日本の理想・原点としての『十七条憲法』 講演要旨

2014年12月18日 | 歴史教育

16日夜、聖徳太子『十七条憲法』について講演をしてきました。

 折も折、憲法改正が実際の日程にのぼるかもしれないという状況のなかで、タイトルのような話をする機会が与えられたのは、ある種、時なのかもしれない、という気がしています。

 聴衆の反応には大きな手ごたえを感じました。

 すでに、2003年、つまり十年も前に書いた拙著『聖徳太子『十七条憲法』を読む――日本の理想』(大法輪閣)でも、2011年の『日本再生の指針――聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」』(太陽出版)でもあまり感じられなかった手ごたえでした。

 日本人のアイデンティティはどこにあり、これから日本をどういう国にすればいいのか、本格的な危機感と問題意識をもつ人が増えてきているのでしょう。

 これが、日本を持続可能な方向へと方向転換させる大きな潮流になっていくことを願わずにはいられません。

 詳しくは、拙著2点をお読みいただきたいし、このブログにも関連記事をたくさん書いてきましたが、とりあえず当日の講演要旨を以下に収録・紹介しておきたいと思います。


 『十七条憲法』は日本初の憲法である。

 そこには、「和」こそ、これから目指すべき日本の国家理想・国家目標だという高らかな宣言がなされている。

 「和」には、人間同士の平和はもちろんさらに人間と自然の調和という意味も含まれており、そうした「和」の国日本を建設するという国家的プロジェクトを実行-実現するうえで不可欠の心がまえが語られている。

 そういう意味で、『十七条憲法』は、日本の目指すべき「国のかたち」と「心のかたち」を示したものである。

 なぜ「和」の国でなければならないかを、聖徳太子は、伝統的神道に加えて仏教と儒教を統合的に捉えた「神仏儒習合」の教えによって明らかにしている。

 そうした「神仏儒習合」の精神は、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と時代を経ながら全国津々浦々、庶民のすべてに到るまで日本人全体に浸透し、いわば「日本の心」になっていった。

 日本人の正直で真面目で勤勉で親切で……といった善良な心・心の「型」は、「神仏儒習合」の教えによって育まれたものである。

 その「神仏儒習合」という心の型・精神性・倫理性が、明治維新による近代化・西洋化、敗戦によるアメリカ化、そして70年代以降ますます進む過度の経済偏重・物質主義によって「型崩れ」を起こしているというのが、現在の日本の精神性・倫理性の荒廃-崩壊のもっとも大きくかつ深い原因なのではないか。

 そういう状況のなかで、私たち日本人にとって日本という国の原点である『十七条憲法』と「神仏儒習合」のもっていた意味を再発見することが急務なのではないか。

 第一条には、国家理想としての「和」とそれを妨げる「黨」つまり無明から生まれる党派心が明らかにされ、徹底的話し合いを通した合意による国家建設への決意が語られている。

 第二条には、無明の心を正す方法として仏教を国教化することが宣言されている。

 第三条には、そうした国家建設の目的は人間同士の平和と人間と自然の調和であることが明らかにされ、それへの全面的協力への要請がなされている。

 第四条以下には、到達目標としての自治、それに到るプロセスとして徳治、法治が語られ、国家リーダーが「愛民」・菩薩の心を持って協力しあうべきこと、統治は民のためになされるべきことが語られる。

 とりわけ要となる第九条には「信」を共有すべきことが語られ、最後の第十七条には改めて独裁ではなく合議による国家建設が説かれている。

 そこには、賢者・菩薩的リーダーが協力しながらリードして日本を、人間同士も人間と自然も穏やかに幸福に生き続けることのできる、現代的に言えば「エコロジカルに持続可能な福祉国家」にしたい・しようという国家理想の宣言とその実現への強い勧誘・勧告がなされている。


聖徳太子『十七条憲法』を読む―日本の理想
クリエーター情報なし
大法輪閣


「日本再生」の指針―聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」
クリエーター情報なし
太陽出版


 
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『日本国民に告ぐ』について:暫定的コメント 2

2010年08月30日 | 歴史教育

 あまり長い引用はかえって紹介になりませんが、幸い小室氏自身が、本書『日本国民に告ぐ』を書いた理由について、「自虐教育がアノミーを激化させる」という見出しで以下のようにまとめています。


 このアノミーが、歴史始まって以来、比較も前例も絶して、いかに恐ろしいものか。縷述(るじゅつ)してきたが、その「恐ろしさ」は繰り返しすぎることはない。ここに、本書の論旨をまとめて開陳しておきたい。

 本書が上梓される所以は、「謝罪外交が教育にまで侵入した」からである。日本の謝罪外交が本格的にスタートを切ったのは、昭和五十一年の「“侵略→進出”書き換え誤報事件」以後である。それから後は、日本は外国に内政干渉されっぱなし。中国、韓国などの外国が日本人の「歴史観が悪い」と言ってくると、何がなんでも「ご無理、ごもっとも」とストレートに謝罪してしまう。このパターンが定着した。

 これを見て反日的日本人がつけあがった。「あることないこと」ではない。ないことをあることとして捏造して反日史観をぶちあげる。挙げ句の果てには、日本政府が平目よりもヒラヒラと謝って、反日史観が拡大再生産される。この謝罪外交は、日本の主権と独立を否定する。その謝罪外交が、ついに教科書に侵入した。

 日本の教科書は、共産党の「三二年テーゼ」と、日本は罪の国とした「東京裁判史観」によって書き貫かれている。占領軍とマルキシズムによる日本人のマインド・コントロールは、ここに完成を見たのであった。

 史上、前例を見ない急性アノミーが、これまた前例を見ない規模と深さにおいて昂進することは確実である。戦後日本における急性アノミーは、天皇の人間宣言と、大日本帝国陸海軍の栄光の否定から端を発した。これほどの絶望的急性アノミーは、どこかで収束されなければならない。

 収束の媒体となったのが、一つにはマルキシズムであり、もう一つは、企業、官僚(組織)などの企業集団だった。はじめの外傷があまりにも巨大だったため、急性アノミーは猖獗(しょうけつ)をきわめた。

 これを利用したのが占領軍である。占領軍は、日本の対米報復戦を封じ、日本を思うままに操縦するために、空前の急性アノミーをフルに利用すべく戦術を立てたのであった。アメリカ占領軍は、社会科学を少しは知っていた。日本人は、昔も今も、まったくの社会科学音痴いや無知である。これでは、勝負にも何にもなりっこない。猖獗する急性アノミーで茫然自失、巨大な精神的外傷(トラウマウ)で精神分裂症を起こしかけていた日本人に、マインド・コントロールがかけられた。

 「巧妙な」と評する人が、あるいは、いるかもしれないが、実は「巧妙」でもなんでもない。「公式どおり」のマインド・コントロールであった。だが、公式どおりのマインド・コントロールでも、急性アノミーの渦中にいる科学無知の日本人にはズバリ効いた。受験勉強しか知らない偏差値秀才にカルト教団のマインド・コントロールが利くように――。ただし、占領軍によるマインド・コントロールは、「日本の歴史は汚辱の歴史である」と教育したために、日本の急性アノミーを、さらに昂進させた。

 終戦後、当初の急性アノミーを吸収するはずだったマルキシズムは、昂進しすぎた急性アノミーによって解体されることになった。マルキシズムは、日本共産党を見棄てて新左翼に突入することによって、無目的殺人、無差別殺人にまで至る――これらはその後、特殊日本的カルト教団に引き継がれる――。前代未聞のことである。

 新左翼が下火になってきた頃から、「家庭内暴力」さらにすすんで「いじめ」が跳梁(ちょうりょう)をきわめるようになる。いずれも根は同じ。ますます昂進していく急性アノミーである。急性アノミーの激化を助長したものは何か。一つには、友人をすべて敵とする受験戦争である。しかし、決定的なものは何か。致命的なものは何か。
 「日本の歴史は汚辱の歴史である」「日本人は罪人である」「日本人は殺人者」であるとの自虐教育である。古今東西を通じて前例を見ない徹底した自虐教育である。

 占領下で自虐教育を受けた人びとが、成長して今や要路にいる。これらの人びとが、内においては、無目的・無差別殺人を敢行し、外においては平謝り外交を盲目的に続けている。「親子殺し合いの家庭内暴力」「自殺に至る“いじめ”」を生んだのもこれらの人々である。

 平成九年度から行われる究極的自虐教育。急性アノミーはどこまで進むであろうか。どのような日本人を生み出すであろうか。
 (『日本国民に告ぐ』三三〇~三三三頁)


 上記のようにまとめられた論旨が、本書全体を通してどのように展開していくか、細かいところまで紹介することはできませんが、以下のような章立てを見ていただくと、ある程度推測できるでしょう。

 第1章 誇りなき国家は滅亡する――謝罪外交、自虐教科書は日本国の致命傷
 第2章 「従軍慰安婦」問題の核心は挙証責任――なぜ、日本のマスコミは本質を無視するのか
 第3章 はたして、日本は近代国家なのか――明治維新に内包された宿痾が今も胎動する
 第4章 なぜ、天皇は「神」となったのか――近代国家の成立には、絶対神との契約が不可欠
 第5章 日本国民に告ぐ――今も支配するマッカーサーの「日本人洗脳計画」
 第6章 日本人の正統性、復活のために――自立にもとづく歴史の再検証が不可欠なとき
 附 録 東京裁判とは何であったか


 さて、私は、敗戦以後、日本人は急性アノミーの状態を脱出できていない、どころか急性アノミーは拡大再生産され、いまや極限的危機にある、という論点については、基本的に同感です。

