心の中の口癖を直す 1

2005年09月30日 | メンタル・ヘルス

 心の中のネガティヴな口癖を直すことを、「セルフ・トークの取替え」といいます。

 どうすればセルフ・トークを取替えられるのか、前回の典型的な例からいくつか取り上げてやってみましょう。

 まず、「私ってダメなヤツ(最低、最悪etc)」からいきます。

 自分の中にこういうセルフ・トークがあることに気づいたら、「本当に私はダメなヤツなんだろうか?」と自問します。

 「私はダメなヤツ」というのは、いいかえると「私=ダメなヤツ」ということですね。

 もし本当に「私=ダメなヤツ」だとしたら、私にはいいところはゼロでなければなりません。

 でも、「ダメなヤツ」といっていることの中には、自虐だけではなく反省の気持ちも一部含まれていたりしませんか? そこには真面目さも含まれていませんか?

 それに、反省心や真面目さだけではなく、きっとほかにもたくさんのいいところがあるはずです。

 そうすると、事実をより正確に表現すると、「私にはダメなところもあるけれども、反省できるような心や真面目さといういいところもある」ということになるはずですね。

 「私にはダメなところがある」という事実を「私=ダメなヤツ」と思ってしまうのを「誇大視」といいます。

 ここで「十円玉のワーク」を思い出してください。

 それは、マイナスの十円玉を目にくっつけて、視界が十円玉でいっぱいになっているだけなのに、世界が十円玉でいっぱいだと錯覚しているのではありませんか?

 マイナスの十円玉を遠ざければ、十円玉は視界の一部、そしてさらに世界のもっと小さな一部にすぎません。

 そして、大事なことは、自分の悪いところといいところと、どちらに心を集中するのが元気になれるだろう? ということです。

 元気なのと元気がないのと、どちらが自己改善の意欲が出てくるでしょう?

 意欲があるのとないのとどちらが実際に改善できるでしょう?

 もう、いうまでもありませんね。

 ではまず、「確かに私にはダメなところもあるかもしれないけれど、私には反省心や真面目さや……いろいろいいところもある」といいかえてみましょう。

 心の目の180度回転のワークです。

 さらに、「確かに」や「私にはダメなところもあるかもしれないけれど」をとって、「私には反省心や真面目さや……いろいろいいところがある」といいかえてみましょう。

 心が少し元気になってきませんか?

 これは見る方向を変えて見るものを変えているわけです。

 嫌でなかったら、自分の中の元気がなくなる面ではなく、元気が出てくるような面を見ませんか?

 そして、心の元気が回復してきたら、「でも、ダメなところもあるから、改善しよう! 私ならきっとできる!」と自分に言い聞かせてください。

 自己改善意欲、向上心のあるあなたなら、きっと自己改善・向上ができます!

 ちょっとおまけで、「最低」と「最悪」も取り上げておきましょう。

 「私って最低!」とセルフ・トークをする癖のある方、よかったら一緒に考えてみてください。

 「最低」とか「最悪」というのは、厳密にいうと「世界一悪い」という意味ですね。

 でも、ほんとうに、あなたは「世界一悪い」人なのですか?

 そんなこと、ありえませんよね?

 ヒトラーやアル・カポネよりひどい人なんて、そこらへんにはなかなかいませんからね。

 それよりなにより、そういうひどい、世界一悪い人がこんな自己改善のためのブログを読むなんてことはありえない……でしょうから、読んでいるあなたは「世界一悪い」はずがない、「最低」「最悪」ではありえません。

 世界の人口は今63億人あまりだったと思いますが、あなたは「最低」つまり上から数えて63億番目なのですか? 悪いほうのランキングでは63億人中の1番なのですか?

 もちろん、そうではありませんね? あなたの上にも下にもかなりの数の人がいるはずです。

 ならば、「誇大視」して誇張された表現を使って、自己虐待するのはやめましょう。

 まず、「私には、あまりレベルが高いとはいえないところがある」と言い換えましょう。

 続いて、「でも、少しはいいところもある」と。

 さらに、「私には、いいところもある」と。

 そして、「私には、いいところがある!」と。

 前にもいいましたが、能力や長所は認めると伸びる、という法則があります。

 ダメなところに目を向け注目して落ち込むのより、いいところに目を向け注目して元気になって、もっといいところを伸ばすほうが、誰にとってもはるかにいい選択だと思いませんか?

 もし気に入ったら、「私はまだまだだけど、でもいいところもある。それを伸ばすこともできる。よっし、もっと向上しよう!」というセルフ・トークをやってみてください。

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心の中の口癖を直そう

2005年09月29日 | メンタル・ヘルス

 人間の心には、いろいろな癖があります。

 なかでも「落ち込み癖」というのが、とても困る、しかしよくあるものです。

 自分で自分を認めるワークをし、お互いに認め合うワークをして、いったん元気になっても、また日常生活に戻ると、落ち込み癖も戻ってくる、というケースがしばしばあります。

 しばしばというより、ごくふつうにあるといってもいいくらいです。

 ですから、これまで熱心にネット授業に参加し、ワークもやってみたけれど、効果は一時的だったという方、どうぞがっかりしないでください。

 長いことかかってつけた癖はすぐには直りませんが、続けて実践していけば、ゆっくり直っていきます。

 そのための方法を、もう1つ、ご紹介しましょう。

 それは、「セルフ・トークの取り替え」と呼んでいるものです。

 私たち人間は、いつも心の中で言葉をめぐらせることによって考えています。

 その言葉のパターンが落ち込むようなものだと、当然ながら考えが暗くなり、そして気分も暗くなるわけです。

 そこで、どうするかというと、まず自分のなかでほとんど自動的にめぐっている否定的なセルフ・トークを見つけて、ちゃんと自覚し、それからそれを肯定的なセルフ・トークと取り替える練習を繰り返せばいいのです。

 今回はまず、自分の中の否定的なセルフ・トークに気づくというワークをやってみましょう。

 これは、それほどむずかしいものではありません。

 1人で静かに落ち着けるところで、「落ち込んでいる時に、よく心の中でめぐっている言葉のパターンは、どんなものだろう?」と自問してみるのです。

 そうすると、何かというと自分で自分にいって落ち込ませている言葉のパターンが見つかるはずです。

 典型的な例を1ダースほどあげてみましょう。

 1 私ってダメなヤツ(最低、最悪etc)
 2 私には、いいところなんて1つもない。
 3 私は、何もできない。
 4 私って、まるでバカ(頭が悪い)。
 5 私って、まぬけ(ドジ、のろまetc)だから、どうせ何をやってもうまくできるわけない。
 6 バカみたいに思われるから、私は何もいわないでいたほうがいいんだ。
 7 私って、全然カッコ悪い。
 8 自分なんて、嫌いだ。
 9 私はだれにも愛されていない。私ってかわいそう。
 10 私なんか、生きててもしょうがない。死んだほうがいいんだ。
 11 私には、酒(あるいはタバコetc)さえあればいいんだ。あとは、どうでもいい。
 12 すべて○○(例えばアイツ)が悪いんだ。いつか仕返ししてやる。

 こういうセルフ・トークやそれに似たものが、毎日、心をめぐっていませんか?
 
