唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(11)

2017-07-19 22:04:50 | 阿頼耶識の存在論証
  
   四食の次科段は、四食は、三蘊(色・行・識蘊)と五処(香・味・触・意・法処)と十一界(七心界と香・味・触・法界)に属すのであることを述べます。
 つまりですね、五蘊・十二処・十八界の三科の分類の中でどこの属するのかを問うているわけです。
 「是に由って集論(『大乗阿毘達磨集論』)に、此の四食は、三蘊(色・行・識蘊)と五処(香・味・触・意・法処)と十一界(七心界と香・味・触・法界)とに摂すと説けり。」(『論』第四・二右)
 『集論』第三(大正31・672b)と『雑集論』第五(大正31・716c)には「三蘊と五処と十一界にして一分を以て體と為すと説いているのであるが、ここでは略して説いているのは、集論等においては三科は有漏・無漏に通じて説いているのであるが、四食は、ただ有漏のみにおいて説くものであるという意味になります。
 ただ、ここは説明を要しますので、四食の配当は次回にします。
 日野原先生、お亡くなりになられていたんですね。先生の「死はGoodbyeではない」というメッセージに感動しました。死はGoodbyeではありませんね。若しGoodbyeだと、私は生まれてこなかったでしょう。私の所まで届いたんですね。この私のところまで伝わってきた「いのち」は「いのち」の意味を知れと云うメッセージだと思います。日野原先生は、本当に貴重ないのちを生き切られました。輝くいのちは、智慧の光として次世代に多大な影響を与えられるものだと確信します。