 しかし、もっとも議論の多い「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」については、自分でしっかり検証していないので、判断留保状態にあります。

 また、日本が欧米の植民地になることを免れる上で、国民が一丸になるためのイデオロギーあるいはコスモロジーとして「国家神道」ないし「天皇教」が必要だったことも歴史的事実として認めます(他に代案はなかなか考えようがなかったでしょう)。

 けれども、本書での小室氏の所説には急性アノミーに対する処方箋が示されていないところに、大きな不満を感じます。

 他に、『日本人のための宗教原論――あなたを宗教はどう助けてくれるのか』(徳間書店、200年)や大越俊夫氏との対談・共著『人をつくる教育 国をつくる教育――いまこそ、吉田松陰に学べ!』(日新報道、2002年)なども読んでみましたが、決定的な代案はないようです。

 それどころか、「私が以前、防衛庁で講演した際、手が挙がり、「小室先生、日本の沈没をどこかで止められませんか」とか、「日本はどうやったら治りますか。方法は?」とか相談を受けました時、少し間をおいてから、「方法はない!」とひとこと言うと、ワーッと会場が沸きました」といった発言を、冗談かもしれませんが、しています(冗談だとしたら悪い冗談です)。

 それらしい発言は、『日本人のための宗教原論』で、次のように述べているところです。


 世相はますます混乱の様相を呈している。宗教事件ばかりか、幼児殺人、少女監禁……、目を蓋わんばかりの悲惨な事件が引きも切らない現代日本。アノミーが解消されるどころか、ますます進行の一途をたどっている。日本が壊れるどころか、日本人が壊れてきているのだ。/新世紀、事態はさらに悪化するであろう。/ことここに至れば、日本を救うのも宗教、日本を滅ぼすのも宗教である。あなたを救うのも宗教、あなたを殺すのも宗教である。(三九六頁)


 小室氏がどこかではっきり言っているどうか知りませんが(『三島由紀夫が復活する』とか『「天皇」の原理』などで、どう言っているのか、やがて確かめようとは思っていますし、ご存知の読者にはコメントして教えていただけると幸いですが)、こうした発言と「カリスマの保持者は絶対にカリスマを手放してはならない」という言葉を合わせて考えると、どうも「もう一度天皇教を」と考えているのかもしれません。

 そうだとすると、私は反対です。

 私は、日本の歴史を肯定できるかどうかの決定的ポイントは、好き嫌いをまったく別にして、否応なしに、日本の最初の憲法=国のかたちである――これは聖徳太子が歴史的に実在したかどうか、偽作であるかどうかに関わらない事実です――聖徳太子「十七条憲法」が、普遍的な根拠をもって肯定できるものであるかどうかにかかっていると考えています(拙著『聖徳太子「十七条憲法」を読む――日本の理想』大法輪閣、2003年、本ブログ「平和と調和の国へ:聖徳太子・十七条憲法」、を参照)。

 そして、日本人が国民的アイデンティティを取り戻すには、「十七条憲法」とその根底にある大乗仏教の菩薩思想をベースにした「神仏儒習合」のコスモロジーの意味を、現代科学のコスモロジーと照らし合わせながら再発見することが、もっとも適切であり、不可欠でもある、と考えています(本ブログはそのための準備作業という面があります)。

 ここで改めて言っておかなければならないのは、私の解釈では、これまで誤解・曲解されてきたのとは異なり、「十七条憲法」は「天皇教」のバイブルではありません。

 そうではなく、菩薩的リーダーの指導による「平和と調和の国日本」という国家理想の宣言なのです。

 そして、日本の歴史全体を「和の国日本という国家理想の実現に向かっての紆余曲折・苦闘の歴史」として読み直すことこそ、いわゆる「自虐史観」を根本から超えることになるだろう、と予測しています(その作業は水戸藩の「大日本史」編纂のような大変な作業で、私が個人で出来るとは思いませんが)。

 小室氏の著作は、これからもう少し読んでみようと思っていますが、以上が私の現段階での暫定的コメントです。

 読者からの「荒らし」ではない、建設的なコメントをいただけると幸いです。



日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する
小室 直樹
ワック

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聖徳太子『十七条憲法』を読む―日本の理想
岡野 守也
大法輪閣

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『日本国民に告ぐ』について:暫定的コメント 1

2010年08月30日 | 歴史教育

 先日の『国家神道』に続いて、小室直樹『日本国民に告ぐ――誇りなき国家は、滅亡する』(ワック社、2005年、クレスト社、1996年の改訂版)のポイントを紹介し、コメントしておきたいと思います。

 今日も、話は長くなります。

 小室氏は、まず最初の方で、日本国民に向かって、次のような警告をしています(一行空きは筆者)。


 日本滅亡の兆しは、今や確然たるものがある。人類は一九九九年に滅亡するとノストラダムスが言ったとか。中国は香港返還後半年で滅亡する、と長谷川慶太郎氏は言った(『中国危機と日本』光文社)。しかし、より確実に予言できることは近い将来における日本滅亡である。

 滅亡の確実な予兆とは、まず第一に、財政破綻を目前にして拱手傍観(きょうしゅぼうかん)して惰眠を貪っている政治家、役人、マスコミ、そして有権者。
財政危機は先進国共有の宿痾(しゅくあ 持病)である。欧米では、人々は財政危機と対決し、七転八倒している。政治家も有権者も、早く何とかしなければならないというところまでは完全に一致し、そこから先をどうするかを模索して必死になって争っているのである。
それに対し、はるかに重要で病すでに膏肓に入っている日本では、人々は案外平気。財政破綻とはどこの国のことか、なんて顔をしている始末。

 日本絶望のさらに確実な第二の予兆は、教育破綻である。
 その一つは、数学・物理教育の衰退枯死。このことがいかに致命的か。
日本経済は技術革新なしに生き残ることはできない。しかし長期的には、日本の技術立国の基礎は確実に、崩壊しつつある。工学をはじめ「理科系」へ進学する(あるいは進学を希望する)学生が急激に減少している。まことに由々しきことである。
 技術立国のためだけではない。数学・物理は、社会科学を含めたすべての科学あるいは学問の基礎であるとまで断言しても、中(あた)らずといえども遠からず。このことをトコトン腑に落とし込んでおくべきである。

 だが、さらにより確実な滅亡の予兆は、自国への誇りを失わせる歴史教育、これである。
誇りを失った国家・民族は必ず滅亡する――これ世界史の鉄則である。この鉄則を知るや知らずや。戦後日本の教育は、日本の歴史を汚辱の歴史であるとし、これに対する誇りを鏖殺(おうさつ)することに狂奔してきた。
(小室直樹『日本国民に次ぐ――誇りなき国家は、滅亡する』ワック社、二〇―二二頁)


 ここでまずコメントしておくと、小室氏があげている三つの予兆は、筆者もまさにそのとおりだと考えています。これらはみなまさに大問題・死活問題です。

 しかし、不思議なことに小室氏は日本の多くの学者、政治家、財界人と同様、環境問題という根本的な「滅亡の予兆」についてはまったくと言っていいほど注目していません。

 環境問題への適切な対処をしなければ滅亡するのは人類であって、日本国民だけではありませんが、もちろん人類には日本国民も含まれているのですから、「日本国民に告ぐ」べき滅亡の予兆には環境問題もぜひ含まれる必要がある、と筆者は考えます。

 しかし、もう一度言うと、3つの予兆については、確かにそのとおりだと思いますし、それがどうして生まれてきたのかという社会学的分析については、きわめて鋭く適切で、教えられたことが多くありました。

 小室氏がソ連崩壊の10年も前に崩壊を予測していたことは、知る人ぞ知るです(『ソビエト帝国の崩壊』光文社、1980年、私も本が出た当時、すぐに買ってざっと読んだ覚えがありますし、さかのぼって1976年に出た『危機の構造――日本社会崩壊のモデル』(現在中公文庫)も買って読むには読みましたが、その時点では正直なところ小室氏の警告の本質的な意味を理解することができたとはいえませんでした)。

 その小室氏が、基本的に同じ理論から日本の崩壊を予測しているのですから、賛成するしないは別として耳を傾けるに値するのではないでしょうか。

 小室氏が拠って立つ基本的理論は「アノミー論」と呼ぶことができるでしょう。

 その概要は、小室氏自身が「カリスマの保持者は、カリスマを手放してはならない」という小見出しのところで、以下のように要約しています。


 アノミー (anomie) とは何か。「無規範」と訳されることもあるが、それよりも広く“無連帯”のことである。…

 アノミー概念を発見したのは「社会学の始祖」E・デュルケム(フランス人、一八五八~一九一七年)である。デュルケムがアノミー現象を発見したのは、自殺の研究を通じてであった。彼は、生活水準が急激に向上(激落の場合だけではない)した場合にも自殺率が増加することを発見した。
 なぜか。生活水準が急上昇すれば、それまでつき合っていた人たちとの連帯が断たれる。他方、上流社会の仲間入りを果たすのも容易ではない。成り上りものと烙印を押され、容易には付き合ってくれない。かくして、どこにも所属できず、無連帯(アノミー)となる。連帯(ソリダリテ、solidarite)を失ったことで狂的となり、ついには自殺する。
 これがアノミー論の概略。このように生活環境の激変から発生するアノミーを「単純(シンプル)アノミーと呼ぶ。その心的効果は「自分の居場所を見出せない」ことにある。どうしてよいか途方に暮れる。そして正常な人間が狂者以上に狂的となる。