 もし、そうだったら、落ち込まないほうが不思議くらいです。

 特に1から10は、自分で自分に意地悪をいっている。自分で自分をいじめている。自己虐待をしているのです。

 私はみなさんによくいうのですが、「自己虐待も虐待です。虐待は人権侵害です。たとえ自分のであっても、人権侵害はしてはいけないんです。人権を侵害するのは、やめましょう!」と。

 私たちは、基本的人権として、人からも自分からも虐待されない権利をもっているのではないでしょうか。

 だとしたら、自分の人権を尊重して、自分で自分にやさしくしなければならないのではありませんか?

 ネガティヴなセルフ・トークを見つけて、はっきりそれは自分への人権侵害であることに気づいて、自分にやさしいポジティヴなセルフ・トークと取り替えて、自分の人間としての健やかに生きる権利を尊重してあげることにしませんか。

 次回、取り替え方をお伝えしますが、その前に、自分でちょっとトライしてみてください。

 例えば、「私には、いいところなんて1つもない」に対しては、事実に基づいて徹底的に反論して、「そんなことはない! 私には、~といういいところもあるじゃないか。~といういいところもあるじゃなか……」と、ポジティヴなセルフ・トークをしてみると、きっと元気が出てくると思います。

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認め合えば自信は深まる

2005年09月28日 | メンタル・ヘルス

 前までのところで、「自分で自分を認め、人を認め、そして人からも認められる」というのが、本当の自信を獲得するための、有効で確実な方法であることをお伝えしました。

 もう少し、定義風にいうと、「自信とは、自己承認と他者承認がバランスよくある状態である」(『生きる自信の心理学』39頁)ということになります。

 しかし自信喪失・落ち込み状態にあると、なかなか能動的に人を認めるということはできません。

 そこで、まず自分で自分を認めることから始めるのですが、さらにワークショップでは、次のようなワークを行なっていきます。

 参加者が2人ずつでペアになってもらい、お互いに自分で確認した自分の長所を相手に話します。

 これは、最初は恥ずかしがる人が多いのですが、何度もいうように技(わざ)ですから、わざとらしくてもいいから、わざわざやってくださいといって、やっていただきます。

 聞く側になった人は、相手が自分の長所・いいところはこういうところだと自己申告するのを、よく聞き、共感し、そしてそれを表現している言葉をしっかり覚えるように努力してもらいます。

 当然、6つ以上あがりますから、覚え切れないようなら、メモを取ってもらって、しっかり把握してもらうのです。

 これを相互に行なったら、次に、相手が自己申告したことと自分が発見したことを合わせて、その人をいいところをあげながら、徹底的にほめます。

 その人がうれしくて、恥ずかしくて、もう舞い上がりそうになるくらい、賞賛・絶賛のシャワーを浴びせてあげるのです。

 それからさらに、相手に自分の長所の中でも「特にこれが自分のいいところ、人から認めてほしいところ」と思っていることを聞き、そこをほめてあげます。

 私たちは誰でも、「ここをほめてほしい」と思っている、いわば「賞賛のツボ」があります。 

 そのツボを押されると、何とも快感なのです。

 ワークショップで、このワークをすると、みんな満面の笑み、大笑いになって、とても楽しい雰囲気になります。

 そして、ペア同士、参加者同士、みんな「認め合う」仲間になっていきます。

 このワークは、日常生活ではちょっと恥ずかしくてやりにくいかもしれませんが、親しい友達同士や恋人同士、家族同士で、あえてゲームとして、あるいは元気づけ合うためのわざとして、わざわざ、わざとらしくやれば、やってできないことはないでしょう。

 よかったら、ぜひ、やってみてください。

 それから、やはり、ワークショップに来て、ぜひ、グループの中で体験していただきたいと思います。

 これは、参加者の多くが「1度体験すると癖になる」というくらい人気のあるワークの1つです。

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変わるか変わらないかはあなたの自由です。

2005年09月26日 | メンタル・ヘルス

 自信のない状態から自信のある状態へ、元気のない状態から元気な状態へ変わるというのは、パーソナリティ(一般的な心理学用語)あるいはアイデンティティ(エリクソンの用語)あるいはライフスタイル(アドラーの用語)の大きな変化です。

 自信・元気がないのよりあるほうがいいと思うのですが、自信を獲得する方法をお伝えすると、かなり多くの方が、「できない、やりたくない」、「変われない、変わりたくない」という反応をされます。

 そういう反応をしたくなる気持ちは、とてもよくわかります。

 これまでの自分のスタイル-アイデンティティを変えるというのは、とても大変なことですからね。

 ですから、方法を学んだ上で、やらない・変わらないという結論を出すとしても、当然ながらそれはご本人の自由だと思います。

 私は、みなさんによくいうのですが、「強くお勧めはしますが、決して強制はしません」。もちろん、したくてもできませんしね。

 私は、心のあり方しだいで、ほとんどの人が今よりは幸福、かなり気が楽、いくらかでも耐えやすくなると考えていて、できるだけたくさんの人にそうなって欲しいという、頼まれもしない余計なお世話の心がありますので、とても残念でならないのですが、人間には心のあり方を変えないまま・不幸なままでいる権利もあるようです。それは、認めざるをえません。

 しかし、でも、けれど……です。そういう方に会った時、ちゃんとお気持ちをうかがった後で、いつもこんなふうに質問させていただきます。

 「お気持ちは、ご本人ほどわかるとはいいませんが、私なりによくわかる気がしますが……あえて聞きますけど、ずっと不幸なままでいたいですか?」

 「そんなわけないでしょう!」と怒りで反応される方も含め、私が接したかぎりではすべての方が、「いたくありません」、「なれるものなら、幸福になりたいです」といわれます。

 「では、変わるための方法をやってみませんか?」とお勧めすると、「それをやると自分が自分じゃなくなってしまう」といった答えが返ってきたりします。

 「それは、今までのような自分じゃなくなる、という意味ですよね? でも今までのような不幸な自分はいつまでも変わらない、変われない、本当の自分なんでしょうか? 自分って、小さい時から今までいろいろ変わってきたし、これからも変わっていくものなんじゃないでしょうか? それから、自分で変えることのできるものなんじゃないでしょうか?」と、問いながら、一緒に考えていきます。

