唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第一回目 『唯識入門』講義全文掲載

2019-12-22 10:27:31 | 唯識入門

唯識入門 今回は2012年にお話させていただきましたところから、抜粋して投稿します。『成唯識論』講義第一回
この『成唯識論』、唯識を学ぶという入門講座について前々回の往生礼讃の会の後にこちらの住職からお話をいただきました。自分にこのような大役が務まるのかどうか全く未知の世界で、まだ人前で長い時間お話をしたことがないことがありまして、随分考えさせていただいたのです。私は、自分自身が問いをもって自分自身が答えていく、そして自分自身を明らかにする、そういう歩みをしたい、とずっと前から思っておりました。そしていつかは自宅を開放してでも一度『成唯識論』というものを読んでみたいとも思っておりましたので、ご住職が仰ってくださったことにたいして、甘えさせていただこうと思った次第です。また、私から話を聞いていただくということで非常にご迷惑をおかけすることだと思います。そんなに深く読みこなせるというわけでもありませんので、その辺のところはあしからずご了承をお願いできたらな、と思っております。
最初から『成唯識論』に入るということは、非常に難解な書物でもありますので、今日は概略だけをお話しさせていただけたらいいかなと思っております。それで次回から『成唯識論』本文に入ってお話をさせて頂ければと思っております。ただ、『成唯識論』という書物は私たち真宗門徒にとりましては馴染みの世親菩薩、『浄土論』を書かれました七高僧の龍樹菩薩の次に出てくる世親、天親菩薩ですね、「天親菩薩造論説…」(『正信偈』)の天親菩薩です。もともと唯識の論者で、『唯識三十頌』という三十の偈文を著されております。これは非常に単純明快に、そしてまたものすごく深く、難解なものであります。これをまた解釈されたもの、それが『成唯識論』。これは『唯識三十頌』を解釈されたものであります。
それでこの『成唯識論』というのは日本で興福寺とか薬師寺、法相宗ですね、法相宗が大切にされている論書になります。この論というのは、法相宗では所依の経典とういうのは『解深密経』という経典になりまして、この『解深密経』を解説、詳しく説いたのが『唯識三十頌』を通して『成唯識論』であるということになっていると思います。
私たちの真宗の根本の経典は『大無量寿経』であります。この『大無量寿経』とこの唯識とどう関係するのか、ということは真宗の歴史の中ではそんなに関係づけて話されたり学ばれたりするということはなかったと思うのですけれども、曽我量深という先生が「法蔵菩薩は阿頼耶識なり」ということをおっしゃいまして、『法蔵菩薩』という書物も出ております。その中で『大無量寿経』と唯識との関係性を明らかにされて、そこで唯識で説かれている深層意識である阿頼耶識、これは『大無量寿経』の序分にある法蔵菩薩のご苦労がただ単に神話として語られているのではなくて、その神話を通して私たちがどうしたら迷いを翻して目覚めを得ることができるのか、そこのことをきちっと教えてくださってあることだと思っています。曽我先生が阿頼耶識と法蔵菩薩の関係性を教えてくださいました。このことを『成唯識論』を拝読する中で明らかにしていけたらいいかなと思います。
そこで先ほど言いました法相宗所依の経典『解深密経』ですが、この経典につきましては安田理深先生が富山の善念寺(富山県下新川郡朝日町)というところで長年『解深密経』を講義されていまして、それをベ―スにこちらで『往生礼讃』を講義されておられる高柳正裕先生が桑名の仏乗寺(三重県桑名市)というところで『解深密経』を講義されております。もう一つ高柳先生は名古屋の東別院で『大無量寿経』の講義もされていて、この『成唯識論』の背景としてある『解深密経』と『大無量寿経』が高柳先生によって講義がされているということは大変深い意義があると思います。
高柳先生が桑名の『解深密経』の最初の講義の時にこういうことをおっしゃっておられます。「この唯識ということですが、これは素朴に言いまして、私たちが生きているわけですが、その普通に生きているという内容はこうしてみなさん隣り合わせでここに居られます。同じ空間を、社会を同じ世界を生きている。そしてお互いが見えていると思っているわけです。そこで見えていると思っている、その見えている相手に本当に触れているかということなのです。この感覚は皆さんがそれぞれに考えて見られるとわかるかと思いますが、相手そのものをなかなか感じられない、もっと素朴に言いますと、相手の存在全体そのものに触れることができない」とこういうふうにおっしゃっておられます。人間の根本的な問題ですね。その出発点は私とあなたという存在そのものは触れているのか、お互い話をして親子関係でも、夫婦の関係でも、社会のいろんな職場での人間関係の中で、本当に相手に触れているのかどうか、そういう問題をはらんだ問いかけになるのではないかと思います。
