精神的武装解除」を主張させたのは、第一に報復への恐怖であり、第二に占領によって接触を開始した異文化への薄気味悪さであったにちがいない。異文化とは、異った価値基準を内包した文化にほかならないが、トルーマン、バーンズをはじめとする当時のアメリカの指導者たちは、この異文化を自らの文化に等質化し、異った価値基準を破壊して同一の価値基準を強制しない限り、報復の危険は去らないと考えたのである。サー・ジョージ・サンソムが、名著『西欧世界と日本』のなかで指摘している通り、このように「強力な政治的圧迫と高度に組織化された宣伝」とによって、一つの文化が「意図的」に、他の異文化に影響力を強制しようとしたのは、史上ほとんどその前例を見ることができない。
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白鳥座

2005年08月22日 | 生きる意味
 夏の夜、星座を見ると、生きているって不思議なことだなあ、と思いませんか?
 レイチェル・カースンさん風にいうと「センス・オブ・ワンダー」です。
 センス・オブ・ワンダーを感じることは、すてきな意味体験ですね。
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テキスト②

2005年08月21日 | Weblog
授業のテキストの②です。①は手元になかったので、後日掲載する予定です。
現代の若者・大学生諸君の大多数が、日本の精神的伝統の中核であった〈仏教〉について、ただ古臭く、抹香臭く、迷信的で……要するに自分には関係ない・意味ないと思っているようですが、授業を受け、本書を読んだ大多数の諸君(アンケート調査では約90%)が、「目からうろこが落ちた」、「仏教の見方が変わった」といいます。
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参考図書

2005年08月21日 | Weblog
参考図書『聖徳太子『十七条憲法』を読む』(大法輪閣)です。
日本仏教の原点である聖徳太子の思想が、日本初の「憲法」でもあるということの意味を明らかにしました。
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崩壊の3つまたは4つの段階1-3 神仏分離について 2

2005年08月21日 | 歴史教育

 私の考えでは、明治政府の神仏分離政策は、日本の千数百年の精神的な伝統を破壊するものであり、本質的な国の精神政策として見れば、状況上やむを得なかったとはいえ大きな失策という面がありました。

 しかしこれは、失策だがやむを得なかった、やむを得なかったが失策だった、という言い換えをするしかないくらいのことだとは思いますが。<

 なぜ、失策なのでしょう?

 それは、神・仏・儒の3つの世界観のなかで、論理的な普遍性がもっとも高く、そういう意味で中核的・指導的地位にあるべきなのは仏教だった、と私は考えているからです。

 天皇制神道は『古事記』『日本書紀』的な〈神話〉がベースになっていますから、近代の合理主義に対抗し普遍性を主張できるようなものではなかったと思います。

 やや横道の話ですが、戦前の知識人は、自分が主として学んだ近代合理主義と社会の建前としての天皇制神道(天皇は現人神・あらひとがみであるという〈神話的〉な思想)の大きな矛盾を抱え込まざるをえませんでした。これは、とてもつらい話です。

 また、硬直した儒教は、近代の人権・平等主義の立場からは批判されざるをえないところがあったと思います(儒教には、硬直していない、柔軟で妥当性のある面もあると私は捉えていますが、それもここでのテーマではないので省略します)。

 といっても、確かに仏教についても地獄-極楽といった世界観は神話的なもので、近代的な理性・科学の批判にたえられるものではありません。

 そして、人類の意識の進歩という視点からいうと、仏教にかぎらず神話的な宗教はすべてどうしてもいったん理性的な批判を受けるほかなかったともいえるでしょう。

 しかし、その中核にある縁起-空-慈悲といった概念を中心にした大乗仏教のエッセンスは、理性的な批判にたえられるどころか、現代においても、というより現代においてこそいっそう普遍的・世界的な「理性を含んで超える」妥当性を持つ思想だといっていいでしょう。

 (その中身については授業の後半でやっていきますが、先に学びたい人は、テキスト②岡野守也『唯識と論理療法』(佼成出版社)を読んでください。)

 そういう意味で、神仏儒習合の中核は本来仏教であるべきだったのです。そして、実は仏教を中核とした神仏儒習合こそ、飛鳥時代から江戸時代末まで千数百年にわたる日本の「国のかたち」だったのではないかと思うのです。

