第32期講座案内

2010年03月22日 | 心の教育




 前期に、「いったん回復に向かうかに見えた不況は、ドバイ・ショック、円高、デフレによってふたたび先行きが見えにくくなってきました。

 それに対して現政権がこれからどういう中長期のビジョンをもって国づくりをしていくのかはっきりせず、現代の日本人の心の不安定・不安は続いています」と書いた状況は、残念ながらほとんど変わっていません。

 それどころか、「民主党よ、おまえもか」といった感じの「政治とカネ」の問題などで、政局はますます混迷の度を深めているようです。

 それに対して当研究所では「持続可能な国づくりの会」と協力しながら、日本の向かうべき「理念とビジョン」を明らかにし公表しました(『サングラハ』第109号)。

 まだ少し時間はかかるでしょうが、やがて広範囲の理解が得られるようになるものと期待しているところです。

 しかしもう一方、個人としてそうした状況を生き抜くメンタル・タフネスをどう身につけるかという課題もさらに大きくなっています。

 今期は、メンタル・タフネスを高めるためのヒントとして、火曜日は『維摩経』の学びと坐禅、木曜日は「メンタル・タフネスの心理学」の講座を企画しました。みなさんのご参加をお待ちしております。


 火曜講座:『維摩経』を学ぶ 2

                於サングラハ藤沢ミーティングルーム
                    (JR、小田急藤沢徒歩5分)

                火曜日 18時45分~20時45分 全8回

                4月13日 27日 5月11日 25日 6月8日22日 7月6日 20日


 初期大乗仏教の代表的な経典『維摩経』の学びの第2期です。

 経典の主人公維摩詰(ヴィマラキールティ)は、ブッダと同時代の居士つまり在家の仏教徒で、大商人でありながら、ブッダの弟子たちよりもはるかに深い覚りの境地にあったとされています。

 第1期はいわばイントロダクションでしたが、いよいよ、ブッダの弟子たちが維摩居士の病気見舞いに行って、維摩と問答してやり込められるという、興味深い部分に入り、大乗仏教の真髄ともいうべき智慧と慈悲について深い洞察が語られていきます。

 前期に続く第2期ですが、途中からでもわかるように講義していきますし、ご希望の方は第1期もCD、DVDで学ぶことができます。途中からの方も、ぜひお出かけください。

テキスト:コピーを配布します。

*講義の前に30分程度の坐禅を行ないます。坐禅のできる服装をご用意下さい。


 木曜講座:メンタル・タフネスの心理学

               於サングラハ藤沢ミーティングルーム

                木曜日 18時45分~20時45分  全8回

                4月8日 22日 5月6日 20日 6月3日⑤17日 7月1日 15日


 きびしくストレスフルな時代のなかでは、心の強さ‐メンタル・タフネスがぜひ必要ですが、どうしたらそれを得ることができるのでしょうか。

 本研究所の定番メニューの一つ論理療法は、一見強そうに見えて実はもろいガンバリズムの強さではなく、筋道だてて賢く考えることから生まれる〈しなやかなメンタル・タフネス〉を教えてくれます。

 今回は、コスモス・セラピーやロゴセラピーの要素もブレンドし、いっそうヴァージョンアップしてお伝えしたいと思っています。

 初めての方にもリピーターの方にもきっと参考になるでしょう。どうぞ、お出かけください。

テキスト:岡野守也『いやな気分の整理学――論理療法のすすめ』NHK生活人新書


いやな気分の整理学―論理療法のすすめ (生活人新書)
岡野 守也
日本放送出版協会

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●受講料は、一回当たり、一般3千5百円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●いずれも、申し込み、問い合わせはサングラハ教育・心理研究所・岡野へ、
 ・E-mail: okano@smgrh. gr. jp または ・Fax: 0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。


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大般若経の愉しみ4:般若波羅蜜多とメンタル・タフネス

2010年03月08日 | メンタル・ヘルス

 毎日、まじめにニュースを見聞きしていると、そんなひどい話があるのかと驚いたり、ショックを感じたり、暗くなったり、いやになってしまうようなことばかりです。気持ちがうつうつとしてきます。