 アノミーには、この単純アノミーのほかに、「急性(アキュート)アノミー」と呼ばれる概念がある。これは、信じきっていた人に裏切られたり、信奉していた教義が否定されたときに発生するアノミーである。
 急性アノミーが発生すれば、人間は冷静な判断ができなくなる。茫然自失。正常な人間が狂者よりもはるかに狂的となる。社会のルールが失われ、無規範となり、合理的意思決定ができなくなる。

 精神分析学者のフロイトは、急性アノミー現象を、軍隊の上下関係の中に発見した。どんな激戦・苦戦に陥っても、指揮官が泰然としていれば、部下の兵隊はよく眠り、よく戦う。厳正な軍規が保持され、精強な部隊であり続ける。しかし、指揮官が慌てふためいたらどうなるか。急性アノミー現象が発生し、部隊は迷走。あっという間に崩壊する。

 ヒトラーはこれをローマ教会に似た。ローマ・カトリックは、なぜ一五〇〇年以上も世界最大の宗派たりえるのか。それは、ローマ教会が絶対教義の過ちを認めないからである。これが世界最大の教団でありえた理由であるとヒトラーは説明する。

 かくて、急性アノミー理論は、別名「ヒトラー・フロイトの定理」ともいう。この定理を換言すれば、こうなる。カリスマの保持者は絶対にカリスマを手放してはならない。傷つけてもならない。もしカリスマが傷つけば、集団に絶大な影響が及ぶ。もしカリスマを失えば、集団は崩壊する。筆者が、フルシチョフによるスターリン批判を踏まえ、昭和55年(1980年)、『ソビエト帝国の崩壊』(光文社)を著したのも、実はこの急性アノミー理論によるのである。


 国民同士の間に規範と連帯がなければ国家が滅亡するのは、自明の理、時間の問題と言ってまちがいないでしょう。

 上記のような理論を基にして、小室氏は「なぜ戦後日本は無連帯(アノミー)社会となったのか」について、以下のような鋭く適切な分析をしています。


 終戦により発生した熾烈な急性アノミー、これを利用したGHQによる巧妙なマインド・コントロールによって、戦後の日本の「急性アノミー」は、さらに深く広いものとなっていった。

 根本的な原因は、GHQの「日本人洗脳計画」に基づき、「太平洋戦争史観」すなわち「東京裁判史観」を植え付けられたからである。「自存自衛」の「大東亜戦争」が、「侵略戦争」と断罪されたからである。間違った戦争だとされたからである。日本軍が「南京大虐殺」をやったと脳髄にたたき込まれたからである。しかも、繰り返し繰り返し。新聞、雑誌、ラジオ、映画、そして学校教育によって。
 日本の歴史は間違いだった、日本軍は大虐殺をやった、日本人は悪い人間である、と教えられた。これは恐ろしい。日本人には大虐殺という概念がなかった。欧米や中国ではあったが日本にはなかった。
 ところが、日本軍が大虐殺をしていたということになった。日本は大虐殺をする侵略国家とされた。多くの善良な日本人が、後ろめたい心理状態になったのは当然だ。GHQの「日本人洗脳計画」によって骨の髄から「贖罪意識」を植え付けられたからである。

 戦後、日本人はGHQによって、日本人としての誇りを奪われた。しかし、戦前の日本はそうではなかった。学校でも家庭でも日本人であることに誇りを持てと、繰り返し教育した。誇りは規範や倫理の根本である。特に、軍人が「お前らは日本人の鑑になれ、手本になれ」と教えられた。一般の日本人も、「兵隊さんだったら悪いことはしない」と当然のように思っていた。だから、民家に兵隊が泊まる場合でも、誰もが安心し、喜んで宿を提供した。実際に、悪いことはしなかった。……
 (『日本国民に告ぐ』二九三~二九六頁)


 戦前の日本を支えていた根本は何か。トップにおいては天皇共同体。天皇イデオロギーによる共同体である。天皇と日本人は、共同体を作っていると考えられた。GHQはこれを破壊しようとした。天皇イデオロギーの破壊は、天皇の人間宣言に始まり、そこで終わった。……
 カリスマの保持者は、カリスマを手放してはならない。カリスマが失われ、それまでの正当性(レジテマシー)が変更されたとき、その集団は崩壊し、崩壊した集団は急性アノミーになる。
 ――実は朕は人間であった――
 かくて天皇イデオロギーによる共同体は、天皇の「人間宣言」によって崩壊した。

 これはあたかも、アラーがイスラム教徒に「わしは実は悪魔であった。コーランはみんなさかさまに読め」と言ったような話ではないか。そうなったらイスラム教はどうなる。
 世界の国家(民族、宗教)には、それぞれ、その国がよって立つ正統性がある。アメリカなら建国の精神、中国(漢民族)や中華思想、イスラエルならユダヤ教、といった具合だ。かつてのソ連ならマルキシズム。正統性はその国家の背骨だから、失われたり、大きく変更されたりしてはならない。そんなことすると国家はアイデンティティーを喪失してアノミーを起こす。

 ソ連崩壊の原因がフルシチョフによるスターリン批判だったことは、すでに述べた。だから世界中の国は、その国の正統性を教育によって子供に叩き込む。戦前、日本の正統性は天皇イデオロギーであった。それが天皇の人間宣言によって崩壊したのである。
 (『日本国民に告ぐ』二九九~三〇三頁)


 小室氏はさらに、日本国民が深刻なアノミー――無規範、無連帯――状態に陥ったもう一つの原因とその結果について次のように述べています。


 一方、天皇イデオロギーによる共同体とともに、戦前の日本を支えていたもう一つの共同体が、村落共同体。天皇イデオロギー共同体を頂点とするが、底辺にあったのが村落共同体であった。……占領政策によって、頂点における天皇システムは大打撃を受けた。底辺における村落共同体も、高度成長の始まりとともに昭和三十年頃から急速に解体した。かくて、日本を支えていた共同体が頂上と底辺の両方から破壊された。そして、まさに無連帯、大アノミー。

 では、破壊された共同体はどこに吸収されていったのか。……ほとんどが大企業、その他、お役所。いずれも、本来は機能集団(ファンクショナル・グループ)。それが急速に共同体化した。
 つまり、企業という機能集団が共同体となってしまったのである。戦前、戦中までは、基礎的な人間関係は天皇との関係であり、村落における人間関係だった。しかし、そうした人間関係が全部崩れて、企業が共同体になってしまった。日本社会を作っていた共同体が、機能集団である企業の中にもぐり込んでしまった。

 これがいかに恐ろしいことか。本来、企業集団にはその集団の存在理由、目的がある。民間企業であるが収益を上げることであり、官庁であれば国益を追求することだ。ところが、機能集団が一度、共同体と化せばどうなるか。

 すでに述べたように、共同体の社会学的特徴は二重規範である。共同体の「ウチの規範」と「ソトの規範」とは、まったく異なる。「してよいこと」と「してはならのこと」とが、共同体のウチとソトでは、異なるのである。つまり、ウチでもソトでも共通に通用する普遍的な規範が存在しないことが、共同体の特徴なのである。
 したがって、企業集団が共同体と化せば、そこには普遍的な規範は存在しない。共同体のソトでは悪いことでも、共同体のウチではよいことになってしまう場合が出現する。たとえば、薬害エイズ事件での厚生省の対応。厚生省の本来の存在理由である国民の健康守るという国益は蔑(ないがし)ろにされ、身内の失策をかばうという内部規範が優先されたではないか。
 (『日本国民に告ぐ』三〇三~三〇五頁)


 続いて小室氏は、受験戦争が急性アノミーを拡大生産したことを指摘していますが、これもまたまったく同感するところです。


 戦後日本に発生した「急性アノミー」を拡大再生産したのが、いわゆる受験戦争である。受験勉強は、なぜいけないのか。子供たちが泣くのが可哀相というだけではない。最大の問題は、友だち、同世代の人間が全部敵になることだ。子ども同士の連帯がズタズタになる。若者にとって最も大切なのは、同じ年齢の人びととの連帯感。それが破壊されてしまった。……

 そもそも、教育とは何か。ルソーは「教育の目的は機械を作ることではなく、人間を作ることだ」(『エミール』)と述べた。つまり、自分の頭で物事を考えるような人間に育てるということである。そして、実生活で直面するさまざまな問題を解決する能力を与えることである。そのために必要な知識を教え、知力や体力を育てることだ。それは、人間は教育されたことを土台としてしか、問題を解決できないからである。

 ところが、戦後日本の教育はどうだ。人間を作ることではなく、条件反射するネズミを作ることを目的としているではないか。……入学試験で出題される問題には、あらかじめ「正解」が用意されている。答えるべき「正解」は一つである。マークシートの上で、唯一の正解を塗り潰すことに成功したものだけが、優秀と言われエリートとして選抜される。正解に達することができなかった者は、人生の落伍者となる。……

 実生活で直面する問題に「正解」があるとは限らない。むしろほとんどの場合、「正解」が用意されていないと言ってよい。仮にあったとしても、「正解」が一つであるという保証はない。正解が一つであったとしても、求める方法がないために、近似値にしか近づけない場合もある。まさに「一寸先は闇」なのだ。その闇に果敢に立ち向かっていくための土台を築くことが本来の教育の目的なのである。

 ところが、受験勉強というプロセスの中で、問題には必ず一つの正解があるという刷込みを受ければどうなるか。正解が用意されていない問題に直面したとき、右往左往するばかりで、どう対処してよいか分からなくなるではないか。