 「不幸な自分が自分だからといって、不幸なままでいたいですか? それとも、幸せな自分に変わりたいですか? 〈自分〉の中には、不幸という感情を感じている部分だけではなく、不幸な自分を幸福な自分に変えようとする意思や力を持った部分、自分の核のような部分があるんじゃありませんか?」

 気がつくと不思議なことのようでもあり、当たり前のようでもあることですが、ある年齢になると人間には意思的な〈自己〉が出来てきます。

 その意思的な自己は、それまでの自分の状態を冷静に観察し、それを変えようとし、実行する力を持っているのです。

 「自分で自分を変える」というのは、そういうことです。

 私は、みなさんが「自分で自分を変える」ためのお手伝いをすることはできますが、「私があなたを変える」なんてことはできませんし、するつもりもありません。それでは、「洗脳」になりかねませんからね。

 それでも、「変わりたくないんです!」といわれる方がいます。

 「本当に変わりたくない場合は、変わらなくてもいいんです。でも、本当に変わりたくないのなら、なぜ、私の本を読んだり、ここに来られたりしたのでしょう?……もしかするとそれは、変わりたいという気持ちと変わりたくない気持ちがどちらもある、ということなんじゃありませんか?」と、私はお答えします。

 もしそうなら、ご自分の中で、「自分は本当には変わりたい=幸福になりたいのだろうか? それとも変わりたくない=不幸なままでいたいのだろうか?」と、どちらの気持ちがより重いのか、本当にはどうしたいのか、よく自問して、自分の本当の気持ちをはっきりさせて、それに素直になってください。

 「素直になりたくない、なれない!」というのも、もちろん自由です。

 それからもう1つ、こういう疑問もよくあります。

 「そんな簡単なことで変われるんですか?(そんなことでは変わらないんじゃないかと思うので、やりたくない)」。

 お答えは、「やってみてください。飲まない薬は効きませんからね」、「これまで、ちゃんと繰り返しやってくださった方の大多数――アンケート調査では約90%――が、多かれ少なかれ、いい方向に変わった、といってくださってます」。

 その場合、順番が大切です。

 すぐに人を認めよう・愛そうとしなくていいんです。そうしないほうがいいんです。

 それは、ガス欠で走ろうとするようなものです。

 まず、自分で自分をしっかり認めてあげましょう。

 心のエネルギー補給をしっかりやってください。

 「私ってダメなヤツ」とか「私ってイヤなヤツ」といったセルフ・トークを中止して、「私にもそれなりにできることやいいところがある」→「私にはできることやいいところがある」→「私っていいんじゃない?」というふうに、セルフ・トークを変えてみてください。

 それから、これは自分1人ではできないことで、相手が必要ですが、次回、「認め合いのワーク」というのもご紹介します。

 これは、体験した方はみんな口をそろえていうことですが、「とても効きます」、「元気になれます」。ご期待ください。

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強力な協力に感謝!

2005年09月25日 | メンタル・ヘルス

 ここのところ、人気ブログランキングで7位の壁を超えられない状態が続いていましたが、寝る前にのぞいたら、ついに6位になっていました。

 広く伝えたいというのが第1の願いで、順位はそれほどどうでもいいのですが、やはり1位になると、注目度が上がって広がるだろうということと、それからもちろんまだマナ識――深層の自我にこだわる心――が浄化されきっていませんから、つい競争心が働いて、なるべく上へという願望もあるので、ちょっとじりじりしていないこともありませんでした(←微妙な表現ですね)。

 よっし! 1段階ブレイク! 生きる自信のメッセージ、日本中に広がれっ!

 みなさんの強力な協力・支持、心から感謝しています。今後ともいっそうよろしくお願いします(なんだか、選挙演説風ですが)。

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認められたかったら認めよう

2005年09月25日 | メンタル・ヘルス

 「比較をやめて、自分自身に事実としてある能力や長所をしっかりと認めれば、事実そのものはゆらぐことはありませんから、気持ちもゆるがないはずです」といいました。

 これがしっかり実行できたら、かなりの程度「本当の自信」が身についてきたはずです。

 しかしこれは、原理はシンプルでも実際にはそれほどやさしくないと感じる方もかなりの割合でいるようです。

 それには主に2つの理由があるのではないでしょうか。

 まず第1は、競争社会に生まれ育ってまわりからあまりにも比較ばかりされてきたため、頑固な癖になっていて、なかなか比較をやめられない人が少なくないということです。

 しかしある程度の年齢になると、人間はだんだん自律性が高まってきますので、比較されることによってつけられた比較する癖に気づいたら、自分の意思で直す、あるいは別のよりよい癖をつけ直すことができるのです。

 よりよいものの見方が癖になるには、かなり意識的な繰り返しが必要です。

 意識的な繰り返しの努力が必要です。

 努力しないで癖が直せるといいのですが、そういう安易で便利な方法は残念ながら私は知りません。

 しかし努力すれば直せるというだけでも有り難いことだ、と私は思うのですが、いかがでしょうか?

 次に第2は、人間は生まれる時から父母との関係の中で生まれるのであって、自分で自分を生むことはできませんし、かなりの年齢になるまでは自分で自分を育てることもできないので、他者と関係なく自分の心を形成することはできないということです。

 父母などまわりの人から、ありのままの自分を認めてもらうことができず、親から見ていい子であるとか、能力があるとかいう条件づきでしか認められたことがないという人がたくさんいます。

 そしてさらに、まわりの要求する条件がなかったので、ほとんど認められなかったという残念な幼少期を過ごした人も少なくありません。

 他者からありのままの自分を認めてもらうという体験なしに、自分だけでありのままの自分を認めるというのは、幼い時にはほとんど誰にもできません。

 したがって、まわりに認めてもらえなかったので、自分を認められないまま・自信のないまま大人になったという人もかなり多いようです。

 しかし、非常に幸いなことに人間はある程度の年齢になると、自分だけでありのままの自分を認めようという意識的な決断をし、努力をすることもできるのです。

 「誰が認めなくても、私は私自身を認めるんだ!」と。

 そうはいっても自信を持って生きていくには、他者からの承認もできるだけあったほうがいいに決まっています。

 ここが決定的なポイントですが、ある程度の年齢になりちゃんと方法を学んだら、私たちは他者からの承認を勝ち取ることも十分に可能なのです。

 ただし、それには考え方の大転換が必要です。

 私たちは、子どもの頃はまず人から認められる・愛されることを求めますし、それは自然なことです。

 しかし、大人になったら、まず人を認める・愛することを先にすることもできるのです。

 私は、若者たちに、「これは、大人の鉄則です。人から認められたいのなら、まず人を認めなさい。愛されたかったら、まず愛しなさい」と伝えます。

 「人を認める」というと、「どうすればいいんだろう」と思う人もいるようです。

 それは、まず簡単なことから始まると思います。

 人に会った時、相手を認めていれば、当然、挨拶をするでしょう?