ひとつはっきりさせておかなければならないことなのですが、私たち真宗門徒にとって、何が大切かと言えば、聞法ですね。禅宗だと座禅ということがあるのでしょうけれども、真宗門徒にとって一番大切なことは聞法という、法を聞くということですが、その聞くということはどういうことなのか。これは聞くということも学校でいろんな教科を習いますが、それはひとつの対象として国語なら国語というのがあってそれを学ぶ、それを聞くということなのですが、真宗における聞法の聞というのはどういう意味があるのか。これは唯識でも聞薫習とか多聞薫習ということを言いますので、聞くというのが非常に大切なキイ-ポイントとなるのだと思います。これは自分が聞いているということは否定できないことだと思うのです。やはりものを聞くという時は私が聞いている。何かがあって話がされていて、その人の話を私が聞く。これは間違いのないことであって非常に大切にしておかなければならないことだと思いますけれども、その聞くという主体が転換するということがまた一つ大切な事柄ではないかと思います。学問ということは、問いを学ぶということ、それは自己を問うこと、普通の学びの中では自己を問うということにはならないと思いますが、ここで仏法を聞くということはやはり自分が問いかけられて自分が問われているというところを非常に大切にされているのではないかなとおもいます。教えを鏡として自分を映す、そのことを理解するのは私なのですけれども、その理解している自分というものは外に投げ出されて、そこに私というものが問われてきている。
高柳先生はこうもおっしゃっておられるのです。「今こうして座っていても実は誰とも触れていないのです。そういう感覚が人間の根本的な出発点であるとおもいます」と。私は、今日、『成唯識論』を学ぶということでたくさん集まってくださって本当にありがたいと思うのです。けれども、実はお一人お一人がなかなか触れていけないというところに、唯識が語っている、また真宗が問う問題点があるのではないかと思います。それはどういうことかというと、ものを見たり聞いたりするときに、いつも自分というもののフィルタ―というか、自分というものを通してしか見られない、本当にそのものに直に触れるということができないということです。
そして、ものを見たり聞いたり、匂いを嗅いだり、ものを味わったりする、眼耳鼻舌身という五識、意識を除いた五識、前五識ですね、これは眼の働きは眼の働きなのです。見るということは意識を通さなかったら、あるがままの姿を見ているわけです。そのものと一つになっているわけです。見るということも聞くということもそうなのです。しかし意識というものを通さないと見ることはできませんし、聞くこともできません、いつでも意識というフィルタ―を通してしか私たちは物事を見たり聞いたり、物事を判断することはできない、そういう構造になっているわけです。そういう色付けというフィルタ―を自我意識といいます。自分という意識なのですけれども、そういう自我に色づけされたものしか認識ができないということ、そういう自我意識を通してはいけないと、それは妄想であって、本来は空なのだというのが、龍樹菩薩が空観ということで表されていることなのです。唯識はただそのことを、私たちが意識を通してしかものを見られないということを、否定はしない。そういう問題を非常に大切にして、私たちがなぜ迷っているのか、ということを明らかにしている。そして本来の龍樹菩薩がおっしゃっている空性という、空観というものを明らかにする。だから空観と唯識という問題もあるのですけれども、空観という唯識は対立するものではなくて、唯識によって空観が本当に成就していく、そして成就された空観というものを以て唯識実性が明らかにされていく、そういう構造になっていくのだろうと私は思っています。この自我意識というものは、自分というものが一番大切だと、あるいは自我意識を壊して相手が立派だというわけにはいかないのです。自分が一番大切だという、ここから生まれてくるものは対立しかないわけです。だから人間が対立する、親子でも、夫婦関係でも対立する、職場でも対立して行くのはごく自然な事であって、自我意識がある限りは対立せざるを得ないというような構造になっている。
この点を先ほど言いましたように自と他と対立するのですけれども、自分と対象、対象というのは境、相ですね、またあとで二分説とか三分説とかお話したいと思いますけれども、境というのは相分ですね、見るものと見られるもの、見る働きのことを唯識では見分というのですが、ここがややこしいところなので後でまた申し上げたいと思います。この相分というもの、見るものと見られるもの、これを戯論(けろん)、たわむれの論だとこれを否定して龍樹は中論などで八不中道と否定の論理ですべて否定していきます。要するに自他というのは縁起によって成り立っているわけですから、実体化したものは空論だということでそれを否定していくことによって本当の自己というものを明らかにしようと。だから有るとか無いとか、相分があるとか見分があるとかというような見解、『正信偈』では「有無の見を摧破せん」ということで言われていますけれども。龍樹菩薩はこれを縁起の法と、これは唯識では依他起(えたき)、他によって起こる、すべては自分から出てくるものではなくて、こうして勉強会が成り立つのも自分一人だけでは成り立たないわけです。話者と聞く人があって初めて一つの会というものが成り立っていくわけですから、これを外してしまうと会そのものが成り立たない。世の中というものが全く成り立たない。ということになってしまいます。
それでそうことを考えていただきまして、歴史的に唯識がどういう位置関係にあるのかということをお話ししたいと思います。普通一般に本屋へ行くと、私が唯識を学ばせていただいたのはもう四十五年前になるのですが、二十歳ぐらいの時だったのですが、教学研究所の仲野良俊先生が大阪平野の願生寺に唯識の講義にみえておられまして、仲野先生の唯識の講義をズッーと聞かせていただいて以降、神戸の芦屋に小林光男さんという方が唯識の講義をされており、この小林先生も仲野先生の唯識の講義を聞いておられてそれで成唯識論を一言一句外さず読まれていてそれを聞かせていただいていた。その当時は唯識に関する書物というのはほとんど一般市販ではありませんでした。仏教書専門店でも難しい唯識の講義書はありましたが、入門書というのは全くありませんでした。最近は興福寺とか、太田久紀さん、横山紘一さん、竹村牧男さんとかいろんな方の唯識入門書が出ておりますから、世親菩薩がどういう人なのか、『唯識三十頌』はどういう書物なのか、あるいは唯識が起こってきたのはどういうことかを非常に詳しく書かれていますから、参考書として読んでいただければいいのではないかと思います。