 日本人がすぐに思考停止するのはこのためである。決して自分の頭で考えようとしない。右往左往しながら、誰かが正解を教えてくれるのを待ち望み、教えられたことだけを従順に信じこむのである。

 だから、日本人はアメリカが偉いとなったらアメリカだけ。南京大虐殺があったと教えられれば、鵜呑みにする。何が正しくて、何が正しくないかを判断する能力がなくなった。誰かが、これが絶対に正しいと言えば、盲目的についていく。その意味で象徴的だったのがオウム事件である。
 一流大学を卒業した四十代の医師が、「教祖」から地下鉄にサリンを撒けと言われたら、「ハイ」と撒く。事件の全容が次第に明らかになるにつれ、世間は「なぜ、あんな真面目で優秀な人が」と驚いた。精神に狂いが生じたわけではない、アノミーなのである。

 オーム事件は、まさに現代日本の縮図であった。なんでもアメリカ様の言うとおり。アメリカ様の言うことはすべて正しい。アメリカ様に逆らえば、地獄に落ちる……。「アメリカ」を「教祖」に置き換えれば、まったく同じ構造ではないか。
 (『日本国民に告ぐ』三一〇~三一五頁)


 自虐史観・暗黒史観を教育され、受験競争で育った子どもたちが、社会のエリートになった時、何が起こるか、それはまちがいなく日本という国家の滅亡だ、と小室氏は警告します。


 本来なら友だちとなるべき人びとを敵と見做し、アノミーを起こしながら、ひたすら暗黒史観を頭に書き込んだ連中が、拡大再生産されている。その中で暗黒史観を最もしっかり記憶した者がエリートとなって、この国の中枢に入っていく。日本よ、汝の日は数えられたり。(『日本国民に告ぐ』三三〇頁)



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かつての日本人はなぜ一丸となって戦えたか:国家神道について

2010年08月27日 | 歴史教育

 今日の記事は、かなり長くなります。

 7月末、岩波新書で友人の島薗進氏の『国家神道と日本人』が出たという新聞広告を見て、買わなくてはと思っていたところ、送っていただきました。


国家神道と日本人 (岩波新書)
島薗 進
岩波書店

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 前期末の厖大な数のレポート採点と久しぶりに秋に出す本(『アドラー心理学と仏教――自我から覚りへ(仮題)』佼成出版社)の原稿締切りとで、すぐに読むことができなかったのですが、それが終わってちょうど終戦記念日(というより敗戦記念日)をはさんで数日かけて読み終えました(いつもなら新書一冊は半日もかからないのですが、重要な内容だったのでじっくり読んだので少し時間がかかりました)。

 昨日の記事に書いたとおり、非常にすぐれた分析で、「おもわず膝を打つ」という表現がありますが、そんな感じでした。

 戦前の日本という国家(大日本帝国)のコスモロジーであり、日本人のアイデンティティとなったのは、まぎれもなく「国家神道」だったことが、コロンブスの卵――自分では思いつかないのにやって見せてもらうと「なんだ、そんな簡単なことか」と思ってしまうこと――風に了解できました。

 その直後、小室直樹『日本国民に告ぐ――誇りなき国家は、滅亡する』(ワック出版)も読んで、さらにうなづくものがありました。

 そちらについてもできればまた記事を書きたいと思っていますが、今日はまず、『国家神道と日本人』の要点――だと私が思ったところ――を引用‐紹介しておきたいと思います(島薗さん、私の問題意識に引きつけすぎた曲解だったら、ごめんなさい)。


 「国家神道とは何か」が見えなくなっているために、日本の文化史・思想史や日本の宗教史についての理解もあやふやなものになっている。当然、「日本人」の精神的な次元でのアイデンティティが不明確になる。「国家神道とは何か」を理解することは、近代日本の宗教史・精神史を解明する鍵となる。この作業を通して、明治維新後、私たちはどのような自己定位の転変を経て現在に至っているのかが見えやすくなるだろう。このことこそ、この本で私がもっとも強くした主張したいことだ。(はじめに~)

 明治維新後の皇室祭祀の展開が、神道の近代的な形態のきわめて重要な一部であること、また、それが伊勢神宮を頂点として組織化されていく神社界と密接不可分なものとして理解されてきたことは、誰の目にも明らかである。また、国体論が天皇「神孫」論や伊勢神宮崇敬と結合し、皇室祭祀や神社界と切り離しがたい関係をもっていたことも否定のしようがない。これらを総合的に捉えて、国家神道と呼ぶのはきわめて自然なことだ。(八二頁)

 それ(『神社本義』――引用者注)によれば、日本の「歴代の天皇は常に皇祖と御一体であらせられ、現御神として神ながら御代しろしめし」てきた。戦時中のこの文書では、天皇は「現御神」「神ながら」の特性をもつ、神的な存在として仰ぎ見られている。そして、「国民はこの仁慈の皇恩に浴して、億兆一心、聖旨を奉体し祖志を継ぎ、代々天皇にまつろい奉つて忠孝の美徳を発揮」してきたという。こうして「君臣一致の比類なき一大家族国家を形成し、無窮に絶ゆることなき国家の生命が、生成発展し続けて」いるのだ――『神社本義』はこう述べている。
 確かに国家神道は、人々をこのような信仰の境地にまで進ませた。第二次世界大戦の末期などはそうした信仰が昂揚し、多くの人たちがそれに巻き込まれていった。天皇陛下のために命を投げだすことも覚悟する人々が少なくなかったのだ。しかし、一九三〇年頃までのことを考えると、このような境地に達していた人はそう多くはなかった。(六六頁)

 実際には神社神道は皇室祭祀と一体をなすべきものとして形成されていった。そしてそれらは国民に天皇崇敬を広め、それによって国家統合を強化しようという意図と切り離せないものだった。……その導きの糸となった理念は、祭政一致とか祭政教一致とか皇道と呼ばれたものである。神道祭祀や天皇崇敬を核とする、あるべき国家の像が江戸時代末期に形成され、維新政府の政策の指標となった。そうした指標に従って、神社政策、宗教政策、祭祀政策、国民教化政策が行われていった。神道祭祀と天皇崇敬が核にあるという点で、それらの諸政策は相互に連関しあっており、天皇崇敬の周囲に形作られた「祭」や「教」は一体をなすものであり、「国家神道」と呼べるような全体を形づくっていた。(九二頁)

 まず注目したいのは、「大教」「皇道」などの語である。明治維新後の早い時期にこうした理念が聖典的な意義をもつ天皇の言葉、つまり「詔勅」として提示され、以後も正統理念としての地位を失わなかった。それは、万世一系の「国体」や天皇崇敬と神道の祭や神祇崇敬を結びつけ、国民の結束と国家奉仕を導き出すことができる理念だった。一方、それはまた多様化や自由化を含意し、個々人の自発性を尊びながら富国強兵に向かう国家を支えることができるような理念としても捉えられていた。今、私たちが「国家神道」とよんでいるものの観念内容(「国家神道の教義」にあたるもの)は、明治維新前後の時期に「大教」「皇道」などとよばれていたものとおおよそ重なり合うものなのだ。(一〇六~一〇七頁)

 教育勅語の成立によって、学校では天皇による聖なる「教」が絶大な威力を発揮することになった。そうした帰結と見比べるとき、少数の関与者のやりとりを通して進行したその成立経緯は、必然性を欠いた歴史の気まぐれのような印象を与える。しかし、巨視的に見れば、元田と明治天皇を動かしていた力は、明治維新の枠組みそのものが準備したものである。すなわち皇道論や「祭政教一致」の建前が掲げられ、それに従って制度構築が進められ教育勅語に結晶したのだ。(一三一頁)

 国家神道の祭祀体系の形成と「教育勅語」に至る「教え」の形成は、いちおう別個の過程をたどっている。しかし、それらはどちらも天皇崇敬と祭政一致・祭政教一致の理念に基づいたものである。その導きの糸となる天皇の言葉は、皇道論者が起草した一八七〇年の「大教宣布の勅」によって示されていた。そこでは「天皇の祭祀」と「皇道」「治教」とが一体のものと考えられ、新たな国家の根本原則と見なされている。その意味で「大教宣布の勅」は、天皇自身が示した国家神道のグランドデザインを示す文書となったと見ることができる。(一三五頁)

 学校や軍隊や国家行事を通してナショナリズムが育てられるのは、欧米をはじめとして世界各地の国民国家で広く共通に見られることである。日本ではナショナリズムが国家神道という宗教的要素と絡み合って展開した。世俗的ナショナリズムが標準的と考えられたヨーロッパとは異なるパターンであるが、世界各地を見渡せば、ナショナリズムと宗教が重なり合って展開する例は珍しくない(ユルゲンスマイヤー『ナショナリズムの世俗性と宗教性』)。宗教的ナショナリズムが目立つ国として、インド、イスラエル、イランを初めとするイスラーム諸国が思い浮かぶが、ロシアや東欧諸国やアジアの仏教国もそこに含まれよう。
 このような観点に立つ時、国家神道が国民自身で担い手となる下からの運動という性格を帯びるようになったことに注意する必要がある。ナショナリズムが国民によって下から支えられていく性格をもっていることは広く認識されている。国家神道も武士層が鼓吹し国家制度に取り込まれて広まっていったのだが、やがて民衆に受け入れられ、下からの国民運動として、あるいは宗教的ナショナリズムとして広まるようになっていったと見ることができる。(一六六~一六七頁)

