地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

今あらためて、「ありがとう屋代線」・・・

2023-07-23 | Weblog

7月23日(日)                    33/23℃

 

 

 

《関東甲信地方・東北地方が梅雨明け 平年より関東は遅く、東北は早い》   (7月22日ウエザーニュース)

 

関東甲信は、平年よりも3日遅いそうです

子どもたちも夏休みに・・・

水の事故には気をつけて!!

 

 

 

 

 

 

たいしょ 

 

今日は二十四節気の「大暑」ですが、「たいしょ」の語句は他にも

対処

大所

退所

大書

対蹠

耐暑

太初

 

 

大書」といえば先日・・・

見事な五反幟の書を見る機会がありました

力強く大書 

見事!!

 

 

歴史グループのTさんが、地区の神社に保存されてきた古い幟を披露・・・

写真撮影して、記録することになりました

 

 

 

 

 

 

 

 

信長への「恨み説」や、光秀の 「天下取り説」 はありえないでしょう 

明智光秀はその時、すでに60歳前後・・・

人生の晩期です

明智一族の行く末を考えれば、無謀な単独決起などは考えられません

 

《本能寺の変の明智光秀は単なる実行役にすぎない…「信長謀殺計画」を練った"天才政治家"の名前》   (7月22日PRSIDENT Online)

「・・・永禄11年(1568)、信長が上洛して以来、信長と朝廷とは利用し、利用される関係を続けてきましたが、朝廷を支配しようという信長の野望は、本能寺の変の直前ごろにはかなり現実味を帯びていました」

 

 

ナットクです

その "天才政治家" とは近衛前久・・・

朝廷(前久)・幕府(足利義昭)+細川藤孝+明智光秀がつながります

 

 

疑問なのは本能寺の変以後の、彼らの動き・・・

まるで、光秀の梯子を外してしまうかの如くでした

 

 

今日の第28回『どうする家康』は、ちょうど「本能寺の変」・・・

すでに

本能寺での信長討ちを決意し家臣に告げてしまっている家康 

自らの運命を感じているかのような信長

 

                             

 

ならば家康は

◆なぜ命がけで伊賀越えをしなければならなかったのか?

◆”敵討ち” の織田勢に勝利して、天下を束ねられる算段はあったのか?

◆信長は、安易にも100人余りの少部隊で京都に向かったのか?

斜に構えて「本能寺の変」を観てみます

 

 

 

 

 

 

 

 

めずらしく帰宅が20:00過ぎ・・・

4年ぶりの夏祭り、「カッタカタまつり」に出かけてきました

大勢の賑わい 

待ちに待った夏祭りです

 

 

大勢の人出ですが、顔見知りの出会いはゼロ 

学びも、仕事も、わが家は接点がなくなっているS市です

それに

交流のベクトルがもうN市に変わっています

 

 

鉄道(私鉄)が廃止されたのも、必然だったかもしれません 

父、母の時代とは生活環境が違っています

 

 

 

鉄道の廃止は、さらにつながりを狭めています

時代の流れです

そして今あらためて

ありがとう屋代線」・・・

 

 

コメント
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