少し視点を変えまして、親鸞聖人はどういうふうにとらえておられたのか、これはお話されている先生がめったにないと思いますので、これは私の勝手な持論なので間違っているかどうかわかりませんが少し述べてみたいと思います。
『正像末和讃』
「釈迦如来かくれましまして/二千余年になりたまう 
正像の二時はおわりにき/如来の遺弟悲泣せよ」(聖典p500)
こういう和讃をお書きなっておられる。親鸞聖人は鎌倉時代のことですから、そこから振り返りますと、お釈迦さまが亡くなられたのは親鸞聖人在世の時から二千余年前、ということです。ここで「正像の二時はおわりきに」とありますから、当今は末法であると。そういう自覚をこの御和讃のなかでお示しになっているとではないかと思います。もう一つですが、
『教行信証』「化身土巻」、
三時教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘うるに、周の第五の主、穆王五十一年壬申に当れり。その壬申より我が元仁元年甲申に至るまで、二千一百八十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説に依るに、已にもって末法に入りて六百八十三歳なり。(聖典p360)
こういうふうに今の時代は末法の時代であるとはっきりと二千一百八十三年経ったと。これは親鸞聖人が五十二歳の時で、この年は親鸞聖人の先生である法然上人の十三回忌に当たる年です。この十三回忌に当たる年に親鸞聖人は今自分が救済されることがなかったならば、仏法は龍宮に入ってしまうと言いきっておられる文章ではないかと思います。そしてその次に最澄の『末法燈明記』、これはほとんど全文を引用されて、末法というものの時代相を明らかにされておるわけです。それで親鸞聖人四十歳の時(建暦二年、1212年、9月)法然上人が著されました『選択集』が、隆寛律師を中心にして開版されました。しかし、その年の12月には『選択集』批判の書が高弁という栂ノ尾の明恵上人が『摧邪輪』を著され、『選択集』を破斥・批判をされているわけです。二つの視点で批判をされているわけですが、菩提心撥無、法然の言っている菩提心はいらないということはどういうことなのか、仏教は菩提心が一番だろうと、菩提心が一番なのに法然は菩提心はいらないというのはどういうことなのかと。それと聖道門の仏教を別解別行と、群賊悪獣に喩えている。これは二河白道に出てきますけれど。聖道門は群賊悪獣呼ばわりするのはどういうことだと。それは間違っていると。これら二つの視点で『選択集』を批判してくるわけですけれども、この批判にこたえる形ではなかったかとも思いますけれども、ちょうど明恵が『摧邪輪』を著してすぐに反応するように、親鸞聖人52歳の御年に『教行信証』の制作をされた年ではないのかなと言われております。それで時期相応の教法を明らかにされたということが親鸞聖人のお仕事であったと思うのです。時と機を外してしまうと教も龍宮に入ってしまう。末法というと今の世代に生きている私たちにとって今の時代は末法、末法というよりも法滅の時代ですね。末法の時代は過ぎてしまい、法が龍宮に入ってしまったという法滅の時代だと自覚が持てない、そういう時代相ではないかなと思います。しかしそういう時代相というものをはっきりと自覚しなかったら、仏法というものを聞いてもただ単に学問として聞くとか、教養学として聞くとか、そういう聞き方になってしまうのではないかと思います。私は時と機が相応して初めて親鸞聖人は「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萠、斉しく悲引したまうをや。」(聖典p357)とこういうふうにおっしゃっておられるのです。私たちのこれからの学びというもの、『成唯識論』に入って逐一学んでいくのですけれども、この学びというのが、時と、時とは時代ですね、そして機と、機とは自分ですね、時機を外しては、教法は生きて働かない、と言いたいわけです。
先ほども言いましたように唯識、法相宗の学問なのですけれども、ただこれは学問と言いましても、唯識というのは瑜伽(ゆが)行(ぎょう)唯識派という要するにヨーガ(yoga)と実践行ですね、行を通して自分の心の深層を見出してきたもの、ということでただ単に頭で考えたというわけではありません。だかから、非常に実践的なところから生まれてきたというように理解しています。それで、学問、問いを学ぶということですけれども、先ほども言いましたように、仏法を学ぶということ、道元禅師は「仏法を学ぶというは自己を学ぶ」こと。「自己を学ぶとは自己を忘れるなり」、「忘れるなり」と言うのは無我ということ言っているわけですけれども、自分ということを問うということが学問だと。清沢満之先生は「自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり」と問題提起されておられますが、仏法を学ぶということは自分ということを明らかにするための学びである、ということです。