 それから、おそらく笑顔を向けるでしょう?

 時には話しかけるでしょうし、相手の話を聞くでしょう。

 好意や関心を示す言葉をかけたり、相手が話したがっていることをちゃんと聞くでしょう。

 相手が何を望んでいるかに気を配り、できるだけ希望に沿うよう努力するでしょう。

 こうしたことを自分の方から先にするように心がけると、私の経験では7、8割の人がちゃんと応えてくれます。

 挨拶には挨拶、笑顔には笑顔、言葉には言葉、行為には行為……。

 話をよく聞いてあげた相手は、こちらの話も聞いてくれます――ただし、これはちょっと割合が減りますけどね……。一方的に話すばかりの人もいますので。

 そして、それは覚悟しておいたほうがいいのは、してあげても、して返さない人も、一定の割合ではいるということです。

 しかし、幸いにしてちゃんと返す人の割合のほうが多いようです。

 だとしたら、大人になったら、人が認めてくれるのを待っていないで、こちらから人を認める言動を能動的にしていくことです。

 そうすると、かなりの頻度と程度で、相手もこちらを認める言動をしてくれるものです。

 こういう、認めることによって認められるという体験を重ねていると、だんだん「私は人から認められている」という感じを得ることができます。

 そして、自分で自分を認めることと人から認められることが繰り返されていくうちに、次第にゆるぎなき本当の自信が育っていくのです。

 さあ、ここで判断と決断をしましょう。

 子どものように、すねたり、ふてくされたり、落ち込んだりしながら、人が認めてくれて自信をつけてくれるのを待っているのと、大人になって、意識的・能動的に自分で自分を認め、人を認め、そして人からも認められるように行動していくのと、どちらが「本当の自信」への近道でしょうか?

 そして、あなたは、どちらの道を選択しますか?

 判断し、決断するのは、あなたです。


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ナルシシズムは自信ではない

2005年09月24日 | メンタル・ヘルス

 さて、もう1つ、「本当の自信」ではないと私が考えているのは、「ナルシシズム」です。

 ご存知のとおり、「ナルシシズム」とは古代ギリシャの神話に出てくる美少年ナルキッソスの話にちなんで作られた心理学的な用語です。

 ナルキッソスは、実際に美しい少年で、ある日散歩していて、泉に映る姿があまりに美しいので自分に恋をしてしまい、他の少女に恋をすることができなくなったというのです。

 この、ナルキッソスの「ナルシシズム」の場合、「うぬぼれ」と違って、事実、彼は美しいのです。

 (これも言葉の使い方の問題ですが、私は事実の裏づけが薄弱なのを「うぬぼれ」、裏づけはあるのを「ナルシシズム」というふうに区別しています)。

 ですから、これは「自信」といってもいいかもしれません。

 しかし、人間の意識は自分だけでは成り立たないようにできています。

 かつて60年代から70年代にかけて、アメリカの心理学の世界で「感覚遮断実験」というのが行なわれたことがあります。

 ボランティアの学生や社会人に、光も音も匂いもなく暑くも寒くもない温度の部屋に入ってもらい、中にいる時間が長くなったら味のない飲み物・食べ物だけを摂ってもらう、というものでした。

 その結果、早い人ではもう数時間後には意識が朦朧として混濁しはじめ、何日も入っていた人は、大きなダメージを受け、正常な意識状態に戻るまでにそうとう時間がかかるということが明らかになったのです。

 つまり、意識はそれ自体で成り立っているのではなく、いつも外からの刺激があることによって維持されているということです。

 そして、「自信」というのはいうまでもなく意識の1つの状態ですから、他からの承認・評価という刺激が一切ない状況では、獲得-確立-維持することはとても難しいのです。

 なんだか、今までいってきたことと矛盾したことをいっているように思われるかもしれませんが、そうではありません。

 戦後日本では、人から今の社会のものさしだけで比較して量られて、自信を失うということになりがちなので、自信を回復あるいは獲得するための技術的な手順として、いったん比較をやめて、事実そのものに目を向け集中することをお勧めしただけで、他からの承認・評価をまったく無視しようとか、無視できるとかいったわけではありません。

 それどころか、「本当の自信」つまりゆらぐことのない自信を得るには、できれば、できるだけ、他者からの承認・評価も得たほうがいいのです。

 ところが、「ナルシシズム」状態の人=ナルシストの場合、自分で自分を認めているのはいいのですが、他の人の能力や価値にはほとんど関心を示しません。

 その人がすごい美人や美男であるとか、すごい才能があるとかだと、最初は多くの人がその人を評価し、誉めそやしたりします。

 しかし、自分だけ認めてこちらは認めてくれない人と長く付き合うと、ほとんど法則的に嫌になってくるのではありませんか?

 ナルシストと長くつきあうと、たいていの人がうんざりしてくるようです。

 つまり、最初はその人のすばらしいところを認めていたのですが、だんだんその人そのものは好きじゃなくなる、つまり認めたくなくなるのです。

 つまり、ナルシストは他者からの持続的な評価を受けることがとても難しいので、自分だけで自分を認める努力を続けなければならないことになり、とても疲れるのではないでしょうか。

 さらに、人からの評価を受けられなくなることに対する不安をいつも心の奥に抱えることになると思われます。

 さらに加えて、例えば美しさや才能は、事実今はあったとしても、人間は変化し老いていきますから、ナルシストはナルシシズムであるためのネタをいずれ失うかもしれないという意味でも、どこかに不安を抱えているようです。

 そして、傲慢な人とおなじく、不安を抑圧するために力まなくてはならなくなるのです。

 心の奥に不安を抱え、力まなくてはならないような自信・ナルシシズムも、ふつうの意味でいえば自信の一種でしょうが、私の定義する「本当の自信」ではありません。

 さて、ここまでで、優越感、傲慢、うぬぼれ、ナルシシズムと本当の自信との違いがどこにあるかがはっきりしたと思います。

 しかし、実際の人間の心は、こんなにすっぱりと分析・整理できるものではなく、それぞれの要素が入り混じったりしています。

 ただ、こういうふうに整理して考えておくと、「本当の自信」を自分のものにしていく上で、よぶんな混乱を避けることができると思うので、あえて整理してお話ししたわけです。