 (この点について関心のある人は、岡野守也『聖徳太子『十七条憲法』を読む』(大法輪閣)を読んでみてください)。

 それに、当時の日本の思想状況からすれば、神仏儒習合の心で国民的エネルギーを結集し、しかも理性・科学を十分踏まえて仏教の神話的な部分を払拭し、普遍性のあるエッセンスだけを取り出し、それを核にして神仏儒習合の意味を読み直して、日本人すべてが合意できる新しい精神性に昇華させる……などということは神業に近いことだったでしょう。

 ですから、こういうことは後の世代の「後知恵」としていえるだけのことで、あまりいっても仕方のないことでしょう(「ならば、いうな」といわれそうですが、でもいってみたいんですねぇ)。

 (仏教の普遍的・哲学なエッセンスを取り出すという思想・学問的な作業をしたのが、いわゆる「京都学派」でしょう。代表的には西田幾多郎、田辺元、西谷啓治、久松真一、加えて欧米でよく知られている禅学者鈴木大拙などの名前が思い出されます。)

 しかし、そうした分離-弱体化の始まりにもかかわらず、庶民レベルでは、日本人の心を支えていたものは依然として神仏儒習合の精神性だったと思われます。

 日本の庶民――例えば田舎のおじいちゃんやおばあちゃん――は、「神さま・仏さま・天地自然・ご先祖さま」の上に「天皇陛下」が乗っかっても、まるで矛盾など感じず、「そういうものなんだ」と思いながら、それらを信じ敬いながら、けっこうのどかにやすらかに暮らしていたのです。

 今でも地方では、居間に神棚、仏間に仏壇、そして鴨居の上に天皇皇后両陛下の写真(場合によっては、昭和天皇だけではなく、明治天皇から)が飾ってあるという家がかなり残っているのではないでしょうか。

 それが、戦前の日本人の心や社会の穏やかさ・安定性の基礎になっていたのだと思われます。

 もちろん、「昔はよかった」、戦前がすべてよかったなどといいたいのではありません。何よりも戦争という悲惨な出来事がありました。

 江戸時代ほどではないにしても依然として身分差別はあり、社会全体として貧困が克服されていたとはいえませんでした。医療制度も社会福祉制度もまったく不十分でしたし、思想や信条、表現などは非常に不自由でした。<

 しかし、相当数の80歳以上――すなわち戦前・戦中の日本人の暮らしを大人として体験している世代――の方に、「なるべくよくありがちな『昔はよかった』というふうな美化をしないように、できるだけ正確に思い出していただいて、日本の社会は戦前と今とでは、どちらがよかったと思いますか」という聞き取りをしましたが、貧しかったけれども、社会や家庭の平和さ、人の心のやさしさやまじめさなどの点でいえば、「やっぱり昔のほうがよかったと思う」と答えられた方がほとんどでした。

 ほんとうにそうなのかどうか、みなさんも機会を作って、ぜひ聞き取り調査をしてみてください。
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崩壊の3つまたは4つの段階 1-2 神仏分離について 1

2005年08月20日 | 歴史教育

 話を少し元にもどしましょう。

 第二に、江戸時代の経済は驚くほどのリサイクル可能な経済だったようで、一定の人口ならば(1説では幕末の人口は3千万人くらい)、このまま何百年でも生態系を壊さないで生活していけるシステムができていたという説もあるほどです。

 どのくらいリサイクルができていたか、ユーモラスなエピソードがあります。

 当時、人間の糞尿は畑の肥料として利用されており、役に立つものでした。

 それどころか、近隣の農家が江戸市中の長屋などに汲み取りに来て、代金を払って帰るくらい価値あるものでした。

 さてそこで、長屋の糞尿は長屋の持ち主の大家さんに権利があるか、それとも出した借家人にあるか、どちらか代金を受け取るかで、もめたという話があるのです。<

 糞尿は汚物として金をかけて処理するものではなく、肥料として野菜を育てたのですね。 みごとなリサイクル経済です。

 こうした例はたくさんあるのですが、ここのテーマではありませんから、省略します。

 とはいっても、もちろん、人口が過剰にならないよう調節されているのは、一方では医療が未発達で治らない病気も多く、多くの子どもが幼くして死ぬとか、また堕胎や間引きといった悲惨なことも行なわれたためだったようで、すべてがよかったといいたいのではありません。