親鸞聖人の歴史の逆算から言いますと、親鸞聖人52歳の時(元仁元年)は2183年と記されていますから、現在からいうと2972年、お釈迦さまが涅槃に入られて仏滅後2972年になっている。逆算すると、当時は紀元前5世紀ぐらいということになるのでしょうか。(ただし現在の研究では仏滅は紀元前383年の中村 元説が有力になっているようです。)お釈迦さまが涅槃に入られた後100年くらいたってきてから、紀元前268年といわれておりますけれど、アショカ王という方がおられて、アショカ王が即位をされたとき、このころ仏教の教団、僧伽、要するに学びの集団ですね、大きく分裂していくわけです。上座部と大衆部と。お釈迦さま当時から戒定慧という三学というのがあるわけですけれども、戒定慧の三学を学んでおられるわけですけれども、一番大事なのは戒律を守るということですが、その戒律を守る守り方に意見の食い違いがあって、先ず初めに上座部と革新的な大衆部に分かれ、その後ズッーと分裂を繰り返していくわけです。最終的には小乗二十部といわれるような部派仏教の時代、この部派仏教の時代を小乗仏教、小さな乗り物ということなのです。小さい乗り物だと言って、悪いという意味ではありません。大乗仏教から見て小さい乗り物ということは、小乗仏教は自分の悟りを優先します。自利だけです。それは利他という問題が全然問題にされていない、それで小さな乗り物だと。こういうふうに言われておるのです。それで保守的な上座部に属していた大乗仏教に大きな影響を与えていく部派が、説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)。この説一切有部というのは仏教ですから、我は認めていないのです。無我です。蓮如上人も「仏教は無我にてそうろう」とおっしゃいますから、我は認めていないけれども法は認めているのです。大乗仏教としての真宗を聞いていますから無我であり、諸法無我であり、法もあるということは言いません。無ですから。諸行無常、諸法無我ですから。小乗仏教の二つ、大乗仏教に大きな影響を与えてくるこの説一切有部とそして経量部(きょうりょうぶ)というのは我無法有、ようするに我はないけれども法はあるのだと。そして説一切有部というのは三世、現在過去未来にトータルに法は恒に有る、と。法というのは壊れなくあるということです。これもあとで法というのは出てきますのでまたその時に云います。経量部というのは今しかない、という考え。これが大乗に非常に多くの影響を与えます。今のところ言葉だけ知っておってください。
それで、天親菩薩というのはもともと説一切有部の論者だったのです。この説一切有部のところで天親菩薩が著されたのが『倶舎論(くしゃろん)』です。阿毘(あび)達磨(だつま)の教学ですけれども、六識の構造を多元的に明らかにされた書物です。これも非常に難しい。昔から「唯識三年倶舎八年」という言葉があるのですけれども、これは倶舎論を八年学んだら唯識は三年で分かると。倶舎論を八年間一生懸命学んだら唯識は三年学んだら分かるという。唯識を学ぼうと思うと、ほんとうは倶舎論からやらないと理解できないということ。このように世親菩薩は説一切有部の時『倶舎論』を著された。御存じだと思いますが、世親菩薩のお兄さんに無著(むちゃく)菩薩があって、無著菩薩が大乗に転向するように諭したわけです。それで世親菩薩は小乗を捨てて大乗に転向するわけです。大乗の論師になって『唯識三十頌』というのを著されたと。手元に『唯識三十頌』の偈文があると思いますが、唯識のエッセンスがすべて詰まったことが書かれてあるのです。
この『唯識三十頌』はこれだけでは全く分からないので、その当時のインドの学者の方々がそれぞれに『唯識三十頌』を解釈された。その方々は十大論師といわれているのですが、代表的なのが安慧(あんね)菩薩、陳那、難陀それから護法というひと。それぞれみんな解釈が違うわけです。十人十色で。この『唯識三十頌』を後世の人が読むときに非常に混乱するわけです。『唯識三十頌』や十大論師の釈はサンスクリットで書かれているわけですから、玄奘以前の人は十人の論師のいろんな説を読まねばならにわけです。非常に煩雑でまったくわからないわけです。それを玄奘はタクラマカン砂漠をこえて天竺、インドにわたられて、持ち帰り、それを編纂されるわけです。この人はどのように解釈したのか、あの人はどのように解釈をしたのかと。玄奘の弟子である慈恩大師基(き)という人と共に編纂されたのが『成唯識論』になるわけです。ですからこの中を見るといろんな人の説が出てきます。「有義は、有義は」と。そして最後に『唯識三十頌』を解釈するうえで誰の説が一番正しいのかということで、護法という人の解釈が一番正しいのだと。護法の正義(しょうぎ)といいますが、護法の解釈をべ―スにして最初から安慧菩薩はこう言っている、火弁という人はこういっている、難陀という人はこういっていると、いろんな人の説を出しながらそれを全部間違っているとは言わないのですが、ちょっと違うのではないかと。最後にひとつひとつ頌に対する正しい解釈が護法菩薩の説であるとして『成唯識論』が編纂されてあるのです。これを糅(じゅう)訳(やく)というのです。
しかし『成唯識論』に書かれてある護法の解釈もまた難解なのです。それを慈恩大師基という人が解釈された書物が『成唯識論述記』。普通『成唯識論』を読むときにこの『成唯識論述記』をベ―スにして読んでいくのですが、そうでなかったら全く手も足も出ないほどの全く難しい書物なのです。『述記』でもまだ難しいと、それを解釈された書物があるのです。それを三箇疏(さんかのしょ)(『成唯識論枢要』唐基撰、『成唯識論了燈義』唐慧沼撰、『成唯識論演秘』唐智周撰)というのですけれども、この三つの書物によって補足説明をしています。ですから『唯識三十頌』があって、それについて主だった十人の説があり、その中で護法菩薩の説が一番正しいのだと玄奘が見極めるわけです。それをまとめて作られたのがこの『成唯識論』という書物なのです。いまはこれらも非常に手に入りやすくなりました。「仏教体系」というのがありますが、「仏教体系」の中では太く書かれているのが『成唯識論』の本文なのです。そして「述して曰く」と『述記』の解釈が出てきて、これに対する補足説明として『枢要』の説明が書いてあり、読むうえでは非常にわかりやすい。ただ、すべて漢文で書かれてあります。ですから難しいところもあると思いますし、仏教用語ですから普通の読み方と全く違うこともありますので、そのあたりはおいおい勉強していただけたら、と思います。