 日々の生活にも、もちろんいろいろ苦労や面倒があって、うだうだ、ぐじぐじと考えがどうどうめぐりしたりします。

 そんな時には、いろいろな憂さ晴らし、気晴らしの方法があるでしょうが、坐禅をして心を空っぽにし、何も考えない(分別しない)時間を取るのがいちばんです。

 考えなければ悩まない、悩めないのですから。

 しかし、中途半端に考えてしまいがちな私たちふつうの人間つまり凡夫は、ああでもないこうでもないと考えながら悩みます。

 どうせ考えるのなら、徹底的に論理的に考え抜けば、それはそれで解決策が見つかるか、受容するしかないと腹が決まるか、どちらにしてもそれなりにすっきりするのですが。

 考えるのなら、腰を据えて考え抜く。いい考えが浮かばないのなら、一度徹底的に心を空っぽにしてみる。

 考えなければ、ストレスは感じない、鬱にもならない。俗な言い方をすれば、「バカは悩まない」のですね。

 では、いったん意図的にバカになってしまいましょう。

 「バカはへこたれない」「バカほど打たれ強い」。


 善現、是の如く菩薩摩訶薩、般若波羅蜜多を修行する時、一切法に於て都(すべ)て見る所無し。一切法に於て見る所無き時、其の心驚かず恐れず怖(おのの)かず。一切法に於て心沈没(ちんもつ)せず亦た憂悔(うげ)せず。(初分教誡教授品第七之二十六)

 スブーティよ、覚りを求める者・志の大きな者が智慧を完成する行を修行する時には、すべてのことについて認識しないようにする(何も考えない)。すべてのことについて認識しない時には、その心は衝撃を受けるとか恐怖を感じるとか不安におののくといったことはない。すべてのことにかかわって心が沈み込んでしまうことも、またくよくよと鬱になることもない。


 般若波羅蜜多の修行には、メンタル・タフネスを高めるという現世利益もちゃんとある、と『大般若経』には書いてあるようです。

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大般若経の愉しみ 3

2010年03月03日 | 心の教育

 身の回りの用事――雑用ではなく「作務(さむ)」と捉えるようにしていますが――に対処するために、記事の更新が滞っています。

 アクセス解析を見ると、更新をしていない時にも、毎日、200人前後の方が見てくださっているのに、申し訳ないなと思います。

 そこで、今日は作務の間を縫って、久しぶりに大般若経のことばのご紹介をします。

                         *

 若し菩薩摩訶薩(まかさつ)、世世に常に仏を見たてまつることを得、恒に正法を聞きて仏の覚悟を得、仏の憶念(おくねん)教誡(きょうかい)教授を蒙(こうむ)らんと欲せば応に般若波羅蜜多を学すべし。(大般若経初分学観品第二之一)

 もし菩薩・大士が、いつの世にも常に仏を見たてまつることができ、いつも正しい真理の教えを聞いて仏の覚りを得、仏のお考え・誡め・教えのおかげを受けたいと望むならば、まさに般若波羅蜜多を学ぶべきである。


 「般若」のサンスクリット語の原語はプラジュニャーで、無分別智=すべてをばらばらに分離した実体と見ることのない智慧を意味する。

 仏陀とはそういう智慧を体現した人のことをいう。

 そういう意味でいえば、仏陀・仏の本質は般若の智慧にあるのであって、「幻の如く、陽炎の如く、夢の如く、水月の如く、響の如く、空花の如く、像の如く、光影の如く、変化事の如く、尋香城(蜃気楼)の如く……」と喩えられたような、目に見えるかたちに現象した身体にあるのではない。

 だから、真に仏を見るということは無分別智を自ら覚ることを意味している。

 さらにだから、「いつの世にも常に仏をみたてまつ」りたいと「望むならば、まさに般若波羅蜜多を学ぶべき」なのである。

  と言われても、目に見えない、それどころ普通の分別的な知恵では認識できない仏の本質はなかなか実感できないので、方便として仏像が作られたのだと考えていいだろう。

 今、混迷する時代のなかで心の安らぎを求めて、「仏像ブーム」なのだという。

 私も美しい仏像を礼拝することは好きだが、しかし「世世に常に仏を見たてまつることを得……んと欲せば」という条件つきの「応に般若波羅蜜多を学すべし」という「べし・ねばならない」はとても納得できるので、それと同等、あるいはそれ以上に好んで「般若波羅蜜多」を学び続けようと思う。

 そして、有り難いことに、学びは愉しみであるので、大変な無理はしなくても続けることができそうである。

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