 しかしともかく、江戸時代の日本は、ある面ではエコロジカルに持続可能な社会システムの形成という現代の課題をすでに先駆的にかなりみごとに達成していたという評価もできるのです。

 繰り返しいうように、江戸時代には身分差別や抑圧・搾取や貧困などの大きなマイナス面があったことを無視するわけではありませんが、しかし大きなプラス面、相当な歴史的達成もあったといえるようです。

 そして、そうした平和と調和の達成を支えていた思想・世界観が「神仏儒習合」だったのです。

 ところが、黒船によって、無理矢理に開国させられ、植民地化の危機に立たされたとき、明治維新の志士たちは、人々のエネルギーを結集し国難に対処するための原理を、神仏儒習合の世界観ではなく、水戸学や国学に求めました。

 これはどちらも、天皇絶対性・天皇制神道を原理にしているものでした。<

 確かに、人々が一致団結して国難に対処するための統一原理、精神的エネルギーの源泉として、当時の日本には他に持ち札・選択肢がなかったにはちがいありませんが、そこから大きな問題も生まれてきました。

 それは、1868年、維新が実現した時点で、いわゆる「神仏分離」がなされ、国学-天皇制神道が他と切り離されて国教化されたことです。

 そして、当然ながら学問としては洋学が優先されました。

 黒船が象徴していたのは、言い換えると西洋のもつ軍事力、鉄の軍艦を太平洋を越えて派遣するだけの産業力、それを可能にした技術力、そのバックにある科学、さらにそのベースにある近代の合理主義-西洋的な理性でした。

 志士たち=明治の指導者たちが黒船から受けたのは、西洋近代文明の圧倒的な力に対するショックだったといっていいでしょう。

 そこでかろうじて、国民的エネルギーを結集する原理としては「天皇制神道」を、西欧の力に対処するには「文明開化=西洋化」を、という2本立ての対策を立てたのです。

 それに際して、「忠君愛国」や家族主義の原理としての儒教道徳は残されましたが、仏教は天皇制や忠君愛国の倫理に反しないかぎりにおいて許容されるというふうに、大幅に格下げされました。

 ここに、日本の伝統的な精神性であった「神仏儒習合」の総合的な力が落ちる始まりがあります。

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崩壊の3つまたは4つの段階 1-2 神仏分離について 1

2005年08月20日 | 歴史教育

 話を少し元にもどしましょう。

 第二に、江戸時代の経済は驚くほどのリサイクル可能な経済だったようで、一定の人口ならば(1説では幕末の人口は3千万人くらい)、このまま何百年でも生態系を壊さないで生活していけるシステムができていたという説もあるほどです。

 どのくらいリサイクルができていたか、ユーモラスなエピソードがあります。

 当時、人間の糞尿は畑の肥料として利用されており、役に立つものでした。

 それどころか、近隣の農家が江戸市中の長屋などに汲み取りに来て、代金を払って帰るくらい価値あるものでした。

 さてそこで、長屋の糞尿は長屋の持ち主の大家さんに権利があるか、それとも出した借家人にあるか、どちらか代金を受け取るかで、もめたという話があるのです。<

 糞尿は汚物として金をかけて処理するものではなく、肥料として野菜を育てたのですね。 みごとなリサイクル経済です。

 こうした例はたくさんあるのですが、ここのテーマではありませんから、省略します。

 とはいっても、もちろん、人口が過剰にならないよう調節されているのは、一方では医療が未発達で治らない病気も多く、多くの子どもが幼くして死ぬとか、また堕胎や間引きといった悲惨なことも行なわれたためだったようで、すべてがよかったといいたいのではありません。

 しかしともかく、江戸時代の日本は、ある面ではエコロジカルに持続可能な社会システムの形成という現代の課題をすでに先駆的にかなりみごとに達成していたという評価もできるのです。

 繰り返しいうように、江戸時代には身分差別や抑圧・搾取や貧困などの大きなマイナス面があったことを無視するわけではありませんが、しかし大きなプラス面、相当な歴史的達成もあったといえるようです。

 そして、そうした平和と調和の達成を支えていた思想・世界観が「神仏儒習合」だったのです。

 ところが、黒船によって、無理矢理に開国させられ、植民地化の危機に立たされたとき、明治維新の志士たちは、人々のエネルギーを結集し国難に対処するための原理を、神仏儒習合の世界観ではなく、水戸学や国学に求めました。