先程、法体(ほったい)恒(ごう)有(う)、法はあると言いましたが、法というのは何か。『成唯識論』の中にもあるのです。我とは何か、法とは何かと。真宗の法話を聞いていてもこういうところを分かったつもりで先生も話されるし、聞いている方もわかったつもりで聞いているものですから、いざ「我」とは何かということになると、たとえば浄土論の最初に帰敬頌として「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」とあります。「世尊、我は一心に」と「我」がでてきます。この我とは一体何か、これを曇鸞大師は解釈され、これはただ単に「流布語」だと押さえられているのです。そういうところを唯識ではきっちり我というのは何か、法とは何かときちっとおさえられているのです。そこのところを、少しお話をしていけたらと思います。
法というのは小乗仏教において、法というのは五蘊(色・受・想・行・識)・十二処(六根・六境)・十八界(六根・六境・六識)であり、それでもって一切の法を示している。六根六境六識と。六とは、識でいうと眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、この対象が境なのです。六識に対して六境である。五蘊というのは自分のことです。自分のことは有るのだと、自分の体というのは。実体的にこの体は有ると。六根、眼の働きの根本的なもの。眼の働きの対境、対象は有るのだというのが境。このように有るというのは小乗仏教の説なのですが、これが空観によって否定されてきます。五蘊は仮に和合したものだと。五蘊仮和合、全部空だということで空観では色聲香味触、少し目を閉じてみてください、これらはぜんぶ言葉を通して思うわけです。言葉を介さないと眼は有って無きが如し、ですね。働かない。言葉をもって眼と言った場合、確実に何かを思い浮かべる。その時に眼と、その黒板を見るというのを別々に感じているのか、黒板と自分とが一つになっているのかという問題です。私たちの普通の感覚でいったら、眼の働きが有ってものを見ると。耳が有って、声を聞くと。鼻が有って香を嗅ぐと。舌が有って味わうと。身によって触れると。このように別々になっていると思うのです。ところがそうではないのだと。空観でいうと、色は空なり、空はすなわち色なり。色即是空、空即是色と『般若心経』などを読まれると、五蘊仮和合だとして、それぞれの人の身体というのは実体的にこの体があるのではなくて、仮に色受想行識というものが集まって自分の体が成り立っていると、ひとつでも欠ければ成り立たない。怪我をするとひとつで成り立っているのならそこだけ痛んだらいいのだけれども、そうではなくて体全体が病んでしまうというのは、仮に和合しているという証明になっておるのだろうと思います。この五蘊十二処十八界とうのは、五とか十二とか十八というのを外して蘊・処・界とよく出てきますので見ておいてください。
そこで六根六境なのですが、小乗仏教というのはここまで、人間の意識というのはここまで。眼が働いている間は、耳は働かない、意識によって、この法によって、法を媒介にして眼の働きがある。ということですから眼が働いている間は、耳は働かない、だから前五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)で言うと眼が働いている間は後の四つの識は働かない。というのが小乗仏教の考え方なのです。そうするとどうしたら耳が働くのかというと意識が眼の働きを止める、止めてその次に耳が働く。私たちが生きているということは、ひとつの線があるわけではない、点の集まりだと習いました。点が集まって一つの線にみえているだけだと。それと同じで、私が生きているというのは刹那に生きているという。刹那・刹那なのです。刹那生滅なのです。さきほど三世というのがありましたが、過去がある、そして現在がある、さらに現在から未来と。普通はこう考えるのですけれども、現在というのはないのですね。刹那滅ですから、滅しては生じ滅しては生じ、滅して生ずるということは今という瞬間をつかむことはできない。これを言うと空。本当はつかむことのできないのをつかんでいるのです。私がいま存在するということは、それは幻想になるのです。いよいよ夢幻のようなもので、そうすると今とは何なのか。そうすると釈尊が今にましまして説法をされている「今現在説法」(『阿弥陀経』)と言われるときに、今とは何なのか。これも大きな問題をはらんでいると思います。考えて頂ければいいと思いますけれども。
安田先生は、これを永遠の今、と言われます。今とは何かというと永遠ということをはっきりさせないと今というのは分からない。そうでなければ懐古主義、あの時はよかったなあことばかりです。そうでなければ未来に思いをはせて、こうなりたいなという思い、未来は思いです。何があるかわからないです、何が起こってくるかわからない、起るのがわからないけれども、思いはこれから先こうなりたいとか、ああなりたいとか、という思いだけがある。それではなかったらあの時はこうすればよかったな、こうしていたら今このようにはなっていなかったのになあ。私でいいましたら、三十代はあほなことばかりやっていて真面目に生きていたら、今もう少しましな人生送れただろう、ということで後悔です。後悔でしかない。後悔に生きるのか、地に足をつけずに未来に夢を託して生きるのか、どちらにしても今がないのです。今とはいったい何なのか。今という言葉はそういう問題をはらんでいると思います。
