二月尽ちさき羽虫が洗面所に命震はせ春は来にけり
月日の経つのは早いもので、今日で2月が終わりました。朝はよく冷えましたが日中は春のような暖かな陽が降り注ぎました。昼過ぎに手を洗おうとしてびっくりしました。洗面所に1ミリほどの小さな羽虫が1匹うごめいていたからです。えっ、もう虫が? どうしてここに?我が家で冬を越したの? 外から侵入してきたの? 卵で冬を越えてもう羽化したの? いろいろ考えてみました。いずれにしても、もう春が来たのだと実感しました。
二月尽ちさき羽虫が洗面所に命震はせ春は来にけり
月日の経つのは早いもので、今日で2月が終わりました。朝はよく冷えましたが日中は春のような暖かな陽が降り注ぎました。昼過ぎに手を洗おうとしてびっくりしました。洗面所に1ミリほどの小さな羽虫が1匹うごめいていたからです。えっ、もう虫が? どうしてここに?我が家で冬を越したの? 外から侵入してきたの? 卵で冬を越えてもう羽化したの? いろいろ考えてみました。いずれにしても、もう春が来たのだと実感しました。
最後まで林檎の皮が切れないで剝けたよ今日はいいことありさう
林檎の皮を剝く時は、四分の一に切ってひとかけらずつ剝きます。その方が剝いた時綺麗だからです。でも、今朝は昔を思い出して久々に丸ごと横に剝いてみました。子どものころ、剝いてゆく細い皮が途中でちぎれてしまった悔しさが思い出され、よし!この皮の帯を最後までちぎれないように剝いてやろうと思いました。勿論今ではこんなことはおちゃのこさいさいなのですが・・・でも、それだけで今日は良いことがありそうな気がしました。
勉強とひがな名歌を書き写す『短歌入門』の返却日来て
先日公民館から借りた編み物の本と短歌の本。気が付いたら返却日が迫っていたので慌てました。編み物の本は、気に入った作品だけコピーしましたが、短歌の本はそうはいきません。今日は一日中、有名な歌人の代用的な名歌だけ書き写しました。だいたいは覚えのあるものでしたが、表記の仕方、つまりどこを漢字にし、どこをひらがなにしているかなどを勉強するためです。確かに今まで気にしてなかったことに気づき勉強になりました。
答え無き課題を思ふ人はなぜ古今東西殺し合うのか
「ウクライナ侵攻1年」」「両国譲らず見えぬ停戦」と大きな見出しが今日の新聞の一面を覆っています。まさかと思ったあの日からもう1年です。それにしても人間は古今東西、戦争を繰り返し、そのたびに反省と後悔を重ねて来たのに、なぜやめられないのだろうと思います。どんな動物でも同じ仲間同士が殺し合うことはないのに、人間だけが仲間同士で殺し合っています。以前「人間の命を奪う生き物の一位は蚊とふ二位は人とふ」という歌を、ある資料を基に詠んだことがありますが、なぜ人間同士で殺し合うのか?いくら考えて分からない課題です。
冬越えて春陽に光る庭畑のルッコラ摘みて作る胡麻和え
降り注ぐ太陽の光がきらきらして春めいてきました。小さな庭の畑で冬を越えたサニーレタスやルッコラが春日に光っていました。昨年の晩秋に種を蒔いて、なんの世話もしないままですが、柔らかそうな葉を広げて大きく育ってくれました。花の咲かないうちに食べなくてはと思って、一掴みほど摘んで胡麻和えを作り夕餉の一品にしました。ルッコラはサラダにしても炒め物にしてもいいので、これから出番が増えそうです。
目も鼻も口も体の白黒もしぐさも可愛いパンダよパンダ
愛らしく生まれし故に外交のカードとなりゆくパンダらよ嗚呼
昨日のシャンシャンに次いで今日は永明、桃浜、桜浜のパンダが中国へ返還されました。これで日本に13頭居たパンダが9頭になったと知りました。またこの件でパンダは日本以外にもいろいろな国へも送られていることを知りました。あまりの可愛さ故にパンダ外交のカードになっているのだと思うと人間の勝手さに溜息が出そうです。実は、私はこんな可愛いパンダを見たことがないので、元気なうちに一度見に行きたいと思っています。
敗戦にも奪わるるなく続き来し日本語の幸思ふ「母語の日」
母国語を大事にせむと『美しい大和言葉』をひと日読み継ぐ
21日はユネスコが定めた「国際母語の日」 1952年、当時パキスタンの一部だったバングラディッシュで、現地語を公用語と認めない政府への抗議デモが起こったことに由来するそうです。日本は先の大戦で負けましたが、日本語を禁止されなかったことは幸いでした。日本語でも特に古くからの大和言葉は美しく優雅で洒落た言葉の宝庫です。短歌でよく使用しますがまだ知らない言葉が多いので、今日は本を読んで勉強しました。
鶏卵の値上げと不足つひに来る半世紀余を変わらずに来て
鶏卵は命そのものこれからは一つひとつを感謝し食まむ
買い物に行ってびっくり。いつもの卵の陳列棚には少しだけの赤い卵があるだけで白いのはありませんでした。私はいつも赤いのを買うのでどうってことはなかったのですが・・・・その上価格も上がっていました。卵は珍しく価格が半世紀以上安定したままで、簡単に手に入る日常食として定着してきました。でも、私が子どものころはたまにしか食べられないごちそうでした。家で放し飼いにしていた鶏の生みたて卵を取る時に感じた温かな感触は命そのものといった感じで、感謝しながら大切に食べたものです。これからはあのころの気持ちを思い出して食べなくてはと思いました。
ぎらぎらの太陽知らぬ冬トマト色も香りも味まで優し
独り居の手抜き料理のプチッと鍋にキムチとトマトも入りて彩る
トマトは年中出回っているのでよく買いますが、やはり冬のものは夏のギラギラした太陽を浴びていないので色も香りも味も薄くてあまり美味しくないのと、冬は冷たいサラダはあまり作らないので出番のないままになっていました。今日の夕餉は鍋もの・・・。独りに便利なプチッと鍋の素をプチッと鍋に出して水を加えて肉、豆腐、野菜その他なんでも煮るだけで完成。今夜はそれにキムチとトマトを入れたので美味しそうな鍋になりました。
文化展出品の歌を昨日今日かいても書いても上手くかけない
公民館の文化展には短歌クラブからは自分の気に入った歌を一首自分で短冊に書いて出品します。そのたびに上手く書けなくて四苦八苦します。そうならないようにと毎日作る短歌を毛筆で書き留めておけば、字の練習にもなると始めたものの、この二年間はコロナのため文化展も中止となり、練習も中座したままでした。だから久々に持った筆は思うようにいかず、昨日も今日も練習に明け暮れましたが、付け焼き刃では上手くいくはずはありません。明日は締め切りと短冊も無くなったのでこのへんで諦めることにしました。