 こうした近代日本宗教史の見解を理解する上で示唆に富んだ指摘をしているのは、久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』(一九五六年)の久野が執筆した「第四章 日本の超国家主義」だ。久野は宗教について論じているのではなく、政治理念について論じているので少々文脈は異なるが、国家神道の歴史という問題に適用してみる価値があると思う。
 久野によると明治憲法の国家体制は、国民向けの「顕教」とエリート向けの「密教」との組み合わせで成り立っていた。
 天皇は、国民全体にむかってこそ、絶対的権威、絶対的主体としてあらわれ、初等・中等の国民教育、特に軍隊教育は、天皇のこの性格を国民の中に徹底的にしみこませ、ほとんど国民の第二の天性に仕上げるほど強力に作用した。/しかし天皇の側近や周囲の輔弼機関から見れば、天皇の権威はむしろシンボル的・名目的権威であり、天皇の実質的権力は、機関の担当者がほとんど全面的に分割し、代行するシステムが作り出された。/注目すべきは、天皇の権威と権力が、「顕教」と「密教」、通俗的と高等的の二様に解釈され、この二様の解釈の微妙な運営的調和の上に、伊藤の作った明治日本の効果がなりたっていたことである。(久野・鶴見『現代日本の思想界』一三一―一三二ページ)
 国民全体に対しては、無限の権威をもつ天皇を信奉させる建前を強化し、国民の国家への忠誠心を確保しようとした。これが「たてまえ」、つまり「顕教」だ。他方、国家と社会の運営にあたる際には、近代西洋の民主主義や自由主義の生徒に準拠し、経済や学問知識の発展、そのための人材活用を尊んだ。これが支配層間の「申しあわせ」で、「密教」にあたる。
 憲法解釈に即していうと、「顕教」は天皇=絶対君主説となり、「密教」が立憲君主制の立場であり天皇機関説となる。「小・中学校および軍隊では、「建前」としての天皇が決定的に教えこまれ、大学および高等文官試験にいたって、「申しあわせ」としての天皇がはじめて明らかにされ、「たてまえ」で教育された国民大衆が、「申しあわせ」に熟達した帝国大学卒業生たる官僚に指導されるシステムがあみ出された」(同前、一三二ページ)
 伊藤博文や井上毅の意図では、この「密教」の立場が政治システムを統御し続けるはずだったが、「顕教」を掲げる下からの運動、そしてその影響を受けた軍部や衆議院が統御を超えて「密教」の作動を困難にしていく。「軍部だけは、密教の中で顕教を固守しつづけ、初等教育をあずかる文部省をしたがえ、やがて顕教による密教征伐、すなわち国体明徴運動を開始し、伊藤の作った明治国家のシステムを最後にはメチャメチャにしてしまった。昭和の超国家主義が舞台の正面におどり出る機会をつかむまでには、軍部による密教征伐が開始され、顕教によって教育された国民大衆がマスとして目ざまされ、天皇機関説のインテリくささに反撥し、この征伐に動員される時を待たねばならなかった」(同前、一三三ページ)
 近代的な政治は世俗的な力によって動くと考えていた久野は「超国家主義」という「イデオロギー」が基軸だったと考え、宗教用語をたとえとして用いているが、久野のいう「顕教」は事実、国家神道としてとらえるのが適切なのだ。(一七八~一七九頁)

 ……この書物では、これまであまり注目されてこなかった理由に目を止めている。――国民国家の時代には国家的共同性の馴致が目指されるが、民衆自身の思想信条は為政者や知識階級の思惑を超えて歴史を動かす大きな要因となる。また、啓蒙主義的な世俗主義的教育が進む近代だが、にもかかわらず民衆の宗教性は社会が向かう方向性を左右する力をもつことが少なくない――。日本の国家神道の歴史は、このような近代史の逆説をよく例示するものだろう。(一八一頁)


 「国家神道」こそ「ほとんど国民の第二の天性」となったものの基礎、つまり江戸末期に始まり、大東亜戦争期に完成された、「日本人の国民的アイデンティティ(大和魂)」の基礎となるコスモロジーだったのです。

 それは、聖徳太子「十七条憲法」を出発点として形成‐完成された日本のコスモロジーである「神仏儒習合」を換骨奪胎して「天皇教」としたものであり、だからこそ、国民はただだまされて信じたのではなく、かなり自然に本気で信じることができるようになったのだ、と考えられます(軍神杉本五郎『大義』参照)。

 それがあったからこそ、日本人は一丸となって植民地化される危機を乗り切り、近代国家を形成し、富国強兵へと邁進し、植民地化される側から植民地化する側にまわり、そして先に植民地化をしていたイギリスや遅れて植民地化に向かったアメリカと植民地をめぐる利害が対立した時、自らの正当性(大義)を信じて本気で戦うことができたのではないでしょうか。

 (どうも、「明治維新は善、大東亜戦争は悪」では、話のつじつまが合わないような気がします。たとえ、その中間「坂の上の雲」まではよかった、でも、どうも……)。

 善悪、功罪の評価をする前に、その歴史的事実をしっかりと認識しておく必要があると思います。

 本気で信じて死ぬつもりだった若者が、敗戦によってどのようなアイデンティティ・クライシス(危機)に陥ったか、自らの体験をベースに描いた城山三郎の『大義の末』『忘れ得ぬ翼』『硫黄島に死す』を読みながら、その後、日本人の魂はいまだにアイデンティティの再構築をできないままさ迷っているなあ(それどころか、すべての物語〔つまりコスモロジー〕の「脱構築」が正しいかのような言説がこの間まで流行しており、まだかなり強くその名残があります)、それでは環境問題を筆頭とする現在の国家的危機に対して一丸となれないのも戦えないのも当然だなあ、と慨嘆しています。

(何度も繰り返しておきますが、私は右でも左でもありません。国家神道の復活を考えているわけでは全然ありません。両方の正当な部分を統合したいと思っていて、統合のためには右のエッセンスが何だったかをも知っておく必要がある、と考えているのです)。



大義―杉本五郎中佐遺著 (1939年)
杉本 五郎
平凡社

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大義の末 (角川文庫 緑 310-8)
城山 三郎
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硫黄島に死す (新潮文庫)
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テキスト紹介:コスモロジーの創造

2010年04月24日 | 歴史教育

 今月13日から大学の授業が始まりました。

 使用するテキストや参考文献の紹介を少しずつするつもり、と学生に約束しましたので、まずテキストから紹介します。

 授業のキー・コンセプトである「コスモロジー」とは、ギリシャ語のコスモスとロゴスの合成語で、「宇宙の秩序を語る言葉の体系」といった意味です。

 言葉(ロゴス)を使う動物である人間は、言葉によって自分の生きている世界・宇宙がどうなっているのかを秩序だてて知ることなしには、心の秩序や行動の秩序を保つことができません。

 人間はコスモロジーなしには生きられない生物なのです。

 そして、ですから、人間は安心できるコスモロジーなしには安心して生きることはできませんし、安心して死ぬこともできません。

 前近代、人間は神話的・宗教的コスモロジーによって安心を得ていました。

 しかし、近代の理性・科学(主義)的なコスモロジーによって、神話的宗教は否定されることになりました。

 ところが、近代の科学主義的なコスモロジーは、「すべてはモノにすぎない」と見えてくるようなコスモロジーであり、必然的にニヒリズムを招くことになります。

 ニヒリズムに陥っては、もちろん安心して生きることも死ぬこともできません。

 しかし幸いにして、近代科学を含んで超える「現代科学」のコスモロジーは、宗教のエッセンスと調和するものであり、ニヒリズムを超えるものだと思われます。

 現代科学と宗教のエッセンスの統合から描き出される新しいコスモロジーは、理性・科学と反することなく、しかも人間が安心して生き死にできるベースになるものだ、と筆者は考えています。

 そうした趣旨をいろいろな角度から論じたのが、下記のテキストです。

 授業、ブログ授業で話しきれていないこともたくさんありますから、ぜひ、並行して読んでください。

 きっと、自分と世界の未来に希望が見えてくると思います。


コスモロジーの創造―禅・唯識・トランス・パーソナル
岡野 守也
法蔵館

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原点と到達目標としての十七条憲法

2010年02月12日 | 歴史教育

 私が『聖徳太子『十七条憲法』を読む』(大法輪閣)を出した時、前々回の学生のように、「十七条と聞いて、「えっ」と正直おも」った人が多いようです。

 私自身、戦後の進歩主義的な教育を受けてきて、正直、自分がやがて十七条憲法の本を書くことになろうとは夢にも思っていませんでした。

 それだけ日本の戦後教育は、日本の精神的伝統を「忘れさせられて忘れた」ものであり、日本人のアイデンティティを見失わせるものだったということでしょう。1) 2) 3)

 しかし、縁あってその意味を再発見することができ、それは忘れてはならない日本の原点であり到達目標・国家理想であると思うようになり 4)、そのことを次の世代にもぜひ伝えておくべきだと考え、H大学では1年間の最後の4分の1を使って講義をします。

 そうすると、以下の感想文のように若者たちもしっかりと理解をしてくれるようです。

 こういう感想文を読むと、日本もまだ大丈夫だと思います。

                    *

 日本に閉塞感があると言われて久しいが、政権交代をしても、やっぱり変わらなかった。

 私は失望したが、この本を読み希望が持てた。

 偉大な聖徳太子のような人が現代にもいて欲しいと思った。

 (筆者注:この本とはテキストとして使っている『聖徳太子『十七条憲法』を読む』のこと)