これが五蘊十二処十八界、これが法です。これはダルマdharma。この五蘊十二処十八界というダルマがあるというのが、「三世(さんぜ)実(じつ)有(う)、法体恒有」という説一切有部の考え方で、『倶舎論』もこれを中心に説かれています。この法体恒有というのを大乗仏教は否定していくわけです。先ほど言いましたように五蘊は仮和合であると。すべての法は空であると。これを我もない、法もないということで我空法空といいます。これは唯識でもはっきりさせることですけれども。我は空である、法も空である。我とか法とか、なぜ言うかというと、これは仮に立てられたものだと、仮立されたものだと言われています。また我とか法とかどんなものか言いますけれども。安田先生もよく言われました、迷いも縁起であるし、覚りも縁起だと。どちらも縁起に違いはないのだと。ただその方法が間違っているだけで、みんな求めている、その求め方が違うだけ。パチンコをするのも求めているのです。本来どうありたいのか求めているそのあがきがパチンコに足を運ばせる。今日は土曜日ですね、競馬がやられている。競馬場に足を運ぶというのも一つの自分では意識できないけれども自分の願い、表れのひとつでそれは方向が違うだけであって、我とか法というのも言葉をもってしか我々は思考ができない、だから言葉というのは迷いの言葉なのです。言葉によって迷うということも、言葉によって覚るということもあるのですけれども、迷いの言葉で以てしか覚りを表されない。我とか法とか言わないと空を表せない。だから世間の言葉に従って我とか法とか、それを曇鸞大師は流布語、世間で流通している言葉をもって本来を表そうと。だから迷いの言葉をもって真実を表そうと。そのようなところに我とか法とかいうことが立てられてくるのです。

 

【休憩】
 
すこし最初に言ったことを反復することになりますけれども、さっき言いました『唯識三十頌』を解釈された主だった人、十人は護法・徳慧・親勝・難陀・浄月・火弁・勝友・勝子・智月。この方々が世親の『唯識三十頌』を個別に解釈されたわけです。それらを護法の解釈されたのを正義として、これを中心にして、玄奘と玄奘のお弟子さんたちがインドへ渡って持って帰ってこられたこれらの論書を、きれいに整理をして、玄奘と窺基(基、慈恩大師)が二人で編纂されて、今日私たちが読みやすいようにされている『成唯識論』という書物ができあがった。それを糅訳と言っています。個別の論師の方の、いまでいうと私たちは例えば『教行信証』、「正信偈」でもいろんな先生方が解釈されていて、10人の先生方がおられれば、十人の先生方の解釈の仕方があり、それを全部読まねばらならないとなれば大変なことだと。そうではなくて、この先生はこういう考え方、あの先生はああいうものの見方、そのよう見解を一つにまとめて作られた書物、それが『成唯識論』です。
 この『成唯識論』は一つの論なのですが、先ほど言いましたように所依の経典が『解深密経』です。その『解深密経』は現存しており大蔵経の中におさめられています。『摂大乗論』という書物のなかにもあるし、玄奘がインドに渡られる一つの理由としてどうしても『瑜伽師地論』を原典で読みたいということがありまして、この書物を求めてインドに渡られたと言われています。命がけですね。『歎異抄』でいうと関東の方々が命をかけて親鸞聖人のもとに訪ねてこられた、途中で死んでしまうかもしれないし、帰る時も生きて帰れるかどうかわからない。とくに玄奘の時代は鎖国の時代であって、外に出ることは禁止されていた。国禁を破って出かけられたわけです。だから出た以上は帰ってこられないというそういう状況の中で『瑜伽師地論』を読みたいと。それは人間の心の構造がどうなっているのかということをはっきりさせたい、中国にいてはそういう論書がない、ということでどうしても人間の心の構造はどうなっているのかということを、今でいうと心の秘密を解き明かしたい。そのこころの深いところの秘密を解き明かす経ということで『解深密経』という名前が付けたれたと言われています。それで国禁を破られてインドに渡られて、膨大な唯識の論書を唐に持って帰られたわけです。それで『成唯識論』を著されて、解釈されたのは玄奘が全部各論師のものを中国語訳されたわけです。それを基がまとめられた。だから、要するに法相宗の開基は慈恩大師です。それが遣唐使の道昭という人によって日本に持ち帰られた。道昭という人は奈良時代の人ですけれども、遣唐使でいかれて、玄奘と直接お会いになって『成唯識論』『唯識三十頌』等々の論書を携えて日本に帰って、日本に法相宗を開かれるわけです、原本は散失してしまって今はないのですけれども。『大乗阿毘達磨経』というのがありまして、これは『成唯識論』にも出てきます。また、『摂大乗論』にも出てきます。大事な経典で、法相宗の方々は、『解深密経』とこの『大乗阿毘達磨経』を非常に大事にされております。
なぜ大事にされているかというと、小乗は六識までで説明をされており、要するに意識を媒介にして眼識、耳識、鼻識等が起こったりすると、私たちは意識できないですけれども刹那、瞬時に、ですけれども、意識が次の意識と交互に働きながら、ものを見たり聞いたり味わったりすることが起ってくると説明していたのですが、大乗の場合はそうではないのだと。眼が働いているときも耳は働いているということで八識説をとるのですけれども、まだ『解深密経』でも『大乗阿毘達磨経』でも厳密には八識は言っているのですが、第七の末那識は独立されておりません。八識の一番心の深いところにある阿頼耶識、阿頼耶識というのは純粋意識なのですが、純粋無垢とか言いますけれども、透明色の強い識で、透明色が強いということは何ものにも染められてしまう、私たちが経験したことが全部心の深いところに蓄えられてしまう。なんでもいい悪い関係なく、そういうことを判断しません。深層意識というのは判断しなくて全部蓄えてしまう。厄介なのは『解深密経』にあるのはその阿頼耶識の中に染汚識がある。この染汚識が独立した形で末那識として独立させたのは世親菩薩の『三十頌』なのです。『三十頌』以前は末那という言葉はあるけれどもはっきりと末那識とされていない。阿頼耶識の一部分として染汚識があると言われています。ですからここで三十頌において初めて阿頼耶識は心識だと。