 これはどちらも、天皇絶対性・天皇制神道を原理にしているものでした。<

 確かに、人々が一致団結して国難に対処するための統一原理、精神的エネルギーの源泉として、当時の日本には他に持ち札・選択肢がなかったにはちがいありませんが、そこから大きな問題も生まれてきました。

 それは、1868年、維新が実現した時点で、いわゆる「神仏分離」がなされ、国学-天皇制神道が他と切り離されて国教化されたことです。

 そして、当然ながら学問としては洋学が優先されました。

 黒船が象徴していたのは、言い換えると西洋のもつ軍事力、鉄の軍艦を太平洋を越えて派遣するだけの産業力、それを可能にした技術力、そのバックにある科学、さらにそのベースにある近代の合理主義-西洋的な理性でした。

 志士たち=明治の指導者たちが黒船から受けたのは、西洋近代文明の圧倒的な力に対するショックだったといっていいでしょう。

 そこでかろうじて、国民的エネルギーを結集する原理としては「天皇制神道」を、西欧の力に対処するには「文明開化=西洋化」を、という2本立ての対策を立てたのです。

 それに際して、「忠君愛国」や家族主義の原理としての儒教道徳は残されましたが、仏教は天皇制や忠君愛国の倫理に反しないかぎりにおいて許容されるというふうに、大幅に格下げされました。

 ここに、日本の伝統的な精神性であった「神仏儒習合」の総合的な力が落ちる始まりがあります。

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崩壊の3つまたは4つの段階1-1 黒船について

2005年08月20日 | 歴史教育

さて、授業を続けましょう。

 「1853年という年は、何があった年か記憶していますか?」と学生諸君に聞いて、すぐに答えが返ってきたことは、これまで一度もなかったように思います。

 後で聞いてみて、入試に日本史を選んだという学生でもそうでしたから、いかにこの年号の意味が理解されていないか、よくわかります。

 そういっている私も、意味がわかるまでは、こんな年号――丸暗記が大の苦手でそもそも年号というものそのものが――覚えられなかったんですけどね。意味がわかったら、一度で覚えました。

 恋人の誕生日を忘れたりはしませんよね? 意味のある数字なら、忘れないものです。

 ウェッブ上学生のみなさんは、いかがですか? 日本――そして現代の日本人である私たちにとって、1853年という年は決定的に重要な年なのですが。

 ご存知だったみなさん、そのとおりです。ペリー提督率いる黒船が浦賀にやってきた年です。

 黒船は、いうまでもありませんが日本見物に来た観光船ではありません。貿易に来た商船でさえありません。れっきとした軍艦です(アメリカ東インド艦隊)。

 当時の日本側が持っていた大砲など及びもつかないほどの破壊力を持った大砲を積んだ、アメリカの圧倒的な軍事力を象徴する船だったのです。

 このペリー-黒船(――圧倒的な軍事力を背景にした圧力――によって、日本は無理やりに「開国」させられました。

 ここで、押さえておかなければならないのは、日本は好んで開国-文明開化を行なったわけではなく、アメリカ-黒船によって無理やりに開国させられたということです。

それは、結果として開国-文明開化がよかったか悪かったかという問題とは別のことです。

 私たちは(少なくとも私は)、戦後の歴史教育を受けたため、江戸時代はひたすら封建的で、閉鎖的で、西洋文明からは遅れていて、身分差別が激しくて、農民は貧しくて……というイメージを持たされてきましたが、今、価値観の物差しを換えてみると、江戸時代は実は人類史でも珍しい大きな達成をした時代だといえる面も持っています。

 (もうこのあたりで、「右翼的だ」とか「自由主義史観か」いった反応をぜひしないでいただけるとうれしいのですが。)

 つまり、第一に、江戸時代の日本はほとんど三〇〇年近く、原則的には、他国を侵略せず、また侵略されない、平和な独立国家を維持したのです。これは、世界史的に見て驚くべきことです。

 何しろ西洋世界は、15世紀末から始まった「大航海時代」以来、最近まで、アジア・アフリカ・アメリカ世界に対して、ひたすら「植民地化」、すなわち侵略行為をずっと続けてきていたのですから。

