唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変  受倶門・重解六位心所(12) 別境 ・欲について

2013-02-25 22:46:27 | 心の構造について

 「論。有義所樂至有希望故 述曰。其可欣境。謂漏・無漏可欣之事方生於欲。此據情可欣故通三性。非唯無漏實可欣法。於可欣事欲見・欲聞・欲覺・欲知故有希望。即是四境之中所樂境也。 

 論。於可厭事至豈非有欲 述曰。此外人問。謂苦穢事等。未得之者希彼不合。已得之者望彼別離。豈非有欲。縁可厭事欲既得生。如何唯言可欣生欲。 

 論。此但縁彼至非可厭事 述曰。論主答云。此不縁可厭事。謂此欲但求彼可厭之事未合不合。已合得離之位論。可欣自體。若自内身可欣不合。及後離位。若欲外境此位。即是縁可欣事生。非可厭事。 

 論。故於可厭至亦無欲起 述曰。可厭之處即通六識。或唯第六。其中容境八識倶通。全不起欲。不欣彼故。非可欣故。境雖可欣。若不希望亦無欲起。唯前六識。如邪見撥滅・道等時亦無有欲 有義所樂至亦無欲起 述曰。第二師。所樂者。謂所求之境。隨境體性可欣可厭。但求於彼可欣事上。未得望合。已得願不離。可厭之事。未得願不得合。已得願別離中。皆得起欲。故論但言求合離等。等取彼也。即縁此二皆得生欲。餘文可解。故體寛於第一。唯前七識。或唯第六。有此欲故。於中容境全不起欲。即通八識。或唯前六・及八。以第七識常希求故。 

 論。有義所樂至即全無欲 述曰。第三師。所樂者謂欲觀境。不但求彼若合若離。但欲作意隨何識欲觀等者。皆有欲生。唯前六識。或唯第六・七・八因中無作意欲觀。任運起故。七・八二識全。及六識異熟心等一分。但隨因・境勢力任運縁者全無欲起。餘皆欲生 論。由此理趣欲非遍行 述曰。結也。於此三中。第三最勝。境稍寛故。即七・八識無欲理生。正合前七識中第四師義。(『述記』第六上・八右。大正42・428c~429a)

 「所楽の境の於に希望(ケモウ)するを以て性と為し、勤が依たるを以て業と為す」と説かれている「欲」は「所楽の境」の解釈について異論が述べられている。一つは、「可欣の境」、次に、「可厭の境」、二には、「所求の境」、最後に、「欲観の境」であると諸師の説が述べられてあります。最後の説は護法の説ですが、これを以て正義とされています。

 「三師の解あり。このうちの所説は、第一に総意なり」

  • 第一師 - 可欣(かごん)の境であるという説。可厭の境であるという説が述べられる。    
  • 第二師 - 所求の境であるという説。         
  • 第三師 - 所観の境であるという説。(護法正義)

 内容については先回に述べています。

 可欣(カゴン)とは、望ましいこと。或は、好ましいこと。

 「述して曰く。其の、可欣の境と云うは、謂く漏・無漏の可欣の事に方に欲を生ず。此れは情に可欣なるに拠る。故に三性に通ず。唯だ無漏のみ実の可欣の方なるに非ず。可欣の事に於ては、見んと欲し、覚せんと欲し、知らんと欲す。故に、希望有り。即ち是は四境の中の所楽の境なり。」

 「述して曰く。此れは外人の問いなり。謂く、苦・穢の事等が未だ之を得ざる者は、彼に合わずと希う。已に之を得たるをば、彼に別離せんと望む。豈、欲有るに非ずや。可厭の事に縁ずとも、欲既に生ずることを得。如何ぞ唯だ可欲のみ欲を生ずと言うや。

 可厭(カオン)とは、忌みきらうべきこと。

 述して曰く。論主答えて云く。此れは可厭(カオン)の事をば厭ぜず。謂く此の欲を但だ彼の可厭の事の未だ合せざるには合せずと求め、已に合せるには離することを得んと求むるの位には、可欣の自体有り。若し、自の内身の可欣に合せじとする位と、及び後に離する位と、若し外境を欲する此の位には、即ち是れ可欣の事を縁じて生ずるなり。可厭の事には非ず。」

 「述して曰く。可厭の処は即ち六識に通ず、或は唯だ第六なり。其の中容の境には八識倶に通じて、全く欲を起こさず。彼を欣わざるが故に。可欣に非ざるが故に。境は可欣なりと雖も、若し希望せざるときには、亦欲起こること無し。唯だ前六識なり。邪見の滅道等を撥する時に、亦欲有ること無きが如し。」

 第二師の説。「所楽というのは所求の境である」という。

「述して曰く。第二師なり。所楽と云うは、謂く所求の境なり。境の体性、可欣、可厭なるに随う。但だ彼の可欣の事の上に於て、未だ得ざるものに合せんと欲し、すでに得たるものに離れずと願う。可厭の事において、未だ得ざるものに、合することを得ずと願い、すでに得たるものに別離せんと願う中にみな欲を起すことを得。故に論にはただ「合せん離せん等を求む」というは、不合不離を等取するなり。即ちこの二を縁じてみな欲を生ずることを得るなり。余の文は解す可し。故に体は第一より寛なり。ただ第七識なり。あるいはただ第六識なり。この欲あるが故に。中容の境に於いては全く欲を起こさず。即ち八識に通ず。或は唯だ前の六と及び八となり。第七識の常に希求するを以ての故に。」

 第三師の説。「所楽は欲観の境なり」であるという。

 「述して曰く。第三師なり。所楽とは、謂く欲観の境なり。但、彼(一切の事)のうえに、若しは合し、若しは離せんと求むるのみにあらず。ただ欲、作意の何の識に随っても、観察せんと欲するものには、みな欲の生ずることあり。ただ前六識なり。あるいはただ第六識なり。第七識、第八識は因中には作意して観ぜんと欲することなし。任運に起こる故に。七・八二識の全と、および六識の異熟心等の一分との、ただ因(第八と異熟の六)と境(第七識)との勢力に随って任運に縁ずるものには、全く欲の起こることなし。余はみな欲が生ずるなり。」

 結文

 「述して曰く。結なり。此の三の中に於て、第三最も勝れたり。境稍寛きが故に。即ち七・八識には欲の理として生ずること無く、正しく前の七識の中の第四師の義に合す。」

 


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