コーヒーは毎朝豆から挽いてドリップして入れてるけど、
入れてる間の香りで十分香り成分は楽しんでるので、カップに入れた後飲むのはすごいゆっくりです。
冷めたコーヒーも好きなの。熱燗もそれです。冷めた熱燗をチビチビ飲むのも好きなの。
あとカフェインレスのドリンクをあれこれ揃えて
お酒以外でふんわりした夜を過ごす計画も頑張る。
というツイートを、ワイン飲みながらしてるけどな。
海より木の多い森や山の方が多分好きなのに、海辺や湖のそばに惹かれるのは、
結局中学の時に読んだアン・モロー・リンドバーグの「海からの贈り物」に支配されてるのかもしれない。
あと、もちろんトーベ・ヤンソンの島の家にも支配されてる。
トーベ・ヤンソンに生まれ変わってあのような線を描きたいし、
あのような島であのような小屋に住みたい。
知念さんは、李琴峰さんへのヘイトに驚いてわたしの中の脳内ブラックリスト
(百田とかのいるリスト)に入って、後日謝罪されてたけど、考えが変わったようには思えない。
デマを流したことや認識の間違い怒られたことについては謝罪をしてたけど、
この人は根本的にこういう人なのだなと思いました。
差別心って改めるのは中々難しいし、指摘されても改めることができない人も多いですねぇ。
子供を失った人に、自分なら最愛の子供を失ったら生きていけない、などという人がいるのか。
閉じておくべき時に閉じておくべき口を閉じておけない人。
何をなくしても、生きていたら生きていくしかないのではと思う。
いや、わたしはそんな辛い思いをしてないのでわからないし知らないし間違ってるかもしれないけど。
おひさまはえらいな。
猫が枕元で寝てる幸せには慣れることがないな。毎朝うれしくてうれしくてうれしくて、
つまり起きたくない仕事行きたくない。笑
枯葉踏んでたら遅刻…(毎年秋の恒例
鍋マラソン本の3週目の4回目はキムチ鍋。日本酒だな、と思いながら
やっぱりワインが飲みたくてワイン。
自分で作るキムチ鍋より簡単で食材も少なめなのに、
自分で作る具沢山のやつよりおいしいぞおい。料理は引き算というのを、日々学んでる。
豪快な巻かないロールキャベツの煮込みはできた。あとは厚揚げとキノコのグラタン。
さつま芋のサラダと前菜盛りと箕面ソーセージ。
普段はワインから始めるけど今日は箕面ビールがあるのだ。
それと美味しいパン屋さんのパンたくさん。いくらでもワインが飲めるラインナップと思う。
テキトーな店に行くなら、家で飲み食いする方がずっと安く美味しくいただけるなぁとつくづく思う。
いつもだとめんどくさいけど、ホームパーティはやっぱりいいなぁ。
猫は噛み付いても引っ掻いてもなにしてても常に完璧に可愛いし美しいし素晴らしいけど
うちのクロちゃんは爪切りさせてくれないので99%完璧。
爪切りしないと何かに引っかかってパニックになって危ないのだ。
まくらもとーにー、ねこっ!というデタラメな歌うぃ歌ってるんだけど、
メロディが威勢が良すぎて寝起きのぼーっとした朝に向かない。
寝起きのぼーっとした朝に枕元の猫が視界に入りぼーっとしたまま撫でてる感じのメロディにしたい。
変わろう。良い方に。
というわけで1杯のワインをゆっくりゆっくり飲みます。
美味しくてもついつい一本飲むようなことは減らす(やめるとは言わないところが正直で真面目
自分のブログの、古い映画の感想を読むのは楽しい。文章のリズムが何しろ自分だから、
人のリズムに合わせる必要がなく頭に入るからねぇ。
最近は何読むのも、文体やリズムをチューニングするのに時間がかかるしすぐ集中力が途切れる。
わたしの仕事は、専門性もなく経験も技能も特に必要ないこまごまとした雑用係みたいな仕事なんですけど
こまごましすぎて、たまにしばらくただ呆然としてる時間がけっこう長い。今それ。笑
しばらく固まってから、コーヒー淹れるかTwitter覗くか、
ルーティンの単純なやつをとりあえず片付けるかする。今は2つ目ですね。
わたしはわたしが幸せにできる人を幸せにしたいんだなぁ。1頑張れば10、100幸せになってくれる人を。
100頑張っても1しか幸せになってくれない人のために頑張りすぎてきたけど。
話題の映画を、祭りには乗ってみようと思って見ることも映画の会が始まって以来とても増えた。
メジャーな映画を見ていると、映画の話を出来る相手が増えた気がするし、
それはそれで楽しめる自分がうれしい。
でも、あんまりみんなが見てない映画をこそっと見ることも多い。
その中に、たまに、うおおおサイコー!と思うものがあるのよねぇ。
というわけで、お天気良くて野山に出かけたいけど、明日までの上映の長い映画を今日も見るよ。