先月の高柳先生の「往生礼讃講義」でも心意識とありました。心意識というのはこの唯識の講義の時に話されるでしょうと仰ってくださっていました。心意識というのは小乗では、唯識以前では心も意も識も同じ言葉なのです。全部意識なのです。世親によって初めて阿頼耶識は心識であると、そして末那識というのは自己を思う、自己だけを思い続けている識、真宗で言えば我執のことですけれどもね。これをマナスと言って、意と。そして、普通私たちが意識、意識だというのを識、心意識ということで独立した形をとって、識をヴィジュニャーナ(vijnana)、意をマナス(manas)、心をチッタ(citta)。こういう言葉で表現されています。これも『三十頌』の頌の中に入ってきたら、何故これを心といい、何故これを意といい、何故、前六識を識というか、と出てきますけれども。心というのは根本識です。根本になる識、要するに心の一番深層の主になる識。根本識が転じて末那識、前六識に影響を与えてくるわけですけれども、ここは少しややこしいです。
この根本識とこの末那識という、これは最初に言いました相分・見分・自証分・自体分、二分説、三分説に分かれてくるのですけれども、この阿頼耶識と末那識というのは相互関係にあるわけです。相互依存関係といってもいいと思います。そして根本識が転じた形で、末那識前六識これを転識、根本識に対して第七識・前六識をあわせて転識、末那識から前六識まで七つの識がありますから七転識。阿頼耶識に対して前六識は六転識、こういう言い方をしています。ですから私らの識というのは全て根本識である阿頼耶識から転じたものである。だからただ単にものを見たり聞いたりしているわけではなくて、ものを聞いたり感じたりしているのは恒に阿頼耶識の影響を受けているわけです。だから判断する仕方がそれぞれ個人によって全く違うわけですから、それは各自の一人ひとりの阿頼耶識ということで、一人ひとりが独立した有機体を持った存在である、ということで人間一人ひとりを大事にしている。だから、よく唯識説というのは世間の批判を受けます、人を差別していると。だけれどもそうではなくて、実際に言っているのはそうではなくて、一人ひとりはみんな違う、と。一緒だというわけにはいかない。でも一人ひとりは非常に尊い命をもった存在であるということで、心意識ということで人間の独立性を非常にはっきりとあらわしているということを思います。
 そうですね、まず我と法を説明しなければなりません。我と法を説明するのと同時に、私たちの認識はどのように成り立っているのか、ということ。普通は私という実体があって、外にものを見る対象があって、それを見ている。これが普通の認識の仕方です。これは非常に理解し易い。しかし今言ったように私という主体・実体はないのだと。無我であったら対象も無なのです。対象は法です。無我があるものを認識することができない。するとこの考え方は間違いだと。これが迷いを生んでくる。そうすれば迷いが生み出される理由がある、それは一体何か。唯識の場合は言葉が非常に複雑で難しい面があるので、また言葉の説明が入ると思うのですけれども。ここに先ほどの唯識の十大論師の中で、唯識の解釈の仕方で二つあります。無相唯識、有相唯識、二つの流れがあります。
無相唯識とは代表が安慧菩薩という方で、安慧の弟子である真諦という人がそうです。この人が『摂大乗論』という論書を解釈しているのですが、そこから出てきた宗派が摂論宗という、『摂大乗論』を所依とした宗派です。無相というのは何かというと、三性というのがあります。三性というのは円成実性、依他起性、偏計所執性。無相唯識というのは、あるのは円成実性という法性だけで相はない、ということです。有相唯識は、迷いは有ると。私も有るではないか、対象も有るではないか、と。これも龍樹菩薩でいうと、私というものは縁起で成り立っているし、対象も縁起によって成り立っている。だから相はあると。現象としては有るということで、迷いの構造を明らかにするために認めるのです。これはいずれ否定されるのですが、認めるのです。私という実体も認めるのです。対象という実体も認めるのです、仮に認めます。あくまでも仮にです。仮に認めて迷いの構造を明らかにしようというのが有相唯識、これが護法の説です。これを中心に著されたものが『成唯識論』ですから、無相唯識の人にとったら、『成唯識論』は天敵かもしれません。だから今から学ぶのは有相唯識です。これはなぜこのようなことを言ったのかというと、認識はなぜ成り立つのかというとことに視点をおいて、ここに大切な事柄が隠されているということを言ってみた次第です。
阿頼耶識といいましたが、阿頼耶識、第八識、根本識、その働き、これを能変というのですが、また第八識の働き、それを自体分といいますが、その働きの中に見分と相分がある。見るということ(見分)も、見られるもの(相分)も外にあるのではなくて、第八識の中にある。これが変化したもの、つまり能変が変化したものが所変。だから識体、識の体、第八識の自体分、これが変化したものが所変ということ、このように能・所で表される。自体分が変化したものが所変ということで、大きく言うと能変が変化して、所変になり、ここに見分と相分があって、見たり見られたりする働きがあって、見分を能縁と言い、相分のことを所縁。これを根底的に支えているのが能変、阿頼耶識です。要するに本来の認識のあり方はこうなのだと。見分と相分とは別々のものではなく、ひとつのものだということなのです。
