唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

古希

2015-02-22 18:02:38 | 古希を祝ってもらう
 古希の祝辞を数多く寄せていただきましてありがとうございました。12日は大坂坊主BARで、14日は千林のカドモツ食堂で、昨日は森小路のMobでそれぞれの趣向を凝らして祝っていただきました、身に余る光栄です。ありがとうございました。また、本日は法友が長年温めてきた連載ものの『アポロンの雄鶏』が刊行する運びとなりました。そんな余韻に浸りながら、二日酔いの身を癒す為にお昼は鴫野の名店仙酔庵でお蕎麦(二八手打ちそば)をいただき、大阪城公園・梅林を散策してまいりました。記念に写真を貼り付けて我愛を満足させたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。
 
 
 

 
 

 (『アポロンの雄鶏』FBよりシエアさせていただきます。)
 
 平成27年 2/22 (日)
 
 企画から丸一年、ようやく本日
 
 『アポロンの雄鶏』01刊行です。
 
 心というはたらきについて
唯識の観点から河内勉氏がおはなしをしてくださいます。
ユイシキと言われても、それは聞き馴染みのない言葉かもしれません。
古臭く、しかつめらしい学問のように感じられるかもしれません。
それがどこか遠い別の、わたし以外の心の問題を説くのなら
それはそうかもしれません。

“ちょっと簡単”に、難しい唯識を。
他ならない自己のその難解な心の問題を
氏の紡ぐ連載の中に見つめてゆければとおもっています。

続いて真宗大谷派僧侶の松本曜一氏は看取りの観点からおはなしをされます。
死生観と云うものは様々ですが、氏は看取りから、死から生を眼差して此の課題を観察されます。
看取りと聴くと、死に直結し死に際した態度のように捉えがちですが
死に様から今此処の生き様をさぐり訪ねてゆく、死の行儀と其の死に呼応する行儀の全体性からわたしたちが生を見詰めてゆくと云うのは、実に生気に充るアプローチです。

死に生を教わる、死に問い生に応えていく姿勢を氏の円かな語りに訊ねたいとおもいます。

どうぞお手にとっていただければ幸いです。

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