去年、紅葉が見たくて醍醐寺に行ったのはすごく楽しかった。忘れない。
でも今年は違う紅葉を違う気持ちで見る。
寝返りをして目を開けると見える枕元の猫。これぞドルチェヴィータ。おはよう。
数年分の過去の今日、ライブに行ってたり、尾道に行ってたり、スロベニアワイン飲んでたり、
一緒にいた人にお弁当作ってあげてたり、老眼鏡デビューしてたり、か。
いつも、知らないものを見せてほしいし、知らない場所に連れて行ってほしいけど、
結局なんでも自分でやる。自分の限界は自分でも少しずつは広げられるけど、
全然知らないものをいきなり見ることは中々できないからなぁ。
自分が頭を撫でてほしい時には猫の頭を撫でる。
自分は共感性が異常に高いので、これで大体間に合う。
猫の耳が熱い。幼児みたいに眠いと熱いんかな。寝ようか、クロちゃん。
お昼休み、きっかり1時間の裏山散歩で生き返る。
今日は大きな銀杏の木の道から帰ってきた。
コロッケを買う時、一つだけって買えなくてつい二つ三つ買ってしまい、
半分はお弁当にとか思っても食べてしまう。
解決法は冷凍コロッケで、これならひとつだけ揚げて食べられるからねぇ。
揚げたて美味い。ホフホフ。もう一個食べたいけど、めんどくさいからもういいか、となる。
飲んでる時は別。飲んでる時はもう一個揚げてしまう。
それぞれなりに頑張っても貧窮している人に、甘えさせてはいけないとか
もっと辛い人がいるとか言う人の存在が、この社会をより暗くしてると思う。
この人の他にも、ネットで探せば仕事はあるとか、野宿してないからマシとか、スマホ持ってるからマシとか、
ネカフェ泊まれるんだ、とか、なんでみんなそんなに意地悪なん?
キムチ憎悪がすごくて笑える。キムチが世界を破壊する教でもあるのか。
給食にキムチが出て、拷問だとかステマだとか意味わからん。辛いからいや、というのはまだわかるけど、
小学校の給食にそんな辛いもの出るのですか?カレーだって給食のは全然辛くないでしょう?
いや、個人の好き嫌いではなく、差別したいだけだというのはわかってるけどね。
嫌いなら食べなければいいけど、差別したいだけの人にそれは通じないのよね。
匂いがダメ、辛くてダメ、なぜしょっちゅう?押し付けるな、日本のものを食べさせるべき、などなど、
いろんなことを言うけど、要は差別。
ちなみにわたしはキムチは大人になるまで好きではなかったですが、今は好きなのも苦手なのもある。
でもどっちにしてもキムチを食べること食べないことが、なんらかの差別や思想につながるのは
すごいアホらしいと思ってます。あほか。
好きだった人と付き合い始めた頃はLINEが届くたびにうきうきしてたけど、
その後長く続く激怒LINEばかり来るようになった時はLINEの通知を見ただけで緊張と恐怖で苦しくなった。
LINEが悪いんじゃなく、関係が悪くなったからだったと今はわかるけど、
その頃はLINEが悪いと思ってたなぁ。
しばらく誰からのLINEでも怖くなったけど、少し落ち着いてきた。
LINEも言葉も道具で、それをうまく使えなくなるのはその道具だけのせいじゃない。
道具のせいでダメになったんじゃなく、ダメになったから道具が怖くなったんだな。
時間薬が効くのを焦ってはいけないけど、必ず効くから。
少しずつ、昔のことを思い出して昔の自分を取り戻してる。
そばに誰かがいることの幸せに慣れて大事にしなくなるというのはとてもよく聞くことだけど、
毎日猫といても毎日うれしくて楽しくて、猫といる幸せに慣れて大事にしなくなるなんてことはないな。
たまにほったらかすし、たまに旅行の留守番させるけど、離れててもいつも猫のことを思い出してる。
お弁当に作って冷凍しておいた三食丼用のお肉と野菜を、
急に帰省した息子の朝ごはんに使ったので、わたしは昼に松屋でササミカツカレーをキメてきた。
毎日何か予定があるのに合間にめちゃくちゃ心削られることが延々続いた週だった。
もう考えないし反応しない、何があっても。
亡くなったのか。
日本人の人に名前を言って、どんな字?と聞かれたら大体「月はどっちに出ている」の
崔洋一監督の崔、と言ってたのになぁ…(映画見ない人には通じないこともあったけど
このかた政治家の代表のつもりなんだろうか?政治家を馬鹿にするなというのは、
政治家が自分で言うことではないと思う。
政治家は国民に監視され判断され批判されるものです。
国民が政治家を崇め奉って追随するようではいけないでしょ。
人は死ぬし自分も死ぬし知ってる人もみんな死ぬという当たり前のことが、
じわじわと実感を持って感じられるようになってきた、そういうお年頃なのか。
みなさんどうやって猫をキャリーバッグに入れてるのでしょう?