 そして、もちろん一揆などもあり、天草の乱などの内乱もありましたが、 日本は全体としては非常に安定した平穏な社会だったようです。

 国の内外での、「持続する平和の実現」という物差しで見ると、これは大変な達成というほかありません。

 (もちろんアイヌや琉球の人々に対する行為が侵略でなかったなどといいたいのではありません。しかし西洋世界の徹底的に意図的、計画的、持続的な植民地化政策とは質も量もまったくちがっていると思います。だから、「原則的には」と但し書きをつけたのです。)

 スペインがフィリピンを植民地化し、さらに日本に手を伸ばそうとしていた頃、その危険を察して、日本は(豊臣から徳川にかけて)、「鎖国」の方向に向かいました(「鎖国令」は1635年、実際の最終的鎖国は1639年)。

 黒船の時点とちがって、この時点ではスペインやポルトガルなどと日本には軍事力の圧倒的な差はついておらず、したがって日本の意志による「鎖国」は可能であり、それは植民地化への正当かつ有効な自己防衛の策でありえた、と考えられるのではないでしょうか。<

「鎖国したおかげで日本は遅れた」と教わってきましたが、「鎖国したおかげで植民地化されなかった」という面については、まったく聞かされた覚えが私にはありません。

しかし、江戸の鎖国も明治の開国も、考えてみれば、欧米の植民地化政策への対抗・防衛措置だったのですね。

 黒船-開国-文明開化によって、日本も「侵略せず侵略されない国」から、近世・近代の欧米諸国並みに植民地化政策を採用する=「侵略する国」へと、「富国強兵」、「欧米列強に伍す」、「追いつき追い越せ」と、「国のかたち」(司馬遼太郎のことば)を変容-発展させざるをえなくなったのです。

 そして、国のかたちが変われば、心のかたち=精神性も変容せざるをえなくなったわけです。
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かつての日本人が信じていたこと

2005年08月20日 | 歴史教育

 かつて(戦前)日本の子どもの多くが悪いことをして親から叱られる時、いわれる言葉にはパターンがあったようです。

 もっとも典型的なのは、「罰が当たるぞ」です。

 では、誰が罰を当てるのでしょうか。日本語に特徴的な主語の省略された文章ですが、聞いた人にはわかるのです。

 罰を当てるのは、神さまか仏さまですが、いちいち「神さまの罰」とか「仏さまの罰」と区別して断らなくても、親にも子にもなんとなくわかった、というところがミソです。

 (お盆にお寺参りをすると、本堂の脇に地獄、六道、極楽などの図がかけられていて、子どもはおばあちゃんなどから、ああいうことになるんだよ、と言い聞かされたものです。)

 そういう考え方が、ほとんどの人に共有されていたからこそ、子どもにも効き目があったのです。

 すなわち、明治維新以前までの日本人のほとんどが精神的に共有していたのは、「神仏儒習合的な世界観」だったのです。

 言い換えると、何を畏れるべきか、何を恥じるべきか、人は何のために、どう生きるべきか、何が正しくて何が悪いのか、日本人の心の健全さを支えていたのは、神・仏・儒、どれか一つの宗教ではなく、三つの宗教の総合的あるいはまさに「習合的」な力だったと思われます。<

(念のためにあらかじめいっておくと、これからお話ししていくように、そこには問題点や欠陥もまちがいなくありました。プラス面だけではなくマイナス面もあったのです。)

(また、これは、ルース・ベネディクト『菊と刀』以来、定説のように言われてきた、日本の文化は「恥の文化」であって「罪の文化」ではない、という説とどう関連するのか、面白くかつ重要なテーマだと思いますが、残念ながらまだ十分考え切れていません。)

 ところがそうした国民的合意が、いまや崩壊しつつある。そこに問題の根があるのだと思います。

 つまり、「どうしてこんなふうになったのか?」という問いに対する、私の答えの第一歩は、「日本人の心の健全さを支えていた神仏儒習合の世界観が崩壊しつつあるからではないか」ということです。

 では、どうして神仏儒習合の精神が崩壊しつつあるのでしょう。それは、明治維新以来、三つないし四つの段階を経てそうなってきているというのが私の推論・仮説です。

 話の先を知りたい人は、よかったらテキスト①岡野守也『コスモロジーの創造』(法蔵館、特に後半)を読んで予習しておいてください。

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