先ほども言いました第七識の末那識、我執です。要するに自分の事しか思えない、生まれて死ぬまで。だから親鸞聖人が臨終の一念に到るまで妬み嫉み消えることがないと(「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、ねそみ、ねたむこころおおくひまなくして臨終の一念に到るまでとどまらず。きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。」『一念多念文意』聖典p545)いう自覚をおっしゃっておられる。生まれたからには死ぬまで、人間が持っている妬みとか欲は消えない、と。でも、見分の、見るという働き、相分(対象)の見られるというのは、阿頼耶識の変化したものであるから、これは一つのもので別々のものではない。識そのものが(能変)が見分・相分という所変に変化しているわけですね。しかし、相分という境、対象は実体として存在しているわけではない、それでは存在しないのかというと、そうでもない、相分は見分が変化したものである、と説いているわけです。従って、見分を能縁、相分を所縁と現しています。唯識という原語は、「阿頼耶識から作られたもの」というのが原意になります。「ただ識のみが存在し、心の外には事物・対象は存在しない」と主張します。
それで末那識ですけれども、これは恒に自分を思い量っている。恒審思量です。恒にですから、私どもはこれを恒としていますが、普通は常という字を使うのですけれども。常というのは厳密に言うと、点と点が集まって、一つにみえているというのが常なのです。恒というと点もない、それだけ厳しいということです。常というよりもっと厳しい。生まれてというよりも、『大乗阿毘達磨経』の中に、これは全体として現存しておりませんが、他の論書の中の引用で分かるのですが、こんな言葉が見えています。「無始より已来」、はじめのないそのような世界から、私たちの識は続いている。これは善導大師の二種深信、法の深信・機の深信、親鸞聖人は『愚禿鈔』の中にも書かれていますけれども、曠劫以来です、無始より已来自分は迷い続けてきて、これから先ズッーと迷い続けるのだという自覚ですね、このようなものは業ということで託されているわけです。恒に思い量っている、何を思い量っているのかというと、阿賴耶識のなかの見分を永遠不滅の我だと執着するわけです。本当は見分も相分も一つなのだけれども、それを末那識というのは自分が可愛い余りに阿頼耶識の見るはたらきを自分だと思ってしまう。
だから主と客を二つに分けてしまっている。つまり、見分を自分だと思うことは本来あるべき姿を、二つに分けてしまっている。だからここに生まれてくるのは迷いしかない。迷いしかないということは迷いが悪いわけではない。迷いが何故悪いわけではないかというと、分けてしまったということで本来性を隠してしまったのだけれども、迷いを通してしかわからない。迷いを通さないと本来のことがわからない。だから迷ったり苦しんだりすることはものすごく大事な事であって、迷ったり苦しんだりすることが生きることの意味にも繋がってくる。このような課題をもっている。だから私は苦しんでいるということはいつでも自己中心的に生きているのだなと教えてくれる。自己中心的に生きている、そうではなかったなと、人と人とがつながりもちながら助けられて生きている、唯識は、そういう本来の姿に戻って行くキーワード、迷いというものは、迷いを通して、龍樹が言う本来は自性がないのだ、無自性なるが故に空だ、として無自性空の世界に帰ることができる、そういう道筋をきちっと教えてくれる。
私たちにとっては親鸞聖人が『教行信証』の中ではっきり教えてくださっているわけです。だから、『教行信証』という法を、教えを説くのであったら「教」と「行」だけでいいけれども、そうではなくて私たちの迷いというものを足掛かりに、本当のものに触れていくというときにやはり「信の巻」というのを起こしてこなかったら、私たちの信心がはっきりしない。だから浄土真宗を、教えを聞法しながら、浄土に帰りたいとか浄土にあこがれを持つとかということもあるわけですけれども、親鸞聖人は「信の巻」の中で、覚りを開くということは難しいことではないとおっしゃる。「無上妙果の成じ難きにはあらず」(聖典p211)とおっしゃる。何が難しいというと「真実の信楽実に獲ること難し」真実の信心をいただくことは難しいのだと。だから覚りを開くということはものを知ったらいいのです。物を知ったら本当は覚りを開いていなければいけない。こういう構造を知ったら、分かったのだから、私が迷っているのはこれを分けているからだと、つねに自分というものを思慮して、執着しているからだと、執着している構造はこういうことだったのだなとわかったら、本来だったら覚っていなければならない。にもかかわらず覚っていないし、相変わらず苦しいというところに「無上妙果の成じ難きにはあらず、真実の信楽実に獲ること難し」、真宗はただ念仏ひとつで助かるというけれども、行は易し、易行だけれども、信ずるのは難しいと。易行難信。自分に対する執着しかないのですから、教えられても信じられないと。信じられないということは自分が信じられないことです。他人が信じられないのではなくて自分が信じられない。そのようなことがつねに認識を誤らせる。そのような構造をもっている。」今日は学びの手がかりとして投稿しました。続きがあるのですが、また後日に投稿に投稿させてもらいます。


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