 自分のことを振り返るためのヒントだと思ってください。

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うぬぼれは自信ではない

2005年09月23日 | メンタル・ヘルス

 さて、もう1つ自信と混同されがちなのが「うぬぼれ」です。「ひとりよがり」と言い換えてもいいでしょう。

 「うぬぼれ」は漢字で書くと「自惚れ」で、自分で自分に惚れ込んでうっとりしている状態です。

 「ひとりよがり」とは、まさに言葉のとおり、自分ひとりで勝手にいい気になっている状態のことです。

 うぬぼれ・ひとりよがりは、人から見ても確かにそうだなと思える事実に基づいていないのが特徴です。

 いちばんよくわかる例は、けっこうよくあるケースですが、カラオケで歌がちっともうまくないのにマイクを独り占めして独りよがりで歌い続けている人がいます。

 もちろん自分ではうまいと「うぬぼれ」ているんですね。

 でも、事実はうまくない。

 もちろん、誰もその人が歌がうまいとは認めていませんし、そういううぬぼれ状態を心よく思ってはいません。

 これは、とてもはた迷惑で、かつとてもみっともなく恥ずかしい状態だと思うのですが、本人は気づいていないのです。

 こういう状態も、本人はいいと思っているのだから「自信」の1種だといえないこともありませんが、私は、「本当の自信」とはいえないと思うのですが、いかがでしょうか?

 「本当の自信」は、ゆるぎない事実に基づいている必要がありますし、かつできるだけ人から見てもそのとおりであることが望ましい、と思います。

 実は、そういう「本当の自信」があれば、優越感に浸ったり、傲慢になったり、うぬぼれ・ひとりよがりをする必要がなくなるのです。

 *さて、ここでネット学生のみなさんにお断りですが、昨日から実際の大学の後期授業が始まりました。それにしても、長い長い夏休みでした。
 これから、かなり忙しくなるので、これまでのような頻度で記事を更新するのが少しむずかしいかもしれません。
 たくさんの方に元気が出るメッセージを伝えたいので、できるだけの努力は続けるつもりですが、そこのところを予めご理解いただけると幸いです。

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傲慢は自信ではない

2005年09月22日 | メンタル・ヘルス
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 「本当の自信」は、他人と比較して上か下かという相対的な「自分」ではなく、比較することのできない絶対的な「自分そのもの」を認めた時に確立する、と私は考えています。

 授業でそういう話をしていたら、「それは、ナンバー・ワンじゃなくてもいい、オンリー・ワンになろう、ということですね」といった学生がいましたが、そう、そういうことです。

 ある学生はこういう感想文を書いてくれました、「僕は僕であることについては誰にも負けない」と。

 「負けない」と表現するところに、まだ比較癖が残っているけれども、かなりいいところまで来たなと喜んだことです。

 しかし、世の中にはそういうのではない自信を持っている人がたくさんいるようです。

 「自信たっぷり」、「自信満々」、「自信過剰」、「傲慢」……。

 しかし、「傲慢」は「本当の自信」ではありません。

 「傲慢」とは、自分がある特定のことについて一定の優越性を持っていることだけに心が集中し、さらに固着・硬直して、優れているのは特定のことについてだけであることや、一定程度にすぎないことを無視して、ひたすら自分の優越感を感じ、優越性を人に誇示するような態度のことですね。
 
 そういう硬直しひずみのある優越感が性格として固定してしまっているのを「傲慢な人」といいます。

 しかし私の見てきたかぎり、そういう傲慢な人も、心のどこか――意識と無意識の境のあたり――で、自分の優越性が本当は相対的なものにすぎないことを知っています。

 そして、だから、それが時と場合では劣等感に転落してしまいかねないことも知っているようです。

 そのために、傲慢な人は心の奥のほうで不安を抱えていると思われます。

 しかし、不安を意識化すると、それこそゆらいでしまいますから、意識しないように、心の中で抑圧しているのです。

 感情は必ずエネルギーを伴っているので、抑圧するには力が必要です。

 そしてまた、不安な自分を人に知られるのは、自分の弱みを見せることで、劣等性に陥ると思っています。

 だから、傲慢な人は、自分の中でも、人に対しても、力まなければならなくなります。

 事実ありのままに・自然にゆるぐことのない自信があるのではなく、必死に力みながら自信があるつもり、自信がある風を装っているのです。

 しかも、自信というのは、事実として自分に与えられているものを自覚するのがポイントですが、やはり他から認めてもらえたほうが確立しやすいことも確かです。

 ところが、傲慢な人は、ほとんど法則的に人に嫌われます。……「傲慢な人が好き」という方はいませんよね?

 もちろん、その人にお金や地位や権力があるために、ゴマをする人はいるでしょう。

 しかし、それが本当にその人を尊敬したり愛したりしているのではなく、お世辞や追従にすぎないことは、本人も心のどこかで知っています。

 本当は嫌われている(のかもしれない)と思いながら、「オレに力があるかぎり、人はおれにお愛想をふりまいて、ついてくる。嫌でも認めざるをえないんだ」と一所懸命力んでいるというパーソナリティの状態は、哀れでもあり、また人迷惑でもある、と思いませんか?

 そういう心の奥に不安を抱えて力んでいる、哀れで人迷惑な状態・傲慢さを、私は「本当の自信」とは定義しないのです。

 私たちが、「自信過剰」だなと感じるのは、自信がほんものでなく、そういう「傲慢さ」に陥りつつある途中の状態のことなのではないでしょうか。

  「本当の自信」は、事実にぴったり合った心の状態ですから、「不足」にも「過剰」にもなることなく、いつも「適切」なのだと思うのです。
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優越感は自信ではない

2005年09月21日 | メンタル・ヘルス
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 さて、このあたりまで講義が進んでくると、必ずといっていいくらい出てくる疑問があります。