抱っこして入れてもファスナー閉める0.5秒の間に逃げられますよね?液体ですからね。
ワクチンの時期なのに、40分の格闘の末、今日は諦めた…
猫を動物病院に連れていく戦いに敗れても、世界がそんなに悪くなることはないけど、
わたしの気分はダダ落ちです。ウサギの爪切りもできんダメ飼い主だったけど、
猫のワクチンも打てないダメダメ飼い主だ。
100万の配慮をしても1足りないと、配慮がなかったと責められて、何を言ってるんだろうと不思議だったけど
言い争うと攻撃が続くので聞き流した。
その人自身は、自分は配慮とかできませんからと宣言して配慮する気もない人だったのに。
自分の苦しさでいっぱいで、わたしには何も与えず、何をしても許されるべきで、
でも恵まれているわたしからは全部与えられて当然と思っていたのね。
お互いにそれぞれ、別の苦しさを持っていることは伝わってたはずなのに、
その人は自分の苦しさしか考えられない人で、わたしはついその人の苦しさを尊重してしまう人だった。
そうなると一方的にどんどん譲っていくことにしかならない。
それでもまだ配慮がなかったと責められるんだな。
今日は珍しくギターを聴いてる。アコースティックの。
あの曲は何だったかなぁと思い出せない曲を思い浮かべる。
入れてる間の香りで十分香り成分は楽しんでるので、カップに入れた後飲むのはすごいゆっくりです。
冷めたコーヒーも好きなの。熱燗もそれです。冷めた熱燗をチビチビ飲むのも好きなの。
あとカフェインレスのドリンクをあれこれ揃えて
お酒以外でふんわりした夜を過ごす計画も頑張る。
というツイートを、ワイン飲みながらしてるけどな。
海より木の多い森や山の方が多分好きなのに、海辺や湖のそばに惹かれるのは、
結局中学の時に読んだアン・モロー・リンドバーグの「海からの贈り物」に支配されてるのかもしれない。
あと、もちろんトーベ・ヤンソンの島の家にも支配されてる。
トーベ・ヤンソンに生まれ変わってあのような線を描きたいし、
あのような島であのような小屋に住みたい。
知念さんは、李琴峰さんへのヘイトに驚いてわたしの中の脳内ブラックリスト
(百田とかのいるリスト)に入って、後日謝罪されてたけど、考えが変わったようには思えない。
デマを流したことや認識の間違い怒られたことについては謝罪をしてたけど、
この人は根本的にこういう人なのだなと思いました。
差別心って改めるのは中々難しいし、指摘されても改めることができない人も多いですねぇ。
子供を失った人に、自分なら最愛の子供を失ったら生きていけない、などという人がいるのか。
閉じておくべき時に閉じておくべき口を閉じておけない人。
何をなくしても、生きていたら生きていくしかないのではと思う。
いや、わたしはそんな辛い思いをしてないのでわからないし知らないし間違ってるかもしれないけど。
おひさまはえらいな。
猫が枕元で寝てる幸せには慣れることがないな。毎朝うれしくてうれしくてうれしくて、
つまり起きたくない仕事行きたくない。笑
枯葉踏んでたら遅刻…(毎年秋の恒例
鍋マラソン本の3週目の4回目はキムチ鍋。日本酒だな、と思いながら
やっぱりワインが飲みたくてワイン。
自分で作るキムチ鍋より簡単で食材も少なめなのに、
自分で作る具沢山のやつよりおいしいぞおい。料理は引き算というのを、日々学んでる。
豪快な巻かないロールキャベツの煮込みはできた。あとは厚揚げとキノコのグラタン。
さつま芋のサラダと前菜盛りと箕面ソーセージ。
普段はワインから始めるけど今日は箕面ビールがあるのだ。
それと美味しいパン屋さんのパンたくさん。いくらでもワインが飲めるラインナップと思う。
テキトーな店に行くなら、家で飲み食いする方がずっと安く美味しくいただけるなぁとつくづく思う。