   社会学部1年男子


 この本を読んで、聖徳太子という人物を知るのももちろん、日本の国家は何を目指すべきなのかを学ぶことができた。

 十七条の憲法はまさに理想の国のあり方であると感じると同時に、実践するのは非常に難しいことでもあると感じた。

 しかし、諦めてはいけない。理想の国家に向かって希望をもち、前に進もうとする力が現代に生きる私たちには必要だと思った。

 そして、そのことを教えてもらった授業にとても感謝しています。ありがとうございました。

    社会学部1年女子


 昔にこんな立派な人物がいたというのは、やはり日本はすばらしい国だと思った。

 我々は宇宙と一体であるということを学び、かなり衝撃的でした。

 この十七条憲法には、今、我々がどういう方向に進んでいけばよいか書かれていると感じました。

 いろいろなことに気づくことができたのは先生の授業のおかげです。

 何のために生きるのか? それをずっと考えてきて、先生の授業に出会って答えがはっきりし、自分が何をなすべきかはっきりしました。

 もやもやがはれてすごくすっきりしました。

 これからの日本をつくるのは僕たちなので、その自覚をもち、自分がやるべきことをしっかりやりたいと思います。

 1年間ありがとうございました。

     社会学部1年男子


 以上で「十七条憲法」の第一条から第十七条の構造についてまとめてきたが、では聖徳太子は何を一番に考えてこの「十七条憲法」をつくり出したのだろうか。

 それは国民の幸せだと思う。

 聖徳太子は自分のことを二の次に考えて、国民たちを一番に考えだ。

 そして自分の権力にもかかわらず、国民と自分を平等に考えた。

 現在の日本、いや世界中探しても一人いるかいないかの理想のリーダー像であろう。

 今、上で書いたことはこのテストの題である「十七条憲法」の構造とはあまり関係のないことではあるが、聖徳太子の素晴らしさに思わす感銘して書いてしまった。

 この日本にこのような素晴らしい人がいたことを素直にうれしく思いながら、さらに、将来このような人が現れないか、いや自分がこのような他人を思える人間に成長するんだと思わずにはいられなかった。

    社会学部1年男子


*拙著にも書いたことですが、今日本史の学界では、聖徳太子は歴史的に実在しなかったという説が主流(代表的には大山誠一氏のように)になっていることは承知していますし、学生にも伝えています。

 しかし私は、いわゆる「聖徳太子」が歴史的に実在したかどうかよりも、「十七条憲法」のようなすばらしい国家理想を掲げた文章が残っているという歴史的事実のほうが重要だと考えている、と話すのです。

 たとえそれが聖徳太子に仮託した藤原不比等の作文だったとしても、です。

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菩薩の誓願

2010年01月02日 | 歴史教育

 飛騨という言葉には、魅力的な響きがあり、行きたいと思いながら、機会がなかった。

 ようやく昨年秋、思い立って取材と充電をかね、妻と二人で高山に行った。高山を選んだのは、飛騨国国分寺が残っていることも理由の一つである。

 空に関する自分の理解が正しいかどうかを確かめたくて、2006年から般若経典をいろいろ読んでいたのだが、不遜な言い方をするととても面白くて止まらず、2007年の正月にはとうとう『大般若経』六百巻を全部読もうという気になった。こんなやたらに長いお経をちゃんと読もうという気になるなど、まさに夢にも思っていなかった。

 毎日少しずつ読み、3年かけて昨年11月末ようやく終えたが、読めば読むほど、『大般若経』における菩薩という理想の美しさ、その深い意味がわかってきて、読み終えてしまうのが惜しいような気さえした。

 わかってくるにつれ、その具象化としての書写や大般若会そして国分寺の創建などもただの空虚な形式ではないと思うようになってきた。

 改めて学んでみると、大般若経を書写させたこと、大般若会を始めたこと、そして総国分寺としての東大寺の創建、諸国の国分寺の創建などなどはみな、聖武天皇が大乗仏教の説く智慧と慈悲を基礎に国づくりをしたいと願ったことの表われと解釈できるようである。

 今、国分寺も大般若経も大般若会も形としては残ってはいるし、まさにこの年越し―新年、行事として大般若会を行なっていた寺院も少なくないようだが、意味が忘れられていることが多いように思える。そして、意味がわかってくればくるほど、それは日本人にとってとても不幸なことだと思うようになった。

 しかし、「形骸化」などというネガティブな言い方はしない。たとえ意味が忘れられかけていても、形が残っているということは幸いなことだ。残っていればこそ、再発見することも再理解することも可能なのだから。

 私の理解では、聖武天皇は仏教の精神を日本全国に行き渡らせることによって、日本を平和で美しい国にしたいと願ったのだ。それは聖徳太子の志の継承でもある。

 もちろん古代の人だから、そこには、現代人から見ると呪術的な信仰もあっただろうし、御利益信仰もあっただろう。しかしそれだけではなく、続日本紀を読むと、聖武天皇や光明皇后、孝謙天皇などは仏教の思想についてかなり深い理解ももっていたようである。

 そうした理解と日本を平和で美しい国にしたいという深い思いが具象化したのが、大般若経の書写であり、大般若会であり、国分寺である、と思って見ると、それらがいっそう美しく見えてくる。

 飛騨国分寺の現在の建物は、昭和になってから再建されたものだそうが、三重の塔など、最近のものとは思えない古びた風格のある清々しい姿で立っていた。

 境内に残っている大きな銀杏の木は、樹齢千数百年のものだというから、創建当時に植えられたものだろうか。みごとな大きさでありながら、樹勢が盛んで、晩秋なのにとても若々しく瑞々しく繁っていて、木の下に立つと、抱かれ包まれているような感だった。

 その下で、お寺の奥さんが心を込めて落ち葉を掃いておられたのが印象的だった。

 




 本尊の薬師如来や円空作の弁財天なども拝観させていただき、すがすがしい気分で門を出ると、門前に円空彫りの店があったので、入ってみると、ただのレプリカとは思えない、なかなかいいものがあった。

 あれこれと見ているうちに、笑顔の薬師さまに会った。これまでのご縁からすると観音さまのようにも思ったのだが、なぜか今回は「このお薬師さまを家にお迎えしよう」という気になって、買い求めた。

 家に帰ってお祀りしてから、これもご縁だと思って、まだ読んでいなかった『薬師経』、正式には『薬師瑠璃光如来本願功徳経』を読んでみた。

 そこには、薬師如来がまだ菩薩であった時に立てた「十二大願」が記されていて、薬師信仰の意味がわかったような気がした。ここでも、言うまでもないが大乗仏教の目指すものは「智慧と慈悲」なのである。

 例えば第三大願は「私が来世に覚りを得た時には、量りしれず極みのない智慧の方便をもって、心ある生きもの(有情)が必要とするものを限りなく得られ、生きとし生けるものが貧しく足りないことがないようにする、と誓願する」というものである。

 また第七大願は「私が来世に覚りを得た時には、もし心ある生きものがもろもろの病に苦しめられ、救いがなく、頼るものがなく、医者がおらず、薬がなく、親がなく、家がなく、貧窮して苦しみが多かったら、私の名号とお経を耳にしただけで、もろもろの病はことごとく除かれ、身心が安楽になり、家や必要なものがことごとく豊かに足りて、その上でこの上ない覚りを得られるようにする、と誓願する」というものである。






 今の我々にとって、「薬師信仰」とは、そうした薬師如来の本願の功徳にすがりあずかろうとするだけでなく(もちろんそれも悪くはないが)、薬師如来が菩薩であった頃の本願を菩薩たりたいと思っている自分自身の願とすることでもなければならない、と思う。

 まだ本格的なものを買っていないのだが、我が家の仏壇的スペースの中央に、そのお薬師さまが本尊風にお立ちになっていらっしゃる。朝夕に手を合わせると、清々しい気持ちになれるのはありがたいことである。

 今年も、文字通り及ばずながらとはいえ微力は無力ではないので、四弘誓願を自らの願として過ごしたいと思っている。


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日本人の精神的崩壊の3つまたは4つの段階 3 「理想」の死

2009年06月05日 | 歴史教育

 前期授業が始まって2ヶ月弱、今学期の受講者数は3大学合計で700名弱で決まり、コスモロジーの授業を続けています。

 熱心な学生たちがたくさんいて、喜んでいます。

 しかし、日本人の精神的荒廃(崩壊)の3段階」について話し終え、レポート課題を出したら、かなりの数の学生たちから、「〈3段階〉がよくわからない」という質問がありました。

 テキストの『コスモロジーの創造』(法蔵館)には書いてあるので、ブログにも書いたような気がしていましたが、過去の記事を調べてみると、書いていませんでした。

 この質問には「ちゃんと話したよね。あとはテキストを読んでください」と答えてもいいわけですが、もう少し親切心を出して、ここでも改めて書いておくことにしました(ただし、レポート作成中の学生諸君、あくまで参考です。このままコピペは、ぜんぜん評価できませんからね)。

 まず前近代、つまり明治維新以前、江戸時代の日本です。

 この時代、「神仏儒習合」のコスモロジーが生きていた、つまり「神・仏・天地自然・祖霊」が日本人の心のなかに生きていた時代には、精神的な荒廃――ニヒリズム-エゴイズム-快楽主義――はほとんどなかったのではないか、と筆者は考えています。

 ほとんどの日本人が、神・仏・天地自然・祖霊を信じていたということは、当然、「すべては物だから意味はない」のではなく、神仏という霊的な存在があり、個々人にも霊魂があり、したがって世界には深い意味があるということですし、「絶対的な倫理の根拠はない」のではなく、神仏・天地の法・道・掟が確固としてあると信じられていたのです。