 ネット学生のみなさんも、たぶんおなじような疑問が湧いていると思いますので、それに答えていきましょう。

 まず①は、「能力や長所が少ししかないのに、自信なんか持てるんだろうか、持っていいんだろうか?」というものです。

 こういう疑問の裏には、「人と比べてものすごく優れていなければ、自信を持つことはできない」という考え方があると思われます。

 すでにお話ししてきたように、私たちは競争社会に生きていますから、どうしても人より優れていることが価値だと思いがちです。

 そして、自分が人より優れていると思っている状態、つまり「優越感」が「自信」だと思いちがい・混同しているのです。

 思いちがいといいましたが、言葉は定義しだいでいろいろな意味を持たせることができますから、「優越感=自信」と定義してもいけなくはありません。

 しかし、私は、「優越感」は「本当の自信」ではない、と定義しています。

 優越感というのは、他と自分を比較して自分が優越しているという気持ちですから、比較が前提になっています。

 したがって、もし比較して劣っていたら、劣等感を感じざるをえないということになります。

 つまり、優越感と劣等感は裏表なのです。

 そして、世界で一番でないかぎり、自分より下を見ると優越感を感じることができても、自分より上は必ずいますから、その人に対しては劣等感を感じざるをえません。

 「高校の時は成績が上位で自信があったのに、大学に来たら自分よりできるのがたくさんいて、自信を失った」という学生がよくいますが、私は、「それは、優越感が劣等感になったということだよね?」と問いかけ、優越感と自信のちがいの話をしていきます。

 さらに、あらゆる分野で世界一という人はありえませんから、自分にできることが評価される場面では優越感を感じられても、自分にできないことが評価される場面に行ったら、とたんに劣等感を感じなければならなくなります。

 例えば、頭はいいけれどスポーツは苦手という人は、頭のいいことが評価されるグループでは優越感を感じることができるのですが、スポーツができないとバカにされるようなグループに入ると、とたんに劣等感を感じさせられることになります。

 そういう、こちらでは優越感を感じても、あちらでは劣等感になるというふうに、ゆらいでしまう「自信」は、私の定義では「本当の自信」ではありません。

 「本当の自信」とはゆるぐことのない自信でなければならない、と思うのです。

 さてでは、そんな「自信」を得ることなんてできるのか? できる、というのが私の授業で伝えたいことです。

 まず、比較をやめて、自分自身に事実としてある能力や長所をしっかりと認めれば、事実そのものはゆらぐことはありませんから、気持ちもゆるがないはずです。

 といっても、比較しておいては「オレってダメだな」とセルフ・トークする癖があまりに強くついていると、すぐに事実が見えなくなって、気持ちがゆらいでしましがちですから、いつも事実を見る癖をつけ直す必要があるわけですが……。

 だいじょうぶです、ついた癖なら、つけ直すことも可能です!
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5つの質問のコメント

2005年09月20日 | メンタル・ヘルス

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 5つの質問、してみましたか?

 する気にならなかった方と、あまりうまくいかなかった方のためにちょっとコメントをしておきましょう。

 ①は、まさにどんなにささやかなことでもいいんです。例えば、今朝はちゃんと起きて学校に間に合ったとか、レポートを期限どおりに出せたとか、アルバイト先でちゃんと仕事をこなせたとか……。

 ネガティヴなセルフ・トークによくあるのですが、「私は何をやってもダメだ。すべてうまくいかない」というのは、まったく事実に反しているし、自分を落ち込ませるだけで、とても損なセリフです。

 何かはうまくやれている、それどころかかなりのことがうまくやれているから生きているんです。

 「すべてうまくいかない」のが事実なら、もうとっくに死んでしまっています。

 誰も頼んでいないのに、自分で自分を落ち込ませるような事実に反したセルフ・トークをするのは、もそろそろおしまいにしましょう。

 特に②と③はすでに練習してありますから、楽勝!ですね。

 もし、楽勝でなかったら、もう1度練習してみてください。

 そして、手帳やカードに自分のできること・いいところをちゃんと書き出して、いつでも見直せるようにしておくのも、1つのいいテクニックです。

 落ち込んできた時、それを見て、「そうか、私にはこんなにもできること・いいところがあったんだ」と心の向きを変えましょう。

 ④について、「愛」ということばが照れくさかったり、大げさすぎると感じたりしたら、「心にかけていてくれる」とか「好意をもっていてくれる」と言い換えてもかまいません。

 もし万一、「誰にも愛されてない」というセルフ・トークがめぐっている人がいたら、ぜひ、自分に「ほんとうにそうか? 私は世界中の人から憎まれているのか? 挨拶しても誰も返事してくれないのか? 笑顔を向けても1度も笑顔が返ってきたことがないのか?」と自問してみてください。

 たぶん、ほんのちょっとかもしれないけれど、あなたに挨拶をしてくれたり、笑顔を向けてくれたりする人の1人は2人はいるはずです。

 そういうのを何と呼びますか? そう「好意」です。

 誰からもどんなにわずかの好意も示されない人は、世界には1人もいない、と私は思いますが、どうでしょう?

 ゴータマ・ブッダの言葉に、「この世に誰からも愛されない人は1人もいない。誰からも愛される人も1人もいない」というのがあります。本当にそうだと思います。

 最後の、感謝ということですが、いろいろ不満があったり、腹が立っていたりして、「何に感謝しろっていうんだ」という気分の方もあるかもしれません。

 その場合は、この段階では無理にお勧めしませんが、ちょっとだけ考えてみてください。

 自分の気もちの問題として、不満に思っていたり、腹を立てていたりすると、いい気持ちですか?

 まあ、不満や怒りを爆発させると、そのときだけはすっとしたような気持ちになるということはありますが、その結果はあまりいいことにならないと思いますし、まあ、ふつう不満や怒りを抱えていると、とても不愉快だと思うのですが、いかがですか?

 そうすると、よく考えると、不満や怒りは気持ちとしては不快であり、不快だということは、損をしているということになりませんか?

 無理やりさせられる場合を除き、感謝している時、自分の心は暖かになっていて、いい気持ちです。

 語呂合わせでよく言うのですが、「感情の損得を勘定すると、不満や恨みや怒りよりも、感謝のほうが明らかに得ではありませんか?」と。

 ならば、得なほうを選択しませんか?

 まあでも、特別感謝できることが思い浮かばない方は、①から④まででもかまいません。やってみてください。

 実行した方のほとんどがいいます。「こんなことで気分が変わるのかと思ったんですが、やってみるとけっこう変わりますね」と。

 毎度の決まり文句、「読むとするとでは大違い」。 
 
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心を明るくする5つの質問

2005年09月19日 | メンタル・ヘルス

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 おなじ事実でも、見方によってまるでちがって見える、ということをお話ししてきました。まとめてみましょう。

 ①まず、事実は「ある」にもかかわらず、目を閉ざしていると見えず、目を開ければ見えるということです。

 ②次に、事実はあり、目を開けていても、ある方向に向いていなければ見えず、その方向に向けば見えるということです。

 ③さらに、事実はあり、目を開けて、その方向を見ていても、遠ざけていれば小さく見え、近づければ大きく見えるということです。

 そこで、本当の自信を得るための技として、目を開け、そちらを向き、集中して見るためのワークをご紹介しました。

 もう1つ追加のワークをしてみましょう。

 これは女性にやっていただくと、あまりお行儀がよくないのですが、あくまでも技として、あまり目立たないところでそっとやってみてください。

 まず足を大きく開いて立ちます。

 そして目の前に見える景色や物を見ます。

 続いて、後ろ向きになり、体を前に倒して、開いた足の間から、さっきの景色や物を見てください。

 どう見えますか?