いつもだとめんどくさいけど、ホームパーティはやっぱりいいなぁ。
猫は噛み付いても引っ掻いてもなにしてても常に完璧に可愛いし美しいし素晴らしいけど
うちのクロちゃんは爪切りさせてくれないので99%完璧。
爪切りしないと何かに引っかかってパニックになって危ないのだ。
まくらもとーにー、ねこっ!というデタラメな歌うぃ歌ってるんだけど、
メロディが威勢が良すぎて寝起きのぼーっとした朝に向かない。
寝起きのぼーっとした朝に枕元の猫が視界に入りぼーっとしたまま撫でてる感じのメロディにしたい。
変わろう。良い方に。
というわけで1杯のワインをゆっくりゆっくり飲みます。
美味しくてもついつい一本飲むようなことは減らす(やめるとは言わないところが正直で真面目
自分のブログの、古い映画の感想を読むのは楽しい。文章のリズムが何しろ自分だから、
人のリズムに合わせる必要がなく頭に入るからねぇ。
最近は何読むのも、文体やリズムをチューニングするのに時間がかかるしすぐ集中力が途切れる。
わたしの仕事は、専門性もなく経験も技能も特に必要ないこまごまとした雑用係みたいな仕事なんですけど
こまごましすぎて、たまにしばらくただ呆然としてる時間がけっこう長い。今それ。笑
しばらく固まってから、コーヒー淹れるかTwitter覗くか、
ルーティンの単純なやつをとりあえず片付けるかする。今は2つ目ですね。
わたしはわたしが幸せにできる人を幸せにしたいんだなぁ。1頑張れば10、100幸せになってくれる人を。
100頑張っても1しか幸せになってくれない人のために頑張りすぎてきたけど。
話題の映画を、祭りには乗ってみようと思って見ることも映画の会が始まって以来とても増えた。
メジャーな映画を見ていると、映画の話を出来る相手が増えた気がするし、
それはそれで楽しめる自分がうれしい。
でも、あんまりみんなが見てない映画をこそっと見ることも多い。
その中に、たまに、うおおおサイコー!と思うものがあるのよねぇ。
というわけで、お天気良くて野山に出かけたいけど、明日までの上映の長い映画を今日も見るよ。
去年、紅葉が見たくて醍醐寺に行ったのはすごく楽しかった。忘れない。
でも今年は違う紅葉を違う気持ちで見る。
寝返りをして目を開けると見える枕元の猫。これぞドルチェヴィータ。おはよう。
数年分の過去の今日、ライブに行ってたり、尾道に行ってたり、スロベニアワイン飲んでたり、
一緒にいた人にお弁当作ってあげてたり、老眼鏡デビューしてたり、か。
いつも、知らないものを見せてほしいし、知らない場所に連れて行ってほしいけど、
結局なんでも自分でやる。自分の限界は自分でも少しずつは広げられるけど、
全然知らないものをいきなり見ることは中々できないからなぁ。
自分が頭を撫でてほしい時には猫の頭を撫でる。
自分は共感性が異常に高いので、これで大体間に合う。
猫の耳が熱い。幼児みたいに眠いと熱いんかな。寝ようか、クロちゃん。
お昼休み、きっかり1時間の裏山散歩で生き返る。
今日は大きな銀杏の木の道から帰ってきた。
コロッケを買う時、一つだけって買えなくてつい二つ三つ買ってしまい、
半分はお弁当にとか思っても食べてしまう。
解決法は冷凍コロッケで、これならひとつだけ揚げて食べられるからねぇ。
揚げたて美味い。ホフホフ。もう一個食べたいけど、めんどくさいからもういいか、となる。
飲んでる時は別。飲んでる時はもう一個揚げてしまう。
それぞれなりに頑張っても貧窮している人に、甘えさせてはいけないとか
もっと辛い人がいるとか言う人の存在が、この社会をより暗くしてると思う。
この人の他にも、ネットで探せば仕事はあるとか、野宿してないからマシとか、スマホ持ってるからマシとか、
ネカフェ泊まれるんだ、とか、なんでみんなそんなに意地悪なん?
