Sightsong

自縄自縛日記

MOPDtK『(live)』

2016-12-02 16:27:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

MOPDtK (Mostly Other People Do the Killing)のライヴ発掘盤『(live)』(fortune、2012年)を聴く。

Peter Evans (tp)
Jon Irabagon (sax)
Moppa Elliott (b)
Kevin Shea (ds, electronics)

相変わらずの玩具箱である。ピーター・エヴァンスは変な音を出したり、いきなり循環呼吸で吹き続けたり。ケヴィン・シェイのギアは玩具に近いものだが、まるで水を得た魚のようだ。ジョン・イラバゴンはサックスでサックスらしく様々に変化する。誰だ、嘔吐する声を出しているのは、汚ったないなあ。

みんなバカテクで、斜め上の方角に自覚的にひた走っている。これを敢えてジャズ・フォーマットのもとで展開し、空中分解も辞さないながら、ぎりぎりのところで堪えているところが、MOPDtKらしさである。ライヴを観たら、きっと、笑いたいのに素直に笑いが出てこず悶えるに違いない。

それは今も面白いのだけれど、ピーター・エヴァンスが自身のバンドで手段を尽くして行ってきたことも、ジャズという中央集権物語を、深刻でない振る舞いによって解体し、別の形に組み上げてみることではなかったか。また刺激的なのも、MOPDtKよりもエヴァンスの音楽ではなかったか。エヴァンスがMOPDtKを脱退したのはそれと関係があったのだろうか。ジョン・イラバゴンがためらいなくストレートなジャズも手掛けているだけに、その違いが無視できなかったということはないか。

●MOPDtK
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 

●ピーター・エヴァンス
Pulverize the Sound@The Stone(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』(2015年)
ブランカート+エヴァンス+ジェンセン+ペック『The Gauntlet of Mehen』(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ピエロ・ビットロ・ボン(Lacus Amoenus)『The Sauna Session』(2012年)
ピーター・エヴァンス+サム・プルータ+ジム・アルティエリ『sum and difference』(2011年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 

●ジョン・イラバゴン
ジョン・イラバゴン@スーパーデラックス(2015年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
ジョン・イラバゴン『Behind the Sky』(2014年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
ルディ・ロイストン『303』(2013年)
バリー・アルトシュル『The 3Dom Factor』(2012年)
マイク・プライド『Birthing Days』(2012年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年)


ペーター・コヴァルト『Was Da Ist』

2016-12-02 10:48:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・コヴァルト『Was Da Ist』(FMP、1994年)を聴く。

Peter Kowald (b, vo)

中古盤で入手して、まずは触りだけと思いつつ再生し、結局はその素晴らしさに動かされて何度も繰り返し聴いている。

コヴァルトの絹のような弦の音にはいつも魅せられるのだが、ここでのソロは、さらに多彩である。倍音は北アジアの喉歌を思わせる響きを持つ。裏声のような音もある。弦の響きと、コントラバスの共鳴胴からの撥音とが、周波数も時間もずれを生じさせて共存したりもする。どのように演奏しているのか、コヴァルト自身の低い声との重ね合わせもある。

コヴァルトのコントラバスを、コヴァルトがドイツの自宅を開放した場・ORTにおいて弾いた作品『Contrabass Solo at ORT』を作った齋藤徹さんによれば、コヴァルトにはコントラバスの基礎テクニックがあまりなかったのだという。そして、バール・フィリップスでも基礎テクニックがある方ではない、と。しかし、それにも関わらず、あるいはそれだからこそ、かれらはこのような唯一無二の個性を発揮している。不思議なことである。

●ペーター・コヴァルト
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)(コヴァルトのコントラバスを使った作品)
アシフ・ツアハー+ペーター・コヴァルト+サニー・マレイ『Live at the Fundacio Juan Miro』(2002年)
アシフ・ツアハー+ヒュー・レジン+ペーター・コヴァルト+ハミッド・ドレイク『Open Systems』(2001年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
ラシッド・アリ+ペーター・コヴァルト+アシフ・ツアハー『Deals, Ideas & Ideals』(2000年)
ペーター・コヴァルト+ヴィニー・ゴリア『Mythology』(2000年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、1991、1998年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年) 


『旗、越境者と無法地帯』@トーキョーワンダーサイト本郷

2016-12-02 07:27:49 | アート・映画

トーキョーワンダーサイト本郷では、「アート・プラットフォーム」として、さまざまな活動の場を提供している。そのひとつとして展示中の『旗、越境者と無法地帯』がとても興味深いものだった。

象徴的なテーマは渋谷事件(1946年)。やくざと結託した警察と、在日台湾人との間で起きた衝突事件であり、戦後の都市における勢力争いであると同時に、現在にも通じる形の治安維持の結果でもあった。キュレイターの柯念璞氏によれば、本展は、渋谷事件を手掛かりにして「変動する国家権力及び国境線の下で個人が直面した赤裸の状態を新たに見つめ直す」ものだということ。

藤井光『演習1:非日本人を演じる』は、現在の東京に生きる若い台湾人たちが、渋谷事件当時の台湾人たちを演じる映像およびひとりずつのプロフィール写真。かれらの語りは、まさにいまの日本における外国人を取り囲む状況についてのものに他ならない。

高俊宏(カオ・ジュンホン)『人にあらず、旗にあらず、上にあらず』では、渋谷事件の予兆として時間を遡る。辿り着いた時空間は、日本統治時代の台湾総督府が、1905年から原住民(台湾では先住民のことをこう称する)を制圧した山林地帯だった。鬱蒼とした山の中における演出写真と素描が、今回の作品である。上の藤井光氏の作品が渋谷事件から現在への橋だとすれば、これは渋谷事件から過去への橋であり、歴史には因果や種があるのだということを身体的に示唆している。

琴仙姫(クム・ソニ)『異郷の空』は、在日朝鮮人三世として生まれた氏による70分の映像。日本の敗戦による解放後の歴史や事件が、本人や親戚の実体験を通じて語られるドキュメンタリーである。本来の歴史を持っている当事者が、歴史を失った者たちの無理解により受けることが、大きな違和感として描かれている。

ここで語られた事件のうち、重要なもののひとつが信川(シンチョン)虐殺事件(1950年)である。国連軍の占領下にあった地域において、3万5千人以上の住民が殺された事件であり、その後、米軍の戦争犯罪ではないかと推測されている。映像には、住民に向けてトリガーを引いた米兵が証言する場面も、また事件を検証する場に米国が出てこないことを弾劾する場面もある。

やがてアメリカに渡った琴氏が、人が歩くようにできていない道路の脇で轢殺されている小動物にシンパシーの視線を向けるくだりなど、たいへんな迫真性がある。