 「逆さまに見える」、「ひっくり返って見える」、そうですね。

 小さい頃遊びとしてやったことのある方は多いでしょう。

 でも、これには遊び以上の意味があると思います。

 さて、「ものが逆さまに見える」わけですが、それは「ものが逆さま」なのでしょうか、「見方が逆さま」なのでしょうか?

 もちろん、見方が逆さまなのであって、ものがさかさまになっているわけではありませんね(相対性理論でいうとちょっと別の話もできますが)。

 見えている世界=視界が逆さまであることは、事実として世界が逆さまであることではありません。

 この場合、正立した状態を見たかったらどうしたらいいんでしょう?

 そうです。逆さまになっている自分の頭を正立させればいいんですね。

 「自分には何もできない、いいところは1つもない」とか、「人生には意味がない」とか、「世の中は真っ暗だ」とか、とても悲観的・ネガティヴな見方になっている時、実は心の目が閉じているか、見る方向がちがっているか、あまりにも遠ざけているか、あるいは逆さまになっているか、そのどれか、そのぜんぶかもしれません。

 そして、とても幸いなことに、事実がネガティヴなのではなく見方がネガティヴになっているだけなら、練習すれば直すことができます。

 とはいっても、長く続いてきた癖になっている場合、直すのに手間暇は少しかかりますが。

 では、もう1つ、損な癖を得な癖を直して、新しい癖をつけるためのワークをご紹介しましょう。

 まず、深い呼吸をして、それから体を意識的にほぐしてリラックスしてください。

 それから、ゆっくりと、次の質問を自分にしてください。

 ①(比較はやめよう。どんなに小さくてもいい)最近私が成功したこと、うまくできたことは何だろう?

 ②(どんなに小さくてもいい)自分にはどんなことができるだろう、どんな能力があるだろう?

 ③(どんなに小さくてもいい)自分にはどんないいところ・長所があるだろう?

 ④(すごくかどうかはいい)私は誰を愛していて、誰に愛されているだろう?

 ⑤(どんなにわずかでもいい)私は何に感謝できるだろう?

 この問いをすると、自然に心が人生のポジティヴな面に向くのではないでしょうか?

 「こんなことで……」といわないで、やってみてください。

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見える大きさは見る距離で変わる

2005年09月16日 | メンタル・ヘルス

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 さて、ここまでで、自分に事実ある能力と長所・価値をちゃんと認めるというワークをやってきました。

 これで、かなり自己承認=自信がついてきたのではないかと思います。

しかし、それでもまだ「確かに少しくらいならできることやいいところはあるけど、大したことないし、そんなことで自信を持ったら、なんか独りよがりみたいでカッコ悪いじゃないか?」と思っている方もいるかもしれません。

 ここまで来たら、「独りよがりではいけない」とか「カッコ悪い」とかいうのは、「走らなきゃ車じゃない。スタンドで給油のために停まっていたり、修理のために工場に入ったりするのは許されない」といっているのに似ていると気づいていただけますね?

 それでもまだ、「少しくらいなら……あるけど、大したことない」という気分は残るかもしれません。

 もう一つ、そういう気分を解消する技をやってみましょう。これは、「わざ」です。

 「十円玉のワーク」といいますが、まず、手元に十円玉を用意してください。

 それを右手の親指を人差し指ではさんで、左目を閉じて、右目で見てください。

 まず、30センチくらいの距離で、その大きさをよく感じてみましょう。

 それからゆっくりとひじを伸ばして目から離していきます。

 さあ、見える大きさはどうなったでしょう? 当然、小さくなりましたね。

 でも、それは小さくなったんですか?

 そうではありませんね。見え方が小さくなっただけで、実際の大きさは変わっていないんですよね?

 でも、小さくなったように見えた。

 さあ、勘のいいみなさんは、もうわかってきたかもしれませんが、「考えるとするとでは大違い」なのです。

 続けてやってみましょう。

 今度は十円玉をゆっくりと目に近づけていきます。

 十円玉は、どんどん大きく見えてきますね。

 目のそばまで持ってくると、まるで世界が十円玉でいっぱいのような気がしてきます。

 つまり「視界」がいっぱいになると「世界」がそれでいっぱいのような気がする、というのが人間の視覚の法則です。

 そして、心にもその法則はほとんどそのまま当てはまるのです。

 さあ、直観力や洞察力のあるみなさん、このワークは何を目指しているのでしょう。

 そうです。自分の能力や長所を集中的に見て、自分にはものすごく大きな――まるで世界中(つまり視界)いっぱいになるくらいの能力と長所がある、という気持ちになることを目指しているのです。

 でも、たくさんの人がこの逆をやっています。

 自分のできないことやダメなところに目を集中して、その結果、当然ながら落ち込んでいるのです。

 とても損なことをしていますね。

 気持ちはよくわかります。私もかつてやっていましたから。

 でも、考えて見ましょう。

 いいところに目を向けているのと、悪いところに目を向けているのと、どちらが元気になりますか?

 いいところですよね。

 では、元気があるのと元気がないのと、どちらが悪いところを改善できる可能性が大きくなりますか?

 もちろん、元気があるほうですね。

 では、「視界」がいっぱいになると「世界」がそれでいっぱいのような気がする、というのが人間の視覚の法則です。

 では、まず自分の能力や長所を集中的に見て、自分を認め、ほめてあげて、元気になって、その後で、もし余力ができたら、悪いところも改善することにしませんか?

 フルスピードで走るのは、ガソリンを入れてからにしよう!

 これは、何千人もの若者や社会人を指導してきて、ほぼ90%以上の確率で、有効だと思う手順です。

 たまに、自分の悪いところを集中的に見て、「オレはダメだ、ダメだ」とネガティヴなセルフ・トークを連発して、それで自分を叱咤激励して奮起する人もいますが(このタイプも昔は割に多かったのですが)、時間と労力の点から見て、あまり効率的ではないようです。

 なので、よかったら、まず自分の能力や長所を発見して、評価して、自分に絶賛のセルフ・トークをしてあげてみませんか? 

 「すごい! おまえはすごくがんばってる! おまえの努力はすばらしいぞ!」といったふうに。

 もちろん、叱咤激励が効く方は、それでやっていただいてけっこうです。
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あなたには両手に余る長所がある!