キムチ憎悪がすごくて笑える。キムチが世界を破壊する教でもあるのか。
給食にキムチが出て、拷問だとかステマだとか意味わからん。辛いからいや、というのはまだわかるけど、
小学校の給食にそんな辛いもの出るのですか?カレーだって給食のは全然辛くないでしょう?
いや、個人の好き嫌いではなく、差別したいだけだというのはわかってるけどね。
嫌いなら食べなければいいけど、差別したいだけの人にそれは通じないのよね。
匂いがダメ、辛くてダメ、なぜしょっちゅう?押し付けるな、日本のものを食べさせるべき、などなど、
いろんなことを言うけど、要は差別。
ちなみにわたしはキムチは大人になるまで好きではなかったですが、今は好きなのも苦手なのもある。
でもどっちにしてもキムチを食べること食べないことが、なんらかの差別や思想につながるのは
すごいアホらしいと思ってます。あほか。
好きだった人と付き合い始めた頃はLINEが届くたびにうきうきしてたけど、
その後長く続く激怒LINEばかり来るようになった時はLINEの通知を見ただけで緊張と恐怖で苦しくなった。
LINEが悪いんじゃなく、関係が悪くなったからだったと今はわかるけど、
その頃はLINEが悪いと思ってたなぁ。
しばらく誰からのLINEでも怖くなったけど、少し落ち着いてきた。
LINEも言葉も道具で、それをうまく使えなくなるのはその道具だけのせいじゃない。
道具のせいでダメになったんじゃなく、ダメになったから道具が怖くなったんだな。
時間薬が効くのを焦ってはいけないけど、必ず効くから。
少しずつ、昔のことを思い出して昔の自分を取り戻してる。
そばに誰かがいることの幸せに慣れて大事にしなくなるというのはとてもよく聞くことだけど、
毎日猫といても毎日うれしくて楽しくて、猫といる幸せに慣れて大事にしなくなるなんてことはないな。
たまにほったらかすし、たまに旅行の留守番させるけど、離れててもいつも猫のことを思い出してる。
お弁当に作って冷凍しておいた三食丼用のお肉と野菜を、
急に帰省した息子の朝ごはんに使ったので、わたしは昼に松屋でササミカツカレーをキメてきた。
毎日何か予定があるのに合間にめちゃくちゃ心削られることが延々続いた週だった。
もう考えないし反応しない、何があっても。
亡くなったのか。
日本人の人に名前を言って、どんな字?と聞かれたら大体「月はどっちに出ている」の
崔洋一監督の崔、と言ってたのになぁ…(映画見ない人には通じないこともあったけど
このかた政治家の代表のつもりなんだろうか?政治家を馬鹿にするなというのは、
政治家が自分で言うことではないと思う。
政治家は国民に監視され判断され批判されるものです。
国民が政治家を崇め奉って追随するようではいけないでしょ。
人は死ぬし自分も死ぬし知ってる人もみんな死ぬという当たり前のことが、
じわじわと実感を持って感じられるようになってきた、そういうお年頃なのか。
みなさんどうやって猫をキャリーバッグに入れてるのでしょう?
抱っこして入れてもファスナー閉める0.5秒の間に逃げられますよね?液体ですからね。
ワクチンの時期なのに、40分の格闘の末、今日は諦めた…
猫を動物病院に連れていく戦いに敗れても、世界がそんなに悪くなることはないけど、
わたしの気分はダダ落ちです。ウサギの爪切りもできんダメ飼い主だったけど、
猫のワクチンも打てないダメダメ飼い主だ。
100万の配慮をしても1足りないと、配慮がなかったと責められて、何を言ってるんだろうと不思議だったけど
言い争うと攻撃が続くので聞き流した。
その人自身は、自分は配慮とかできませんからと宣言して配慮する気もない人だったのに。
自分の苦しさでいっぱいで、わたしには何も与えず、何をしても許されるべきで、
でも恵まれているわたしからは全部与えられて当然と思っていたのね。
お互いにそれぞれ、別の苦しさを持っていることは伝わってたはずなのに、
その人は自分の苦しさしか考えられない人で、わたしはついその人の苦しさを尊重してしまう人だった。
そうなると一方的にどんどん譲っていくことにしかならない。
それでもまだ配慮がなかったと責められるんだな。
今日は珍しくギターを聴いてる。アコースティックの。
あの曲は何だったかなぁと思い出せない曲を思い浮かべる。