 崩壊の第1段階は、すでに述べたとおり明治維新の神仏分離、天皇制神道の国教化、社会の実際上の主流の洋学化です。

 近代化と並行して「神仏儒習合」のコスモロジーの崩壊が始まります。

 しかし戦前、社会全体、特に庶民の心のなかには「神仏儒習合」のコスモロジーは残りつづけていましたから、荒廃-ニヒリズムは一部の知識人たちの問題で、社会全体を蝕むには到りませんでした。

 決定的なのは、第2段階、第二次世界大戦・太平洋戦争・大東亜戦争の敗戦後、アメリカの占領政策――日本人の精神的武装解除――として行なわれた国家と宗教の分離、特に公教育と宗教の分離です。

 ここで、日本の子どもたちは学校で神・仏・天地自然・祖霊の大切さをまったく教わることがない・できないという教育制度が作られました。

 日本の精神的伝統であった「神仏儒習合」のコスモロジーの全国民的剥奪です。

 ここで、人生の意味と倫理の根拠になる絶対的なものが、日本の公式文化のなかから姿を消した・消されたのです。

 しかし、そこでただちに日本人の精神的荒廃が全面的になったわけではありません。

 そこに到るまでにはもう一つ段階があったと筆者は考えています。

 神仏は死んでも、それに代わるものとしての「人類とその進歩」という「理想」つまりヒューマニズムを信じられれば、まだニヒリズムには到りません。

 理想を追求することが人生の価値・意味であり、ヒューマニズムは倫理の絶対的な根拠示しうるように思えたからです。

 戦後、1970年頃までは、多くの人、特にまじめな学生は、科学や民主主義による「人類の進歩」や「人権の解放」を信じていました。

 ところが、第3段階、70年前後、学生闘争の終結以降、「理想」はほとんど死に絶えたといってもいい状態にあるのではないかと思われます。

 そうなった最大(唯一ではないにしても)の原因は、学生闘争の決着の付け方にある、というのが筆者の推測です。

 筆者も60年代、学生であり、友人のかなり多くが学生運動家とまでいかなくてもそのシンパ(共鳴者)という状態でしたが、ここでは長くなるので割愛する理由があって、運動には参加しませんでした。

 ですから、全面的に肯定してはいないのですが、学生運動の良質な部分に関しては「世の中をよくしたい」という情熱に突き動かされた「まじめな」運動であったと評価していい、と今でも思っています(若気の至りの、お祭り騒ぎにすぎなかった、あまり良質でない部分ももちろんありましたが)。

 つまり、ヒューマニスティックな「理想」の追求が根本的な動機だったのです。

 ところが、運動は、もっとも象徴的には東大安田講堂への機動隊の導入などの外部の力で鎮圧され、内部的にも中核―革マルの内ゲバや連合赤軍の浅間山荘事件などに見られる対立―荒廃現象が起こり、市民の共感・支持を失ってしまいました。

 それは後の世代に、「世の中をよくしようという理想など抱いたって、権力に鎮圧されておしまいだし、そうでなくても内部対立でこわいことが起こるだけで、理想の実現なんかできないんだ」といった強烈な印象を与えたようです(これは、たくさんの後輩世代に聞き取り調査的に確かめました)。

 そして以後の経済的繁栄とあいまって、「世の中をよくしようなんてめんどうな理想を持たなくても、みんなでもうけて、パイを分けあって、楽しく生きていけばいいんだ」といった、軽薄、ネアカ、ルンルン……の風潮が、社会の、特に若い世代の気分の主流になりました。

 そうした状況で、誰かが真剣に考えようとすると、仲間から「ネクラ」と非難され、「マジになるなよ、ダサイぜ」と冷やかされました。

 そういうふうにして起こったのは、若い世代の心のなかでの「理想の死」です。

 情熱を注ぐべき「理想」がなければ、「シラケル」のは当然です。

 表面は「ネアカ」、内心は「シラケ」というのが、若い世代の基本的な気分になったのではないでしょうか。

 「シラケ」は、徹底されていないけれども、ニヒリズムの兆候だと見てまちがいないでしょう。

 徹底すると死にたくなることがわかっているので、表面はネアカ・ルンルン…と快楽主義でやりすごそうとするのだと推測されます。

 「神・仏・天・祖霊」に加えて、それに代わる「理想」まで死んでしまったとしたら、生きていることの意味や正しく生きることの根拠も見失われ、もうニヒリズムが氾濫・浸透することをとどめるものはなくなるのではないでしょうか。

 それでも景気がよく日本人全体の金回りがよかった時代には、快楽主義でやり過ごせる人口も多かったのですが、90年代のバブル崩壊、そして今回の大不況で、快楽を追求する金もなくなってくると、心の荒廃はいっそう進み、それを行動化(アイティング・アウト)した犯罪・事件がどんどん増えてくるのではないか、と危惧しています。

 このままで大丈夫なのか、どうにかしなければいけないのではないか、どうすればいいのか、本ブログではすでにさまざまなかたちで提案をしてきましたが、これからもご一緒に考えていきましょう。



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終戦の詔

2008年08月16日 | 歴史教育

 昨日、終戦・敗戦記念日にちなんで、ネット検索して「終戦の詔」をきちんと読み直しました。

 訳文を借りると、最後のところで昭和天皇は、「そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。」と国民に語りかけています。

 原文は難解であり、しかもラジオの音が悪く、ほとんどの国民には内容はまったくといっていいほど伝わらなかったでしょうし、いまだに伝わっていないようです。

 リンクした記事には、全面的ではありませんが、半分くらい共感できるところがありました。

 確かに、戦後の日本国民は、経済的面で「世界の進む道におくれを取らぬよう心がけ」、それなりに成功はしてきたわけですが、「道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮」することは、ほとんど置き去りにしてきたのではないでしょうか。

 「国体」というとそれだけでアレルギーを起こしていた頃と違い、これは「国家と国民のアイデンティティ」と言い換えれば、否定するどころかぜひ再構築しなければならないことだ、と理解できます。

 そして、日本の国体とは絶対化された天皇制のことなどではなく、聖徳太子「十七条憲法」に成文化された「和の国日本」という国家理想でなければならない、と私は理解しています。

 「終戦の詔」の中から、受け取るべき・受け継ぐべきメッセージはちゃんと読み取りたい(もちろん無批判に盲信する必要はまったくありませんが)と思いました。




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今日のことば 17: 剣をとる者は

2008年08月15日 | 歴史教育

 終戦・敗戦の記念日です。

 すでに書きましたが、自分が直接体験したのではないにもかかわらず、まるで体験したかのように感じていて、原爆、戦争は私の思想的探究の原点です。

 ですから、今日は改めて原点を確認する日です。

 特に次の新約聖書・マタイによる福音書第26章52節を読み直しました。


  剣をとる者はみな、剣で滅びる。

 
 長い歴史のインターバルで見れば、これは確実です(ゲームの理論でも証明されているようですが)。

 なのに、依然として多くのリーダーはこの警告を聞こうとしません、きわめて残念ながら。

 キリスト教国アメリカの首長でさえ。

 そして、まれな例外がプロテスタント・キリスト教の国スウェーデンであったことに、改めて驚きと敬意を感じています。

 ちなみに、ポツダム宣言の受諾は、スウェーデン、スイスを通じて連合国側に伝えられたのだそうです。



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聖徳太子の寺

2008年06月14日 | 歴史教育

昨日は、姫路で天台宗の布教師研修会で「縁起の心を現代に伝える」という講演をしました。

奇遇にも、もう一人の講師が聖徳太子ゆかりの鶴林寺のご住職でした。

ご挨拶をし、『聖徳太子「十七条憲法」を読む』を差し上げました。

後でわかったのですが、もう一つのゆかりの寺、斑鳩寺のご住職も来ておられました。

残念ながらすれ違いで、ご挨拶、名刺交換はできませんでしたが、今日、お寺にお参りして名刺を置いてきました。

本を書く時点では、お参りできなかった2つのお寺にお参りすることができ、ご住職とのご縁もいただけて、有難いことでした。

どちらにも、聖徳太子のお寺らしい雰囲気があって、いいお寺でした。

機会があれば、また来たいと思いました。

薄く曇った夕焼け空を見ながら、新幹線で帰路です。

(写真は斑鳩寺の三重の塔)
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南淵先生の墓

2008年04月18日 | 歴史教育




                   法隆寺・夢殿の桜



 少し前の話ですが……春休みはほとんど休みにならず、大学が始まったらまたさらに忙しいので、なんとか無理に暇を作って、4月5日から8日まで、京都・奈良に取材6割観光4割の旅行に行ってきました。

 2月のスウェーデン・フィンランド視察の後、「スウェーデン・フィンランドはすばらしい! それでも、やっぱり移住しようとは思わない。日本にとどまって、日本を緑の福祉国家にしたい」のはなぜだろう、と自分の心のうちを探っていました。

 そうしているうちに、どうしても京都・奈良に行きたくなった、というのも一つの理由です。

 特に、前から一度お参りしたいと思っていた、飛鳥の石舞台のさらに奥、稲淵にある南淵請安(みなみぶちのしょうあん)の墓を訪ねてみようと思ったのです。

 請安は、聖徳太子の命を受けて、608年小野妹子に従って隋に留学した学問僧で、隋滅亡後も唐に留まって32年間も学び、太子の亡くなったはるか後640年に帰国した学問僧ですが、やがて事情があって中央政府から身を引いたようで、飛鳥の奥の小さな山村に引きこもって小さな塾をしていたといわれています。