2005年09月15日 | メンタル・ヘルス
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 たくさんの人に元気になっていただきたいと思って登録した人気ブログランキング、今朝、第9位になっていました。

 みなさんのご協力、改めて心から感謝します。

 実際の大学での授業でも、たくさんの落ち込んでいた学生が元気になってくれます。

 授業が始まって間もなく、「死にたい」と訴えてきた学生が、もう前期の終わり頃には、目が輝いて、生き生きと生きはじめてくれたりします。

 このネット授業も、たくさんの人に読んでいただき、たくさんの人を元気にできればと願っています。

 続けて、ご協力いただける方は、上のタグ(というのかな?)、クリックをお願いします。

                 *
  
 さて、お礼とサービスに、まちがいなくあるあなたの長所、いくつか追加しておきましょう。

 あなたがこのブログを見て、「これいいんじゃない?」と思ったとすると、それはすばらしい「直観力」。当たり、です!

 そして、「確かにこれは役に立つ」と判断した。的確な「判断力」があります。

 読み続けようと決めた。「決断力」があります。

 一所懸命、自己成長・自己改善の努力をしている。あなたは、「真面目」です。

 「人から、クソ真面目といわれるんです」とか「真面目すぎるといわれてます」とかいう人、「クソ」も「すぎる」も取りましょう。

 それは人の評価・社会的評価ですよ。ガソリン・スタンドで車を走らせるような危険なまねはやめてください!

 事実としていえば、クソだろうがすぎようが、「真面目は真面目」ではありませんか?

 「真面目」というのは、人生の大切な事に真直ぐに顔と目を向けているという意味です。それは、どう考えても長所です。

 70年代以降、日本の若者風俗的な世界では、ニヒリズムと快楽主義から派生した不真面目文化が氾濫し、まるで不真面目が価値で、真面目は価値ではないかのような錯覚が横行していますが、ちゃんと考えてみればわかりきったことで、真面目さはとても重要な人格的価値です。

 さあ、これで、あなたには両手いっぱいの長所があることがわかりました。

 自分で1つでも発見したら、両手に余るいいところがあることになるんです。

 能力のワークと併せて、もう、「私は何もできないんです、いいところは1つもありません」とか「私には何の能力も価値もない」とか、いわないでしょうね?

 ネット上ではそこまでいいにくいのですが、ワークショップに参加して直接接した方には、ユーモアを込めて、「このワークショップに参加した以上、今後、もうそんなウソ――つまり事実に反すること――はいわせないよ!」と宣言します。

 最後にセルフ・トーク。「私には、たくさんの能力や長所がある!」と、力強くいってみてください。
 
 人のいないところなら、声に出して、ちょっと恥ずかしかったら、心の中で、叫ぶくらいの強さで、自分に言い聞かせましょう。

 「きみには、両手に余るほどできること・いいところがある! 自信持っていいんだよ!」と。
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認めると伸びる

2005年09月14日 | メンタル・ヘルス

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 人間の能力や長所には、「あると認めると、ただあるだけではなく、さらに伸びてくる」という法則があります。

 逆にいうと、「ないと思っていると、あるものまでしぼんでいく」ということです。

 もしかすると落ち込み癖のあるあなたは、「少ない=ない」と思い違いをして、自分に事実としてある能力や長所を認めず、その結果しぼませてしまうという、とても損なことをやっていたのではないでしょうか。


 さらに、ここまで読んでこられた方、あなたには人生にとって大切な事柄を理解する力・「理解力」があります。

 「まるでわけわかんない」と思った方は、ここまで読み続けたりしていないでしょうからね。持続したことは、あなたに理解力がある証拠です。

 さて、持続する力のことは何というでしょう? そう、「持続力」です。ここまで、読み続けたあなたには、まちがいなく「持続力」があります。

 「え、オレはいつも飽きっぽい、根気がないと人からいわれているのに」という方、人がどういっているかということ、つまり社会的評価はいったん脇に置きませんか?

 あなたには、飽きっぽい面もあるかもしれません。しかし、事実、持続しているのですから、「持続力」もあるわけです。

 さあ、どちらの面を見るほうが元気になりそうですか? 元気になるのと元気をなくすのと、どちらが好きですか? 選ぶのはあなたです!

 ここでコメントを1つ。

 今やっていることは、心を改善するためのテクニック・技(わざ)です。

 自分を元気にするため、本当の自信を得るために、ふつうのこと=社会的な慣習の中で行われていることではなく、ちょっとちがうこと=わざをわざわざやっているわけです。

 なるべく、今は社会的評価のことは忘れましょう。

 それでも気になる方のために、コメントをもう1つ。

 自分に能力や長所があると思うのとないと思うのと、どちらが元気になりますか?

 当然、あると思うほうですね。

 では、元気があるのとないのと、どちらが社会の中に出た時、評価されるような言動ができやすいですか?

 そうです。元気なほうが社会に出ても元気に活動して、評価を受けることのできる可能性が高まります。

 喩えていうと、車のガソリンが切れている時に、いくら「走れ、ポンコツ車! 車のくせに走れないなんて、お前には何の価値もない!」とののしってみても、車は走らないようなものです。

 そういう場合、どうしますか?

 いったん走るのは止めて、ガソリン・スタンドへ行って、給油しますよね。

 「生きる自信の心理学」のワークは、給油のようなもの、つまり生きるエネルギーとしての「自信」を補給するために、いったん心理的に社会から少し離れるということなのです。

 ガソリン・スタンドにいる間は、車は走ることはできません、走らなくててもいい、それどころか走ったらすごく危険ですよね? 走ってはいけないのです。

 さて元に戻りましょう。

 あなたには、「好奇心」、「積極性」、「行動力」、「理解力」、「持続力」がありました。もうこれで5つです。

 あと1つは自分で発見していただくといいのですが、でも、「いいところは1つもない」と思っていた方のために、もう少しお手伝いします。

 さて、あなたは、そもそもなぜ、こんなブログなんか読んでいるでしょう?

 今日初めてという人は、単なる「好奇心」だけかもしれませんが、続けて読んでいる方は、自分をよりよくしたいという気持ちがあって、その参考になるかもしれないと思って読んでいるのではありませんか?

 だとしたら、あなたにはまぎれもなく「向上心」があります。

 「向上心」・自己改善意欲というのは、長所を伸ばていくことのできる長所で、長所の中でも最高といってもいいくらいの長所です。

 もう1度、あなたには「向上心」がある! ならば、きっと向上できる!

 さあ、これで、事実としてあなたには6つ長所があることを発見しました。

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