 若き日の中大兄皇子や藤原鎌足や蘇我入鹿がその塾に通って、儒学やとりわけ唐の律令制について学んだと伝えられています。

 後に大化の改新で倒す側と倒される側に分かれる三人は、若き日には学友であったのです。

 馬を並べることのできるほどの道はなかったようですから、三人はのどかな田園風景の中、小さな山道を後先になって一列で請安先生の塾に通ったこともあったでしょう。

 しかし、行き帰り、中大兄皇子と鎌足が二人だけになった時には、蘇我氏打倒の策を練っていたとも伝えられています。

 そうしたエピソードにも歴史のドラマを感じるのですが、それだけでなく、山里の小さな塾で若き日の彼らが学んだことがやがて日本の古代律令国家の成立につながっていったということに、自分が今やっていることを重ねてしまうのです。

 ヴィジョンは、最初の学びはごくささやかなところでなされたとしても、それが一つの国のシステムとして実現された時、大きな出来事になります。

 律令国家における「班田収受」は、取り方によって「人民の支配と搾取のシステムの完成」と読めないこともありませんが、むしろ「日本国民と生まれれば、働きさえすれば食べていける――なにしろ男女を問わず生まれたらかなりの面積の田んぼをもらえるのですから――ある意味での福祉国家の成立」と解釈することもできます。

 私は、聖徳太子「十七条憲法」における「和の国」の理想をあるレベルで実現した、少なくとも実現を目指したのが律令国家だ、と解釈しています(これは事実かどうかというより、歴史という〈物語〉の解釈としてということですが)。

 明治維新前の松下村塾ももちろんですが、むしろ南淵請安のささやかな草葺(だったでしょう)の私塾にこそ、日本の国家理想の一つの原点があるのではないか、という思い入れがあったのです。

 訪ねてみると、村の中央の小さな丘の上、一本の大きな桜の木の下に、小さな祠があり、その横手にささやかな「南淵先生之墓」がありました。








 千数百年ひっそりと、しかし今も集落の人々によって大切に守り続けられているようでした。





 帰り道、「日本の棚田100選」にも選ばれているという稲淵の美しい棚田の菜の花を見ながら、妻と二人、「こういう奥ゆかしいところがいいねえ」と話したことです。





 いろいろ問題が山積しており、欠点も多い日本という国を、なぜ好きなのか。

 それは、親と同じく母国は選べないという理由だけでなく、日本の文化と自然のこうした奥ゆかしい美しさへの愛着なのだな、と改めて確認する旅でした。

 美しかった日本を、もう一度、もっと美しい国にしたい!



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平和と調和の国・実現への希望と意欲

2008年01月24日 | 歴史教育

 ふうふう言いながら、「十七条憲法の意味」のレポートに取り組んでいます。

 でも、多くの学生たちの反応に感動しています。

 そして、彼らの証言どおり、小中高でこうした国家理想について教えられなかった(今もおそらくほとんど教えられていない)ことに、怒りに近い残念さをあらためて感じています。

 よかったら、彼らの感想とそして「十七条憲法」の原文そのものを読んでみて下さい。


 今回の授業で、聖徳太子の十七条憲法を初めて読みました。第一条だけ、小学校のときにやった記憶があったのですが、あとの十六条は、まったく初めてでした。しかもその意味を理解して、聖徳太子って実はすごい人だったことを知りました。私の中の聖徳太子は、一度に七人ぐらいの人の話をいっぺんに聞けたとか、すこし嘘っぽい人だと思っていたのでびっくりしました。
 私は、この「現代社会と宗教」の授業を受けて、少しずつ、日本人としての誇りをもてるようになったかなという気がします。
 日本の文化は好きでしたが、その文化といっても外国の人が思いつく様なきものや、神社、お寺、奈良・京都ぐらいのイメージでしかなかったのが、その根底にあった「仏教」という教えに触れることができて、「日本の文化ってこういう教えを軸にしてできてきたのか」ということこがわかりました。私は、仏教をまったく全然知らなかったので、実は、日本の文化もなにもしらなかったということに気づかされました。
 最近は「愛国心」とか「国際化」という言葉をよく耳にしますが、実は、そう言っている人たちも、「日本の文化」その根本的な教えである「仏教」を正しく理解していいないのではないかと思います。「日本の文化はすばらしい」とか「日本には古き良き伝統がある」とか言葉で口にしていても、何がどうすばらしいのか、どんな教えが古き良き教えなのか、初めてしっかりとした答えを教えてもらいました。
 私は、今の日本が何か不安でちゅうぶらりんな感じがするのは、わかった様に上辺だけで「日本」を語っていて、根本的な「日本」「日本人」を誰もが理解していなかったから、ではないかなぁと思います。
 この授業を受けて、日本が大好きになりました。やっぱり「日本はすごかったんだ」と実感しました。だから、私は、今の日本もこれからの日本も好きなままでいたいです。この日本の大切な「教え」をもう一度しっかり理解することができれば、本当の意味で日本はすばらしい国になると思います。
 それにしても「和をもって貴しとなす」という言葉は、胸にひびきました。
                                       (社会政策学科1年女)


 高校の倫理の授業で聖徳太子の「十七条憲法」について学んだときに、第三条は天皇絶対主義の考えだと誤った解釈をしていました。また、「三宝を敬え」など仏教の思想や実践方法を多く十七条憲法に取り入れているので、聖徳太子は仏教絶対主義の考えの人だと思っていました。しかし、今回の授業で聖徳太子が唯識や仏教の思想を深く理解していて、足りない部分は他の宗教(儒教など)で補ったりしながら、日本をより平和で調和のとれた国にしようとしていたことが分かりました。私達は、これからの社会を支える人間として太子の目指した理想を正しく理解し、実践していくことが大切だと思いました。1年間、この授業を通して、生きていく中で必要なことを新たに気付かされたり、これまでの世界観が大きく変わることを色々教えていただきました。ありがとうございました。
                                       (社会学科1年女)


 私の小中高で一番好きで得意科目としていたのが日本史である。しかし、授業の中で教師が教えてくれた聖徳太子は本当にいたかどうかも分からないような人物であり、十七条の憲法も出来事の1つとしてしか伝えてくれなかった。内容についても資料集に小さく載っているだけだった。聖徳太子の掲げた国家理想などこの授業を受けなければ知らずのままだったと思う。
 後期1回目のレポートで唯識について考えた時にこんなにも遥か遠くにあるような思想を導きだした人は素晴らしいと感じたが、聖徳太子はこの高みにある思想を人々に広めようとした。誰もがたどり着くことができるわけではない無住処涅槃をこんなにも丁寧に優しく伝え、理想とした。こんなにも素晴らしい人間が存在したかもしれない、存在しなくてもこの思想は存在した。私は日本を今までと違う新たな見方ができるようになったと思う。
 聖徳太子の理想は現在でも現実のものにはなっていないけれど、私たち世界に必要な在り方はこれだと思う。1人1人がこの理想を持つことができれば、十七条の憲法の1条にあるように上も下も和らいで睦まじければ実現できないことは何もないのである。
 そのことを教えていただきありがとうございました。
                                       (メディア社会学科1年女)


 「十七条憲法」を初めて読んで、“これは理想だなー、だけどこんなこと本当に実践できるわけはない”と思ったのが正直な感想でした。条文内でも言われていたように、この憲法は「人間に極悪なものはいない」のを信じて作られているように思えますが、今の世の中を見ていたらそんなことは到底信じようがありません。しかし、だからこそ今、原点に帰って足元を見つめ直すことが必要なんだという気持ちがわいてきたのも確かです。高い理想を掲げ、そこに向かって歩き出す人がいるからこそ、その後をついて来る人がいるのです。変われる人から、気付いた人から始めるのが大切であり、それがやがて大きな力となって世界は変わるかもしれない。そんな風に思いました。聖徳太子はまさにその先駆け的存在だったのではないでしょうか。時代は変わり、人も変わり、世界も変わりましたが、それは立ち位置が違うだけ。最高の山の頂は一つで、今も昔も目指すべきは変わらない。内容に感心するよりも、実現への希望と意欲を感じずにはいられませんでした。
                                       (メディア社会学科1年男)


 引用したのはごく一部ですが、もっともっとたくさん引用したいものがあります。

 今年度、特徴的なのは、レポートの最後に「ありがとうございました」と書いてくれる学生が非常に多いことです。

 これは大切なものがしっかりと伝わった証拠かな、と素直に喜んでいます。



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十七条憲法第十七条

2008年01月03日 | 歴史教育

 十七に曰く、それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆とともに論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)すなわ理(り)を得(え)ん。


第十七条 そもそも事は独断で決めるべきではない。かならず、皆と一緒に議論すべきである。小さな事は軽いので、かならずしも皆と相談する必要はない。ただ大きな事を議論するに当たっては、あるいは過失がありはしないかと疑われる。それゆえに皆と互いに是非を検証し合えば、その命題が理にかなうであろう。



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十七条憲法第十六条

2008年01月03日 | 歴史教育

 十六に曰く、民を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑(くわと)らずば何をか服(き)ん。

第十六条 人民を使うに時期を選ぶのは、古来のよいしきたりである。それゆえ、冬の月に暇があるようなら、民を使うべきである。春から秋に到るまでは、農繁期である。民を使ってはならない。いったい農耕しなかったならば、何を食べるのであろうか。養蚕しなければ何を着るのであろうか。


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